第11話 眺める女

 二年生に上がるまでの間に、私、真友、陽向、愛の四人組に落ち着いた。真友の部活が終わるのを、部活に所属していない三人が待っているという、何とも奇妙な関係だった。突然増えた私の友人に真友は驚きつつ、「美月ちゃんはやっぱすごいなあ」と少し寂しそうにしていた。私にしてみれば、毎日毎日退屈な授業を受けた後に、うざってえ先輩の顔色を窺いながら部活をやってる真友の方がぶっ飛んでるとは思うが、そんなことをわざわざ言ったりはしない。

 一番不思議だったのは陽向だ。愛はいつも私と一緒に帰っていたから、最後はこの教室に陽向だけが取り残される形になっていた。だが、ある時私が帰ろうとすると、陽向も帰り支度を始めた。吹奏楽部が終わるまで、まだ三十分以上はある。


「あ?今日は玲子早いのか?」


「玲子のことはもう待たないことにしたのよ」


「何、喧嘩でもしたのかよ」


 玲子と陽向が喧嘩をしているところを想像するだけで笑い出しそうになった。


「そうじゃないわ。いつだかあなたが言った通り、あの子は八方美人なのよ。誰に対しても平等に接してるの。だから、私の代わりなんていくらでもいるのよ」


 その声からは、落胆や怒りと言ったものは感じられなかった。ただ事実を羅列しているかのような無機質さが陽向にはある。彼女はそそくさと教室を出て行こうとする。陽向のこういうさっぱりしたところが、一緒に居て気楽な理由なのだと思った。毎日一緒に帰るために待ち続けていた相手を、こうも簡単に切り捨てることができる。その無頓着という刃が、いつか私のことも切り裂くのではないかと思うとスリルがあって良い。

 ドアに手をかけた陽向が振り返る。


「それに、あなたの方が面白そうだから」


 特に面白くも無さそうな表情でそう言った。


 帰り道は私と真友が並んで歩き、その後ろを陽向と愛が並んで歩くというフォーメーションを維持していた。後ろを歩く二人は、自分から話し出すことは少ない。だからこの四人で居る時、真友は恐る恐る距離を詰める様にコミュニケーションを取っていた。

 学校から一番家が近い陽向が最初に別れ、その次に愛、真友の順に家まで送る。初めて愛の家の前まで行った日は、愛の母親らしき女性が慌てて玄関から出てきた。気の弱そうな、そしてどこまでも優しそうな雰囲気を持ったふくよかな女性だった。何やら挨拶のようなものを早口でまくしたて、「良ければ上がってお茶でもどう?」と言ってきた。娘に本当に友達が居たことが余程嬉しかったのかもしれない。私が断ると、「じゃあちょっと待ってて」と言って家の中に引っ込んでいった。

 一分もしない内に戻って来た愛の母親は、その手に菓子をいくつか持っていた。どら焼きと煎餅を一つずつ、私と真友に手渡す。正直私の趣味じゃないが、断るのも面倒だった。真友は「私どら焼き大好きなんです!」と、嬉しそうにしている。手渡しながら愛の母親は、「うちの娘が何か迷惑をかけていませんか?」とか「不器用な子ですけど、根はとってもいい子なんです」とか、そんなことをいつまでも言っていた。親ってのはどうしてこんなにもうっとうしいのか。一体何に言い訳しているのだろう。愛も「お母さんいい加減にして!」と、初めて語気を強める姿を見せた。案外家ではこんな感じなのかもしれない。

 適当に挨拶をして愛の家を後にする。その後幾度となく、愛の母親の出迎えを受けることになるが、うんざりする気持ちと、それを形にしたような菓子を持って帰路に就いていた。

 一度真友に、無理して陽向たちと話すことは無いと言ったことがあったが、「いつまでも美月ちゃんに頼ってばかりの私じゃないよ」と生意気なことを言い出した。彼女の成長を感じると、産んでもいないのに親のような気持ちで心が温かくなると同時に、私の醜い部分が悲鳴を上げる。

 真友が私から巣立とうとしていると感じた。小さな羽を懸命に動かして、私の翼の内から解き放たれた彼女が、私の隣を飛ぶとは限らない。守るべき彼女が、守ってきた彼女が、私を振り返ることも無くどこかへ行くことを許せないと思った。その小さな羽を力いっぱいむしり取ってやりたい。飛べなくなって地面に叩きつけられた彼女を、私の大きな翼が包み込むところを想像すると体が熱くなる。私がいないと何もできない彼女の泣き顔を、久しぶりに見たいと思った。



 二年になると、真友の自主練の時間は伸びていった。五月に行われる県大会に向かって腕を磨いているらしい。ご苦労なこった。

 自主練の時間に比例して私の暇な放課後も伸びていく。陽向と愛は、飽きもせず延々と読書に勤しんでいる。そんなに夢中になれるものならば、もしかしたら面白いのではないかと思って、二人からそれぞれ本を借りて読んでみたが、強烈な睡魔に襲われるだけだった。だから私はその日あった下らないことの愚痴を、長々と二人にに聞かせて過ごしていた。陽向は聞いてるんだか聞いてないんだかわからない位興味を示さない。偶に返事をしても「そう」とか「さあ」しか言わない。

 数えるほどしか無いが、逆に陽向から話を始めた時、その話題に興味を惹かれないということは無かった。私と同じクラスの雄太ゆうた紗季さきが付き合っていることを知ったのは、陽向が教えてくれたからだ。同じクラスなのに全くそんな気配は感じられなかった。京子が彼氏に振られたという話も、クラスで話題になる前日には私たちに共有されていた。そんな話を、彼女は下校中の別れ際にぼそっと言って去っていく。持ってくる話は面白いが、端的な事実だけを告げて、詳細を問い詰める間もなく去っていく。真友は「陽向ちゃんてもしかして予知能力者なのかな」と楽しそうにしていたが、私は少し不気味に思った。

 それに比べて愛は可愛いもので、私の何の価値も無いような話にも真剣に相槌を打ってくれる。愛は本当に変わったと思った。私の顔を見るようになったし、笑うようになった。特に真友とは話が合うようで、小説だか漫画だかの話で盛り上がっていることが度々あった。それを見ていると、勝手に舌打ちが出るのではないかと警戒している自分に気が付いた。



 県大会の予選として行われる地区大会を数日後に控えた頃、真友の練習場に足を運んだことがあった。テニスコートの外側のフェンスから、彼女にばれないようにそっと覗いた。学年が上がって、あのうざってえ先輩は卒業したのにも関わらず隠れている理由が私自身にもわからなかったが、何だか気恥ずかしい気持ちがそうさせているのかも知れなかった。そこには、コートを右へ左へ駆けまわり、懸命にラケットを振るう真友がいた。息を切らしながら、かすれた声で先輩に返事をしている。この一年間で小麦色に焼けた肌は、普段なら何とも思わない。寧ろ、そうなる前の白い肌の方が好きだった。だけど、その日見た真友の姿は綺麗だった。汗と砂にまみれる彼女は、はたから見ると決して弱そうな女ではない。テニスなんて体育の授業でしかやったことは無いが、今の真友なら地区大会も余裕だろうと、誇らしい気持ちになった。

 だけど、私の耳には舌打ちが聞こえた。


 地区大会は、この町と二つの隣町にある中学の合計四校で争われた。会場は隣町の市民体育館に併設されたテニスコートで行われた。地区大会は平日に行われる。部活に所属していない私たちの様な人間からすれば、授業の無い日が増えるのは大歓迎だったが、登校はしなければならない。だから私と陽向と愛の三人で試合を見ていた。

 種目は剣道。この中学が会場になる唯一の部活だ。本当にうんざりする。どうせ見学するなら真友の試合が見たかった。

 私たち見学者は、剣道場と床続きになっている柔道場の畳の上に通された。汗臭いその空間にさらに気が滅入る。

 私は胡坐をかいた自分の膝の上で頬杖をつきながら、やかましい試合を眺めていた。私以外は正座で座っている。特に陽向はその姿が似合っていた。


「陽向、お前武道とか似合いそうじゃん」


 知らない奴らが知らないルールで戦っている試合を見ていても、全く面白くないので、陽向に声をかけた。


「興味ないわ。それに、あんな汗まみれの道着を着回すなんて理解できないわね」


 陽向と学校以外で会うことは少ない。暇な休日に出かける時は、四人のLINEグループで声をかける。真友と愛とは何度か出かけた。だが陽向が反応することは稀だった。今の様に「興味ないわ」と言い放ってそれだけ。本当に興味が無いのかもしれないが、だったら何が陽向を私たちに留めているのか不思議だった。それでもそんなところが、彼女の魅力に見えてしまうから面白い。


 順調に進んでいるらしい試合の中、真友から連絡が入る。真友の方も順調に勝ち進んでいるらしかった。真友はシングルスで参加している。優勝しなくてもベスト4に入れれば県大会には出場できるらしい。私が放課後のテニスコートで見た真友の姿を、市民体育館のテニスコートに重ね合わせて想像する。右へ左へコートを駆け、汗と砂の中で戦う真友。ボールがラリーされる音。やかましいくらいの声援。その中で試合を見ている私は、ただ静かに真友の背中を見ている。


「勝負あり!」と言う声が私を現実に引き戻す。

 我が校の剣道部は負けたらしかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る