第10話 暇な女
私、東雲 美月と南原 真友の出会いは小学生の頃だった。最初はクラスが同じで集団登下校の班が一緒なだけの存在だった。だけど一体いつから、私たちが友達になったのかは覚えていない。気が付いたら側にいる女だった。ポニーテールを揺らして、嬉しそうに駆け寄ってくる彼女を嫌いになる理由はなかったように思う。
この年頃から私は、所謂男勝りな女になっていた。気に入らない奴には喧嘩を吹っかけて、敵を増やしていた気がする。特に、弱い者いじめをしている男児たちと衝突していた。理不尽な奴らに立ち向かえない弱い奴らの代わりに戦うことが、私の正義だった。それは今にしてみると、暴力に酔っていただけだった。弱い奴らを守ることで、そいつらよりは強い自分を感じることができた。全て自分の為なのに、弱い奴らが私を頼ってくるその目が好きだった。その一人が真友だった。
真友は私とは対極的な存在だった。可愛らしくて、泣き虫で、弱かった。彼女が私の後ろに隠れて「ミツキちゃん!」と縋りつく姿を見ると、一層自分の強さを感じることができた。私が守らなければならない、という使命感が心地よかった。私の奥底に渦巻く支配欲を十分に満たしてくれるのは真友しかいなかった。
いつだったか真友が、「将来ミツキちゃんのお嫁さんになってあげる!」と言い出したことがあった。守られているはずの彼女が、相手を選ぶ側なのが面白かった。
「は?マユちゃんがお嫁さんで、ミツキは何になるわけ?」
「ミツキちゃんは私のお嫁さん!」
この頃の私が他人を好きだとか嫌いだとか言ったとしても、それはただ単純な好みの話であって、気に入るか気に入らないかの違いと言っても良かった。恋愛感情なんてものはなかった。他人が特別な存在であるはずがなかった。他人は気に入らない奴と弱い奴しかいなかった。
私は私が特別だった。
「意味わかんない。気持ち悪」
私は確かそう言ったと思う。私を頼りにしてくる弱い奴らが向けてくるあの視線とは違った。もっと粘っこくて、纏わりつくような視線を真友から感じた。それが初めての感覚で、気持ちが悪かった。
真友は泣いた。理不尽な奴らにいじめられてた時より盛大に泣いた。
「ミツキちゃんのばかあ!」
そう言って私のことをポカポカと叩いた。あまりにも弱々しいそれがくすぐったくて、こんな事で泣く彼女が面白くて、笑いながら抱きしめた。可愛らしくて、泣き虫で、弱っちい真友のことを守ってやれるのは私しかいないし、彼女もそれを望んでいるらしかった。頭を撫でてやると彼女は泣き止んだ。
「ミツキちゃん私のこと好き?」
真友は鼻をすすりながらそう言った。私が気持ち悪いと言っても尚、私を求めてくる彼女の存在が心地良かった。だから何度でも突き放して、そのたびに縋りついてくる彼女のことを感じたかった。その代わりに、私がずっとこの子を守ってやろうと思っていた。
「ん~、考えとく」
私の一番醜い記憶だ。
中学に上がっても私たちは一緒だった。クラスも同じだった。初めは一緒にテニス部に入ったが、先輩にムカついて辞めた。
だけど、真友との関係が全く変わらなかったわけではない。流石に中学生ともなると、真友の泣き顔を見ることは殆どなくなった。さらに勉強のことになると、真友には敵わなかった。テスト期間は毎回彼女に勉強を教えてもらっていた。普段とは立場が逆転したその状況に、真友は満足そうに笑っていた。私が頭をこねくり回してもわからない問題を、いともたやすく解いた時の得意げな顔が可愛らしくて、何よりムカついた。そんな時はあからさまに不機嫌な態度をとる。そうするとたちまち彼女は私に縋りつく。そうすると私の心は満たされる。
真友には私しかいないのだから、ずっとそうやって私を求め続ける姿を見せてれば良いんだ。
真友の部活がある日は暇だった。真友の様子を見に行っても良かったが、先輩どもに会うのは面倒だったし、何より私が彼女を気にしていることが何だか悔しかった。だから校舎をぶらついて真友を待っていた。
そんな時に出会ったのが、
陽向は隣のクラスの女で、放課後通りかかった時に一人で教室に居た。私と同じで暇そうだったから声をかけた。彼女は今も昔も静かだ。突然声をかけた私にも動じなかった。
「アンタ暇そうだね。何やってんの?」
「友達待ってんのよ」
課題をやっているらしい陽向は、顔を上げてそう言った。肩甲骨まで伸びた黒髪が綺麗で、いかにも清楚系って感じのモテそうな女だった。
「あなたも暇そうね。東雲さん」
「ウチも人待ってんの。てかウチのことよく知ってんね」
「隣のクラスに不良がいるってもっぱらの噂だよ」
ここに入学してから大して日数は経っていないはずだが、三日前にクラスメイトの
「ふーん、アンタ名前は?あとウチのこと名字で呼ぶなよ」
「西川 陽向よ。美月さん」
私は陽向の前の席にある椅子に逆向きに座った。そして彼女の顔を睨みつける。これをされて他人がとる行動は二つ。目を逸らすか、不快な顔をするかだ。前者なら弱い奴、後者なら気に入らない奴だ。私の暇つぶしの一つ。
だが陽向はそのどちらでも無かった。何の変化も無く、ただ静かに私の顔を見返すだけだった。その瞳が私の醜い心を見透かしているようで、私の方が顔を逸らしてしまった。
舌打ちが聞こえた。私の癖だ。気持ちが揺れ動いた時、それを整えるかのように無意識に出てしまう。主にイラついた時に出てくるから、不自然な癖ではないだろう。
「どうかした?」
「いや、なんでもねえ。それより暇つぶしに付き合えよ。誰待ってんの?」
「玲子よ。二条 玲子知ってる?」
「ああ、あの女ね」
あの見るからに気に入らない女。何でもできますって顔、誰にでも愛想を振りまく態度、あんなのは八方美人だ。あんな生き方はつまらない。
「美月さんは誰を?」
「南原 真友」
「もしかしていつも一緒に居る子?真友さんって言うのね」
玲子は吹奏楽部の所属で、放課後は時間いっぱいまで練習をする為、帰りが遅くなるんだそうだ。真友のテニス部の方はそこまで遅くまで活動してはいないが、何やら彼女がやる気を出しているらしく、自主練に勤しんでいる。だから放課後は暇だ。別の部活を探すのはかったるいし、こうやって暇そうな奴を探している方が面白そうだった。
陽向が部活に入っていないのは、単に興味が無いからだそうだ。だからここで課題をやったり、読書をしたりして時間をつぶしている。
つまり暇人仲間だった。
気が付けば真友が練習を終わらせる時間になっていた。陽向を置いて教室を後にする。陽向は気にも留める様子はなく、また課題に取り組み始めた。
次の日の放課後、また陽向の所へ行った。今日の彼女は読書に勤しんでいた。
「今日も暇そうだな、陽向」
「それはお互い様でしょ」
そう言って本を閉じた陽向は立ち上がる。そして私の脇をすり抜けて教室から出て行った。
舌打ちが聞こえた。
「何?ウチのことが邪魔ならそう言えば?」
廊下を歩き出していた陽向が振り返る。
「誰もそんなこと言って無いでしょ。図書室に返却に行くのよ。」
「返却って、まだそれ途中じゃねえのか」
「思ってたよりつまらなかったから、他の本を探すのよ」
陽向は正面に向き直り歩き出す。その背中を追いながら話しかけた。
「へえ、陽向ってなんかイメージと違うんだな」
「あなたはイメージ通りの人よね」
また舌打ちが聞こえた。
初めて入る図書室は無駄に静かだった。図書室なのだから当たり前ではあるが、受付の図書委員以外誰も見当たらないその空間は、想像の十倍は退屈そうな印象を受けた。
陽向が返却と新しい本の探索をしている間、私は、棚に規則正しく並べられた本たちを憐れむように見て回った。この狭い中にぎゅうぎゅうに押し込まれている様が、他人が私に求めているものと似ていて、やっぱりつまらない場所だと思った。
他人は自分の道を私に押し付けてくるが、そいつの道だって誰かから押し付けられたものだ。その誰かも、別の誰かから押し付けられている。そうやって連なってきたものを、常識だとか伝統だとか言っている奴らが正気だとは思えなかった。その連なりがどこかで綻んでいて、全くの間違いが押し付けられ続けているのかもしれないと、一度だって疑ったことがあるんだろうか。「勉強しなさい」「ちゃんとしなさい」「考えなさい」としか言わない他人が、何かを考えているようには見えなかった。
五列目の本棚に入った時、その先に目を引くものがあった。ものと言うか、人が。
丁度受付からは死角になるような位置に設置されている席に、一人の女子生徒が座って読書をしていた。髪型をツインテールにした小柄な女。さながら小動物の様だった。
私はツインテールが理解できない。理由は馬鹿に見えるからだ。好き好んであの髪型にする意味が分からなかった。
私は彼女の向かいに腰掛ける。
突然の来訪者に彼女は体をビクつかせ、読んでいた本から恐る恐る視線を上げる。それが私の視線と交差した時、例の如く睨みつけてやった。試すまでもない事だったが、これは挨拶みたいなものだ。彼女は身をかわすようにサッと本の内側へと顔を隠す。やっぱり弱い奴だ。
「ねえ、アンタ暇?」
彼女は再び体をビクつかせた。顔を隠したままの姿が亀みたいで面白かった。
「あ、あの、私になにか御用でしょうか」
「いーや、ただ聞いただけ。アンタ一年?」
「あ、はい。一年生です」
私と会話をする気はあっても、顔を見せる気はないらしい。
「何だタメじゃん。名前は?」
「あ、北条 愛…です」
愛が部活に入っていないのは運動が苦手だからだった。だったら文化局に入れば良いと言ったが、図書室が好きだからここにいるらしい。それが理由になっているのかよくわからなかった。誰を待っているわけでもなく、ただ単に読書がしたいだけなら、家に帰ればいいだろうに。それとも他に理由があるんだろうか。
「ちょっと、あなたたち一年生?」
背後から飛んでくる声に振り返ると、受付に居た図書委員の女が不愉快そうな顔で立っていた。
「あ?なんか用?」
私が睨むと、彼女は増々不愉快な顔をした。
「ここは図書室ですよ。まだ入学したばかりでよく知らないのかもしれないけど、図書室では静かに…」
「ああ、はいはい、わかりましたよ。うざってえな」
舌打ちが聞こえた。
「あなた、仮にも先輩に向かってその態度…」
「陽向~!ウチ先に戻ってるから!」
わざとでかい声でそう言って、ずかずかと図書室を後にした。多分もう二度とここには来ない。
次の日も私は陽向の所で暇をつぶしていた。陽向が課題をやっているノートの周りでトランプタワーを作って遊んでいた。しかし彼女はどうでもよさそうに机に向かっていた。
「それで、何でこいつがいるわけ」
私は、隣の席で黙々と読書を続ける愛を指して言った。それでも陽向は興味無さそうに、「さあ」と答えるだけだった。
「なあ、お前図書室が好きなんじゃなかったのかよ」
愛は昨日と変わらず本に顔を隠して、亀みたいにうずくまっていた。そんなに怯えて、それでも尚私の近くに居る意味が分からない。
「あ、ごめんなさい。私も、このクラスなので。邪魔なら、帰ります」
「あ?別に気にしてねえけど。なあ?陽向」
陽向は机に向かったまま何も言わない。
「じ、実は私、友達が居なくて……だ、だけど、早く帰ると、お母さんが心配するから、だから、毎日図書室に」
愛は、友達ができるか心配している母親に、放課後は友達と遊んでいるからと噓をついていた。だから、用もないのに毎日図書館に居たというわけだ。過保護な母親なんて、放任主義の私の親とは正反対の存在でうっとうしい。そして健気にその期待に応えようとする愛も馬鹿らしいと思った。「愛」と言うその名前が、寧ろ彼女を追い詰めているようにさえ思えた。
だけど、その弱そうなところが気に入った。びくびくしながら、遠回しに一緒に居させて欲しいと縋ってくる彼女の姿に、私の心の醜い部分が疼くのがわかった。
私は怯えている愛の頭を撫でてやる。愛は本から顔を上げて私を見た。その視線が、かつて私が守ってやった弱い奴らの、あの羨望のまなざしと同じで、久々に真友以外で心が満たされた気がした。
「好きにすれば」
彼女の頭を撫でながらそう言った時、一瞬だけ陽向の視線を感じたが、多分気のせいだった。
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