第9話 不機嫌な女

 東雲 美月しののめ みつき。山百合高校二年一組。彼女は、明るい茶髪をアップにしたヘアスタイルと短くしたスカートで、常に校則のギリギリを攻めている。二年の中では、二条 玲子、天王寺 奈々美てんのうじ ななみに次いで目立つ女だろう。悪い意味で、ではあるが。

 綺麗な顔立ちであるのに、その素行の悪さと鋭い目つきが、彼女の印象の殆どを作り出している。真友の紹介が無ければ、一生友達になんてなれなかったであろう女。

 そんなかつての友が、今隣に座ってふんぞり返っている。黒いつば付きのキャップにへそ出しのシャツ、ダメージジーンズを着こなして、横目で私を睨みつけている。その顔を通り越して隣のテーブルに目をやると、いつの間にか西川と北条の姿があった。オフショルダーのブラウスにデニムのスカートを穿いた西川は、綺麗な黒髪を腰まで垂らして興味無さそうにスマホをいじっている。その向かいに座っている北条は、この夏場でも相変わらず長袖を着ている。フリルのブラウスと黒のロングスカート、両肩に付くツインテール。膝に抱えたピンクのリュックが持ち主よりも存在感を出している。それを見て、寂しさとどこかほっとする感情がごちゃ混ぜになって湧き上がってきた。私と真友が居なくなってからも、この三人は変わらず一緒にいるんだ。かつての居場所がまだ形を残していることと、私がもうそこに居ないことが胸を締め付ける。


「で、何でデカ乳と一緒にいるわけ?」


 帽子の陰から私を睨みながら東雲は言う。デカ乳とは亜香里の事だろうか。


「東雲、久しぶりだね」


 東雲はわざとらしく舌打ちをすると、呆れたようにため息をついた。


「前から言ってっけど、苗字で呼ぶなよ」


「ご、ごめん」


 目線を少し下げて東雲の眼光から逃れる。

 やっぱり買い物なんか来るんじゃなかった。この危険性についてわかっていたからこそ喫茶店で集まったんじゃないか。本当についてない。

 東雲と向き合うつもりが無かったわけじゃない。それはいつかやらなければならないことだとわかっていた。

 いつか、いつかだったんだ。夏休みの宿題みたいな、最後の最後に否応なくやらなければならない時が来るのを待っていた。

 それが今日、この日だった。


「美月ちゃんも買い物?」


 亜香里は突然現れた東雲に対しても、変わらぬ様子で口を開いた。


「あ?アンタに関係あんの?つか何で玲子んとこの金魚の糞がここにいるわけ?」


 東雲は殆どの他人に対して当たりが強い。いつも不機嫌で、周りの人間を威嚇するように過ごしている。何がそんなに気に入らないんだろうか。私にはこんな風に他人を突っぱねることはできない。


「ちょっと、しの……美月やめなよ」


「美月ちゃんていっつもツンツンしてるよね。せっかくだし仲良くしようよ」


 亜香里は東雲の言葉など聞こえてないかのように、のほほんとしている。寧ろその態度が空気を緊張させている。私は冷や汗をかいていた。


「ウザ。付き合ってらんねえ。華、ちょっと来い」


 また舌打ちをした彼女はそう言って立ち上がった。


「待ってよ!華ちゃん今日は私と遊ぶ約束してたんだよ。勝手に連れてかないでよ!」


「亜香里、すぐ戻ってくるから」


 引き留めようとする亜香里を私が制止した。正直今は黙っていて欲しい。これ以上東雲の機嫌を逆なでするようなことを言って欲しくなかった。

 しかし、手遅れだった。


「やっぱ頭に来るなお前!デケえ乳ぶら下げるしか能がないくせによお!」


 東雲は怒りに任せて亜香里に掴みかかった。いや、正確には右手で亜香里の胸を鷲掴みにして背もたれに押し付けた。


「い、痛い!やめてよ!」


 亜香里は東雲を押し返すようにして抵抗している。即座に私も止めに入る。東雲の左肩に手をかけたところで、彼女に胸ぐらを掴まれた。私はその左手に掴みかかるしかできなかった。

 いくら何でも怒り過ぎだ。東雲は常時不機嫌でも、声を荒げて怒ることは珍しい。呆れたようにため息をついて、一言二言悪態をつくくらいだった。こんなに沸点が低い彼女は初めて見たかもしれない。亜香里も亜香里だ。よりによって何で今、そんなにも聞き分けが悪いのか。私一人では、どちらのことも制御できない。


 そんな中でも隣のテーブルの二人は座ったままだった。西川は何事も無いようにスマホをいじっていて、北条は見たくないのか、リュックを抱いて俯いている。


「ちょっと!西川手伝って!」


 声をかけても顔を上げようとしない西川に代わって、北条が伏し目がちに近づいてきた。


「み、美月ちゃん。やりすぎだよ」


 ぼそぼそと、聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう言った。

 東雲は突き飛ばすように両手を離すと、北条の方を向いた。


「愛、いいから座ってろ」


 北条はこくんと頷いて元の位置に帰って行った。東雲のその他大勢に対する態度と比べてみれば、身内にはある程度の温情がある。東雲の傘の中に居れば、東雲から身を守ることができる。かつて共に過ごした日々の中では、そんな彼女の不器用さがどこか愛らしいと思ったこともあったが、今となっては見る影もない。単純に、手に負えない感じがする。

 この三人は変わらず一緒に居る。でもそれは、が変わっていないだけで、個々には変化があった。東雲はより不機嫌に、西川はより無関心に、北条はより内気になっている。それぞれが個性を深くしていた。

 もう私が知っている彼女たちではないのだろうか。




 私は東雲と共に席を離れ、壁際にあるソファー席に移動した。私を見送る亜香里の顔が本当に寂しそうで、少し可哀そうだった。

 一体どんな不安が彼女にそんな顔をさせるのだろう。


 東雲は壁にもたれかかるように座って足を組んでいる。テーブルの上に置かれた左手は、コツコツと人差し指を打ち付けて、あからさまに不機嫌さを表現している。


「クソ、ネイル剝がれてんじゃねえか」


 彼女は舌打ちをしながら、自分の右手の爪を見てそう言った。スラっと伸びた指や、形の整った爪はいつ見ても綺麗だと思う。その爪に、澄んだ青色が映えている。

 思えば私が体型を気にし始めたのは、東雲がきっかけだった気がする。去年の夏休みに一緒に海へ行って、堂々とビキニを着こなす彼女のスタイルの良さと、その自信に満ち溢れた態度が羨ましかった。強さと自信と美しさ。どれも私には無いものを、彼女は全部持っていた。東雲の存在は、私にとっての憧れだった。

 いつかきっと、彼女の様になれればいいなと、そう思っていた。

 いつか、またいつかだ。

 東雲に関することは、いつも「いつか」で済ませてしまう。

 そう、いつまでも憧れていられれば、それで良かったのかも知れない。私は彼女には届かない。届かないからこそ憧れなんだ。ずっと遠くに居て欲しい。

 その背中を追い続けていれば、私は今よりも高く飛べるはずだから。


 そんな風に思っていたのに、今私は彼女からゴミか何かを見るような視線を送られている。

 コツコツとテーブルを鳴らして、じっと私の方を見ている。呼び出したのはそっちなのに。


「それで、話って何?」


 沈黙に耐えきれなくなった私は口を開いた。

 それでも尚、東雲は黙ったままだ。


「さっき殺すとかなんとか言ってたけど…」


 すると東雲はテーブルを打つ手を止めて、ずいっと体を覗かせてきた。眉間にしわを寄せて睨みつけながら。


「お前のそういうすっとぼけた態度、ホントにむかつくな。マジで言ってんの?」


「何もすっとぼけてなんかないよ。何で美月がそんなに怒ってるのかずっと知りたいって思ってたよ」


 東雲は舌打ちをする。


「ウチらが今更何話すと思ってんだよ。なあ」


「ま、真友のことだよね。ホント急だったから、私も混乱しちゃって、美月と話そうと思ってても中々声かけられなくて……」


 嘘だ。東雲が私を避けていたから、今の今まで話すことができなかった。


「だから、大分時間は空いちゃったけど、ちゃんと話そうよ。私だって美月とこのままでいいなんて思って無いよ」


 こんなにも下手に出ている自分が嫌になる。だけど、ここできちんとわだかまりを解いておかないといけない。この先ずっと東雲に悪意を向けられながら過ごすのは、正直しんどい。

 今日は運命に導かれているんだと思って、腹をくくるしかない。


 ドンっ!と拳をテーブルに叩きつけた。もちろん東雲が。

 彼女は怒りに震えていた。


「真友のこと殺しておいて、よくそんなことが……」


 殺しておいて?誰が?誰のことを?

 頭が真っ白になる。


「え、なに……?」


 その時の東雲の瞳は、怒りの奥に何か濁ったものを覗かせていた。


「お前が真友を殺したんだろ」


 静かに鋭く、彼女は言った。


「ちょっと待ってよ。何言ってるの?真友は自殺で、私は何も……何でそんなこと」


 混乱のあまりしどろもどろになる。そのことが彼女の疑惑の芽を大きくしてしまうかも知れなかった。

 一度大きく深呼吸をする。


「美月は何か誤解してるよ。私が真友を殺すなんて、そんなことあるわけないじゃん」


「じゃあ何で真友は死んだんだよ」


「真友は自殺だって先生が言って……」


「先公のことなんてどうでもいいんだよ!理由もなくあいつが死ぬかよ!お前ホントはなんか知ってんだろ!やっぱお前が原因なんだろ?なあ!」


 真友が死んだ理由。それがあるとすれば、あの日の真友の告白以外に思いつかない。だとすると、やっぱり原因は私にあるんだろうか。それを東雲が知ったら、私はどうなるんだろう。

 怖い、逃げ出したい。

 あの日の私にはどうすることもできなかった。東雲にだって正解はわからないはずだ。告白の相手が東雲だったとして、彼女が私より優しい言葉をかけられるとは思えない。それなのに、何でこんなに追い詰められないといけないんだ。真友に死んでほしいなんて一瞬たりとも思ったことは無い。


「待ってよ、落ち着いて話そ。私だって、私だってショックだったんだよ。それなのに美月ばっかり自分勝手なこと言って……」


 視界に映る美月が滲む。心が挫けそうだった。殺したなんて、言いがかりにしたって酷すぎる。何でそんなこと。

 東雲に対する怒りよりも、ただただ虚しくやるせない気持ちが押し寄せてきた。私が何を言っても東雲が納得するとは思えなかった。


 その思いが目から溢れ、テーブルの上に落ちる。それを見たからなのか分からないが、東雲の体から力が抜ける。

 私にはもう、彼女がどんな表情をしているのか判別することは出来なかったが、舌打ちの音だけは確かに聞こえた。


「何泣いてんだよ」


 その声から、東雲がこちらを向いていないことだけは分かった。


「ちゃんと聞いて」


「華、ウチはアンタを許さないよ。いくら泣いたってね」


「聞いて」


「真友がウチにとってどれだけ」


「聞いてよ!」


 それは絶叫に近かった。私の精一杯だった。


「美月は何にも分かってないよ。私のことも、真友のことだって分かってない。だから、勝手なこと言わないで」


 東雲の方は向けなかった。


「だから、ちゃんと聞いて……」


 東雲は三回舌打ちをすると、立ち上がってどこかへ行ってしまった。

 惨めだった。頭の中は訳の分からないことで一杯だった。何で東雲は私が殺したと思っているのか。どうしてそれを決めつけて、私に一度も確かめてくれなかったのか。どうして、真友が自殺したのか。分からないことだらけで、私以外の全てが私を追い込んでいるように感じられた。


 もう帰ろうと顔を上げたとっころで、テーブルの上に水の入った紙コップが一つ置かれた。このフードコートには、誰でも飲むことができる無料の給水所がある。ここに限らずどこにでもあるのだろうが。そこから注いできたであろう水を、東雲が私の前に置いた。東雲自身の分は、彼女の手の中にある。


「泣いてる奴と話す気はねえ」


 東雲はまた壁にもたれかかるように座ると、そっぽを向いたままそう言った。

 私は慌てて涙を拭く。そして東雲のことをしっかりと視界に捉えた。


「美月、もう一回ちゃんと話そう。私が知ってること教えるから、美月が知ってることも教えて」


 東雲と目が合う。

 その瞳の奥は、まだ濁っている。






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