第8話 着飾る女

 結局二人で買い物に行く事になってしまった。私の為にピアスを選んでくれるらしい彼女は、ショッピングモールへ向かう道中ずっと私と腕を組んで歩いていた。

 商店街を抜けて隣町へと向かう。


 ピアス。

 彼女の耳で光り輝くそれに興味が無いとは言えない。新しい服を着たり、ネックレスやブレスレットを着けたりするのとは違う。持って生まれた体に穴を開けて、それを着飾ると言う行為。

 ピアスへの憧れは、何かが変わるような、そんな気分にさせてくれる。この霧にも似た薄暗い気持ちが、頭の中から耳の穴を通して出ていくところを想像すると、まだ開けてもいないのに清々しい気分になる。

 でも、どうせ何も変わらないんだろう、という諦めが、いつもの様に私の心に住み着いていて、偶に顔を出しては現実に引き戻そうとする。


 ショッピングモールに着いた私たちは、真っ直ぐ2階にあるアクセサリーショップ「NEW ROAD」へ足を運んだ。暖かみのある証明に照らされた店内は高級感に溢れていて、通路から覗いただけではとても私なんかが買える物があるようには見えない。かなり気後れはするが、夏休みの最初の二日で既に攻略済みだ。この店は確かにプレゼントに送るような高価な品もあるが、私たちの様なちょっと背伸びしたい年頃の子が手を出しやすい品も取り揃えている。だからと言って決して安っぽくは無く、もしピアスを付けるならここで買おうと決めていた。だから亜香里がこの店を選んだことは驚きだった。


「そのピアス、ここで買ったの?」


「そう!このお店めっちゃおしゃれじゃない?置いてある物みんな可愛いし、初めて来た時からお気に入りなの」


「私もこの店気に入ってた」


「え!?わかる?やっぱり運命感じちゃうなあ」


 亜香里の笑顔がパッと咲く。


「あんたはいつも大げさなんだよ」


 彼女ははしゃぎながら、擦り付ける様に腕を絡めてくる。

 空調の効きすぎている店内では、その暑苦しさが心地良さに変わっていた。


 NEW ROADに立ち並んだショーケースは、ネックレス、ブレスレットに指輪まで取り揃えていた。視界いっぱいの品々に目移りしていると、目線より高い位置にケースがあることに気が付いた。前回来た時には、他の店も全部見たくて気が競っていたために目に留まらなかった。壁に設置されているケースには、なんとティアラが飾ってあった。外側から渦を巻くようにして小さな宝石が連なり、それが中心部でぶつかり合い、一つの円を作る。そのさらに中央には一粒の大きな緑色の宝石が飾られていた。物語に出てくるお姫様が着けているようなそれが、平然と私の日常に現れたことがおかしくて、口角が少し上がる。


 亜香里に引っ張られるようにして辿り着いたケースには、お目当てのピアスたちが顔を並べていた。最初に目についたのが、紐の先に小さな球を付けた金色のピアスだ。私の持っていたピアスに対するイメージは、亜香里が着けてるタイプが主だったので、新鮮な感じがした。上品で繊細なその作りに惹かれて値札を確認してみる。


 17000円。


 その数字に思わず「ウッ」と呻いてしまった。高い、高すぎる。私の財布には3000円しか入っていない。こんなの社会人カップルが記念日に贈るようなやつだ。よく見れば、紐だと思っていたのは細かい鎖のような作りになっていて、見れば見るほど手の込んだ品だとわかる。金色のデザインもさっきよりも光輝いて見えてしまう。たとえ大人になったとしても、私には不釣り合いなものかもしれない。


「華ちゃんこっちだよ」


 亜香里は私が見ていたケースのすぐ脇にある、白いボードの前に立っていた。そこには、前に突き出されたフックが規則正しく取り付けられていて、一組ずつ子袋にパックされたピアスが陳列されていた。


「そっちの滅茶苦茶高いでしょ?」


 亜香里は小声でそう言った。


「それに比べてこっちのは可愛くてしかも安い!ほらほら、これ私のと同じやつ」


 ひょいっとフックから子袋を一つ取り外して私に差し出してくる。その中には確かに亜香里が着けているものと同じ、ピンク色の球を付けたピアスが二つ転がっていた。袋の裏の価格シールを確認すると770円だった。見た目も価格も気に入った。


「お揃いにしてくれたら嬉しいけど、華ちゃんが気に入ったの選んでね?こっちの銀色のやつとかもあるよ」


「ううん、これにする。気に入ったよ」


 私がそう言うと、亜香里は増々上機嫌になった。


「やっぱこれ良いよね!華ちゃんにも絶対似合うよ!」


 私の人生初となるピアスを購入した。


 店を出ると亜香里が、他に行きたいところがある、と言うので付いて行くと、別のアクセサリーショップ「アクアリウム」だった。薄紫色の壁紙に囲まれたポップな雰囲気のその店は、ピアスを主に扱っていて、価格もずっと安いようだった。何でピアスを扱う店がいくつもあるのかと疑問に思ったが、よく考えればアパレルショップなんてこのモールの中に掃いて捨てるほどあるのだから、ピアスの店がいくつかあっても変ではなかった。

 亜香里は迷うことなく店内を進み、目的の物を探し当てた。


「なにそれ」


 亜香里の手には白い箱のようなものが握られている。


「これはピアッサーって言って、耳たぶに穴を開けるのに使うやつだよ。ニードルでも良いんだけど、華ちゃん初めてだしこれが良いと思う」


 ピアスに興味はあっても、開け方までは調べたことが無かった。だからニードルが何なのかよくわからなかったが、彼女に勧められるままに頷いた。


「今日は私のわがままに付き合ってもらちゃったから、これはプレゼントね!」


「プレゼント」と言う言葉に心が拒否反応を示す。


「いや、いいよ。私もピアス開けてみたかったし」


「いいのいいの!これは私の気持ちなんだから、ありがたく受け取って!」


 ありがたく、ありがたくと心の中で唱えながら、亜香里の言葉に甘えることにした。レジに向かうまでの道のりで、亜香里はさらにいくつかの物を手に取っていたが、私からはよく見えなかった。


 私は会計をしている彼女の背中を見ながら、右の耳たぶを触る。開けるならこのあたりだろうか。自分の耳にピアスが輝いているところを想像して、何だか楽しい気分になっていた。少しずつ何かが変わってきている。そんな気持ちだった。


 会計を終えた亜香里が戻ってくると、先程のピアッサーを渡してくる。


「これ次会う時まで無くさないでね。私が開けてあげるから」


「うん、ありがとう」


 亜香里から受け取ったそれをポーチへしまう。

 目的を果たしたことだし、そろそろ解散でも良いだろうと私は思っていたが、彼女はまだまだ遊び足りないようだ。


「何かお腹すいてきちゃった!3階行こ!」


 3階にはフードコートがある。そこで昼食を取ろうと言うのだろう。

 ここまで来たらウジウジ考えるのはやめて、2人で楽しく過ごせば良いんだろうな。私を苦しめているのは私自身の考え方によるところもある。だから、私が変われば、私の日常はもっと楽しくなる。亜香里が立ち直ったように、私自身も後ろを振り返ってばかりではなく、真友のいない人生を歩む覚悟を決めないといけない。

 今なら、亜香里と2人でやりなおせるのだろうか。


 私は、ピアスを確かめるようにポーチを握った。



 フードコートにはその名に恥じることなく、様々な飲食店が立ち並んでいた。中華料理屋にそば屋、和食屋、丼物専門店、オムライス専門店なんかもある。デザートだけの店も3種類くらいあって、ついついそちらに目が行ってしまう。「アイスキング」のクレープ美味しいんだよな。


「私オムライスにしよっと」


 早くも店を決めた亜香里は駆け足で遠ざかっていく。選ぶのが面倒だった私は、その背中を眺めながら後を追う。


「あれ?華ちゃんもオムライスにするの?」


「うん。中学の頃に食べたきりだったし、久しぶりに食べたくなって」


「そうなの?私実はオムライス大好きでさ、偶にお母さんに頼んで作ってもらうんだ!自分でも何度か挑戦してるんだけど、あんまりうまくできなくて…。あ、もしかして子供っぽいかな…」


「私らまだ子供だよ」


「それもそっか!」


 4人用の席に着いて料理を待つ。オムライス屋の店員から渡された端末には、小さな画面が付いていて、子供用教育番組に出てきそうな可愛らしいキャラクターたちが、身近な動物や植物を紹介する動画が流れていた。小さい子供がこの待ち時間に耐えられるようにと、考えられているのだろうか。小学生くらいの頃は、あらゆる時間が長かった気がする。ファミレスで料理を待っている間でさえ何十分も待たされている気がしたし、家族旅行にでも行こうもんなら、車内にいる時間が永遠に感じられた。そうだった人間が私だけではないからこそ、この端末は生まれたのだろう。ささやかなところに他人の優しさを感じることができる。世の中はそうやってどんどん想いやりで溢れてきているはずなのに、それを感じさせてくれるのは人間が作り出した人間以外の物だけだ。実際の人間は、突き刺さるような悪意や、凍えるような薄暗さを持っている。

 突然端末が振動を始め、ピピッピピッと機械音が鳴り出す。出来上がりの合図だ。2人で受け取りに行き、再び元の席に着く。


「わあ!やっぱ専門店ってだけのことはあるね。なかなか自作でここまでできないよ!」


 亜香里のオムライスは、ケチャップライスが猫の顔の形に盛り付けられていて、首から下の部分は卵で隠されている。さながら猫が布団をかけて寝ているかのようなデザインだ。そんなオムライスと亜香里が同時に視野の中に納まっていると、彼女が増々幼く見えた。ちなみに私の方は何の変哲もないオムライスの上に、揚げたシュリンプが乗せられている。別に可愛くは無いが、何となく美味しそうだった。


 亜香里は3枚ほど写真を撮った後、猫の脳天をかち割るようにして食べ始めた。


「ええ…」


 思わず声が出た。


「ん?華ちゃんどうかした?」


「いや、別に良いんだけど、その食べ方グロいなって」


「ああ!猫の顔から食べてるから?こういうのって食べる前は良いけど、どんどん食べずらくなるじゃん?最後に顔だけ残っちゃうとかね。だから一番最初に破壊してから食べることにしてるんだ」


 彼女は笑顔でスプーンを差し入れる。ついに猫の顔が真っ二つに割れた。


「うわ~可哀そ」


「ちょっと!食べずらくなるからやめてよ!」


 彼女の笑顔につられて私も声を上げて笑った。こんなに穏やかで楽しい食事はいつ以来だったか。真友と2人で昼食をとっていた時、東雲たちと5人で海に行ってかき氷を食べた時、暖かな思い出が走馬灯のように駆け巡っていた。鼻の奥あたりがツンとした。

 こうやって少しずつ取り戻していくんだ。たとえお互いが誰かの代わりだったとしても、私たちには私たちの繋がりが生まれていく。新しい日常が積み上がっていく。それを確かめながらゆっくり進んでいこう。

 そしていつか……



「そいつのことも殺すんだろ?」


 驚きのあまり大きく体が跳ねた。耳元で急に話しかけられたことだけが理由ではない。その声に聞き覚えがあったからだ。

 勢い良く上体をひねって振り返る。


「随分楽しそうじゃん。華」


「東雲………」


私は何かを確かめる様にポーチを握った。

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