第7話 企てる女
あれだけ待ち望んでいたはずの夏休みも、気が付けば10日も過ぎている。多くのものは知らぬ間に私を置き去りにしていき、意識しなければ時間はどんどん無くなっていく。自分の人生が後どれだけあるのかもわからないのに、惰眠を貪るような毎日を送っている。若いからまだまだ時間があるなんて、何の保証もありはしないのに。
今日は寂れた商店街の中にある、これまた寂れた喫茶店に来ている。こじんまりとした外観に、ツタ属の植物が血管の様に伸びている。客入りは少ないが、貸し切りと言うわけでもない。居眠りをするおっさん、井戸端会議をしているおばさん達、ラジオか何かにイヤホンを繋いで熱心に新聞を読んでいるおじいさん。店内には落ち着いたジャズっぽい曲が流れているが、おばさんたちの存在感にかき消されている。とにかく、いくら暇を持て余しているとは言え、平日の昼間から花の女子高生が一人で来るような場所ではない、と思う。それなのに現に私がここにいるのは、ある人と待ち合わせをしているからだ。
喫茶店のドアが開き、来店を知らせる鈴の音が軽快に響く。
「華ちゃん!お待たせ~!」
満開の笑顔とお団子ヘアがチャームポイントの女子高生が駆け寄ってくる。先日の雨の中で会った時から思っていたが、何で夏休みに入ってからも制服を着ているのだろうか。ちなみに私はシャツにショートデニムというラフな格好だ。ファッションに興味が無いわけではないが、服にしても化粧品にしても満足に買うとなると馬鹿にならない。どっちかだけに拘ってしまうとバランスが悪くなるし、かと言って小遣いには限界がある。結局どっちつかずの中途半端ななりをしてしまう。そう考えると制服を着ているのは案外理に適った格好なのかもしれなかった。
「紀伊野、遅いよ。寝坊?」
「ごめんね!普段ここの商店街とかあんま来ないから迷っちゃって。でも地元にこんな喫茶店があったなんて知らなかった~。」
カウンターに立つマスターがチラリとこちらを見た気がする。白髪にオールバックで、「いかにも」って感じのダンディな人だ。別に枯専とかではないが、普通にかっこいい。態々待ち合わせにここを選んだ価値が一つは見つかった。
そもそも何故、紀伊野とここで会うことになったのか。発端は彼女から送られてきたLINEだった。曰く、「仲直り大作戦」なるものの打ち合わせをしたいとのこと。要は紀伊野が二条と、私が東雲とそれぞれ関係を修復する道を探る目的で協力したいらしい。電話でもいいと思ったが、彼女がどうしても直接会って話したいと言ってきた。
『私大切な話って直接じゃないと嫌なんだよね!』
とのことだった。しかし直接会うとなると、人並みには人目が気になるお年頃であるから、ファミレスやショッピングモールなどで会うわけにはいかなかった。私の敵はそこら中にいるし、紀伊野もまだ二条と鉢合わせるわけにはいかった。私と居る所を誰かに見られて、彼女に対する周囲の心証が悪くなっては可哀そうだし、そもそも彼女自身、まだグループの誰にも会いたくはないらしい。と言うわけで泣く泣くこの喫茶店にやって来た。
「華ちゃん!いい加減紀伊野って呼ぶのやめない?私は華ちゃんって呼んでるんだし、私のことも亜香里って呼んで!私と華ちゃんの仲じゃん!」
私と彼女の仲。
歪な関係。
孤独な同盟。
「わかったよ、亜香里」
アイスココアとアイスレモンティーが運ばれてくる。「ごゆっくりどうぞ」と言うマスターの声は見た目よりもさらにダンディだった。
「亜香里、さっそく本題に入っちゃうけど、ホントに二条に謝るつもりなら早いに越したことは無いよ。もう一週間は経ってるよね?時間が経つほど気まずくなるよ」
これは半分は実体験から来る主張だった。私が東雲に謝るようなことがあるのかは分からないが、一方的な悪意の謎を積極的に探ろうともしなかった。真友を失ったショックから立ち直れず、追い打ちをかけるような東雲たちの態度に参っていたからだ。いつの間にかその関係にも慣れてしまって、私は孤立から抜け出せなくなった。だから紀伊野が、いや亜香里が関係を修復したいと本気で考えているなら、早い方が良い。空気が出来上がってしまってからでは太刀打ちできない。
と言うか、謝るだけなら作戦も何もないだろうに。
「そうなの!わかってはいるんだけど…あれから玲子ちゃんとも連絡とってないし、グループチャットも既読だけって感じ。だから華ちゃんに助けてもらいたくて」
「助けるって言われても…。今から電話してみるとか…?」
「だから!大切な話は直接したい派なの!」
面倒な奴だな、と言う言葉をぐっと飲みこんだ代わりにため息が出てしまった。
「じゃあ二条に謝ったとして、亜香里はどうなりたいの?」
「どうって?」
「今までの関係に戻りたいってこと?」
「できればそうしたいなあ」
それは無理だ、とはっきり言ってやるべきか私は迷っていた。二条は菩薩じゃない。一度生まれた気まずさを抱えたまま元の関係に戻れるはずもない。だけど、そんな希望を砕くようなことを、今の彼女に言いたくもなかった。
東雲たちから孤立して以来、変に人の心に敏感になった気がする。他人が傷つくところを見たくない、見ていられないと言った感情は持っていたが、それが極端に私の心を締め付けてくるようになった気がする。だから、亜香里にはこれ以上傷ついて欲しくない。
これは思いやりではなく、単なるわがままだ。
「華ちゃんの方こそどうなの?美月ちゃん達と仲直りしたくないの?」
「したくないわけじゃないけど、今更って感じ。慣れればどうってこと無いんじゃない?」
「でも、華ちゃんいつもつまんなそうな顔してたよ」
そういうところは変に鋭い女だと思った。私はため息とも唸り声ともいえるような息を吐きだして肯定した。
「私のことは今はいいから。亜香里の方が問題としては大きいよ」
「そんなことないよ!華ちゃんのことだってちゃんと考えたいもん!」
そんなところで揉めてる場合ではないだろ。彼女がどこまでこの密会に本気なのか分からなくなってきた。
その時、彼女の顔が光った気がした。いや、確実に光った。顔と言うか、耳が。
「亜香里、その耳どうしたの?」
彼女は待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
「あ!やっと気づいてくれた~!見て見て!可愛いでしょ?」
自慢気に突き出されたその耳には、ピアスが一つ輝いていた。ピンク色の球が、彼女の小さな耳たぶの上で私を見つめていた。
山百合の校則はそこまで厳しくはない。茶髪くらいでは何も言われないが、流石にピアスはダメだろう。明確な線引きができるわけでもないが、直感でそう思った。
「なんかこう気持ちの切り替えみたいな?失恋したときに髪を切る話ってよく聞くじゃん!そんな感じ。あ、全然大丈夫だからね?夏休みの間だけだから」
「ならいいけど…」
「あ、華ちゃんも興味あったりする?よかったら今度開けてあげるよ。そうだ!今から買いに行っちゃおうよ!これ、モールで買ったやつだからお揃いにしよ!」
そう言ってカップに残ったココアを飲み干すと、そそくさと立ち上がろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ。作戦立てるんじゃなかったの?」
立ち上がろうとする彼女の腕をグイっと引っ張って座らせる。本当に何を考えているのかわからない。二条と仲直りする気なんて、さらさら無いんじゃないかと思えてきた。
「え~じゃあモールで続きしようよ。せっかく外出てきたんだし、ここでお茶して終わりじゃ寂しいじゃん!一緒に買い物しよ?」
もう滅茶苦茶だ。何のためにこの喫茶店で会っているのか忘れてしまったのだろうか。段々と付き合っているのが馬鹿らしくなってきた。彼女への不信感が少しずつ積み上がっていく。紀伊野 亜香里と言う人間性が、先日よりも歪んで見えた。
私が彼女の腕を掴んでいたはずなのに、気が付けば彼女が私の手を握っていた。
「私ね、あの日華ちゃんに会えたことホントに運命だって思ってるの。華ちゃんがぎゅって抱きしめてくれてホントにホントに嬉しかったの」
彼女はささやくようにそう言った。私を見つめる瞳はどこか酔っているかのようで、またしても私は吸い込まれそうになった。
私が手を引こうとすると、彼女の握る力が少し増した。
「だからね、華ちゃんが一緒に居てくれるなら、それで良いかなって、ちょっと思ってたりするんだ」
彼女はまだ、二条の代わりを探しているのだろうか。壊れた心は貪欲に愛を求めている。私の心はあの日と同じように、一歩後ろにさがっていた。二人の姿を遠くから眺めているかのようなそんな感覚。逃げ出せない肉体を置き去りにして、魂だけが切り離されてしまったかのようだった。
私は一体何から逃げようとしているのだろうか。自分でも訳の分からない感情から逃げ出して結果どうなったか、忘れることは私自身が許せない。
肉体との接続を取り戻した私は、先程よりも強く手を引いて彼女から逃れる。その時のムッとした彼女の表情が可愛らしいからズルい。
「じゃあ二条と仲直りする話はもういいわけ?」
「ん~、ぶっちゃけ無理なんじゃないかなあって薄々思ってたりして。玲子ちゃんのことは今でも好きだけど、玲子ちゃんは私のこと好きじゃにみたいだし、寧ろ嫌われたって思ってるよ。だからもう良いかなって」
二人のカップの間に向かって言葉が落ちていく。
「まあ、亜香里がそれで良いってんなら何も言わないけど…」
腑には落ちない。あんなに私に縋りついて二条への想いをぶちまけていたのに、もう心の整理ができてしまったのだろうか。さっきもピアスで気持ちの切り替えとか言っていたし、よくわからない。私の助けなんて本当はいらないんじゃないのか。自力で立ち直れるくらい強い心の持ち主だったのか、はたまた、その程度の想いだったのか。
だったら真友の話なんてするんじゃなかった。真友が一体どんな気持ちで自分の想いと向き合っていたのか、亜香里と関わっていれば少しはわかると思っていたのに、と、そこまで考えたところで嫌になった。
私にそんな資格は無い。真友を蔑ろにした私が、亜香里の心に口出しなんかできない。寧ろ立ち直ったなら良かったと、素直に喜べばいいんだ。私がこうして一緒に居るだけで、彼女が救われるなら、それで良いんだ。
真友にはあの時誰もいなかった。一番そばに居たかったはずの私が逃げてしまった。誰かが、あの時私以外の誰でもいいから真友に声をかけてくれる人がいたなら、彼女も亜香里の様に立ち直れたのかもしれない。
私の心のメトロノームが動き出す。
「玲子ちゃんの特別にはなれなかったけど、だからって私はまだ挫けないよ。誰かの特別になって見せるんだから!見返してやるぞー!って感じ」
「そっか、亜香里は強いね。この先きっといい出会いがあるよ」
何の根拠も無い無責任な言葉だとわかってはいても、他に言うべき言葉が見つからない。
「その通り!だから一緒に買い物行こ?」
「何が『だから』だよ」
レモンティーを飲み干して財布を取り出す。立ち上がろうとしたところで、今度は亜香里が私の手を握って引き留めた。ボディタッチの激しい女はどこにでも居たけど、夏場は暑苦しくて敵わない。私の手なんか握っても何にもならないと思うけど。
「華ちゃんにとっての特別な人っているの?やっぱり真友ちゃん?」
「何急に」
真友は私にとって親友だった。真友にとっての私が特別だったと言うのなら、私にとって真友は特別とは言えないのかもしれない。
だけど、だけど……かけがえの無さで言ったらそこに違いなんてなかったと思いたい。
右へ、左へ、メトロノームは大きく揺れる。
「特別とか、私にはまだよくわかんないかも」
「そっか…」
そう呟いた亜香里の表情は、どこか満足げに見えた。
彼女は軽い足取りで会計に向かう。
そんな背中を見ていると、一層けたたましくメトロノームが鳴り出していた。
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