第6話 孤独な女
私が話し終わるまで、
話しておいてなんだが、紀伊野には嫌われても仕方がないとは思う。なぜなら今まさに彼女は、真友に共感しているからだ。
そして私を
たとえ別々の相手でも、同性を好きになり拒絶された女と、同性からの想いを拒絶した女が揃ってしまった。この巡り合わせこそ、私の真友に対する贖罪なのだろうか。
でも、これ以上どうすればいいのか。紀伊野に罵倒されでもすれば、私の気も彼女の気も晴れるのだろうか。
長い沈黙が続いた。
「
紀伊野は私の手を握ってそう言った。
予想外の反応に戸惑っていると、彼女は見る見るうちに瞳から涙を溢れさせていった。
「華ちゃんも、真友ちゃんもきっと、ずっとずっとつらかったんだよね。今の私ならわかるよ。受け入れてもらえない想いを持ち続けるつらさも、大切な友達が居なくなっちゃうこともわかる。死んじゃいたいくらいだよね。私、二人がそんなことになってるなんて知らなかった。全然別のグループだったけどさ、何にもしてあげられなくてごめんね?」
的外れな謝罪ではあったが、彼女の本心からくる言葉なのだろう。本当に優しい子なのだ。
でもきっと二条に振られる前の彼女なら、事情を知ったとしても何もしなかっただろう。
「空気」とはそれほどまでに強大なのだから。
私は彼女の手を握り返す。
「紀伊野、ありがとう。でももう大丈夫だから。」
「大丈夫じゃないよ!だって華ちゃん、
やはり紀伊野も、私が
「美月ちゃん達にも話したの?」
「いや、それは……。」
あの日から今日に至るまで、東雲たちとまともに会話はできていない。真友が見つかったあの朝から、私は東雲たちから避けられていた。真友を突然失ったのはお互いに同じはずで、その苦しみを少しでも和らげたいはずなのに、まるで初めから事情を知っているかのように、私に軽蔑するような目線を送ってきた。どうして原因が私にあると、端から決めつけているのか全く分からなかった。だから、東雲たちが何を思っているのか、本当のところはわからない。わかるのは、ただただ体に突き刺さる悪意だけ。
私自身、真友が自殺したなんて信じられなかった。私が真友の想いを無下にしたから、あの後彼女を一人にしてしまったから、あんなことになってしまったのなら、私のせいにしたくなる気持ちもわかる。でも、だったらどうすれば良かったのか。彼女の想いに応えることは、きっと無理だった。それなのに一緒に帰ることは彼女が拒絶しただろう。
私が悪いのか?私のせいで真友は死んでしまったのか?
私が信じられないのは、その問いの答えの方かもしれない。
「絶対ちゃんと話した方がいいよ!一人じゃ大変なら私も手伝うからさ。」
彼女は酔っているかのように顔を紅潮させて訴えてきた。その姿はまさに、紀伊野に対して「気持ち悪い」と言った人物に対して、私が怒りを訴えていた姿と似ているのだろう。
私はこの話を打ち明けることで楽になりたかっただけなのかもしれない。だから、紀伊野に何かを求めているわけではなかった。
踏み入って欲しくない。素直な気持ちだった。
「えっと、気持ちは嬉しいんだけどさ…。紀伊野の方こそ、これから大丈夫なの?」
東雲と向き合う気力は今の私には多分無い。苦し紛れに話題を変えたが、存外彼女は暗い顔をした。
私の問題は今に始まったことでは無い。いつか清算する時が来るだけだ。だが紀伊野に至っては、今まさに問題が起きたところなのだ。こちらの方が緊急性は高い。特に彼女は、あの二条のグループの人間だ。二条以外は有象無象と言って差し支えないが、その規模が大きいために、そこから異分子を弾き出す力も大きい。紀伊野は残された山百合での生活で、居場所を失うことになる。
今の私の様に。
「私の方は…大丈夫だよ。玲子ちゃんだもん。ちゃんと謝れば許してくれるよ。そりゃあ急にあんなこと言われたら誰だってびっくりするし、困っちゃうよね。だからちゃんと謝って、許してもらうよ。」
そう言いながら彼女は目線を落とした。
私は二条と言う女を、「太陽のような人」と言う認識でしかとらえられていないが、それでも紀伊野の言っていることは甘いと思う。友人の想いに対して「気持ち悪い」と言ってねじ伏せた奴だ。私も人のことは言えないが、それでも正気を疑う。あの二条の色っぽい唇から、そんな言葉が飛び出すとは信じられなかった。
そう簡単に戻れるわけはない。異分子の言い分なんて誰も聞く耳を持っていない。紀伊野が二条に好意を寄せていたことを、そのまま言いふらすような下品なことは流石にしないだろうとしても、二人の間に流れる気まずさや不自然さを、取り巻き達は見逃さないだろう。その居心地の悪さから解放されるために、きっと彼女たちは「二条 玲子の為」と言う大義の下結束し、紀伊野の居場所を奪うだろう。
そうして淀みを取り払った彼女たちは、まるで洗い立ての青リボンをつける様に、まっさらな気持ちでいつも通りの青春を謳歌する。
「紀伊野が二条に謝る」とかそういうレベルの話ではきっとなくなる。彼女自身そのことがわかっているからこそ、こんなに暗い顔を見せているのだと思う。
「も、もしさ、玲子ちゃんが許してくれたら、華ちゃんのこと紹介するね。そしたら美月ちゃんたちのグループに戻ることもないじゃん?」
紀伊野の声に熱が入る。
「その代わり?って言ったらおかしいけど、もし、万が一玲子ちゃんが許してくれなかった時は、華ちゃんが美月ちゃんたちの所に戻れるように、私全力でサポートするから!だから、だからその時は…私もそっちに入れてね?」
終わりの方は弱々しくすぼんでしまっていた。彼女は恥ずかしそうに私に縋ってきていた。
彼女をここに連れてくる時、私は彼女に救って貰えるのではないかと期待していたのではなかったか。それなのに今彼女に「助けてくれ」と懇願されている。
私たちは荒波に飛び込んだ藁だ。互いが互いにしがみついている。「無いよりはましだ」と思いながら、沈む時を待っている。
紀伊野の不安が、震える指先から伝わってきていた。
私が今更東雲と和解するのは、紀伊野が二条と和解するのと同じくらい不可能だと思う。だから、私たちが帰るべき居場所はもうない。足のつかない恐怖と、目指す方向もわからない不安。私たちは互いに孤独なのだ。お互いがお互いの居場所となる他ないのだと、半ば悟ったような気持ちになっていた。
私はもう一度紀伊野を抱きしめた。そっと触れる様に、ボロボロの彼女がこれ以上壊れてしまわないように抱きしめた。
「一人は寂しいよね。」
その呟きはきっと、自分自身に向けられていた。
乾燥の終わった制服に着替えた紀伊野が、玄関で靴を履いている。
「うひゃ~靴びっしょびしょ!」
「あ、ごめん。新聞でも詰めときゃよかったね。」
裸足で靴を履いた彼女は、気持ち悪そうにピョンピョン跳ねた。
「全然大丈夫!服乾かしてもらった上に傘まで借りちゃって大助かり!」
笑顔でそういう彼女を見ていると少し安心した。
「あ、そういえば華ちゃんのLINE知らなくない?交換しよ?」
そう言って慣れたて手つきで連絡先登録用のQRコードを差し出してきた。
私のスマホに現れた紀伊野のアカウントを登録する。彼女のアカウントのアイコンは、二条を含めた数人のプリクラだった。ここにも踏み絵がある、とげんなりしながら紀伊野を見ると、彼女は満足そうに私のアカウントを眺めていた。
「よしよし、じゃあこれで帰りまーす!華ちゃんホントにありがとうね!」
「紀伊野、忘れ物。」
私は洗濯機の中に取り残されていた青リボンを差し出す。
「あれ忘れてた?ごめんね最後の最後まで。」
彼女は受け取った青リボンをポケットへ滑り込ませた。できることならそのリボンを二度と付けて欲しくないと、心の奥底で誰かが呟いた気がした。
「じゃあ今度こそ、お邪魔しました!またね、華ちゃん。」
近いうちにまた会う約束をして、紀伊野は帰って行った。ギリギリまで手を振って、可愛らしく笑っていた。
その笑顔がどこか真友に似ている気がして、一人になった部屋で静かに泣いた。
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