第5話 最低な女
テーブルの上に転がったままのプリンを手に取り、
「え~と、今のは、忘れて。ね?」
今更自分のしようとしていたことに気づいたのか、彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
注いであった麦茶を一気に流し込むと、少し落ち着いたようで、私の顔色をうかがいながらプリンの蓋を開ける。
正直言って焦った。紀伊野が理性を取り戻したから良かったものの、あのままでは流されてしまっていただろう。
不思議な感覚だった。今まで他人に対して、友達以上の好意を抱いたことは無い。同性はもちろん、異性に対しても無かった。それなのに、紀伊野から逃れようとは思わなかった。だからと言って、彼女に好意を抱いているかと言われればそうじゃない。とにかく不思議な感覚だった。失った友人に対する罪悪感さえもどこかに消え失せていた。
「あーー、スッキリした!」
早くもプリンを平らげてしまった紀伊野は、何か憑き物が落ちたような顔をしていた。
「今日
「いや、全然、そんなこと。」
「いや引いてんじゃん!」
そう言って、彼女は可愛らしく笑った。
「何度も同じ話しちゃうけどさ~。でも、今日は聞いて!いいでしょ?ホントつらくて死んじゃうかと……。」
紀伊野は言葉を詰まらせ、「しまった」と言うような顔をした。また泣き出すのかと思ったが、どうやらその心配は無いらしい。私は訝しげな表情を作ったまま次の言葉を待っていた。
「あ、いや、ごめん。死んじゃうとか、冗談でもよくないよね。華ちゃんの前で不謹慎だよね。私最低だわ~。」
「そんなこと、気にしないでよ。」
「いやいやいや、だってまだ一年経ってないでしょ?真友ちゃんが死んじゃってからさ。」
紀伊野は謝りながらも、どこか好奇心のようなものを瞳の奥に覗かせていた。
「真友ちゃん何で死んじゃったんだろうね。」
いつもポニーテールを揺らしながら駆け寄ってくる彼女は、いつしか別の友人も紹介してくれた。それが
彼女たちは中学からの付き合いらしく、その輪に入って行くことに躊躇いはあった。東雲はいかにもって感じのギャルだったし、
真友がどうしてこのグループに居続けるのか不思議だったが、むしろ、素を曝け出せている居心地の良さがあったのかもしれない。
東雲を筆頭としたグループに迎えられてから一か月経つ頃には、なんだかんだで私もなじみ始めていた。去年の夏休みには、五人で電車を乗り継いで海まで行ったし、学祭で北条に絡んできた金田工業の奴らを、東雲がぶん殴って追い払った時は盛大に笑った。本当に楽しかった。私たちはうまくやれてるはずだった。
真友が校舎の屋上から落ちたのは、肌寒くなってきた冬の始まりの頃だった。それ以来全てがおかしくなってしまった。東雲たちからはハブられて、部活も辞めてしまった。二年に上がると状況はさらに悪化して、東雲たちと同じ二年一組になった。この夏休みを迎えるまで、よくクソ真面目に学校に行ったものだと、自分を褒めてやりたい。
あれ以来、私に進んで関わろうとする人なんて教師どもくらいだったから、生徒の中では事件がうやむやになったままなのだろう。疑惑が疑惑を呼び、根も葉もない噂が蔓延していた。だからここにきて、紀伊野は私から何か聞き出せるのではないかと期待している。
他人の不幸は蜜の味。
自分から不幸を語っておいて、それでは不公平だとでも言うのだろうか。私が何を言っても状況は変わらないし、真友が帰ってくるわけでもない。もう何もかも遅すぎる。
なら逆に、話してしまっても良いのだろうか。もうどうにもならないのだから。
「紀伊野はさ、つまり、女の子が好きなの?」
あまりにもストレートな質問に彼女はたじろいだ。
「え、まあ、なんと言うかね、そう、そうなの。…………キモいでしょ?」
「キモくない。」
「…………マジ?」
そう、キモくなんてない。好きになった相手が偶々同性だっただけだ。誰が誰を好きになろうが、私には関係ない。そのことをもっとよく考えなきゃいけなかった。
だから私は間違えた。私も、人の気持ちなんかわからなかった。だから、償わなきゃいけないんだ。
あの日、真友に呼び出された私は校舎の屋上に向かっていた。テスト期間で部活動が禁止になっているため、その頃は図書館で一緒に勉強することが多かった。だからなぜ、態々屋上なんかで会うのか不思議に思っていた。
「まあ、たまには気晴らしも必要だよね。」
そんな独り言をつぶやいていた。
屋上の扉を開けると、こちらに背を向けながら足早に沈もうとする夕日を見ている真友の姿があった。少し風が強いせいか、他には誰もいない。私が呼びかけると、彼女はゆっくりと振り返って私を認めた。いつもなら眩しいほどの笑顔で駆け寄ってくるはずの彼女が、その日に限っては、一歩も私に向かってはこなかった。
長く伸びた影に近づくにつれて、彼女が心底不安そうな顔を向けていることが分かった。そこで私は歩を速めて彼女の肩に手をかける。
「何?なんかあった?てか寒いじゃんここ!図書室じゃダメなの?」
「華、ごめんね、こんなとこ呼び出したりして。」
「いや別にいいけど、貸し切りだし。てか、屋上に呼び出されるなんてドキドキしちゃった。」
私は愚かだった。
「華にね、聞いて欲しいことがあったの。」
「なになになに?もしかして愛の告白とか?」
一番大切な友達だなんて言っておきながら、私は彼女の事を何一つ理解してはいなかった。
不安に満ちていたその表情の中に、決意の兆しが表れていたことに、あの時の私は気付かなかった。
「華、聞いて。」
その言葉の鋭さに、やっと私は真剣になった。こんな深刻そうな声を、彼女から聞いたのは初めてだった。
私は途端に怖くなった。何か得体の知れないものが、私たちのこの日常を破壊しようとしているかのような、そんな恐怖に襲われた。
真友が何かに困っているならそれは助けてあげたい。でも、今が壊れてしまうのは嫌だった。次の瞬間には彼女がいつもの笑顔に戻っていて、「びっくりした?」なんてからかってくれることを期待していた。でもきっと、真友はもっと怖かったはずだ。
「私、華のこと……………………の。」
吹き抜ける風が、彼女の言葉を遮った。もしかするとそれは、現実逃避した私の幻想だったかもしれない。彼女のポニーテールが揺れる。
「ごめん真友、もっかい言って?」
彼女は涙を浮かべながら繰り返した。
「私ね、華のことが好き。友達としてじゃなくて、一人の人として好きなの。」
その瞬間、私の心が一歩後ろへさがったのがわかった。かろうじて体はその場に留まったが、いや、動けなかったというのが正しいのかもしれない。
「えっと、真友……、それって…………」
「華、私と付き合ってください。」
彼女のその真剣な眼差しに、つい私は目を逸らしてしまった。
「えっと、いや~私も真友のこと大好きだよ?真友が男だったらなあって思うもん。そしたら毎日イチャコラしちゃうけど。でもほら!毎日こうして一緒ににいるわけだしさ、恋人になるのは来世のお楽しみってことでさ!もしかすると私が男になってたりして。その時でもちゃんと好きになってよ?」
とにかく私は、彼女の言葉を、誰よりも大切だと思っていた親友の言葉を、受け止めることができなかった。
私は無かったことにしてしまった。楽しい毎日が変わってほしくなかった。
ずっとずっとずっと、このままで居たかった。
私は最低な女だった。
「もう寒いし帰ろ?あ!そうだ、スタバの新作今日からじゃなかったけ?今日は私が奢っちゃう!だからさ、もう帰ろ?」
うつむいてしまった彼女の腕を取って屋上を後にしようとするが、彼女が動く気配はなかった。
「今日は一人で帰らせて。」
静かに首を振った後、彼女はそう言った。
正直私もこの後肩を並べて帰るのは、気まずい気持ちもあった。でもここで別れてしまっては、元の関係には戻れない気もした。真友とは変わらず友達で居たかった。だから私は腕を離さなかった。
「でも…………」
「一人にして!!」
彼女の叫びにも似た言葉に、つい私は腕を離してしまった。
もし過去に戻れるのだとしたら、絶対に、何を言われようとも腕を離したりはしないだろう。彼女を引き寄せて抱きしめて、一緒に帰るんだ。
それはもう決して叶うことのない妄想だけれど。
「じゃ、じゃあまた、明日、学校でね?」
私は彼女に背を向け、逃げるようにして屋上を去った。階段を駆け下りる足音が、校舎と耳の奥に響く。明日になればきっと元に戻ってる。今日はそういう日だったんだ。真友のクラスメイトの斎藤が、桜丘で彼氏を作ったとか声高に言いふらしてるのを聞いて焦ったとか、そんなことじゃないか。そうだ、きっとそう。
校舎を出ても私は振り返らなかった。屋上を見上げてしまったら、まだ彼女がそこに居て、私を見下ろしているんじゃないかと思うと、少し怖かった。
一晩経って頭を冷やしたら、「なんてばかやったんだろ」ってきっと思うはずだ。明日になれば、「華、びっくりした?」なんて言ってごまかしてくるだろうから、私も一緒になって笑ってやろう。「なになに?私に欲情しちゃったの?」とか、「早く彼氏作れよ」とか言い合うんだ。東雲たちと一緒になって笑い話にしてもらおう。そんな光景を想像したら自然と笑みがこぼれた。そうだ、明日までの辛抱だ。明日になれば全部元に戻ってる。
私の日常は何も変わらない。
翌朝、校舎の脇に倒れている南原 真友が発見された。
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