第3話 告白する女

 階段の軋む音が、一歩上がる毎に聞こえる。それが私に問いかける。


「どうするつもりなの?」「これで本当に良かったの?」「今からでも帰ってもらうべきじゃない?」




 濡れた足をタオルで拭きながら、「お邪魔します。」と紀伊野きいのがつぶやく。


「遠慮なくシャワー使って良いから。浴びてる間に新しいタオルと着替え持ってくる。脱いだ制服は洗濯機入れといて。」


「ホントにごめんね、はなちゃん。ありがとうね。」


「別にいいよ。」


 紀伊野に貸す着替えを取りに行く為に座敷を抜け、そこから延びる階段から自室へと上がる。木造の家だから、どこを歩いても床が軋む。一歩一歩踏み出す足が重い。心の悲鳴が床から発せられているかのようだった。そうだ、ついでに部屋を掃除しておかないと。特別散らかっているとも思わないが、用心に越したことはないだろう。


 目につく埃を除去し、ごみ箱を空にする。

 クローゼットからスウェットとシャツを取り出し部屋を出る。


「紀伊野ー、入るよー?」


 曇りガラスの向こうでシャワーの音が鳴り響いている。私は洗面台の下からタオルを取り出して、持ってきた着替えと一緒に床に置いた。


「着替えとタオルここに置いておくからね。」


「華ちゃぁん。ありがとうねえ。」


 紀伊野は鼻声でそういった。どうやらまだ泣いているらしい。シャワーを浴びてスッキリしてくれれば、この先話しやすくて助かるのだが。


 傍らの洗濯機に目をやると、紀伊野の涙を吸い込んだ抜け殻が放り込まれていた。その中で、ピンク色の下着が目についた。その大きさにも驚かされるが、随分と攻めたデザインの様だった。花柄のレースは所々透けていて、本当に下着としての役割を果たすのか不思議だった。つまり紀伊野には彼氏がいて、今日はあらゆる準備を整えて挑んだにもかかわらず、逆に別れ話を切り出されてしまったということなんだろうか。それとも、告白のついでにあわよくば、という下心があったのだろうか。まあ、「備えあれば患いなし」とは言うけれども、少し下品ではないか?あんなのほほんとした紀伊野からは想像できなかった。そういうところが理解できないから、私は今まで彼氏の一人もできないんだろうか。かと言って欲しいとも思ったことは無いが。


 私は紀伊野に抱き着かれて湿ってしまったパーカーを、下着を隠すように放り込む。洗濯機のスイッチを入れたところで、背後のシャワーが止まった。


「いいお風呂でした~、助かっちゃった。」


 身を屈めながら顔を出した彼女は、素早くタオルに手を伸ばす。


「着替えまで用意してもらっちゃってごめんね。でも着替えてるの見られるのは恥ずかしいかも。」


「ああ、ごめん。」


 脱衣所を後にした私は、そのままキッチンへ向かい。冷蔵庫から麦茶とプリンを取り出す。昨日誘惑に負けて食べてしまわないでよかった。

 それにしても、熱いシャワーで顔を赤らめ、隙間から覗く白い体から蒸気を発しながらはにかむ彼女は、私から見ても刺激が強かった。


「ありゃあモテるわけだ。」


 グラスに麦茶を注ぎながら私はつぶやいた。


 だとすると、紀伊野を振るような輩は随分と贅沢な奴だと言える。もしくは壊滅的に見る目がないかのどちらかだろう。そう思えば、これからされる失恋話にも容易に同意できるのかもしれない。少しだが、彼女の話を聞くのが楽しみになっていた。


 だがすぐさま自己嫌悪の念に襲われる。

 結局、自分が軽蔑しているクラスメイト達と似たような思考回路を持っているのだ。愛だの恋だの下らないと言いつつ、そのどこかに面白さを感じてしまっている自分が心底嫌になる。


 私の心はメトロノームのようなものだ。

 集団を拒絶し静かに生きたい私と、集団に紛れる安心感を求める私。どちらに傾いても心の平静を保つことはできていない。右へ左へと振り回され、いつか私が内側から壊れてしまうのではないかという恐怖が、胸の内に巣食っている。



 脱衣所から出てきた紀伊野を引き連れて、再び階段へと向かう。


「わ~、畳の部屋あるんだね。おばあちゃんちの匂いがする~。」


 古臭い家で悪かったな。


 部屋に入り、盆にのせていたグラスとプリンをテーブルに移す。


「遠慮なくくつろい……」


 突然紀伊野が抱き着いてきた。まだ乾いていない頭を私の胸に埋めてくる。またしても服が湿ってしまうのを不快に思いながら、彼女の肩を軽く抱いてやる。しかしそのまま何も言葉を発しない。時が止まったかのような感覚だった。


 お互いがお互いの言葉を待っている。聞いて欲しいのはそっちだろうに。


「紀伊野何があったの?私で良ければ聞くけど……。」


 再び鼻をすすりだした彼女を座らせる。麦茶を少し口に含んだ後、ぽつぽつと話し始めた。


「私実はね、好きな人がいて、………その人といるとすっごく楽しくてね……うぅ……だから私も……その人に同じように思ってほしくて…………ううぅぅぅっ……それでね………ずっと隣にいさせてもらえるように………頑張ってオシャレとかもしてね……プレゼントとかぁ……面白い話とかもいつも考えてて…うっ…あなたのことを大事に思ってますって……わかってもらえるように……頑張って……うっ……ううぅぅぅっ……」


 私は彼女の背中をさすりながら、時折「うん」とか「そっか」とか相槌を入れて、基本的には静かに話を聞いていた。そこからはグラスから水があふれる様に、想いがとめどなく吐き出された。


「その人は、すっごい人気者でぇ……友達も多くて、私のことも『大切な友達だよ』って言ってくれてたの。でもぉ!友達は沢山いるじゃん!!私は私しかいないのに!友達なら私じゃなくても良いじゃん!私はあの人の隣が良いのに、あの人は隣に色んな人を置いてるの。だから私思ったの……。友達のままじゃ埋もれていくんだって。あの人に大切な友達じゃなくて、『大切な亜香里あかり』だって思ってもらうには、今のままじゃダメなんだって。そっからもっともっと頑張ったんだよ?『最近面白い本がある』って言われれば、ちょっと難しい内容でも読んで話してみたりさ。そしたら一緒に居られる時間も増えるじゃん?アクセサリーもお揃いにしたりとか、少しでも可愛いって言ってもらえた仕草とか服装とかいつも意識して、気に入って貰いたくて…。そしたらね!二人っきりでデートしてくれるようになったの。遊びに行くときはいっっっつも他の友達と一緒だったから、私ホントにうれしくて……。やっと他の子たちとは違うんだって、わかってもらえたって、思いが伝わったんだって、舞い上がっちゃって……。

 でも私、ホントに馬鹿で……うっ…どうしようもなく馬鹿だからぁ……それで満足できなくてっ……もっと特別になりたいって思っちゃったの!だからっ……だからぁ」


 だから、好きだと告白したのだろう。そして振られてしまった。人の好意を必ずしも受け入れなければならないわけじゃないとは思う。それでもここまで献身的に想いを寄せられて、最後にはデートまで許したのにもかかわらず、その好意はいらないと突っぱねたわけだ。何やらそのお相手は人気者の様だから、恋人候補など引く手数多なのかもしれないが、残酷な話だなとは思う。さすがに私も同情する。


 しかし相手はどこのどいつだ?山百合は女子高だから、考えられるとしたら、近場で共学の桜丘高校の生徒だろうか。流石に隣町からよくナンパに来ている、金田工業高校の奴らだとは思いたくない。ナンパするためにたむろしているあいつらを見て、「友達が多い」とは言わないだろう。



「これだけは絶対に伝えちゃダメだって、心の中で大切に仕舞っておけば良いって、そう思ってたのにっ……。昨日家でお泊りした時に私っ……抑えられなくなってっ……。『好きです』って、『あなたの特別になりたいです』って、そう言っちゃったんだあ……ううぅぅぅっ……ううぅぅぅっ……。」


「そっか、紀伊野すごい頑張ったんだね。今の話聞いただけでも、紀伊野のその人を想う気持ち伝わってきたよ。」


「だけど…そしたら……うっ……うわぁぁぁぁああ!!いや!いやあ!いやあああ!!」 


「紀伊野?」


 私の声など聞こえていないようだった。半狂乱の如く泣きじゃくっていた。私のシャツは、千切れるんじゃないかってくらい強く握りしめられ、その周りにどんどんシミが広がっていく。

 失恋とはここまで人を壊してしまうのだろうか。告白に失敗して、教室で泣きながら友達に慰めてもらっているクラスメイトを見たことがあるが、ここまでではなかった。多くのクラスメイトが見ている中で泣ける神経も理解しがたかったが、殆ど初対面のような私の前で、ここまで曝け出せるものだろうか。

 ハッキリ言って私が紀伊野にかけられる言葉なんて無い。これほどまでの想いをそう簡単に消化することはできない。紀伊野が自分で受け入れて、自分で乗り越えていくしかない。そして諦めるのか、それでも尚想い続けるのか、葛藤する日々が始まるのだろう。しかし、相手が異常な承認欲求の持ち主であれば、自分に向けられた好意を拒絶することで優越感を得ている、ということもある。そうであれば、紀伊野が追いすがれば追いすがる程、泥沼にはまっていく。紀伊野にとって何がベストかは分からない。少なくとも、紀伊野とその相手が再び「大切な友達」に戻ることはできない。


 その関係を望まなかったのは紀伊野自身なのだから。




「え?」


「気持ち悪いって……言われたの…。もう関わりたくないって。」


「な………。」


 なんだそれは。気持ちに応えられないとしても、言い方ってものがある。「友達として好き」なんていう中途半端な優しさとは訳が違う。好きな人にそんな拒絶をされたのであれば、紀伊野のこの様子にも納得がいく。いや、そんな奴の為に泣いてやることなんてない。こっちから願い下げだと、頬の一つでも叩いて帰ってきても良いくらいだろう。

 まるで自分のことの様に、腹の下あたりが熱くなってきているのがわかった。


「そんなのふざけてるでしょ!そんな奴、紀伊野が好きになってやるほどの相手じゃないよ!」


「いいの!私が悪いの!相手の気持ちを考えないで自分勝手になった私が悪いの!私には……、絶対に届かない人だったのっ!」


 どうしてそこまで自分を卑下できるのか理解できない。そこまで言われてただ泣いてるだけの紀伊野にも腹が立ち始めていた。


「誰なのそいつ。人気者だか何だか知らないけど、私が文句言ってやるよ。私なんかが言っても意味無いかもしんないけど、紀伊野が言えないんだったら私が言ってやる。」


「やめて!ほんとに私が悪いの!華ちゃんだってきっと気持ち悪いって思うよ!」


「思うわけないじゃん!」


 そんな、人の気持ちもわからないような奴と一緒にするなよ。平気で人を傷つけるような、あの青リボンどもと一緒にしないでよ。


「だって……だって、玲子ちゃんなんだよ?」


「は……?」


「玲子ちゃん、知ってるでしょ?」


 一瞬、頭が追い付かなかった。まさかとは思ったが、確認の意味と聞き間違いの可能性にかけて、知り合いの中でただ一人の同じ名前の人物を口にした。


「玲子って……二条 玲子にじょう れいこ?」



 背中を冷たい汗が伝っていくのがわかった。





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