第十二幕


 第十二幕



 やがて一週間の休暇を堪能し終えた俺ら第一中隊の面々は、満々と水を湛えながら滔々と流れるドードリエ河を挟んでオーノスタ大公国陸軍と対峙する、最前線の塹壕へと帰還した。

「ああ、糞、サーサライラが懐かしいぜ」

 カーキ色の戦闘服と戦闘帽に身を包み、再び狭く息苦しい塹壕内で泥と埃にまみれる生活へと突き落とされたノッシュが溜息交じりにそう言って、楽しかったサーサライラでの日々を早くも懐かしむ。

「そう言うなよノッシュ、それでも休暇が貰えたおかげで、少しはリフレッシュ出来ただろ?」

 俺がしとしととそぼ降る雨の様子をうかがいながらそう言えば、ノッシュは「まあ、そうだけどさ……」などと後ろ髪を引かれるような表情と口調でもってぐちぐちと愚痴を漏らし、どうにも憤懣遣る方無い様子であった。

「ああ、アジャータにもう一度会いてえなあ!」

 半ばヤケクソになりながらそう言ったノッシュに、同じ塹壕内に掘られた横穴で待機していたインジーが尋ねる。

「アジャータ? 誰ですか、それ?」

「ああ、その、俺達の古い知り合いの女の子さ」

「ふうん……そうですか」

 インジーはそう言って一応ながらも得心するが、やはりぶつぶつとアジャータの名を口にし続けるノッシュの姿に、彼女もまた薄々何かに勘付いているような様子であった。それにしても未だに腕白少年だった頃の面影を残すノッシュの奴は、結局一週間の休暇の最中に都合三回も娼館に通っていながら、それでも未だ未だアジャータを抱き足りないらしい。

「グルカノフ兵長! グルカノフ兵長は居るか?」

 するとどこか遠くから何者かが俺の名を呼んだので、俺はついと顔を上げると、横穴の壁際に設置されたベッドの縁から腰を上げた。そして天幕を潜って小雨が降りしきる戸外へと足を踏み出すと、そこには俺らが所属する小隊の隊長を務める准尉が立っており、彼は俺に命じる。

「そこに居たか、グルカノフ兵長! 今日は貴様に、内地から送られて来た新たな補充兵を紹介する! 貴様らの班でもって教育してやってくれ!」

 するとそう言った小隊長の背後に立っていた大柄な人影が一歩前に進み出ると、ぶよぶよに頬がたるんだその顔ににやにやとした下卑た笑みを浮かべた。そしてその顔や身体つきに、俺は至極見覚えがある。

「よう、アルル。久し振りだな」

「……ゴンツ?」

 果たしてその大柄な人影、つまり縦にも横にも身体が大きいぶくぶくに肥え太った男は、かつてラハルアハル村の臣民学校で同級生だったゴンツことゴンツルヌイ・ドミトニスクであった。

「それでは後は任せたぞ、グルカノフ兵長!」

 俺が言葉を失っていると、小隊長である准尉はそう言うなりさっさと立ち去ってしまい、俺とゴンツの二人だけがその場に残される。

「おい、どうしたアルル? 何があった?」

 すると天幕を潜りながらノッシュとインジーの二人が姿を現したかと思えば、やはり彼と見知った仲であるノッシュもまた、かつて自分を苛めてたゴンツの顔をジッと凝視しながら言葉を失った。

「なんだノッシュ、お前も一緒だったのか」

 カーキ色の戦闘服が今にもはち切れんばかりの肥満体のゴンツは底意地が悪そうにそう言って、そのたるんだ顔に浮かべた薄ら笑いを、言葉を失ったまま立ち尽くすノッシュにも向ける。

「……ゴンツ、なんでまた、お前なんかがこんな所に居るんだ?」

「よう、ノッシュ。この俺様をよりにもよって『お前なんか』呼ばわりするとは、随分な言いぐさじゃないか。とてもじゃないが、俺らにパンツを脱がされて泣いていた男の台詞セリフとは思えないぜ? 違うか?」

 ゴンツがそう言えば、彼に揶揄からかわれたノッシュは過去に自分が受けた仕打ちを思い出しながら頬を赤らめ、唇を噛んだ。

「どうしたの? この補充兵、二人の知り合い?」

 するとそう言って不審がるインジーにも、ゴンツは馴れ馴れしく語り掛ける。

「おいおい、むさ苦しい男所帯に放り込まれるかと思えば、こんな綺麗な女の子が一緒とはね。こいつはこれからの塹壕暮らしも、意外と快適かもしれないな!」

 やはり肥満体のゴンツがぶよぶよにたるんだ頬に下卑た笑みを浮かべながらそう言えば、俺は班長として、また同時に彼の同郷の兵長として、ゴンツをたしなめざるを得ない。

「おい、ゴンツルヌイ・ドミトニスク二等兵! 班長である俺はもとより、ここに居るノッシュバル・グルカノフ一等兵もインジット・サラルスキー一等兵も、お前より階級が高い上官なんだぞ! その上官に向かって、その口の利き方は何だ! 営倉送りになりたいのか!」

 そう言ってたしなめられたゴンツは、その下卑た笑みを崩さないまま形だけの敬礼でもって俺に従う。

「はいはい、了解しましたよ、グルカノフ兵長殿。これからは上官を敬いながら、滅私奉公する所存でございますっと」

 上官である俺らを舐め切った態度でもってそう言ったゴンツは、さっさと敬礼を解くなり「ここが俺のねぐらって訳ね」と独り言ちながら横穴へと姿を消し、しとしとと小雨がそぼ降る戸外には俺とノッシュとインジーの三人だけが取り残された。

「ねえアルル、ノッシュ、あのゴンツって一体どんな男なの?」

 インジーが怪訝そうな表情と口調でもってそう言ったので、俺は正直に答える。

「あいつは俺とノッシュと同じラハルアハル村出身の、臣民学校時代の同級生でね。まあ何と言うか、小さな子供の頃からガキ大将気質丸出しの苛めっ子で、どうにも鼻持ちならない嫌味な男なのさ」

 俺がそう言ってゴンツを評すれば、かつて彼の苛めの標的にされ続けていたノッシュもまた口を挟まざるを得ない。

「そうさ、あいつは俺の知る限り、この世で一番嫌味な男なんだよ。それでもって俺やアルルには事ある毎に絡んで来て、その度にアルルにぶん投げられていたのにいつまで経っても諦めようとしない、まるで獲物を見つけた爬虫類の様に往生際の悪い男でもあるからな」

「ああ、まったくもってノッシュの言う通りだ。こいつは寝首を掻かれないように、俺らも普段から気を付けていなくちゃならなくなったぞ」

互いに顔を見合わせながらそう言った俺とノッシュの二人は、それぞれがそれぞれの言葉でもって、今後のゴンツの言動には注意するよう警鐘を鳴らし合った。そしてまた同時に、我が中隊唯一の女性兵士であるインジーにも警告する。

「あいつは昔っから女癖も悪くて、しょっちゅう同じクラスの女の子に手を出しては問題を起こしていたんだ。だからインジー、お前も充分に気を付けろよ?」

 そう言った俺らの頭や肩をしとどに濡らす、雨期特有のしとしととそぼ降る雨は、一向に止む気配が無い。


   ●


 肥満体のゴンツが補充兵として我が大隊に配属されてから数日後、やはりしとしととそぼ降る雨の中、俺ら四人は宵闇に包まれつつある塹壕内の炊事場の傍らでもって夕食を食んでいた。ちなみに今夜の夕食の献立もまた相も変わらずのヒダパンと、僅かなサラツ菜とハババ豚の干し肉入りのヒダ豆のスープである。

「ああ、糞、不味い!」

 曲がりなりにも同じ小隊の同じ班に所属するよしみから、俺やノッシュやインジーと共に飯を食っていたゴンツが故意に炊事兵の耳にも届くような大声でもってそう言うと、一度は口にしたヒダパンを泥だらけの地面に向けてぺっと吐き出した。するとその光景を眼にした炊事兵だけでなく、他の班や小隊に所属する兵卒達もまた眉をひそめながら彼を一瞥し、ひそひそと陰口を叩き合う。

「おいゴンツ、そう言う真似はよせ。他の兵卒達が見ているぞ」

 俺がそう言ってたしなめても、まるで残飯や人糞を漁るハババ豚の様に醜く肥え太ったゴンツは意に介さない。

「そいつはどうもすみませんね、兵長殿。俺様はこう見えても村一番の大地主の一人息子なもんですから、貧乏舌のあんたらとは違って、こんな不味い飯は食い慣れてないんですよ」

 嫌味と言うか皮肉と言うか、とにかく人の神経をことごとく逆撫でするような表情と口調でもってそう言ったゴンツはまるで悪びれる事も無く、心底不味そうにヒダパンとヒダ豆のスープを食み続ける。

「とにかく今はそれしか食う物が無いんだから、炊事兵に感謝しながら文句を言わずにありがたく頂戴しろ。上官として、軍人として、せっかくの食材を無駄にする事だけは許さんからな」

「へいへい、了解しましたよ、兵長殿」

 すると上官を敬う気が無いゴンツはふんと鼻を鳴らしながらそう言うと、まさに馬耳東風とでも言うべき不遜な態度でもって、せっかくの俺の苦言を右から左へと聞き流した。

「こいつ、本当に分かってんだろうな……」

 ゴンツの耳に届かないように小声でもってそう言いながらも、さして美味くもない夕食を食み終えた俺ら四人は空になった飯盒を雨水でもってゆすいでから、塹壕内に掘られた自分達の横穴へと足を向ける。

「それじゃあインジー、ゴンツ、俺ら二人は歩哨を務めるから、お前ら二人は先に寝ててくれ」

 そう言った俺の言葉通り、これから俺とノッシュは二人一組となって、各小隊に当番として割り振られた三交代制の歩哨の任に就かなければならない。そこで俺はそばかす面のインジーの元へと歩み寄ると、彼女にそっと耳打ちする。

「いいかインジー、くれぐれも注意するんだ。これは比喩でも何でもなく、ゴンツの奴は相手が女とみれば見境無く手を出しかねないような、本当に手癖が悪い奴だからな。もし仮に奴が怪しい動きを見せたら、その時は思いっ切り、金玉を蹴り上げてやれ。分かったな?」

 俺がそう言って警告すれば、インジーは無言のまま首を縦に振って頷いた。

「それじゃあアルルもノッシュも二人とも、敵兵の狙撃にだけは気を付けて」

「ああ、インジーこそ」

 そう言って互いに警告し合った俺らとインジーとは離別し、彼女がゴンツと共に横穴へと姿を消すと、俺とノッシュは歩哨の定位置へと移動する。

「インジーの奴、大丈夫かな?」

 しとしととそぼ降る雨に濡れながら河向こうの敵陣を監視し、歩哨の任に就いていると、隣に立つノッシュが気遣わしげにそう言った。

「きっと大丈夫だろう……とは言えないあたりが、ゴンツの恐ろしいところだ。あいつは小さな子供の頃から欲望に忠実で、放っておいたら何をしでかすか分かったもんじゃないからな」

 俺がそう言えば、ノッシュは話題を変える。

「しかしまあ、こうして泥まみれになりながら雨に打たれていると、ほんの一週間前までのサーサライラでの休暇が嘘みたいだ」

「ああ、そうだな。ほんの一週間前の出来事だってのに、もう心地良い温泉と美味い飯が懐かしいよ」

「それに、女もな」

 ノッシュがそう言って、にやりとほくそ笑んだ。

「神様、もう一度だけでいいから、アジャータを抱かせてください! お願いします!」

 よりにもよって、ノッシュは娼婦との交合を神に祈願するのだから、世話が無い。

「なんだノッシュ、お前、そんなにアジャータの事が気に入ったのか?」

「ああ、そうさ、気に入ったさ! なんであれば、嫁に欲しいくらいだね! それにアルル、お前だってさっきから人の事を笑っているけど、あの黒髪の娘の事が気に入っていたんだろう?」

 そう言ったノッシュの言葉に、俺の脳裏に黒髪のスラーラの姿がありありと蘇る。

「ああ、そうだな、気に入っていたよ」

 黒髪のスラーラの艶やかな姿を思い浮かべながらそう言った俺は、語尾に「彼女を殺してやれなかった事だけが悔やまれるがな」と付け足しそうになったものの、喉元まで出掛かったその言葉をぐっと腹の奥底へと飲み込んだ。ここで迂闊な事を口にして、俺の使命をノッシュに気取られてしまうのは得策ではない。

「この戦争が終わったらさ、もう一度二人でサーサライラに行って、夜まで遊び尽くそうぜ!」

「ああ、それはいいな」

 俺がそう言って頷いた次の瞬間、闇夜を切り裂くような女性の悲鳴が、俺らが身を隠す塹壕とその周囲に響き渡った。

「!」

 こんな最前線で悲鳴を上げるような女性は、インジー以外に存在し得ない。そこで俺とノッシュの二人は互いに目配せし合いながらくるりと踵を返し、我が班のねぐらである横穴の方角へと足を向けると、全力疾走でもってその横穴へと取って返す。

「インジー!」

 果たして天幕を潜って横穴の内部へと足を踏み入れてみれば、今まさに壁沿いのベッドの上で、肥満体のゴンツがインジーに覆い被さっているところであった。

「何やってんだゴンツ!」

 俺がそう言いながら駆け寄れば、怒り心頭のゴンツがこちらを振り返りながら怒鳴り散らす。

「今いいところなんだから邪魔するんじゃねえよ、この泥棒の息子め! いいからあっちへ行ってろ!」

 どうやらこのゴンツと言う名の男の心の中の勢力図では、犯行現場を押されられた事による罪悪感よりも、自らの行為を邪魔された事による怒りの方が勝っているらしい。

「ふざけるな! インジーから離れろ! 離れないと撃つぞ!」

 俺はそう言って警告しながら、腰のホルスターからカシン拳銃を抜いた。彫金エングレーブによる豪華な装飾が施された拳銃の鋼鉄製のフレームが、灯油ランプの灯りを反射してぎらりと輝く。

「おいおい、そんなにマジになっちゃってどうすんだよ、アルル?」

 するとそう言いながら立ち上がったゴンツは、ぶよぶよにたるんだ頬に、如何にも下品そうな薄ら笑いを浮かべた。そしてその薄ら笑いを浮かべた左右の頬に挟まれた口から、信じられない言葉を発する。

「どうせお前らも、普段からこの女とよろしくやってんだろ? だったらこの俺にだって、ご相伴に預からせてもらう権利がある筈だ! 違うか? あれ? それともお前ら、未だこの女とヤッてねえの? だったら俺がヤッた後に、お前らにもおこぼれにあずからせてやるから、大人しくそこで待ってろよ!」

 ゴンツはさも当然とでも言いたげな表情と口調でもってそう言うと、分厚い脂肪に覆われた喉の奥からげらげらと下卑た笑い声を漏らし、悪びれた様子は微塵も無い。そして一体この男が何を言っているのか、それ以前に軍隊と言う組織を何だと思っているのかが理解出来ず、俺はカシン拳銃を構えたままぽかんと呆ける。しかしながら眼前のゴンツがインジーを強姦すべくズボンとパンツを脱ぎ始めたので、はっと我に返った俺は、手にしたカシン拳銃の照準を彼の胸の中央に合わせ直した。

「いい加減にしろ、ゴンツ! 今すぐインジーから離れないと、本当に撃つぞ!」

「は? おいアルル、お前に俺が撃てるのか? 友軍の兵士を射殺したら軍法会議ものだし、同じ村の出身者を手に掛けたら、もう二度と故郷にも帰れなくなるぞ? それでもいいなら撃ってみろよ! さあ、撃ってみろ!」

 そう言って挑発するゴンツを前にして、俺はカシン拳銃の引き金に指を掛ける。そしてそのまま躊躇無く彼を射殺しようとしたところで、一瞬早く、体勢を整え直したインジーがゴンツの股間を思いっ切り蹴り潰した。

「!」

 声にならない声、悲鳴にならない悲鳴を上げながら金玉を蹴り潰されたゴンツがその場に両膝を突いてうずくまり、そのまま真っ白な泡を噴きながら昏倒する。

「大丈夫か、インジー!」

 俺がそう言って彼女の身を案じるまでもなく、ベッドに押し倒されていたインジーは泥だらけの地面に降り立つと、昏倒したままぴくりとも動かないゴンツの脇腹を何度も何度も蹴り飛ばした。

「畜生! 何しやがんだ、この豚め! お前みたいな豚野郎があたしに手を出そうだなんて、百万年早いんだよ!」

 普段の彼女らしからぬ剣幕と形相でもって、怒声を張り上げながらインジーがゴンツの脇腹を繰り返し蹴り飛ばす度に、醜く肥え太った彼の身体がぶよぶよと波打つように震え続ける。

「インジー、そのくらいにしておけよ。お前の気持ちも理解出来るが、ゴンツはもう気を失っている」

 そう言って自制を促せば、腹の虫が治まらない様子のインジーははあはあと肩で息をしながらも、ゴンツの脇腹を執拗に蹴り飛ばし続けていた足の動きを止めて矛を収めた。そして冷静さを取り戻すと同時に、本来ならば背中を預ける戦友である筈の同僚から強姦され掛けたと言う恐怖でもって感極まったのか、彼女の両の瞳からはぼろぼろと大粒の涙が零れ落ち始める。

「怖かったよな、インジー」

 俺は彼女の元へと歩み寄ると、慰めると同時に落ち着かせるために、小柄で華奢なインジーの身体をぎゅっと固く抱き締めた。抱き締められた彼女の身体は小刻みに震えており、女性にとっての性的虐待が如何に恐ろしいものなのかを如実に物語る。

「どうした、一体何があった?」

 するとようやくインジーの悲鳴を聞き付けたのか、俺らが配属された中隊と小隊の隊長を務める中尉と准尉が姿を現し、泥に埋もれるような格好でもって昏倒したゴンツに怪訝な眼を向けながら俺に尋ねた。

「中隊長殿、報告いたします! ゴンツルヌイ・ドミトニスク二等兵がインジット・サラルスキー一等兵を力尽くでもって強姦しようとしたため、急所への殴打によって無力化した次第であります!」

「何だと?」

 敬礼と共に発せられた俺の報告に、背後に複数の部下達を引き連れた中尉と准尉は揃って眉をひそめ、昏倒したままのゴンツとその傍らに立つインジーとを交互に睨め回す。

「いいか、グルカノフ兵長! 仮に貴様の報告が事実だとすれば、女性兵士に対する性的な暴力行為、しかも上官に対するそれとあっては軍法会議ものの不祥事だぞ!」

「しかしながら中尉殿、誠に遺憾ではありますが、紛れもない事実であります! ゴンツルヌイ・ドミトニスク二等兵は、インジット・サラルスキー一等兵を強姦しようと試みておりました!」

 俺が繰り返しそう言って報告すれば、中尉と准尉は忌々しそうにゴンツを睨み据え、その顔にまるで苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべざるを得ない。

「……成程、分かった、そう言う事ならば仕方が無い! 取り敢えず関係者の証言を整理するために、そこに転がっているドミトニスク二等兵とサラルスキー一等兵は、今すぐ後方の野戦テントまで出頭するように! 仮に自力で立ち上がれないのならば、強制的に出頭させる!」

 そう言った中尉と准尉はその場から退出し、代わって彼らの部下達が泡を噴いて昏倒したままのゴンツを立ち上がらせようと試みるものの、肥満体の彼の身体を持ち上げるのに難儀するばかりだ。

「まったく、面倒な事をしてくれたもんだ」

 俺もまたそう言って独り言ちながら、兵卒達の手によって強引に抱え上げられたゴンツを睨み据え、深い深い溜息を吐く。


   ●


 強姦未遂事件の翌日、俺は塹壕の後方に設けられた営倉を訪れた。勿論営倉とは言っても最前線のそれは至って簡便であり、単に猛獣を閉じ込めておくような鋼鉄製の檻が地面の上に据え置かれ、雨除けの防水布が天井を覆っているだけの取って付けたような施設である。

「よう、ゴンツ」

 満足に身動きも取れないような営倉内のベッドに寝転がり、防水布の天井を見上げながら不貞腐れているゴンツに、俺は語り掛けた。

「なんだ、アルルかよ」

「おいおい、上官に向かって「なんだ、アルルかよ」とは、随分な言いぐさじゃないか。少しは反省したかと思って訪ねて来てやったのに、その様子だと、未だ未だここから出してもらえそうにないな」

 俺がそう言ってたしなめても、ゴンツはベッドに寝転がったまま起き上がろうともせず、なんであれば舌打ち交じりにこちらを睨み据える。

「しかしお前も、よりにもよって同じ班内のインジーに手を出そうとするだなんて、馬鹿な事をしたもんだな。このまま軍法会議に掛けられれば、最悪の場合には長期の懲役刑もあり得るぞ? ん?」

「ふん、知った事かよ! 懲役刑の判決を下すんだったら下すで、早くこんな営倉から出してくれってんだ! ここじゃ殆ど雨曝あまざらしで、満足に寝る事も出来やしないんだからな!」

「そう言わずに、インジーとナサニコフ大隊長に誠心誠意謝罪すれば、軍法会議だけは勘弁してもらえるかもしれないぞ? これは同郷のよしみとして忠告するんだから、形だけでも謝っておけよ」

「だから、知った事かって言ってんだろ!」

 幾ら俺が忠告し、反省を促しても、ゴンツは頑なにそう言ってねるばかりで取り付く島も無い。

「だったらもう、俺から言うべき事は無いな。お前は軍法会議に掛けられて、故郷に錦を飾るどころか、刑期を終えた後に前科者として放免される事になるだろう。同じ軍人として同情するものの、それがお前の選んだ道なんだから仕方が無い」

 俺がそう言って踵を返し、その場を立ち去ろうとすると、そんな俺の背中に向けてゴンツは悪態を吐く。

「……いつもそうだ」

「ん? 何か言ったか?」

「アルル、お前はいつもそうだ! スラーラもインジーも親父の領主の地位も、お前はいつだって俺様の欲しいものを横から掠め取っておきながら、そうやって上から目線で説教ばかりしやがる! そんなお前の態度に、この俺様がどれだけ傷付いて来たか、分かってんのか! だから謝罪するのはお前の方なんだよ、このズルばっかりしやがる泥棒の息子め!」

 そう言って不貞腐れるゴンツの言葉に、俺は驚きを禁じ得ない。何故なら眼の前に居るこのゴンツルヌイ・ドミトニスクと言う名の男は、今から十年以上も昔のちんこの皮も剥けていない子供の頃から、その価値観や倫理観と言った人としての根源を為す部分がまるで成長していないのだ。

「なあ、ゴンツ……お前、それ、本気で言ってるのか?」

「あ? 本気に決まってんだろ! 俺がいつ冗談を言ったってんだ! もう十年以上もお前が俺を傷付け続けたんだから、平身低頭、頭を下げて謝るのが当然の礼儀ってもんだろが! 違うか? あ?」

 そう言ってこちらを挑発しながら、まるで狂犬病に罹患した野良犬の様に牙を剥いて吠え続けるゴンツ。そんな恥も外聞も無い彼の姿を前にした俺の理性のタガが、ゆっくりと、だが確実に外れ始める。不幸な人間を幸福な来世へと送り届けてあげるのが今生での俺の使命とは言え、この男もまた生まれ変わり、新たな人生に於いて罪を償いながら更生するべきなのかもしれない。そう思えば思うほど、俺の手は自然と腰のホルスターへと伸び始める。

「……ゴンツ……」

 頑丈な鋼鉄製の鉄格子の向こうでベッドに寝転がったままぐちぐちと愚痴を漏らし続ける、生かす価値も無いろくでなしの名を口にしながら、俺は堪え難き衝動に駆られるまま腰のホルスターからカシン拳銃を抜いた。だがしかし、そんな俺の一挙手一投足をつぶさに監視していた衛兵、つまり営倉の警備を任された二等兵が眉をひそめつつ問い掛ける。

「グルカノフ兵長殿、どうかされましたか?」

 怪訝そうな表情と口調でもって衛兵から問い掛けられた俺ははっと我に返り、ぶんぶんとかぶりを振って天使と悪魔の誘惑を脳裏から振り払うと、一度は抜いたカシン拳銃を腰のホルスターへと納め直した。今ここでゴンツを殺してしまうのは簡単だが、長い眼で見れば、それは決して得策ではない。

「ああ、いや、大丈夫だ。何でもないから気にするな、二等兵」

 彫金エングレーブによる装飾が施されたカシン拳銃をホルスターへと納め直した俺は気を取り直し、最後に「じゃあな、ゴンツ」とだけ言い残すと、くるりと踵を返して営倉を後にした。しとしととそぼ降る雨に打たれながら歩み去る俺の背後で、軍法会議を待つ身となったゴンツが、いつまでも絶える事無く愚痴を漏らし続けている。

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