第七幕


 第七幕



 ロンヌ帝国の北東部に位置するラハルアハル村の冬は永く厳しく容赦無く、しかしながらそれとは対照的に、夏は短く儚くも呆気無い。そして幼馴染の幼女であったスラーラを殺害してから都合十度の冬と九度の夏を経験した後に、かつてはちんこの皮も剥けていないような紅顔の美少年であったこの俺も、満十九歳のたくましい好青年へと成長を遂げていた。

「アルル! おい、アルル!」

 小高い丘の上に建つ一軒家、つまり自宅の庭でもって薪を割っていると誰かが俺の名を呼んだので、斧を持つ手を止めた俺は背後を振り返る。

「よう、ノッシュ!」

 背後を振り返ってみれば、俺と同じくたくましい好青年へと成長した従弟のノッシュが庭を囲む木戸の前に立っていたので、俺もまた彼の名を口にした。

「どうした? 俺に何か用か?」

 薪割りの手を止めた俺がそう言って、額や喉元を濡らす汗をタオルでもって拭いながら歩み寄れば、つい先週十九歳になったばかりの褐色の肌が眩しいノッシュは村の中心部の方角を指差す。

「今、暇か? ……ああ、勿論お前が薪割りに精を出してるって事は知っている。つまり、薪割りが終わった後は暇かって事だ」

「ああ、今日はもう、特に予定は無いが……それがどうした?」

「だったらこれから市場の方まで行って、どこかの店でもって一緒に一杯やらないか?」

 杯を傾けるようなジェスチャーを交えつつそう言ったノッシュは、どうやら俺を飲みに誘っているらしい。

「ああ、そいつはいいな。それじゃあ残りの薪をちゃっちゃと割っちまうから、お前は家の中で待っててくれよ」

「よっしゃ、待ってるから早くしろよ?」

 どうせなら薪割りを手伝ってくれればいいのにと思いながらも、そう言った俺は再び斧を手にし、ノッシュは俺の自宅の中へと姿を消した。そして駆け足でもって残りの薪を全て割り終え、冬季の貴重な燃料であるそれらを乾燥させるために納屋の一角に積み上げ終えると、俺もまた自宅へと取って返す。

「アルル、お疲れ様。もう薪は全部割り終わったの?」

 そう言って出迎えたミシュラは、相変わらず良妻賢母を地で行く優しい母親であり、十年経ってもあまり外見の変化は無い。

「おお、薪割りご苦労様。思っていたよりも早く終わったな」

 そしてこの世界に於ける俺の実の父親であると同時に、今も尚この村の領主を務めるイグは、この十年で随分と小皺と白髪が増えてしまった。

「早かったな、アルル。それじゃあさっそく出掛けるか!」

 すると革張りのソファに勝手知ったる第二の我が家とでも言いたげな不遜な態度でもって腰掛けながら、イグとミシュラの二人と共にテーブルを囲んで談笑していたノッシュが立ち上がり、俺に外出を促す。

「ちょっと待ってくれよ、ノッシュ。薪割りですっかり汗を掻いちまったから、別の服に着替えて来るからさ」

 そう言った俺は廊下を渡った先の階段を軽快な足取りでもって駆け上がり、建屋の最奥の自室へと帰還すると、汗で濡れたシャツから新しいそれへとさっさと着替えてしまった。

「お待たせ」

 やがてそう言った俺が再びリビングに姿を現すと、未だに腕白少年だった頃の面影を残すノッシュが「それじゃあさっさと出掛けようぜ!」と明朗快活な表情と口調でもって外出を促し、玄関の方角へと足を向ける。

「アルルもノッシュもあんまり飲み過ぎないで、出来るだけ早く帰って来るんですよ?」

「ミシュラ、そんなに心配せずとも二人とももう立派な大人なんだから、そのくらいの道理はわきまえているさ。アルルケネスもノッシュバルも、そうだろう?」

 何であれば心配そうに、そして少しばかり誇らしげにそう言ったイグとミシュラのグルカノフ夫妻に見送られながら、俺とノッシュの二人は俺の自宅を後にした。そして初秋の丘陵をそよ吹く心地良い風に頬を撫でられつつ、真っ赤な夕日に照らし出されたラハルアハル村の中心部、つまり広場を擁するロンヌ正統派教会の聖堂と市場の方角目指して村道を歩き続ける。

「ここでいいか?」

「ああ、ここにしよう」

 やがて市場とその周辺をぶらぶらとそぞろ歩いた末に、俺ら二人はそう言って、そこそこ賑わっている一軒の酒場へと足を踏み入れた。その酒場は温かい家庭料理と香り高いヒダ酒を提供する、かつての世界で言うところのレストランパブにも似た、ある種の居酒屋である。

「ヒダ酒一瓶と、ハババのスペアリブの炙り焼き。それにヒライの揚げ物と、サラツのサラダをください」

 賑わう店内で二人掛けのテーブル席に腰を下ろした俺とノッシュは注文を終えると、料理に先んじて提供されたヒダ酒を手に取り、互いに「乾杯!」と言い合いながらグラスに注がれたそれを一気に飲み干した。

「それでノッシュ、一体今日のこれは、何に対しての乾杯なんだ?」

「そんな事知るかよ。なんなら先週の俺の誕生日の続きだとでも思ってくれればいいさ」

 俺とノッシュがそう言いながら笑い合っていると、まず手始めにハババ豚のスペアリブの炙り焼きが供されたので、俺ら二人はさっそくそれに手を付ける。

「しかしアルル、早いもんだな」

「何が?」

「俺もお前も、もう十九歳になっちまったって話さ。十五歳の戴冠式を終えてからのこの四年間、俺達は一体、何をして来た? いつまでもこんな小さな村で、ぐずぐずとくすぶり続けていてもいいってのか?」

「なんだ、またその話か」

 俺はハババ豚のスペアリブ、つまり肋骨とその周囲に付着した肉の塊を前歯でもって齧り取りながら、溜息交じりにそう言った。四年前に学校を卒業するのとほぼ同時に戴冠式を終え、晴れて大人の仲間入りをしたにもかかわらず目立った業績を上げていない彼は、このラハルアハル村に留まっている事こそが自らの躍進を阻む足枷だと信じて止まない。

「だとしたら、どうする? 今の仕事を辞めて、ミルネラかスライツヴァの州都にでも上京するか? 昔と違って今なら蒸気バスに乗れば簡単にミルネラに行けるし、そこから蒸気機関車に乗れば、半日足らずでもって州都スライツヴァだ。上京しようと思えば、すぐにでもそれが出来る環境だろう?」

「それは……まあ……確かにそうなんだけど……」

 俺の真っ当な正論を前にして、ノッシュはもごもごと言い淀む。

「まあ、お前の気持ちも分からないでもないさ。最近はオーノスタ大公国との開戦も間近だって噂もあって政情不安が続いているし、せっかく就いた仕事をそうそう簡単には手放せないよな、うん」

「そうなんだよなあ……」

 ノッシュは言い淀みながら、胸の内に溜め込んだストレスを吐き出すような格好でもって、肉を削ぎ落とし終えたハババ豚のスペアリブの骨をがりがりと齧り続けた。ちなみにオーノスタ大公国と言うのはロンヌ帝国の西部に位置する新興国で、背後に控えた連合王国を政治及び軍事の後ろ盾としつつ、東方へ進出する機会をうかがっているともっぱらの噂である。

「お待たせしました、ヒライの揚げ物とサラツのサラダになります」

 もごもごとノッシュが言い淀んでいると、酒場のウェイトレスがそう言いながら、二つの大皿を俺と彼とが囲むテーブルの上に並べた。ヒライと言うのは鶏を小型にしたような家禽の一種で、味は濃厚で肉質は鳩に近く、サラツはキャベツによく似た葉物野菜の一種である。

「上京か……だったらさ、アルル。俺だけじゃなくて、お前も一緒に上京しないか?」

「は? 俺も一緒に?」

「ああ、そうだ、それがいい! 俺一人だと何かと不安だし、親父も心配するだろうけど、お前と一緒に二人揃って上京するなら何の心配も無いって訳さ! な? いいアイディアだろう?」

「お前と一緒に上京ねえ……」

 一転して、今度は俺が言い淀む番であった。確かに俺もまた、せっかく生まれ変わった二度目の人生なのだから、こんなド田舎の寒村ではなく華やかな都会に進出してみたいと言う思いが無くはない。特に生まれ変わる前の前世に於いて、世界有数の大都市である東京に住んでいた身としては、この世界の首都に対する想いはむしろ郷愁の念に近いものがある。

「まあちょっと、考えてみるかな」

 俺はそう言いながらヒライ鶏の揚げ物をむしゃむしゃと食み、ノッシュは茹でて柔らかくなったサラツ菜のサラダをもぐもぐと食み続けた。

「号外! 号外だよ!」

 すると不意に、村の新聞販売所で働く顔見知りの青年が店内に飛び込んで来るなりそう言って声を張り上げたので、多くの酔客でもって賑わっていた酒場に緊張が走る。

「遂に帝国議会が宣戦を布告し、オーノスタ大公国、そして連合王国との戦争が勃発したよ! 宣戦布告と同時に帝国軍はドードリエ河を越えて進軍! 大公国軍との緒戦は大勝利を飾った模様! さあ、今ならこの大ニュースの詳細が載った号外がたったの10ニースだ! 一人一部限り、早い者勝ちだから、皆さん10ニース硬貨を握って早くこっちに寄って来な!」

 声を張り上げる新聞販売所の青年の元に酔客達がわっと群がったので、御多分に漏れずこの俺もまた彼らに混じり、互いに奪い合うような格好でもって代金を支払いながら号外を受け取った。するとそこには確かに、ロンヌ帝国がオーノスタ大公国、それに連合王国に対して宣戦を布告したとの詳報が記載されている。

「おいノッシュ、聞いたか? 遂に戦争だってよ」

「ああ、そうだな! とうとう議会も重い腰を上げたんだ!」

 そう言うノッシュの声には活気が戻り、何故だかやけに興奮しているように見受けられた。

「戦争か……まあ、この村はオーノスタ大公国との国境線から離れているから戦場になる事は無いだろうけど……心配だな」

「ん? 一体何が心配なんだ、アルル? 戦争に勝てば景気も良くなるし、国土を拡大すれば、農産物の収穫量も増えるじゃないか。そうだろう?」

 鼻水垂らした腕白少年だった頃の面影を残すその顔に無邪気な笑みを張り付けながらそう言うノッシュは、とっくの昔にちん毛が生え揃った年齢だと言うのに、どうにも歳相応以上に純粋で純朴に過ぎる。

「確かに勝てば万々歳だろうけど、もし仮に負けたらどうするつもりだ? その時は景気は落ち込むし、国土を奪われかねないんだぞ?」

「まったく馬鹿だなあ、アルルは! 我らが無敵の帝国軍が負ける訳無いだろ? 陸でも海でも大勝利に決まってるさ!」

「……」

 血の繋がった従弟を前にしながらこう言っては何だが、馬鹿に馬鹿呼ばわりされるほどムカつく事は無い。だがしかし、ここで声高に負けた時の事を憂いてばかりでは敗北主義者のレッテルを張られかねないので、俺はぐっと堪えて喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

「しかし戦争が長引けば、俺らも徴兵される可能性が否定出来ないぞ? それでもいいのか?」

 本来言うべき言葉を飲み込みつつ、俺が努めて冷静にそう言えば、ノッシュの興奮は最高潮に達する。

「それだよアルル! 徴兵される前に、俺とお前で帝国軍に志願するんだ! そうすれば今すぐにでもこの村からおさらば出来るし、なんなら志願兵の方が、強制徴募されるよりも出世が早いって言うしな!」

 拳を振り上げながらそう言った彼の言葉に俺はぽかんと呆けるが、血気に逸るノッシュの勢いは止まらない。

「よし、そうと決まったらさっそく家に帰って、帝国軍に志願するって事を親父に伝えるぞ! アルルも伯父さんと伯母さんに、ちゃんと説明しておけよ? 仮に二人が志願に反対するようだったら、俺も一緒になって説得してやるからさ!」

 興奮冷めやらぬ様子のノッシュが腰を上げ、何であれば席を立って帰宅しようとしたので、俺はそんな彼に自制を促す。

「まあまあノッシュ、落ち着いて席に着けってば。どうせ今夜はもうこんな時間だし、村役場の兵務課だってとっくに閉まっているんだから、そんなに焦ったって仕方が無いだろう? だから今は一旦立ち止まって、本気で志願すべきかどうか、一晩ゆっくり熟考してみてもいいんじゃないのか?」

「まあ……確かに……」

 少しだけ冷静さを取り戻したノッシュが決して多いとは言えない脳味噌をフル回転させながらそう言って、二人掛けのテーブル席のスツールに腰掛け直した。そこで俺は、何かにつけて興奮しがちな彼をさっさと酔い潰してしまうべく、互いのグラスに新たなヒダ酒を注ぐ。

「いいからいいから、もっとがんがん飲めよノッシュ、今日はお前の一週間遅れの誕生日パーティーなんだろう?」

 そう言う俺に勧められるがままに、頼まれたら断れない性分であるノッシュはヒダ酒が注がれたグラスを次から次へと傾け続け、そのペースは完全に彼のキャパシティを超えてしまっていた。そして前世での時間単位にしておよそ二時間ばかりが経過した頃、結構な量のヒダ酒を飲み干してしまったノッシュはすっかり酔い潰れ、もはやへべれけと言ってもよいほどの醜態を晒す。

「おいノッシュ、会計は俺が済ませておいてやったから、そろそろ帰るぞ。どうだ、立てるか?」

 ほろ酔い加減の俺がそう言えば、酩酊状態のノッシュはどうにかこうにかスツールから腰を上げ、今尚戦争勃発の話題で持ちきりの酒場をふらふらと覚束無い足取りでもって後にした。

「どうする? このまま真っ直ぐ家に帰るか?」

 俺がそう言って尋ねれば、明らかに飲み過ぎたノッシュは今にも昏倒してしまいそうな酔っ払いぶりでありながらも、彼の自宅とは逆方向を指差す。

「なあ、アルル。家に帰る前に、ちょっとだけそこらを歩こうぜ? 夜風に当たりながら散歩をすれば酔い醒ましにもちょうどいいし、未だ未だ俺は、お前とは話し足りないからさ。な? いいだろ?」

「そうか、だったらお前に付き合うよ」

 そう言った俺とノッシュは肩を並べながら、十年経っても未だに反映しているとは言い難い、緑豊かな山間の小村であるラハルアハル村の真っ暗な夜道をそぞろ歩き始めた。短い夏が過ぎ去った直後の初秋の夜風は爽やかで、村道に舞い落ちた街路樹の木の葉を踏む際のかさかさと言う軽やかな音色も耳に心地良い。

「なあ、アルル」

 夜道をそぞろ歩き始めてから前世での時間単位にして数分後、不意にノッシュが口を開いた。

「さっきの一緒に帝国軍に志願しようって話は、おふざけ半分の冗談でもなければ、一時の与太話でもないからな?」

「何を言い出すかと思えば、またその話か。お前はどうして、そんなに志願兵にこだわるんだ?」

 俺がそう言って問い質せば、暫し逡巡してから、ノッシュはその胸に秘めたる思いを吐露し始める。

「俺はな、アルル。昔からずっと、それこそ物心ついたちっちゃな子供の頃から、お前の事が好きだったんだ。……ああ、勿論好きとは言っても、俺は同性愛者じゃないぜ? そう言う意味での好きって事じゃなく、一人の男として、従兄として、お前の事を心から尊敬してたんだ」

「……」

「なにせお前は子供の頃から学校始まって以来の神童と言われるほど頭が良くて、あのゴンツとその取り巻き連中を手玉に取るほど喧嘩も強くて、そのくせ決して弱い者苛めをしない正義感の塊みたいな男だったからな」

「ああ、確かに言われてみれば、俺にもそんな時期があったな」

 俺はそう言って、夜道をそぞろ歩きながら相槌を打った。するとノッシュは一旦言葉を切り、溜息交じりにかぶりを振る。

「それが一体どうしたって言うんだ、今のお前のざまは? 学校を卒業するまでは確かに神童だったが、その後はこんな小さな村の役場の職員の座に納まって、毎日毎日田舎者の村民の世話を焼くばかりの毎日じゃないか。俺は正直言って、そんなお前の姿を見たくはなかったよ」

「ノッシュ……」

「だから俺は、この村から旅立ったお前の活躍が見たいんだよ! そのためなら帝国軍だろうと何だろうと、骨の髄まで利用させてもらう! きっとお前なら、戦場で武勲を立てて、英雄として凱旋してくれるに決まってるからな! そして俺もまた志願して、そんなお前の活躍を間近で見届けようって言う魂胆さ! どうだ? 素晴らしいアイディアだろう? ん?」

 そう言ったノッシュの言葉に、いずれ都会に進出してみたいと目論んでいた俺は、背中を押される思いであった。

「……」

 そして暫し二人で夜道をそぞろ歩き、ふらふらと覚束無い足取りのノッシュに先導されるような格好でもって村の敷地内を散策していると、やがて周囲の雰囲気が様変わりしている事に気付く。

「おいノッシュ、確かここは……」

 そこは十年前から何一つ変わらない、決して繫栄しているとは言えないラハルアハル村の中でも特にうらぶれた地区の一角に建つ、一軒の木造家屋の前であった。いや、それは木造家屋と言うより、むしろ『かつて木造家屋であった筈の焼け跡』と表現した方が適切であろう。と言うのも、そこには真っ黒に焼け焦げた木造家屋の骨組みの一部だけが無残な姿を晒しながら放置され、壁や屋根や屋内の調度品などは完全に焼失してしまっていたからだ。

「ああ、そうだ。ここはかつて、俺ら二人の幼馴染のスラーラの家だった場所だ。……アルル、お前はスラーラの事、覚えているか?」

「勿論だ。忘れる訳が無い」

 そう言った後の語尾に、思わず「俺がこの手で殺してあげたんだから、覚えているに決まっている」と付け足しそうになったが、そこはぐっと堪えて喉元まで出掛けた言葉を飲み込む。いくら酒に酔っているからと言っても、こんな想定外の局面でもって迂闊に口が軽くなってしまっては元も子もない。

「俺も彼女の事は、今も尚、はっきりと覚えているよ。調子に乗った俺がおどけてみせると天使の様な笑顔をこちらに向ける、本当に優しくて健気で、俺らの幼馴染に留めておくには勿体無いくらいのこの上無く可愛らしい女の子だったもんな。それがまさか、十歳にもならない内に川で溺れ死んでしまった上に、その遺体が家ごと全焼してしまうだなんて思いもよらなかったよ。本当に神様って奴は、自分が気に入った善良な人間から順に、天国に連れて行っちまう」

 焼け跡に転がる黒焦げの木材を靴の爪先でもって小突きながらそう言ったノッシュの言葉に、スラーラを殺害したのもその遺体を焼いたのもこの俺なのだと言う事実が再び喉元まで出掛かったが、俺はそれをもまたぐっと飲み込んだ。そして今頃、彼女は神様の手によって天国に連れて行かれた訳ではなく、生まれ変わって新たな人生を歩んでいるのだと思うと感慨深い。

「それにしても、あれからもう十年が経とうとしているって言うのに、この辺りのうらぶれた雰囲気はまるで変わらないな。いやむしろ、俺らが子供だったあの頃以上にうらぶれちまっているんじゃないのか?」

 俺が溜息交じりに周囲を見渡しながらそう言えば、ノッシュもまたかぶりを振りつつ溜息を漏らす。

「それもこれも、全てはあの夜の火事が原因さ。……アルルは確か、火事を直接目撃してはいないんだったよな?」

「ああ、その通りだ。俺の家は村の中心部からは遠く離れた丘の上の一軒家だから、村のこっち側の火事には気付かずに、朝まで寝ていた筈だ」

 火事に気付かなかったと言うのは真っ赤な嘘だが、朝まで寝ていたのは紛れもない事実だ。

「俺はあの日、スラーラが突然亡くなったと言う事実が悲しくて、認められなくて、夜になっても寝る事が出来ずにずっとずっとベッドの上で泣き続けていたんだ。あまりに泣き続けるもんだから、心配した親父が何度も何度も繰り返し、俺の様子を見に部屋までやって来たもんさ」

 そう言ったノッシュは、再び深い溜息を漏らす。

「それが深夜の十二時過ぎに、急に村の火の見櫓の半鐘がじゃんじゃんと打ち鳴らされたんで窓の外に眼を向けると、スラーラの家の方角から火の手が上がってるじゃないか。それで慌てて親父と一緒に火事の現場へと駆け付けてみれば、まさにそのスラーラの家が火元だって言うんだから驚きだよ」

「確かに、その現場に俺も寝ないで駆け付けていれば、きっと驚いたに違いない」

 俺はそう言って白を切り、やはり真っ赤な嘘を吐いた。

「そして火の勢いは衰える事無く一晩中燃え続け、スラーラの家だけでなくその周囲一帯の家々にまで延焼し、最終的には十棟近くの民家が全焼して十三人が焼死した。これが噂に名高い『イルミネンコ家の大火』であり、このラハルアハル村始まって以来の大惨事であると同時に、あれから十年経っても多くの死者を出したので縁起が悪いだとかなんだとか言われて、この焼け跡は放置されたままって訳さ」

 およそ十棟の民家が全焼し、既に死んでいたスラーラを除いたとしても都合十三人が焼死するとは、放火の張本人である我が事ながら見事な成果と言う他無い。

「結局この火事でもってスラーラの親父もお袋も死んじまったし、スラーラの遺体も焼けちまったんで、彼女の死因が本当に溺死だったのかどうかも分からずじまいさ。まあ火事の原因自体は、あのおっかなかったスラーラの親父が酔っ払ってランプを落っことしたせいだって事で決着したけど、真相は少し違うんじゃないかな」

「と、言うと?」

 すこしだけぎくりとしながら俺が尋ねれば、ノッシュが自信ありげに答える。

「俺はな、アルル。スラーラを殺した張本人は、彼女の親父だったんじゃないかと踏んでいるね」

 そう言ったノッシュの言葉に、俺は彼に気取られぬよう細心の注意を払いながら、ホッと胸を撫で下ろした。しかしながらそんな俺の仕草に気付く事無く、ノッシュは自論を展開する。

「あのろくでなしだった親父が度々スラーラを虐待していたのは、お前もよく知ってるだろ? 特にほら、あの冬の猟の帰りに全裸にされた彼女が雪深い広場に放置されていた件なんて、今思い出しても我が子に対する仕打ちとは思えないほどの酷い虐待ぶりだ。だからきっと、あの親父がスラーラを虐待している最中にうっかり彼女を殺しちまって、その遺体を証拠隠滅のために川に流したに違いない。それで川に流した筈の遺体が予想以上に早く発見された事に慌てふためき、更なる証拠隠滅のために家に火を放って全てを焼き尽くそうとしたが、うっかり自分も焼死しちまったって寸法だ。どうだい? 結構説得力がある仮説だと思わないか?」

「成程。その可能性も、無きにしも非ずだな」

 俺はそう言って顎を上下させながら頷くが、内心ではノッシュの愚かさにほくそ笑んでいた。

「まあ何にせよ、真相がどうであれ、スラーラが死んじまったって事実は変わらない。そしてアルル、俺はこう思うんだ。きっと天国のスラーラも、お前が戦地に赴いて武勲を立てる事を、心から願っているとね!」

 一体何の権利があってか、酔っているのも相まって、興奮気味にそう言って死者の言葉を代弁したノッシュ。彼の純粋さと純朴さを、事の真相を知り得る唯一の存在であるこの俺は、こっそり胸の内でもって嘲笑せざるを得ない。

「だから、俺とお前と二人揃って、明日にでも役場の兵務課に赴き、一緒に帝国軍に志願するんだ! な? いいだろ、アルル?」

 結局のところ、なんだかんだ言ってもその話に帰結するのかと少しばかり呆れ果てながら、俺は気の無い返事でもって応える。

「ああ、そうだな。今夜一晩ゆっくり考えて、明日また会って返事をするよ」

 そう言った俺の返答を肯定的な意味でもって解釈したノッシュは、腕白少年だった頃の面影を残すその顔に、朗らかな笑みを浮かべた。

「そうだなアルル、そうしてくれ! そして明日の昼休みにでも俺の方から役場を訪れるから、その時一緒に志願しよう!」

「分かった、そのつもりでいるよ」

 俺がそう言えば、ノッシュはくるりと踵を返す。

「それじゃあいい加減酔いも醒めて来た事だし、俺はそろそろ帰って寝る事にするよ。また明日、役場で会おう! じゃあな!」

「ああ、また明日」

 手を振りながらそう言った俺は、かつてスラーラの自宅であった焼け跡の前でノッシュと離別し、村外れの丘陵の方角へと足を向けた。今夜は戦争が勃発しただの帝国軍に志願するだのと言った、熟考すべき懸案事項が山積している。そして街灯も無い真っ暗な村道を月明かりだけを頼りにとぼとぼと歩き続ければ、やがて小高い丘の上に建つ俺の自宅へと辿り着いた。

「ただいま」

 そう言って帰宅した俺を、この世界に於ける俺の実の両親、つまりイグとミシュラのグルカノフ夫妻が温かく出迎える。

「あら、お帰りなさい。思ってたよりも早かったのねえ」

「お帰り、アルルケネス。ノッシュバルはもう帰ったのかい?」

 リビングの中央に設置された薪ストーブを囲む革張りソファに腰掛けながらそう言った両親に、俺はこれまで自分を育ててくれた事に対する感謝と親愛の念に満ち満ちた眼差しを向けた。そして彼ら二人に見守られながら、俺もまた革張りソファに腰掛けると、かつて無いほどの真剣な面持ちでもって口を開く。

「父さん、母さん、実は折り入って相談があるんだ」

 俺は開口一番そう言って、戦争の勃発及び帝国軍への志願に関する話を切り出した。しかしながら彼らが何と言おうとも、俺が導き出すべき結論は揺るがない。

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