第2話




 全ては、十六年前に受け取った遺産から始まった。


 フィンは『旧人類史学会』での活動に心血を注いでいた。異端の学問であったが故に、自分こそが本当の歴史を解き明かすのだという使命と希望に燃えて、世界各地の発掘現場に赴いては、無償で調査を手伝い、その調査旅行の為に講師をし、その給金を食費と犬ゾリ代に変えて旅を続けていた。

 老体で発掘が出来なくなった学者のバギーを譲り受けてからは、そのバギーに給金のほとんどを費やすようになった。

 バギーは主に現人類と同じ仕組みで動いていたから、むしろ赤土と水の大部分は食事よりもバギーに費やしたようなものだ。

 そのバギーを譲ってくれた老学者は、フィンを学者として育ててくれた恩師でもあった。彼は自分の研究を、最後の弟子だったフィンに託して死んだのだ。

 旧人類の研究をしていた変わり者の常として、恩師には身寄りがなかった。仕方なく彼の葬式はフィンが出した。

 古くからのしきたり通り、地熱発電所の奥に設けられた納棺室に学者の棺を納め、溶岩の熱で彼の体と魂が文字通り大地と一体化することが滞りなく行われるように、たった一人で祈った。

 そして、フィンは学者の残した研究を再確認したのだ。

 それは非常に数少ない古代文字の研究だった。しかし恩師は、これが変則的な文法の文章であると認識するに十分な資料を、次世代の為に残していたのだ。

 フィンはすぐにパトロンを捜した。

 今回の発掘は一筋縄ではいかないと予感したし、老学者が残した重要発掘地点は、けわしい山岳地帯の奥でもあった。聞けば今まで何人もの冒険者がその山岳地帯に踏み込んでは行方不明になっており、いつもどおり、赤土と水だけの貧乏旅行では生きて帰ってくることもかなわないと思われたのだ。

 パトロン探しに躍起になっている間に、気がつけば、親兄弟、結婚を約束していた女性すら、呆れて姿を消していた。

 彼女達は、自分よりも生きて帰れぬかもしれないような場所に踏み込むことを優先するフィンに、愛想をつかしたのだ。

 パトロンが見つからぬまま、フィンは居てもたってもいられず、現地の山岳地帯へ赴いた。現地の人々と交流し、雑用で費用を得、食事もやっとの生活を続けた。数年をかけて体を慣らし、下見を重ねた。

 山岳地帯の谷の奥に備えられたそこは、いくつもの遺跡を見てきたフィンにとっても、初めて見るような遺跡だった。

 何度も足を運び必要な品を探して遺跡の周辺にある小さな遺跡を巡り、幾度となくさまよった。

 一枚の小さな板が、食料ではなく鍵であったと気づいて驚いたり、触れば砕けそうな白土パイじみたものが仕様書だったり、フィンは何度も挫折しそうになったものだ。

 そんな努力の末、ついに扉が開いた時――フィンは万感の想いで言葉を失った。

 銀色に直立する壁、自動的に開く扉、踏み込むと眩しいほどの照明と天井、どこまでも透き通る氷のような壁と、それが連なる廊下……。

 どこまでもが真っ白で真っ暗な地上の光景に似ていながら、どこまでもが不自然であることがわかる遺跡。

 壁に描かれた文と手製の辞書を照らし合わせ、最奥を目指しながら、フィンは『旧人類史学会』どころか、全ての歴史を書き換える日が来ると胸を震わせ続けた。

 旧人類の、この高度な文化。

 各地に残り、そして使われなくなった様々な言語。

 それにも関わらず、どうしても説明できない、地上共通の一言語が、独自の進化もせずに使われ続けている理由。

 〈ローズ〉のない文化。月のある文化。

 なぜ、旧人類と現人類の間に、これほどまでの隔たりができてしまったのか……。



 最奥にたどり着いたフィンは、息をのんだ。



 そこには、壁一面、床一面に、人体があった。

 全てが死体に見えた。全てが透明な筒に納められ、地熱で大地に還ることすら出来ないでさまよう亡霊のようでもあった。

 床の人々は、明らかに現人類だった。壁一面に並べられた青白い人体が、死人のように白く薄い肌着姿であるというのに、見慣れた防寒具を身につけていたからだ。

 フィンが我に返ったのは、その防寒具を身につけている人々が、同じように透明な筒に納められていたからだ。

 何年前かもわからぬ古代遺跡に、現代人が納められているという不自然。

 フィンはおそるおそる、部屋の中を進んでいった。

 生き物の気配がまるでしない大きな広間の中心へ、周囲を見回しながら進む。

 正面を向いた時、フィンは気づいた。

 直立した透明な筒。

 栗色の髪の少女が目を閉じて立っていた。


 旧人類の遺跡には、人体を模した品物も多い――そういった装飾品であるならば、これはまた、旧人類の趣向について考察する材料であるとも受け取れる。

 現人類にとって悪趣味この上なくとも、彼らには違った意味を持つ物は多かった。

 植物を愛でることもそう、植物を食べることもそう、獣を狩り、その肉を喰らい、その乳を飲み、加工し、食材にすることもそう。

 死体を並べておくのも理由があるのかもしれない。


 そう思い直し、少女の顔をよく見ようと、彼女の前に立った時だ。

 突然、頭の中で轟音が鳴り響いた。



 それは洪水であり、暴力でもあった。

 頭の中で、次々と扉が開くのがわかった。

 制御されていた思考、制御されていた発見、人類――旧人類が解放することを良しとしなかった知識が、一斉にフィンの中で解除されていった。

 電気を起こす方法はわかっても、電気分解という方法はあみ出せない。

 原油を発掘できたとしても、それを精製し、燃料にすることはおろか、化合物にする発想も、工業製品をつくりだすこともできない。

 火薬を発見しても、スパイスに少量を用いるだけで、爆発が何を意味するのか考える力がない。

 旧人類の遺跡に残りながら、現人類が作り得ない数々の遺物の謎。

 その不自然な歴史の謎が解けた。

 発想の制御が行われていたのだ。

 リンゴが落下することはわかっても、それが万有引力であると発見することができない――それは旧人類によって施されていた、理解力への制限があったからだと理解した。

 フィンは涙した。

 人類。

 今の今まで人類だと思っていた自分たちが、『旧人類と呼んでいた獣』の姿を模して造られた機械だったのだと気づいて。

 自分たちが蔑んでいた獣の一種こそが、かつてはこの地上を闊歩し、自分たち以上に文明を発達させてきたのだと悟ったが故に。

 フィンは脳裏に押し寄せる情報の波におぼれながら、その場に膝をついた。



 旧人類=人間は、現人類=〈ドゥ〉の文化レベルを確認するべく、各地に遺跡という形で文化を残してきた。

 これらの遺跡に残された文化や文字を解読し、さらにはこの遺跡に進入できるだけの知能と体力を有する〈ドゥ〉を選別し、人間の〈案内人〉として使役する為だ。

 〈案内人〉となった〈ドゥ〉には、全ての思考制限が解除され、人間側の文化と歴史に関する情報が与えられる。

 それらの知識をもって、様変わりした地上で人間が暮らしていく為の術を伝授するのだ。

 〈案内人〉である〈ドゥ〉一人に対し、〈審判者〉と呼ばれる人間が一人、選ばれる。

 〈審判者〉は、地上に残された旧人類だった。


 かつて地上は人間によって荒らされ、熱せられ、その生体バランスを崩して人が住むには過酷すぎる環境になった。そこで我に返った人間は、次なる場所として宇宙を目指した。

 だが、ごく一部の人々は、地球を冷やそうと考えた。

 地上の熱の大部分は、太陽光によって暖められた熱が外部に放出されなかったが為に起こっている。

 つまり、太陽光がなければ、外的に暖められることもなくなり、地上からゆっくりと冷やすよりもずっと早く、冷却と自然の回復を促すことができると考えた。

 いわば地上から太陽を奪い、夜で覆い、全てを眠らせようとする人々だ。


 元より、地上は見捨てられていた。

 地上を元に戻そうと言い張った人々よりも、宇宙に旅立とうという人々の数の方が圧倒的に多かった。その人々にとって捨てた地上など――凍らせようが暖めようが、拾ったものが好きにすれば良いだけの事だった。




 当時はまだ総合宇宙ステーションでしかなかった〈ローズ〉は、熱くなりすぎた地上を冷やす為に、日光を受け止める巨大な傘へと変貌させられた。

 その作業は急ピッチで進んでいたものの、まだ完成にはほど遠く、地上は赤い大地と光と熱に満ちていた。

 〈ローズ〉には以前より、自身のエネルギーを補充する外部装置として、そして〈ローズ〉との衝突が予測される物体を迎撃する外部兵器として、回転しながら周回するディスク型太陽光パネル〈ドロップ〉を七つ搭載しており、その〈ドロップ〉と自身とで、地上へと降り注ぐ太陽光を調整することになっていた。

 そして、〈ローズ〉内部の居住空間は、受け止めた太陽光エネルギーを利用して全ての発電と運動制御を行い、地上への光を遮り続け、地上と変わらぬ――いや、地上以上の楽園となるはずだった。



 その〈ローズ〉へ向かう最後の船の人々が、〈審判者〉を、各地で長い眠りに落とした。

 〈審判者〉は、〈ローズ〉に向かう人々が地上に戻るべき時かを判断するため無作為に選ばれた少数の人類だったのだ。

 〈ローズ〉の冷やした地上が、人間の住める環境に戻っていた時――〈ローズ〉は太陽を遮ることをやめる。

 それまで、地上には人類の文化を曲がりなりにも残すべく、〈ドゥ〉を残しておく。

 〈ドゥ〉に設けられた思考制限上、この場所――〈ローズ〉との伝達が可能な数カ所の施設=通称〈ブランチ〉にたどり着ける確率は非常に低い。

 それでもたどり着く〈ドゥ〉が1000人を越えれば、それは一つの文化が成熟した証拠として、相当の時間が経過しているに違いない。

 『1000人目』は、人間が帰還する為の、一つの目安として設定されていた。


 〈ローズ〉の人々が立ち去り、〈審判者〉たちが永遠にも等しい眠りを続けている間、遺跡は訪れる希有な存在をカウントし続けてきた。

 〈案内人〉となった〈ドゥ〉は、思考制限を解除された時に追加された制御によって、自分のナンバーと対になる〈審判者〉と共に強制的に眠らされ続けた。


 それが、フィンの目の前に広がる全ての正体だった。


 フィンは言いしれない恐怖に襲われていた。

 思考制限がほどかれ、自分が〈案内人〉となったことを理解した時、同時に脳裏に滑り込んだ、恐ろしい現実に打ちのめされていたのだ。

 フィンは『1000人目の〈案内人〉』だった。

 人間が目安としていた、1000人目。

 フィンの出現によって、遺跡は息を吹き返した。

 全ての機能に灯がともり、広間にぎっしりと並んでいた全ての人々を目覚めさせようと全力で動き出していた。

 フィンは涙を拭うことも忘れて、自分の対となる〈審判者〉を見つめた。

 栗色の髪をした少女の瞼が、ゆっくりゆっくり持ち上がり、その青い瞳がフィンを捕らえた。

 人間たち=〈審判者〉たちの再会の声が広間一杯に広がり、呆然とする〈ドゥ〉=〈案内人〉たちが立ち尽くし。

 少女とフィンは対面した。

 一方は、近いうちに〈ローズ〉が消え失せてしまうかもしれないという予感と、その新たな時代の扉を開いたのが自分自身であるという現実に押しつぶされて。

 そしてもう一方は、まず間違いなく肉親たちが存在していないだろう事実を認識しているが故に。

 大きな傷を抱えた二人は、ただ黙って、互いの涙を眺めていたのだ。




 各地の遺跡で同じように眠り、そして目覚めた人々と連絡を取り合った〈審判者〉たちは、割り当てられていたナンバーと同じ番号の〈案内人〉と対になり、各地へ散らばった。

 四年おきに集まり、各地の報告を行い、再び散る事を約束して。

 フィンと対になったのは、最年少のアグリだった。

 考古学者でもなくなったフィンは、当時十二歳の彼女を連れて旅を続けた。〈案内人〉として、そして親代わりとして、様々な事を教えた。

 寒さの中で気をつけねばならないこと、水の大切さ、大型化した獣の恐ろしさ、〈ドゥ〉の生活様式、火薬の代わりに生体電流を使う〈ドゥ〉ならではの暴力、武器、車両に対する考え方、獣と植物に関する〈ドゥ〉の嫌悪、増えるために卵を産むこと、人生に使用する熱量の八割を卵の状態でため込むこと、地熱による孵化、溶岩に対する信仰、遺跡に対する考え、青ざめた大地に対する安堵……数え切れないことを、旅の生活の中ではイヤでも教えざるを得なかった。

 フィンもアグリに教えられた。

 人間がどれだけ温もりを必要とするのか、食事、火薬ではないスパイス、植物と肉、その食生活の歴史、酸素の発生、現世界の酸素の八割が改良された苔による発生であること、その酸素が世界に余るほど満ちるまで壮絶な時間の経過が必要だったこと、日光の大切さ、月夜の神秘、緑の草原、ざわめく木の葉、白くない風と波頭、卵を必要としない動物としての活動、女であること、体調の変化がすぐに体に現れること、傷は病院にいかずとも自然に治るものであること、熱が出るのは体調が悪いこと、風邪は万病の元であること……大きな事から小さな事まで、太陽が降り注ぐ時代を十二歳まで経験した彼女の言葉は、驚く事で溢れていた。

 少なくとも、フィンとアグリは持ちつ持たれつの良い関係を築きながら、旅を続けてきたのだ。

 世界中の〈審判者〉と〈案内人〉の元を訪れ、四年に一回、遺跡で行われる集会に二度も出席し、比較的穏やかに過ごしてきた。


 フィンと別れた時、彼女は二十歳になっていた。



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