第3話




 寝室に朝が差し込む頃。

 いつもどおり目を覚ましたフィンは、隣りにいるはずのアグリを探しながら身を起こした。

 湯を入れた筒は毛布の下に転がり、彼女が来訪していた事が夢ではなかったと教えてくれる。

 フィンは着替えながら、彼女の行動を考える。

 自分とは違う行動様式をもつ旧人類だが、向かうところの見当はつく。

 外に出ると、倉庫の隣に見慣れたバギーがあった。恩師から譲り受け、アグリを乗せて旅をし、今はアグリのものである年代物のバギーだ。

 いつも通り、温室の屋根を開け、植物にとっては貴重な太陽の光を少しでも多く届ける。

 暖房の調子と――施錠したはずの扉の鍵がはずされている事を確認。

 アグリは低い灌木の並んだ温室で、カウベリーを摘んでいた。

 昨夜の防寒具をしっかり着込んで、収穫用の一番小さな駕籠を抱えている。カウベリーは半分まで摘まれていた。

 フィンに気づいても驚かない。ほんの少しでしかない太陽の光だが、植物と一緒に堪能しているようでもあった。

「全部食べてもいいよ。君の分だ」

 アグリとの旅で一番苦労したのは、彼女の食料を手に入れる事だった。

 遺跡に保存されていた携帯食料はすぐに尽きてしまい、各種穀物の種を育てはじめた〈審判者〉たちの元を訪ね歩き、各地の情報を提供する代わりに食料を分けてもらうのが常だった。

 だからこの地で一人暮らしを始めた時、まずフィンの脳裏に浮かんだのは、彼女の食べ物を確保することだった。今までのように新聞屋や郵便屋のような事をせずとも、食事ができる環境を整えること。

 ほんのわずかしか収穫できない小さな温室だったが、アグリ一人が食べていける程度の規模にするのが夢だった。今の収穫量では半年も持てば良い方だろう。

 植物を育てている〈案内人〉はいつのまにか噂になり、時に各地の〈審判者〉や〈案内人〉からの問い合わせがくる事もあった。種や苗を分けてほしいと連絡がくることもある。そんな時は心よく配分していた。それが、自分たちが過去にしてもらった施しへの恩返しだと思ったからだ。

 評判はそれなりに良かったが、外は植物が忌み嫌われている世界だ。あくまで細々とした評判でしかない。

 それに、どれだけ問い合わせがあろうとも、フィンは自分がこの小さな温室を作った理由を忘れることは無かった。

「僕のベリーは甘いよ。食べてごらん」

 アグリは、大きなため息。

 旧人類が外部で大きな呼吸をすれば、凍気で内蔵を損傷してしまう為、そんな風に息をすることはできない。今いる場所が温室だからできるのだ。

 おそらくだが、久しぶりについたため息だろう。

「食べたよ」

 酷く嫌そうに眉をひそめた。少女の頃と変わらぬ感情表現。

「すっぱいったらありゃしない」

「そうか……これと一緒に食べれば甘いかもしれない」

 倉庫の奥から、ライ麦パンの缶を取り出す。パン焼き名人だという〈審判者〉のセシルからレシピを送ってもらって、ライ麦粉を作ることから奮闘したものだ。

 アグリが素直にパンを受け取り、駕籠のベリーと一緒にかじる姿を見て、思わず微笑むフィン。

 堅くて噛みきれないらしく、しばらくモゴモゴと口を動かしていたが、再び眉をひそめる。

「うそつき」

 そう言いつつ、次の一欠片とベリーを手にする。フィンの知る限り、新鮮なベリーを口にすることなど無いに等しい。言葉にするほど嫌な酸味でもないのかもしれない。

「君は本当に、文献でみた過去の野生児のようだ」

「あんたは相変わらず、未来のポンコツロボット。〈審判者〉に嘘をつく〈案内人〉なんて、どこにもいないよ」

「私がつく嘘は、いつだって君の為だよ」

「今の嘘の、どこが私の為?」

「苦労しないで手に入れた食べ物は甘いわけがないっていう教訓」

 腑に落ちなかったのか、アグリはフィンを探るような目で眺めながら簡素な食事を続ける。

 その間に、フィンは倉庫の奥にあるベリージュースを、いつもなら湯を沸かす為に使っているポットに移して温めた。

 昨夜用意したミルクは、フィンには生産できないだけに貴重な食材なのだ。簡単には出せない。

 送られてくる設計図が終盤にさしかかった事に気づいて以来、近いうちにやってくるだろうと用意するようになっただけである。

 代わりに今一番倉庫に溢れているのは、収穫時期にあるベリーだ。ベリーとベリージュースの組み合わせは味気ないだろうしバランスも悪いだろうが、我慢してもらうことにする。

 アグリも黙って受け取った。

「ここに来た理由、わかる?」

「わかると思う」

 あの設計図の機械について、だ。

「僕はあれが〈ブランチ〉に良く似てると思った。大きさは比べものにならないけど」

 〈ブランチ〉は地上に残された〈ローズ〉との連絡端末だ。

 主に険しい山中など、通常の〈ドゥ〉では立ち入ることのない場所に設置されているのが常である。

 本来、複数国家の共同事業でもあった宇宙居住区〈ローズ〉の開発は、その悪用を防ぐ為もあり、連絡端末を軍事基地にのみ備えてあった。〈ローズ〉を傘にする計画ができた頃には、軍用基地ぐらいしか稼働していなかった事情もある。

 アグリは静かに口を開いた。

「シグのところにいったら、もう設計図ができあがってた。銀盤の方はキャロルが作ってた」

 シグもキャロルも、〈審判者〉の一人だ。

 共に〈ローズ〉本体の設計や、〈審判者〉と〈案内人〉のシステム構築にも携わった人物である。システムに通じている事もあって信頼も厚く、地上に散らばった〈審判者〉たちの相談役でもあった。

 アグリもフィンも、二人旅の最中には食料の事情もあって、彼らの元を度々訪れては滞在させてもらったものだ。

「どうしてあんなものが必要なんだ?」

 アグリは少し驚いたようだった。

「アレがなんだか、わかったの?」

「入力されたデータを確認していたから。特に最後の銀盤は気をつけて読んだ。出力速度を変えてから、半日かけて何度も読み返した」

 アグリはマジマジとフィンを眺めた。

「誰かさんは優秀な〈案内人〉なんだよって、いろんなところで聞いたけど……」

「人の噂はあてにならないし、この件には関係ない。そもそも、〈案内人〉は遺跡の文字が解読できなきゃ〈ブランチ〉までたどり着けない。つまり、多少なりとも言語に興味があるだけさ。思考が解除されて旧人類の知識を強制入力された時に、各種のプログラム言語も入れられた。だからプログラムの知識はあったし……一度も使った事のない言語を読んでみたくなるのは、旧人類でも現人類でも変わらないさ」

「だからって読む? あれを?」

「植物は言葉を使わないし、文字に飢えていたのかもしれないね」

 アグリは首をひねりながら、食事の手を止めた。

「あれを……シグは〈偽枝〉って呼んでた。〈ブランチ〉の拡張機械」

「だけどそれだけじゃない」

「まあね」

 アグリは防寒具ごしに頭をかきながら、もう一度、ため息をついた。

「ああ、やっぱり決心がつかない……少し時間をくれないかな。私、まだどう話そうか、迷ってるんだ」

「構わないよ。時間はたっぷりある」

「無いから困ってる」

「どうして?」

「……知らない方が良いこともある。それを一番知ってるのは、『1000人目』自身でしょ?」

「そりゃそうかもしれないけど」

「なら、わかってよ。巻き込みたくないの」

 アグリは肩をすくめ、唇を歪めるように閉じきる。

 こうなったらテコでも動かないのは経験済みだ。

「〈偽枝〉はどこ?」

「ここの奥の倉庫。内扉の鍵はついていない。起動の最終チェックはマニュアル通りしてある。いつでも使えるはずだ」

 フィンは念の為にと続ける。

「もちろん……一度も使った事が無い以上、実戦でどうなるかは分からないけどね」

「わかった。後で見せてもらうから」

 フィンは彼女を温室において、いつもの日課を――家の周辺に異常がないかを確認する事にした。




 アグリは、〈偽枝〉の目的を知っている。

 シグとキャロルが作ったというのならば、ただの酔狂ではない。間違いなく、〈審判者〉と〈案内人〉の一部に、なんらかの問題が起こったのだ。

 所詮、〈審判者〉と〈案内人〉は偶然に組み合わされた二者でしかない。

 アグリとフィンはまだ仲良くやってきた部類だ。少なくとも、フィンがこの家に腰を落ち着けるまではうまくやれてきたのだ。

 しかし皆が皆、全てうまく行ったわけではない。

 現にシグの〈案内人〉だったニールは、現人類としての生活と〈案内人〉の知識を隠し続けるという二重生活に耐えられず、自ら命を絶ってしまった。

 キャロルの〈案内人〉のアリスは、逆に〈審判者〉と同じようにプログラミングを学び、植物を口にし、それ故に周辺住民から奇異の目で見られるようになってしまった。

 彼らばかりがおかしなわけではない。

 現実と自分の知識とのギャップに苦しみ、別の解決策を模索する者たちの姿も多数、確認されている。

 有名なのが、〈奪還派〉と名乗る一部の〈案内人〉たちだ。

 彼らは〈審判者〉の手から地上を守ろうという過激派に転じた、旧人類を受け入れられない人々だ。

 〈審判者〉が〈ローズ〉の人間を地上に戻せば、現人類は皆、強制的に旧人類の手下にさせられ、世界は太陽に熱せられた灼熱地獄と化す――少なくとも、この白い大地に適応するよう作られた現人類は熱に耐えられないに違いないと、〈奪還派〉たちは考えたのだ。

 その〈奪還派〉が己の対となる〈審判者〉を殺害して逃亡する事件は、少なからず発生している。

 昨日の朝、メイ夫人の言っていた『人の姿をしていた獣の死体』とは、おそらく、〈奪還派〉に殺された〈審判者〉=旧人類であろう。

 現人類にとって、〈審判者〉のような生体機能を持つ生き物は、野の獣に等しい。一般人は『人間と同じ姿をした奇妙な生き物の死骸』とやらが、よもや自分たちの祖先を造った生き物だとは思わない。自分たちの方が、その獣の姿形を借りて作られた造りものだとは。

 そんな一般人にとって、『人間の姿をした獣の死体』は衝撃的なニュースだ。メイ夫人すら知っているということは、ほとんどの人々がその獣の事を知っているだろうし、つまり他の〈案内人〉や〈審判者〉の耳に入っている可能性も高い。

 それにしてもと、フィンは思う。

 〈審判者〉は、よもや〈案内人〉が自分たちに刃向かう事があるとは思えなかったのだろうか。

 仮にこの反抗が〈審判者〉にとって思いも寄らぬ事態ならば――〈ドゥ〉の思考制限に漏れがあったか、制限を解除する際に、反撃思考の制限も解除してしまったか、それとも〈ドゥ〉なり〈案内人〉なりが独自の思考回路を作り上げ進化した結果なのか。

 何にせよ、事態は〈奪還派〉という存在を生み出した。

 〈奪還派〉がこのまま〈審判者〉殺害を続ければ、〈審判者〉に従う事に決めた〈案内人〉たちを動揺させ、最悪、〈案内人〉が〈審判者〉を駆逐してしまう可能性もある。

 〈審判者〉=旧人類のシグとキャロルが、〈奪還派〉への対策として〈偽枝〉を作ったのだとしたら、それを知るフィンの立場は非常に重要だ。

 〈奪還派〉に参加するか、〈案内人〉として生きるか。

 アグリが口に出すことを躊躇っているのは、おそらく、この点なのだ。

 フィンは〈奪還派〉なのか、と。




 日課の後、アグリの為に暖房のパイプを増設しようとしていた時だ。

 フィンは再び、思わぬ客を迎えた。

 乗用熊の二頭に引かせたキャンピングカーだ。

 犬ゾリとは桁が二つも三つも違う、金持ちの乗物である。

 しかし、そんな大きな持ち物に対し運転席から降りてきたのは、痩せた背の高い男だった。

 フィンはすぐにナイフを思い出す。人体を縦長にしたらああなるだろうと、ぼんやり思う。

 寒冷地の常で、金持ちは総じて体格が良い。熱を保存する為に体格が大きい方が有利であるのは当然であり、金があって食料である鉱物も水も手に入りやすいからこそ、体を大きくできるのだ。

 それだけに、これだけの資産を持ちながら細すぎるほど細い金持ちの姿には、どうしても違和感を覚えてしまう。

 ナイフ男は、金色の短い髪を指ですきながら、厳しい顔つきでやってきた。スーツの上に防寒ジャケットを羽織っただけという軽装は、彼がどこかの都市部からやってきた知的職業人であることを如実に物語る。

 彼は弁護士のグスタフだと名乗った。

 相続手続の為、メイ夫人から場所を聞き、訪ねてきたのだと。

 フィンは驚いて見せながら、注意深く弁護士だという男を眺める。

 フィンの父は幼い頃亡くなっており、祖父はまだ存命中のはずだが、確かに年齢的にはいつ亡くなってもおかしくはない。

 しかし、フィンがこの地に住んでいる事を知る親族は、一人も居ない。

 むしろ、親族を見捨てても遺跡発掘に出かけたフィンの事など、知りたくもないと思っている可能性もある。

 そんな家庭の事情を知らないメイ夫人が、フィンの幸運に喜びこの男に道を教えたのだろう。

「植物を育てているフィンさんとは……あなたですね?」

 彼の視線がバギーを捕らえ、フィンは息をのむ。

「どなたかご来客が?」

「ここにくるのはメイ夫人ぐらいですよ」

 努めて冷静に答え、抵抗しないと無言の笑みで伝える。

 グスタフは再びバギーに目をやり、そしてフィンの抱えていた暖房パイプを眺めて口を開く。

「暖房を増設しようとしているようですが?」

「獣が出没してましてね、ワナどころか家のパイプも破損してしまったので、取り替えようとしてたんですよ」

 庭に転がる壊された罠を、気のないそぶりで確認する弁護士。フィンは油断しないようにと自分に言い聞かせながら彼を見守る。

「……各地の〈案内人〉と〈審判者〉が殺害されているようなので、生存を確認に来たんです」

 まるで当然のように切り出された言葉に、フィンは背筋が凍り付くような思いがした。

 グスタフがただ者ではない――つまり、〈案内人〉ではないかと疑ってはいたものの、互いに〈案内人〉である身分確認もしてないうちに、〈審判者〉の話をされるとは思わなかったのだ。

 もちろん、〈案内人〉同士に明確な礼儀が存在するわけではないが、気分の良い会話の始まりとは言いがたい。

「あなたの様子を見ると、〈審判者〉が一緒のようですが?」

 不躾な問いかけに、フィンは怒る前に苦笑。元より弁護士だとは思っていない。まず間違いなく嘘だ。メイ夫人に案内させる為に、もっともらしく話したに違いない。

「……私の事を、どこで?」

「バギーで一人旅する〈審判者〉の女性は、あなたが思っている以上に有名なんですよ。〈審判者〉たちは天気の話の次に、彼女にいつ会ったかを話すんです。彼女の〈案内人〉が植物を育てているという話をおまけにして」

 アグリの自由奔放な旅を垣間見る思いだ。

 未だグスタフが何者かははっきりしないが、身分を隠し通すことは話をこじらせるだろう。彼の目的を知る為にも、話を合わせて行くしかない。

「私の〈審判者〉は旅に出たまま帰ってきていないよ。『1000人目』の〈案内人〉の話は聞いたことはないかい?」

 黙っているところを見ると、アグリの話ほど有名な話では無いようだ。

「私がその『1000人目』だ。自分の為に皆が目覚めた責任に耐えられなくてね……ここでの隠遁生活を選んだ。アグリは私の自己憐憫に嫌気がさして、腹を立てて出ていったってわけだ。そんな奴に連絡してくると思うかい?」

 グスタフは三度、バギーに目をやった。フィンは彼の思考をアグリから引き剥がす。

「さっき、気になる事を話していたね? 殺害だなんて……何があったんだんだ? こんな田舎の一人暮らしなもんで、どこで何が起こっているのか、本当にわからないんだ。誰が殺されたんだい? いつ?」

 グスタフが信用ならないのは、弁護士というおそらく偽物の肩書きを最初に提示してきたからだ。

 裏を返せば、グスタフはフィンがどのような人物なのか知らないからこそ、用心深く、自分の素性を隠そうとしたに違いない。

 しかし、フィンが本当に――少なくとも殺人事件については本当に知らないと知って、警戒を解いたのか。わずかに頬の緊張を緩める。

 その点においてアグリは賢かった。

 フィンが知るべきではないと彼女が判断した事柄は、おそらく、この殺人事件の事なのだ。

 グスタフはフィンの眼差しに、一度だけ、大きく頷く。

「〈奪還派〉のことは知っているかい?」

「〈案内人〉たちの過激派だろう? 話だけは聞いたことがあるけど、あいにく、その時には興味が抱けなかったんだ……先にも言ったけど、皆をこの時代に起こしてしまったっていう気持ちの整理がつかなくて」

 グスタフはフィンの目を真っ直ぐにのぞき込んだ。

 フィンの、どんな動揺も見逃さないであろうことは間違いなかった。

「落ち着いて聞いてくれ」

「わかった。なんだい?」

 それでもグスタフは、数秒ほどフィンの様子を伺った。

 そして、はっきりと口にした。

「〈審判者〉たちが、〈ローズ〉を動すことを決定した」



 頭を殴られたような気がした。




「本当……に?」

「嘘や噂で話せることじゃない」

 ならば、シグやキャロル、アグリの行動の全ての辻褄があう。

 あの設計図は――〈偽枝〉は〈ローズ〉に接触する為の道具なのだ。

 フィンはアグリを想った。

 設計図を何回にも分けてフィンに送りつけた慎重さ、フィンならばそれを組み立てるであろう事実、そして外界との接触を極力絶っているフィンから他の〈案内人〉に〈偽枝〉の情報が漏れることはないであろうという状況把握。

 フィンは自分の唇が震えている事に気づいた。

 アグリが、自分の想像以上の事件に関わっているという真実と、それだけ重要な事件に関われるほど成長したのだという喜びと、そこへ至るまでの姿を目にできなかった事の後悔と、そして彼女に自分が利用されたのだという事実に対する悲しみが、一度に胸にこみ上げるのを感じた。

 そして、それらの感情の波を、目の前の不気味な〈案内人〉に観察されているという現実。

 フィンは震える唇を片手で覆った。

 これ以上の動揺を、初対面のグスタフに見られるのは不快だったのだ。

 フィンは急いで、自分の立場を整理。



 グスタフはまず〈奪還派〉について尋ねてきた。

 彼は〈案内人〉であろうと思われるのに、一人できた。〈案内人〉と〈審判者〉が別々に活動している事は稀だ。だからこそ、フィンとアグリの関係が話題になるのだから。

 ならば、彼の〈審判者〉はどこに行ったのか?


 慎重に言葉を選ばなければ。



「〈ローズ〉が移動すれば、この地が灼熱に覆われる。我々の美しい白き大地が、汚らしい茶と緑に覆われてしまうのは見るに耐えないな……」

 初めて。

 初めて、グスタフは驚きを露わにした。予想していなかった答えだったのだろう。

「植物を育てる君が、それを言うのか?」

「植物を愛でるのと、世界が変わるのは別だ。絶滅しそうだからこそ、愛でられるんだ。一種の優越感だね。あれが世界中に広がるのは、私でもごめんだ」

 フィンは、自分の震えが唇から全身へと広がっていくのを感じだ。

 〈ローズ〉を、動かす。

 確かに、〈審判者〉たちは地上が安定した事を確認する為、旧人類でも生活できる環境であると確認するために存在している。

 約十五年もたてば、必要な状況は確認できたとして、〈ローズ〉に報告するのはおかしな事ではない。

 その結果、〈ローズ〉が動く――それは予定通りの行動だったに違いない。

 だが、こんなにも早く?

 いや、十五年という月日は、現人類だからこそ短いのだ。旧人類にとって、十五年は決して短くないと、刻み込まれた知識が囁いている。むしろ十五年も放置しておいた方が不思議と言っても良いかもしれない。

 それでも急な話だ。

「君の話が本当だとすると……殺人事件というのは、〈奪還派〉の仕業なのか?」

「〈審判者〉だけじゃない。〈案内人〉も、〈奪還派〉も。無差別だ」

 グスタフの言葉に、フィンは体の震えを止めた。

 自分が、疑われているのだろうか――初めてフィンは、自分の身を案じる。

 フィンはグスタフの反応を伺いながら、再び震え出す全身に、我が事ながら笑った。

「何がおかしい?」

「……いや……今の今まで、自分があの遺跡に行こうなんて思わなければって考えていたんだ。贖罪の為に何ができるかと、ずっと考えて生きてきた。〈審判者〉の子を育てれば気が紛れるかとも思って育てたけど、結局無駄だった。誰かの役に立てれば気持ちが落ち着くかもしれないと思って、哀れみも手伝って植物を育ててみたけど、それでも安心できなかった。このままノイローゼで死ぬしかないかと思ってたんだが……いざ、殺人者が近くをうろついてるかもしれないと思ったら、急に命が惜しくなってね。今までの生活が全部、バカバカしくなった」

 フィンは地面においた暖房のパイプに向かって、視線を落とした。

「グスタフ……私を犯人だと疑っているのか?」

「いや」

「ならば、どうしてここに来たんだ?」

「〈ローズ〉が動く事も含めて、〈案内人〉の全員に知らせるべき事だと思ったからだ」

「知りたくなかったよ」

「すまない」

 震えが足に来て、フィンは倒れる危険を回避する為、ゆっくりと地面に座り込んだ。当然のように大地は冷たかった。

 そのフィンの肩に、グスタフがゆっくりと手を置く。

「フィン、君の意見を聞きたいんだ」

 返事がないことを肯定と受け取ったのか、グスタフは続ける。

「〈ローズ〉は、どうするべきだと思う?」

「先に言っただろう? この大地が灼熱に覆われるのはごめんだ」

「私は、〈審判者〉も〈案内人〉も、本来は存在してはいけないと思っている。君はどう思う?」

「存在しては、いけない?」

「不自然だ」

 きっぱりと、グスタフは何の迷いもなく断言した。

「我々こそが人類だったのであって、今更のこのこ出てきた動物が人類と呼ぶべき存在だなんて、認められるか。今までも存在しなかったのだから、これからも存在しなくたって良いじゃないか。そいつらに頭をいじられた〈案内人〉……我々だって、本来は存在するべきじゃない」

 グスタフは一度言葉を切った。

「君は『1000人目』だから違うだろうけど、君以外の〈案内人〉の全員が、強制的に眠らされ、その間に親しい者と死別してしまった。〈案内人〉は……もはや、地上をさまよう亡霊なんだよ。我々には輝く昼も揺らめく〈ローズ〉もない。永遠に続く夜をさまよう亡霊だ。存在するべきじゃない」

 ナイフ男は静かに、淡々と言葉を響かせる。

「存在しないものが、〈ローズ〉を動かすなんて、あってはいけない」

「君は……何を言ってるんだ?」

「最後の問いだ、フィン。私たちは、存在してはいけないと思わないか?」

 グスタフの顔は青ざめていた。

 彼の言うとおり、まるで亡霊、まるで死霊の類のようだ。地下の溶岩に溶かされ浄化される前に彷徨い出てしまった、哀れな死人。

 フィンは彼を見上げた。

「グスタフ――」

 そしてその肩の向こうにある黒い空を見た。その空の中にある、尖った金属の先端を見た。

 フィンは弁護士の腕に飛びかかり、思いっきり体重をかけた。引き倒されて転がるグスタフ。

 二人の足下に、細長い銛が突き刺さっていた。

 海洋生物を狩る為のそれは、旅をしていた頃、フィンが護身用にと購入した品だ。

 飛びかかってきたアグリは、ハッと怒りの息を吐いた。

「ここでも裏切るの!」

 アグリは凍土に深く突き刺さった銛を引き抜こうと躍起になりながら怒鳴った。

「そいつがシグとキャロルを殺したの! アリスまで! そいつが犯人! なのに庇うの? ここに来るまでも、何人も殺されていた、それなのに?」

 グスタフ共々立ち上がりながら、フィンは彼女の言葉を脳裏で反芻する。

 グスタフが、シグ達を殺した?

 ……いや、だからと言ってアグリを人殺しにするわけにはいかない。

 アグリは、ようやく引き抜いた銛を構える。どこで覚えたのか腰の据わったその姿は、分厚く着込まれた防寒具と併せて、北の平原に住む人々を思い出させた。

「どこまで私を裏切るの!」

 フィンは急いで状況を整理する。


 〈ローズ〉を動かすことになって、シグとキャロルが〈偽枝〉を設計した。

 〈ブランチ〉へ移動する予定だったはずだが、グスタフが現れ、彼らとアリスを殺した。

 それが都市部に現れたという『人の姿をした獣の死体』の一つだ。

 その殺害現場をアグリが目撃した。

 グスタフは、目撃者を殺す為に、アグリを追って来た。

 アグリはアグリで、シグ達の造った〈偽枝〉を作成する為、逃亡先からフィンに設計図や銀盤を送りつけた。

 アグリの目的は〈偽枝〉で〈ローズ〉を動かす事か?

 グスタフの目的は、〈審判者〉と〈案内人〉を全滅させること。

 だが、彼は尋問をする。

 自分たちは存在すべきではないだろうと問いかける……。


 ならば、フィンのやるべき事は一つだ。



「僕のカウベリーは甘い。そうだね、アグリ?」

 突然の言葉に拍子抜けしたのか。アグリの気配がゆるんだ。

「口にするまでは、いつだって甘い」

 フィンはゆっくりと手を伸ばし、アグリの構える銛を握った。

 彼女が拳銃を持っていたことを思い出したが、銃弾を手に入れる困難さを考えればすぐに撃ってくる事はあるまいと考えなおす。

「グスタフ」

 弁護士はフィンの動きを油断無く見つめながら

「なんだ?」

「君のような同志に会えて嬉しいよ」

 フィンは銛を握ったまま、体の電流を指先に集中させる。

 〈ドゥ〉ならば誰でもできる、一種の暴力だ。だが、旧人類を含め、獣や植物には非常に大きな暴力であるらしい。それだけに、獣駆除の狩人たちは、この電流の操作に長けた者が多い。思考制限によって火薬の用途が限定された〈ドゥ〉にとって、槍や銛にこの体内電流を流して攻撃するのが一般的で最大の攻撃方法なのだ。

 それだけに、この銛の表面も電流が流れやすいように加工されている。

 電流に加えて掴んだ槍を捻る。

 思いがけない痛みと柄の回転に、アグリは自ら銛を手放していた。

 フィンは銛を自分の手に引いて彼女の手から遠ざける。

「グスタフ……さっきは嘘をついてすまなかった。彼女がここへ到着したのは昨夜でね。状況がわからなかったんだ。君が何者かも、何を考えているのかもわからなかった。警戒したくなる気持ちもわかるだろ?」

 フィンの言葉を、グスタフは身じろぎもせずに聞いていた。アグリは痛みが取れないのか、しきりに両手をこすりあわせながら、フィンの顔を睨み続けている。

「グスタフ、君の手伝いをさせてくれ」

 その言葉を耳にした瞬間。

 アグリはフィンに掴みかかる。その腕を払いのけ、銛の柄で背中を一打。勢いあまったアグリは無様に倒れ伏した。

 元々、防寒着を厚着している旧人類だ。動きにくいだろうし、銛の柄の一撃ぐらい、それほど痛くないに違いない。

 しかしアグリは倒れたまま、両の拳を固めて怒鳴った。

「裏切り者!」

「最初から君たちの味方になった覚えはないよ。僕は自分勝手で有名な、異端の考古学者なんだからね。だから君と別れてここに住んでたんじゃないか」

 何度も裏切り者と叫ぶアグリを、もう一度、銛の柄で一撃し、黙らせる。

 それらを見守っていたグスタフに、笑って見せた。

「ちょうど良い物があるんだ。〈偽枝〉というものを聞いたことは?」

「〈偽枝〉?」

「そう。使い方によっては〈ブランチ〉を、そして〈ローズ〉さえも乗っ取れる機械だ」

 アグリが信じられないといった顔でフィンを見上げる。

 その仕草を、グスタフは沈黙したまま眺めていた。




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