欠損をほじくり出す


 無鉤むこうピンセットがステンレスの皿にぶつかる音が地下室に鳴った。汚れたゴム手袋をゴミ箱に放り捨てると、奈緒なおはバインダーを拾って追記事項を書き入れていく。


「鼻部と顎が潰されたのは明らかに死亡後。たぶん生前に歯を引き抜いた用途の偽装ですね。分かりやすいのが膣内に付着してる複数人分の精液、さらに内壁の裂傷と炎症の跡。ねじれた手首足首には拘束によるうっ血が残ってます。あたしの所見では、それらしく偽装はされてるけど、回されて処分されただけの珍しくもないってとこですかね。検案書はいつも通りマッドさんに提出を。詳しくはそっちに最終判断を仰いでください」


 ついさっきやって来た少年が出入口に寄りかかり終わるのを待っていたのでバインダーを差し出す。中肉中背で特徴のない少年だ。だがよく見ると後ろ髪が跳ねているし、くまができた目元はわっている。奈緒の記憶にある人の良さそうな表情はなりを潜めていた。


 平賀ひらが真信まさのぶ。奈緒の一つ年上で、この屋敷に居候をしている少年だ。

 その正体は裏社会で恐れられる平賀という組織で育った、当主の三男坊だ。奈緒の背後にある悪意で造り変えられた異質な死体を見たくらいでは眉一つ動かない。


「ありがとう」


 真信が口元にだけ微笑を浮かべてバインダーを受け取る。当人は平静を気取っているが、眼の光が日を追うごとに陰っていくことに気づかない者は、さすがに屋敷内にはいない。


 やつれたな、なんてシンプルな感想が今日も泡みたいに浮かんで消えるほど。


 無理もない。何より大切な少女──樺冴かご深月みつきさらわれたと同時に、一番仕事が出来て信頼できる仲間が死んだのだ。


 付き合いの短い奈緒ですらショックを受けたのだ。過ごした時間も思い入れも人一倍だったはずの真信はなおのことだろう。今の彼はどこからどう見ても痛ましい。


 奈緒はわざらしくため息をついた。


「あ~やだやだ。放課後に三つもさばくとか聞いてない。さすがに疲れるんですけど。こういうのどこから調達して来るんです? 死後硬直は見られるけど、真夏日なのに角膜の混濁がまだ弱い。これまだ死後半日程度ですよね」


「それは企業秘密だよ」


 平賀あんたらは企業じゃなくない、というツッコミは喉奥に飲み込む。


「けど、急に追加までお願いしてごめんね。ちょうど運び込まれてきたから」


「本当ですよまったく。そもそもあたしの専門は拷問であって解剖じゃないんですけど。平賀からの派遣についてはどうなってるんです」


「奈緒より死体の分析に慣れてる子が来てくれるの、来週になるらしくて」


「裏家業も人手不足ですか。いよいよ世も末って感じですね~。協力を取り付けられただけマシかもですけど。……いくらご家族だからって、無料タダで手を貸してもらえる間柄じゃないって分かりますよ。いい加減に、どんな対価を払ったのか情報共有してくれてもいいんじゃないですか」


 深月の行方ゆくえを探るにも、静音の抜けた穴を埋めるにも、人手と情報網が必要だ。八月末日の事件のあと、真信は屋敷に直帰せず一人で実家へ赴いた。協力を取り付けるため交渉に向かったのだ。


 そこでどんな取引をしたのか、真信は困ったように笑みを浮かべるだけで何も説明しようとしない。この様子だと金以外の何かを差し出したことは間違いないはずなのに。


(いったい何を要求されたのか……。門下の人たちはまだしも、部外者であるあたしにまで秘密にしなきゃいけないことってなに?)


 いくつか予想は立つものの、平賀側の思惑が見えないために推測の域を出ない。







 死体の後処理を竜登達に任せて、二人は連れだってマッドのいる倉へ向かう。奈緒は仕方なく話題を変えた。


「けど、見つかりませんね。異界から流れ着く死体は異常な見た目をしてるって、確かな情報なんですか?」


 奈緒が検案を行った死体はこの一週間で二十体を越える。どれも死因が不明ないわゆる異常死体だ。その中でもとりわけモノ。事故や他殺ですらなさそうな、一般的な外因が推測できない異常性のある死体が対象だった。


 とはいえまるで人外の化け物に殺されでもしたかのような見た目でも、調べてみれば他殺の巧妙な偽装であったりする。真信が求めているのはそれではない。探し回っているのは、それこそ人為的には発生し得ない原因不明の異常死体。つまりは呪術的な痕跡だ。


 昔から、神隠しにあった人間の死体が川辺に流れ着くことがある。そういった死体はおしなべて死因を推測できない異常性を持つという。見ただけで分かる程らしい。その様子はとても人の手に負えるものではないと。現在の樺冴屋敷は、それらしき死体を日本全国から集めていた。


 真信がそういった死体を探すのには理由がある。深月の居場所の手掛かりを得るためだ。


「深月は言っていた。狗神は存在自体が強い呪詛だ。居るだけでいろんなものを歪めてしまう。この町は結界でその歪みを抑えていたけど、それが無くなれば歪みが周囲に影響する。その結果としての神隠しは僕もこの目で見ている。十中八九起きるのは間違いない。緒呉おくれの時みたいに数日ならまだしも、もうあれから一か月だ」


「一か所に留まってるなら、とっくに神隠しだかが起きて異界に落ちた人の異常死体が上がる、でしたっけ? その近くに深月先輩がいるはずだと」


柳楽なぎらさんはそう言っていた」


 名を口にしながら、真信は一度だけ会ったあの美しい少女を思い浮かべる。


 柳楽なぎら紗希さき皇嗣こうしのパーティーに潜り込むための協力者として合流した、深月の昔馴染みだ。紗希さきは皇嗣からも現巫女と呼ばれ信頼されていた。神道界隈や呪術界では有名な存在らしい。


 だが今回重要なのは、紗希さきが巫女の力を利用した情報屋を営んでいるという点だ。深月の行方について何か分からないかと、わらにもすがる思いで連絡を取ったのだが。


「…………」


 電話越しのやりとりを思い出して口内に苦いものが広がるのを感じる。結論から言えば求めていたものは得られなかった。とはいえ、


「……彼女がビジネス相手として信頼できる人柄なのは確かだ」


 柳楽なぎら紗希さきという女性は商人としてはどこまでも誠実であった。それが今回に限っては不都合であったというだけで。直接的な情報は売ってくれなかったが、居場所を割り出すヒントはくれたのだから。


「けど、平賀の網まで使ってるのにこうも見つからないって」


「結界に保護された場所にいる、もしくは居場所を転々としてるってことだろうね。移動させてるならどうしても痕跡が残るはずだ。平賀の情報部が見逃すわけがない」


「となると消去法で、結界の中にいる可能性が高いってことですよね」


 奈緒の言葉に首肯しながら、真信はいつの間にか黒い空をえぐって輝く、寂しくなるほどに白い月を見上げて眉をひそめた。


「そうだね。だとしても果たして……あの狗神をこれだけ長期間、閉じ込めておけるものだろうか?」


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