瞳
ただの音に耳が貫かれたかと思った。
「えりこ……
信じられないという気持ちと、半ばの確信。少女はそれに応えるようにその場で回って見せる。
「うん、そうだよ」
静音はその笑みに既視感を覚えた。顔立ちはあまり似ていないが、瞳の形に真信の面影がある。ではこの少女は本当に真信の妹なのだ。
「どうして深月さんを。貴女の目的はなんなのですか」
言いながらインカムを操作するが、やはりどこにも通じない。深月の様子を目の端で確認する。痺れや痛みに苦しんでいるようでないのが不幸中の幸いか。
「この人はお約束を果たすのに必要だから連れて行くの。でも静音が聞きたいのはそれじゃないよね。永吏子がお兄ちゃんをどうしたいのか聞きたいんでしょ?」
「──っ」
本音を見透かされて一瞬どもってしまった。そんな間隙を突くように、少女が爆弾発言を投下する。
「永吏子ね、お兄ちゃんとの子どもが欲しいんだ」
永吏子がお腹をさすりながら笑みを深める。静音は今度こそ言葉を失いかけた。
「………………はい? こどっ、え、真信様と?」
やっと出た言葉もたどたどしい。あやうく太刀を落しかけ、指に力を入れなおした。
気を失いかけている深月も心なしか目を見開いたように見える。
永吏子はそんな彼女たちの反応に気付かない様子で楽しそうに語った。
「そうだよ。永吏子は家族が欲しいの。なんの損得勘定もなく、永吏子を理解して手を握ってくれる家族。お兄ちゃんは永吏子とは全然違う存在だけど、でもやっぱり永吏子の半身だから、永吏子たちの子どもならきっと永吏子を受け入れてくれるはずなんだ」
「……真信様は家族ではないのですか」
永吏子の言い分に引っかかりを覚える。兄妹間の性行に関する倫理的抵抗感は一先ず置いておくにしても、彼女の言いかただと、まるで兄である真信をただの種馬のように扱っているように聴こえる。
そんなことあってはならない。だって本当にそうなのだとしたら、永吏子と向き合おうとしている真信の気持ちはどうなる。彼の願いを叶えてあげたいという、自分の気持ちはどうなる。
だが永吏子は静音の望む言葉をくれはしない。
「永吏子はお兄ちゃん大好きだけど、子どもができたらもういらないかな。欲しいなら静音の好きにしてもいいよ。あ、でも
「…………」
敵だ。明確にそう感じた。永吏子は真信を傷つける。彼の心を傷つける。
二人の再会に希望などない。
この女は真信の笑みを曇らせる。
今すぐ斬り捨ててしまいたいほどの強い衝動が身の内に起こる。だが静音は深く息を吐いて、その感情を抑えた。
相手は思っていたよりも饒舌だ。油断している隙に少しでも多く情報が欲しい。
「どうして深月さんがここの通路を使うと予測できたのですか」
一番の謎を問うた。マッドが予測した隠し通路は二十余り。使えなくなっていた道を除いても、深月がどこを通るかなど絞り切れるはずがない。そもそも深月が通路を使うかどうかすら怪しい。それこそ内通者でもいなければ筋が通らない。
問いただすような静音の目つきに、永吏子は不思議そうな顔で首を傾げる。
「どうしてって、静音が教えてくれたんだよ?」
「はい?」
また彼女が言っている意味が分からない。さっきからもしかして会話が成り立っていないのではと疑ってしまう。
「説明を求めてよろしいですか」
「うん! 静音はキレイな世界を見せてくれたし特別にいいよ! 永吏子の
両の人差し指で自分の目を示す。下のまぶたが引っ張られて白目に走る血管までよく見えた。だがその眼球の特異な部分は、見た目では分からない。
そこで思い至る。永吏子が特殊な生まれだとすれば、兄である真信はどうなのだ。真信は上の兄たちと母親が違うと聞く。そう、永吏子と同じ母体から生まれているはずだ。それはつまり、永吏子と条件は同じ。
永吏子は静音の表情から不安を読み取ったのか、首を思い切り横に振った。
「ああ、お兄ちゃんは違うよ。アレは本当にただの人間。だからこそ
「動物……猫宮さん」
そういえば最近、猫が不自然に歩き回っていた。動物を通してこちらを覗き見られていたということか。相手があの賢い猫だから特に気にしていなかったが、よもや利用されていたとは。
だが作戦立案中にあの猫を見かけた覚えが静音にはない。
永吏子はさらに続ける。
「人間の視界は条件が厳しくってね。永吏子と同じ精神性の人は見えにくい。あとお兄ちゃんは永吏子と同一存在だからお兄ちゃんの目も見えないし、お兄ちゃんに近しい精神性の人の目も使えない。ええっと、精神性っていうのはね、そう、方向性?
無邪気に笑って締めくくる。
静音は半ばすでに理解しながらも、彼女の力の条件を一つ一つ頭の中でまとめた。
動物などの種族として自分と違う生き物の視界。これが永吏子は一番よく見える。次に、同じ人間でも自分と異なる精神性をした人間。ただし永吏子は真信を自身の半身と呼び、同一存在と語る。血縁関係が呪術的同一性に関わっているのだろう。永吏子は真信に近い精神性を持つ人間の目も借りれない。
そして永吏子の言う基準である『精神性』とは、思考の方向性、つまり目的意識などと仮定していいだろう。似通った目的を見据えた人々。例えば運動に打ち込む者達や、何か計画を成し遂げようとしている者達、これらは思考の方向性が同じと言えなくもない。
きっと永吏子が言っているのは、こういう明白な線引きがない曖昧なもの。でなければ、あの屋敷の人間たちを全てひとくくりにはすまい。
その中で永吏子が静音の目に同調できたというのなら、それは静音の心が真信から離れていたから。
つまりは、自分が無駄に悩んでいたせいで付け込まれたということだ。弁解の余地のない失態だった。
ふつふつと自分への怒りが湧いてくる。敵の前でなければ床に頭でも打ち付けていたかもしれない。行き場のない憤りは己の不甲斐なさゆえだ。これを払拭するには、静音が自分の役割を果たすしかない。
いまだ微かな迷いを抱えながら、静音は唇を噛んで少女に問う。
「…………今はどうですか」
「うんとね、あれっ全然見えないよ」
「そうですか。それは良かった」
口の端だけ上げて笑みを作る。これからすることは真信の願いを踏みにじることだ。永吏子と向き合いたいという、少年の想いを知っていながらそれを壊す。
真信のために彼を不幸にする存在を殺す。
真信がそれを望まなくても。
(私はきっと、このために生きてきたのです)
たとえ真信に恨まれようと、彼の暗部を担おう。貴方が嫌悪する嘘と裏切りを担おう。
追従するだけでは真信のためにならない。彼は汚い役割を他人に押しつけられない、優しい人だから。このままではいつか真信が擦り切れてしまう。
真信は変わろうとしている。前に進もうとしている。ならば自分も変わらなければ。
まだ『変わりたい』とまでは思えていなくても。
(変わりたくなどない、彼のくれるぬるま湯にずっと浸かっていたいなんて、そんな本音はここで捨てていかなくては)
手首を返し、身体の状態を警戒から戦闘へと切り替える。
「私は間違っていないと、貴女が証明してくれました。どうかあの人のために消えてください。貴女の在り方は、真信様を曇らせる」
太刀を振りかぶった時にはもう間合いに入っていた。一呼吸で距離を詰める足運び。長刀の利を活かした、相手の意表を突く荒業だ。やられた者には一瞬で相手が目の前に飛び込んで来たように見えるだろう。このまま永吏子は反応する間もなく首を落される。
はずだった。
「ははっ、すっごい速いね! ぜんぜん見えなかったよ静音!」
斬り裂いたのは皮一枚。そのことに気付いたとき、すでにそれは静音の命に触れていた。
斬撃をくぐりぬけた永吏子が静音の下腹部に爪を突き立てる。少女の爪がシャツを破り、皮膚を裂き、肉を掻き分け侵入してきた。
「楽しいねぇ?」
内臓を指がなぞる痛み。甘い声音の気味悪さが背筋を走り、静音へ明確な死の気配を降らせた。
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