あっちもこっちも


 奈緒はホテルの入り口前で辺りを警戒していた。

 パーティーが急に終わったことで、客たちは時間よりも早く外へ出ることになった。そのせいか迎えの車を待つ者も多い。その微かな人混みの中、怪しい動きがないか目を配る。


 同時にマッドの助言もあり、真信から移譲された権限を使って警備に紛れている連中を走らせている。ホテルの裏側で数人のアカデミスタと交戦があったとのことだ。一般客がまだいる以上、表にまで来られるとまずい。敵が逃走した場合は深追いをせず、周辺の警戒を優先するよう伝える。


 スピーカーを切って奈緒はため息をついた。


 やはり人に指示を出すのは疲れる。端的に言って向いていない。奈緒は個人で動くタイプの人間だ。集団に混じるだけならともかく、彼らを引っ張っていく指標になれる人間ではない。


 そういった立場に相応しいのは、生まれながらにそうあれかしと訓練された真信のような人間か、もしくは論理的な見地に徹することができるマッドのような人物だろう。


 奈緒は隣のマッドを一瞥する。彼女はどういうわけか、自分から指揮を取ろうとはしなかった。今もあくまで助言を与え手助けするだけだ。いつも中心からは一歩引いた場所にいる協力者という印象か。それは彼女が門下でないため、どこか他人事だと考えているのかもしれなかった。


 この天才が積極的に先導してくれるようになれば盤面は有利になる。だがマッドにその気はないようだ。


 他の者には無遠慮に踏み込める奈緒でも、マッド相手ではどうにも調子が出ない。


 そうやって引いた足先に振動を感じた。


「……ん? これ」


 地震の揺れではない。足元から直に伝わって来る爆薬の揺れだった。この感覚はここ一か月ほどの激務で嫌というほど経験している。


「地下で爆発……静音さんが言ってたやつか。うわっ今度はおっきい! マッドさんこれは──っていない!?」


 伸ばした手が空ぶる。大きい揺れでどこかに飛んでいったかと慌ててあの金色を探して視線を巡らせれば、どこかへ駆けていく背中を見つけた。


 マッドは尻餅をついている幼子の前に屈み込んだ。どうやら先ほどの揺れでコケてしまった幼女の怪我を見ているらしい。


 奈緒が追いつくと、涙目の女の子の足を撫でまわしてウぬと頷く。


「右膝下部の挫創ざそうだけデすな」


「えっ、重症?」


 聞き慣れない言葉に奈緒がついもらすと、マッドは首を横にふる。


「いんヤ擦り傷ますよ。はぁい、傷口洗っテカらコれ貼るノだよ」


 言って取り出したのは可愛らしくデフォルメされた熊が描かれた絆創膏だった。幼女の顔がぱっと輝く。


「べあだモンだ! キレイなおねえちゃんありがとう!」


 満面の笑みで受け取ると、もう痛みを忘れたかのように走り去っていった。


 その後ろ姿に手を振るマッドを見ていると、そんな場合ではないのにこんなことを考えてしまう。


「マッドさん、小児科の先生とかやったら絶対人気出ると思います」


 明るく優しい、しかも名医だ。裸眼で診察すればついでに周辺地域で男性の育児参加率も上がりそう。


『おい、奈緒ちゃんやべえ!』


「うるさっ。どうしたんです、竜登りゅうとさん」


 突然の通信に声をひそめて応じる。やけに焦っているようだ。


ひいらぎがアカデミスタの奴追って行っちまった! どうする!?』


「ええっ? あの背が高い人ですよね。さっそく命令違反とかパンピーはもうっ」


「柊っチなら大丈夫ますよ。お薬成功しテおリますゆえ。強キカな」


 通信を聴いていたマッドが口を挟む。奈緒は彼女の楽観的な態度に思案を巡らせ否定した。


「だからって一人にはできませんよ。けど戦力分散は不味いですね。よし、竜登さん、こっち来てマッドさんの護衛を。あたしが彼を追いかけます。マッドさん、そういうことなのでここは任せていいですか。いざとなったら人員指揮して一般人を守ってください」


「ええエぇ……。奈緒ちーのお願いデモそれは問屋ガ築地デ卵焼キとはなラぬカと」


「お願いします。あなたが頼りなんです」


 可能な限り真摯に、真剣な眼差しで少女を見つめる。マッドはカラーコンタクトの奥の緋色をぎゅっとしぼって、下唇を突き出した。


「ぬゥ…………………………チょっチだけなラ」


「あはっ、ありがとうございま~す。じゃ、お願いしますね」


 発言を撤回される前に走り出した。内心でガッツポーズを決める。


 マッドが何を考えているか知らないが、皇嗣の話を聞く限り、あんな才能を放って置ける余裕などない。


 たとえ食客の立場だろうと、真信を選んでついて来たのは彼女だ。無関係とは言わせない。


 このままなし崩し的にでも当事者まで引きずり出してやる。


(あはっ、あたしって本当に性格悪っ)


 自虐しつつも、奈緒は自分の思った最善を裏切りたくはないのだ。





 竜登に教えられた方向を駆ける。奈緒はホテルの敷地を出て公園方面の林の中にいた。街灯から離れすぎて見渡しが悪い。月明りも木々に遮られるため十メートル先が真っ暗だ。人を探すには向いていない。


 奈緒は一度立ち止まり、荒げた息を抑える。目が役に立たないなら他の五感を手がかりにするしかない。


「ふぅ……ふぅ…………。こっちか」


 枝の折れるような音を耳が拾う。次いで悲鳴が響く。音を頼りに木々の間を駆けると、アカデミスタたちに囲まれた柊の大きな身体が遠目からもよく見えた。が、何やら縮尺がおかしい。


「……いや大きすぎませんかねっ」


 周囲の敵に比べ柊の背丈が倍近く高く見える。というか腕を振り回すだけで人が吹っ飛んでいっている。柊らしき人物の暴れっぷりはまるで怪物のようだ。奈緒が辿りつくまでに十人はいたはずのアカデミスタたちはみな地に伏せていた。


「柊さんっ。なんでそんなデカくなってるんです!? ちょっと筋骨隆々すぎませんかね。どうなってるんですそれ」


 近くで見上げる。もともと身長の高い少年だったが目算三メートル近い。もじゃもじゃ頭がやけに遠かった。筋肉も盛り上がりシャツがパツパツになってしまっている。上着は造花ごととっくにどこかへ捨ててしまったらしい。


 柊が膝を屈め奈緒に目線を寄せる。


「なんじゃ奈緒か。金髪の奴から貰った薬打ったらこうなったんじゃ。一次的なカンイ鬼化? とかそういうのじゃと。そのうち縮むじゃろ」


「やっば意味分かんない。まあ無事でよかったです。もう勝手に行動したら駄目ですよ。何かあったんですか?」


 尋ねると柊は眉間の皺をこれでもかと深め、気まずげに口をもごもご動かす。


「……尚成たかなりがいた気がしたんじゃ」


尚成たかなり?」


 誰だっけと首をひねる。すると木陰から小柄な少年がひょいと顔を出した。


「呼んだか?」


「誰っ!?」


「うおっ尚成たかなりじゃ。本当にいたんか」


 二人の前に姿を現したのは半袖半ズボンの悪ガキ然とした少年だった。子どもにしか見えない体格だが、髪の一部に白髪が混じっており、雰囲気が大人びているのが奇妙だ。


 尚成たかなりは気安げに片手を上げる。


「よ、久しぶりだなひいらぎ君。なんだえっと、成長期はなはだしいな。お兄さん嬉しいやあ」


 わざとらしく白い歯を見せる男に奈緒は警戒を強めた。


(お兄さん? なに言ってんだこの中坊……あそうか、真信先輩が言ってた中学生みたいなおっさんだ! 氷向ひむかい綾華りょうかの同僚だっけ)


 やっと納得がいった奈緒の前にひいらぎが出る。心なしか縮んできたか。


「おい尚成たかなり菖蒲しょうぶちがやがそっちにいるんじゃろ。会わせてくれんか」


「ごめんな無理だわ。ま、無事は保証するからそのうちにな。……なんか縮んだ? てか今日はそっちの彼女に用があって来たのさ」


「えっ、あたしですか」


 尚成たかなりが軽快な笑みで奈緒を指さしてくる。


「そそっ、君が奈緒ちゃんだろ。綾華りょうかから聞いてるよ。真信君に惚れて俺らを裏切ったとか」


「内臓引き抜かれたいんですか」


「ちょい待ちちょい待ち。どっから取り出したか知らないけどその苦悩の梨は仕舞ってよ。俺のケツをどうする気?」


「チッ。風評被害で訴えますよ」


「マジの顔になんないでよ。そんで相談があるんだけどさ」


「は?」


「俺達に協力してよ。具体的に言うとカミツキ姫を裏切って真信君をこっちに連れてきてほしいんだ」


「はぁ?」


 唐突すぎて言葉を失う。裏切りをそそのかす男は、あくまでにこやかな表情で続けた。


「欲しいんだよ真信君。それにはカミツキ姫が邪魔だろ? 皇嗣の話を君たちも聞いてたはずだ。彼女を犠牲にすれば全部丸く収まる。それにカミツキ姫がいなくなれば、真信君が一番に頼るのは君なんじゃないの? お互いに利益しかないと思うけど」


 ウインクを決めて尚成が手を伸ばす。奈緒がその手を取ると確信しているような表情に、少女は眼を細めた。みぞおちに重たく不快な物が落ちたような感覚にどでかいため息をつく。

 求められるまま尚成へと一歩ずつ近づいていった。


「万が一、絶対ないですけど本当に万が一あたしが真信先輩に惚れてるとして……」


 間近にあってもその手を取らずもう一歩距離を詰める。驚いて硬直した男の胸倉を力任せに掴んだ。胸のイラつきのままに近距離で啖呵たんかを切る。


「惚れた男が惚れてる女なんて、護るに決まってんでしょ。なめんな」


 手を放して男を突き飛ばす。たたらを踏んだ尚成たかなりに向かってさらに畳みかける。


「ま、あたしが惚れたのは深月先輩のほうなんで関係ないですけど〜。乙女の心を掴みたいなら、もっと魅力的な誘い文句を用意してきてくれます?」


 言いたいことを全て言い切って鼻を鳴らす。尚成たかなりは呆然としていたが、ふと我に返ったように笑い出した。


「ははっ、聞いてた三倍は良い女じゃん、あんた」


「その実感のさらに十倍は良い女なんですよあたしは」


 男の額に投擲とうてきナイフを突きつける。尚成たかなりは余裕の表情を崩さず腕にはめた顔に似合わないゴツめの時計に目を落した。


「名残惜しいけどタイムアップかな。じゃあまたね、二人とも」


「ちょっ、逃がすか!」


 男がひらひら手を振って樹の幹の向こうへと隠れる。後を追ったが小柄な人影はこつぜんと姿を消してしまった。ひいらぎと共に辺りを探すが残り香すら感じられない。


 逃走方法は不明だが完全に逃がしてしまったようだ。奈緒は頭を抱えてしゃがみこむ。


「しまったあああああああ……」


「ど、どうしたんじゃ」


 少女の突然の奇行に、柊があたふたと対応に困っている。柊の背丈はいつの間にか元にもどっていた。


 奈緒は後悔に沈んでうめく。


「いっそ裏切ったふりして情報引き出すとかすればよかった。交換条件で柊さんのご兄弟のこととかも聞けたかもしれないのに。頭に血が昇りすぎてたやっちゃったあああ」


「うんにゃ、さっきのでいいと思うぞ」


「え? どういうことです?」


 涙目の少女に、柊はどこか確信を込めて男の消えた方向を仰ぐ。


尚成あいつはそういう嘘が嫌いみたいじゃからな。じゃから、たぶんそれでいいんじゃ」



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