世情転変編

基幹否定


 絶え間なく報告が飛んでくる。

 外の警備状況、隠し通路の確認進捗、会場で入手した情報の精査。それらを頭で整理しながら真信は会場へ戻った。


 真信の連れはみな目立つ。個々で動いてるらしいメンバーも一度に見つかる。瞬間迷って、速足にマッドへ近づいた。


「ふみか様」


「真信様おかえりなさぁい」


 人に囲まれていた少女を会場の端まで連れ出す。


「言われた通りみんなには08で動いてもらってるよ。でもセンサーに引っかかった敵影は数人のはずだ。どうして多人数想定の作戦を?」


 彼女の耳元に顔を寄せ、小声で問う。パーティーが始まっておよそ一時間、皇嗣こうしどころか敵の動きもない。イナーシャやアカデミスタの姿を見たのも静音だけだ。他のメンバーはそれらしき物音すら聞いていない。


 アカデミスタの人員を「うじゃうじゃ」と評した氷向ひむかい綾華りょうかの発言は気にかかるが、それでも真信にはまだ大勢の敵の姿が見通せていなかった。


 マッドも真信にしか聴こえないほどの小さな声で囁いてくる。


皇嗣こうしサマガそれデ動いテるますカらサンバ大名行列。あとは勘れすナ」


「そうか、僕じゃそこまで読み取れなかったよ。マッドの勘は侮れないからな」


 勘というとまるで超自然的な第六感のように受け取られることがあるが、真信の認識だとそうではない。


 人は無意識に未来を予測する生き物だ。五感から得た情報を頼りに一秒後を予測し行動している。こけそうになる前や物が落ちる前に手が伸びているのもそのためだ。


 俗にいう嫌な予感も、得た情報が脳内で勝手に組み上がって嫌な結末を予想したに過ぎない。勘も同じだ。明確な理論はなくとも、そこに思い至る何かを人は無意識に取得している。


 いわば勘とは、言語化しきれていない計算式の結果だけが出ている状態のことを指す。その式が確かかどうかはまちまちだろうが。


 マッドのように頭の回転が速い人間は予測の精度も段違いだ。特に彼女は五感が鋭い。人の声にばかり耳ざとい真信よりよほど多くを見聞きしている。


 そのマッドが言うのだ。一昔前の天気予報より信用できる。


「分かった。他に何か気づいたら教えて」


「ウぃ。了解ます」


 次は疲れて壁の華と化している深月のもとへ。


「深月、大丈夫?」


 ウェイターから水を受けとり彼女へ差し出す。


「うん、平気だよー。それより真信、奈緒ちゃんがモテモテなんだよ」


「それ気になってた。なんか囲まれてるけど、どうしたの?」


 上流階級に知り合いなどいないはずの奈緒が、向こうで大人たちと談笑していた。大人たちのまとう空気は華やかなものとは程遠いものばかり。恐らく呪術関係者たちだろう。


「奈緒ちゃんのお父さんにお世話になった人達だって。有名な人だったんだねー。おかげでいろいろ聞けたよー」


 奈緒の父、木蓮もくれん浩二こうじは悪名高き十戒衆の表の顔──宗教者としての彼らの秘書をしていた男だ。優秀だったが、十戒衆の裏の顔に気付いたことで、十戒衆の手下から依頼を受けた平賀によって家族もろとも消されてしまった。


 どうやら木蓮浩二は人望もあったらしい。娘の奈緒にしてみれば、父親に恩を感じている者達から情報を引き出すのは安易だった。


 とはいえ奈緒は彼らの相手をしなければならないので、それをまとめて真信に伝えるのは休憩中の深月の役割だ。


みかど子飼いの呪術者はほとんど呼ばれてるんだってー。空白の招待状のおかげで外部の有力な呪術者もいっぱい来てる。日本呪術界総戦力の四割は集まってるっぽいってさー」


「残りの六割は?」


「封印されて眠ってる呪物。つまり呪術界の意思は全部ここに集結してるってことだねー」


「じゃあここを叩けば、日本から呪術はなくなる……?」


「そうはならないよ。厄介なのは呪物のほうだから。むしろ管理者がみんないなくなって呪物が壊れでもしたら、溢れた呪詛で日ノ本が包まれちゃう。それを避けたいのは、呪術者の総意だと思うよー」


「…………」


 それを、呪術を消したいと願っているイナーシャのような連中が知っているのだとすれば、今ここを襲うメリットはないように思う。マッドの予測する多人数戦闘。それを引き起こすのはむしろ、呪術を利用したい側ではないか?


 それこそ緒呉の時のような。


 アカデミスタこそが敵なのだとすれば、それに相対しているイナーシャは皇嗣と繋がっているはずだ。氷向ひむかい綾華りょうかが隠し通路を知っていた理由もそれで説明がつく。


(皇嗣はどこまで考えているんだ……?)


 こんな公のパーティーで争いが起きれば、経済界の損失だって計り知れない。なぜこのタイミングで裏表双方の人員を集めるパーティーなど開いたのか。


(そうだ。どっちか一方だけ集めれば話は早かったはずだ。招待状の形式も皇嗣の知らない人間まで呼びかねないものだ。それこそ悪意ある誰かが力づくで招待状を奪って忍び込むことだってできる。むしろそれを狙っているとすれば目的は──あぶり出し、か?)


 もしも、皇嗣が誰かを敵として想定しているのだとすれば。

 もしも、皇嗣自身もその敵の姿を明確にできていないのだとすれば。

 これは自身をおとりに使った、見えない敵を誘い込み実体化させる策となる。


『呪術者への罠みたいなもんなんだ、今日のこれは』


 伊佐いさ尚成たかなりの忠告は正しかったのかもしれない。


 であればこの会場に、本来呼ばれなかったはずのカミツキ姫みつきがいるのは不味い。

 それこそ嫌な予感がする。


 彼女をここに置いてはおけない。


 まずは会場の外へ、そして町に返さなくては。真信はまだここを出るわけにはいかない。ならばマッドと奈緒の二人を深月に付き添わせて──


 目立たない脱出ルートを選別しようとして、空気が変わったのを感じた。一瞬だけ深月がカミツキ姫だとバレたのかと最悪の想像をする。だが人々の視線は壇上へ向いていた。


 いつの間にか、にこやかな微笑を浮かべる皇嗣こうしが壇上へ上っている。


みなさまみなさま夜も更けてよきこくげんまいりましたとなりました今日はさあ、これにてお開きとなりますここからがほんだいです


「…………?」


 スピーカーから響く真皇嗣の声が、真信には二重に聴こえた。幻聴かと訝しむ。


「お開きだって。まだ予定の時間じゃないのに、どういうことだろうねー」


「え?」


 深月がおかしなことを言っている。二重の声は正反対の意図を人々に知らしめたはずだ。だが彼女はまるで、片方の声しか聴いていないような。


 インカムからさらに通信が。


『帰れ言ワれますたナ』


『これだけで終わりって本当ですかね。拍子抜けですけど、あたしたちも帰りましょうか真信先輩』


 マッドと奈緒も深月と同じだ。

 ならばと、自分の同行者へ通信を繋げる。


紗季さきさん、これは」


『うん、把握してる。私にはだと聞こえた。だが柘弦つづる先生は二重の声が聴こえたと。ああ、入り口を分けて誘導し禁忌タブーを冒させたのはこれだろうね。私たちはお互い、同じ空間の、声の波長分だけ少し座標のズレた異界にいるらしい。どちらが聴こえるかは、通った入り口次第なのだろう』


 奈緒に確かめてもらったが、彼女の周りの呪術者はみな、これから本題だと声が聞こえたらしい。


 やはり、呪術者とそれ以外で招待状が区別されていたのだ。


(僕と柘弦つづるさんだけおかしな聴こえ方をしたのは、一度会場から離れたから? いや、最初と違う入り口から入り直したからか。だとすれば助かった。余計な混乱を受けるところだった。柘弦つづるさんって、不幸体質なんかじゃなくて凄まじい幸運なんじゃないか?)


 禁忌タブーのことに気付けたのも彼がつまづいたおかげだ。この二つがなければ、今頃は情報戦の段階で大敗していた。仕組みが分かれば、その上で行動できる。


 思考は一瞬。


「マッド、奈緒、聞いてたね? 夜香ふみかのメンバーはこのまま指示に従ったほうがいいと思う。怪しまれると苦しいし、どっちが本当に危険なのかまだ判別できない。両方に人員を裂いたほうがいい。代わりに、深月だけは途中で待機を。静音を向かわせるから別ルートで外へ出て。奈緒にはマッドをお願いしていい? それと帰る人達の安全確認も。指揮権を一部キミに移す。会場外の人員を使って」


『責任重いなぁ。ま、了解です。やってみますよ。マッドさんと皆さんのことはお任せを』


『らじャら。奈緒ちーにおんぶニ抱っコに肩車されるまス』


『いやいやマッドさん、頭脳はお借りしますよ。あたし一人じゃカバーはムリムリ』


『ウぃ、マッドニお任セ』


 隣の深月も頷く。


「分かった。トイレにでも隠れておくよー。トイレ立てこもりは女子高生の特権らしいしねー」


「その変な常識教えたのクラスメイト? あとで名前ひかえさせてね。っと、僕のスピーカーをオンにしておく。これで皇嗣の話は全員に聴こえるはずだ」


 すでに大半の来場者が帰り始めている。誰も皇嗣の早すぎる閉会宣言に違和感を抱いていないようだった。簡易的な精神操作が作用しているのだろう。だが帰宅を強制するほどの効力はないようだ。さっきのアナウンスを聞いても、皇嗣と接触しようとする意志があるものは会場に残ろうとするはずだ。


(となるとやっぱりあぶり出しが目的だろうな)


 なおさら深月をここに残すわけにはいかない。


(マッドが多数の敵を想定している。けど通路の敵影はあまりに少ない。つまり狙われるのはホテルの外のはず。残っている手勢はすべてそっちに回して民間人の保護を優先させる。狗神は……)


 源蔵の言葉がよぎる。


『深月に狗神を使わせるな』


 源蔵は狗神の使用を抑えようとしている。いままで使用を強制してきた男の判断だ。確証はまだのようだが、狗神と深月になにかよからぬことが起きているのは確かだ。


 ホテル外に深月を出せば、彼女は民間人を守ろうとして狗神を使うだろう。

 ゆえに深月はホテルから離れた出口を使って外へ逃がす。多人数戦闘に加わらせてはならない。


 真信の予想が正しいとしても、まだアカデミスタの目的が不明瞭なままだ。人質、実験、暗殺、候補ならばいくらでもある。真信にそれを特定する術はない。だが綾華りょうかが通路でアカデミスタを待ち伏せしていた以上、皇嗣とイナーシャはアカデミスタの行動を予測していたことになる。


 つまり、皇嗣が語ってくれるはずだ。全てを。


 会場内が静かになっていく。いつの間にか来場者は半数にまで減っていた。見渡せば残っているのは陰気な顔つきの者たちばかり。


 真信はそっと、紗季さきたちと合流した。紗季は鼻歌でも奏でそうな顔だが、柘弦つづるのほうは緊張している。何かあった時は自分が二人をフォローせねばと一人意気込んだ。


 皇嗣が部屋を端から端まで見渡し、これで残留者は全員だと納得したのだろう。マイクへ向けて口を開く。


「こんばんわ、呪術関係者のみなさん。もう、噂になっているので知っているでしょう。わたくしに、帝となるための呪術の素質はありません。私が帝となっても、この国の呪術基盤は安定しない。急速に崩壊するだけです。現帝げんていはそのことを知っている。知っていて今回の発表を独断で結構なさった。単刀直入に言います。帝は何者かに操られていたのです。あれ以来、帝は抜け殻になってしまい表に出てこれなくなっている。現在公務をこなしているのは影武者です。そしてその犯人がこの会場に攻め込もうとしている。わたくしがこれからする発表を止めるために」


 穏やかな、ゆったりとした口調だった。なのに口を挟めない。のことは全員が耳にしていたのだろう。誰もが息を呑み、皇嗣の言葉の続きを待っている。


「敵の名はアカデミスタ。彼らは呪術を科学の力で利用しようとしている連中の筆頭であり、最も手ごわい集団です。彼らは今、わたくし──いえ、僕のお友達が喰いとめてくれています。予定より早くこの話を始めたのも、敵の勢いが予想よりも強いから。時間がありません、だから率直に問います」


 目を細めて満面の笑みを浮かべた皇嗣が、前方へ手を差し出してすべての呪術者へ告げる。


「僕と共に、呪術を滅ぼしてくれる者はいませんか?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る