急降下


皇嗣こうし様、よろしいでしょうか」


 会場の真ん中、背丈が大きくがっしりとした体つきの陰気な男が片手を上げた。皇嗣こうしはすぐそれを見つけ、視線を彼に絞る。話相手を見定めたようだ。


「君は、帝に使える呪術者たちの筆頭、馬見原まみはら結賀ゆいがでしたね」


 馬見原まみはらと呼ばれた男が片膝をつく。


「はっ、皇嗣様、発言を許可してくださるでしょうか」


「もちろんですよ馬見原まみはら。あなた達は僕の指揮下の者ではありません。あなた方の主人はあくまで帝の地位に立つ者。僕はまだ帝位についていませんから、自由にしてください」


 主催の許可を得て馬見原まみはらが立ち上がる。


「帝の心変わりには我々も違和感を抱いていました。貴方様が犯人を知っているのであれば、この問題は一時置いておきましょう。帝のおわす場所には守りが置いてありますから。ですので、今は先に確かめたいことがあります。貴方様が帝位に着けない理由を、貴方はご存知なのでは? 確かに貴方の呪術適性は低い。ですがそういった例が過去、なかったわけではありません。ですが歴代の帝は皆、軸の役目を果たすことができていた。なぜ貴方だけそうなのか、我々帝の側近は、解決法を探れと命じられるばかりで、その理由を知らされてはいません。ですから、まずその前提を教えていただかなければ。我々は今日、そのためにここへ来たのです」


 馬見原まみはら奥歯を噛みしめながら皇嗣を見上げる。周囲の呪術者たちも頷いている。どうやらあの一団が帝の子飼いらしい。


 皇嗣は大げさなほど驚いた顔をして手を叩いた。


「ああ、そうでしたね。みなさん知らないんでした。あれは極秘事項ですからね。ですが、伝えなくては話が進まない。僕としたことが失念していました。では真実をお話しなくては。

 今まではそれで良かったんです。初代帝の血を少しでも引いていれば神秘の軸としての役割は果たせた。でも、今回は無理なんです。なぜなら、只人ただびとに帝位を与え現人神に変えるための三種の神器が、万全ではないので。現存する三種の神器、そのうち二つが、いつごろかに盗まれてしまっているのですから。犯人もその行方も、僕は聞かされていません。側近のみなさんも知らないとなるとおそらく、真相は帝の頭の中にしかないのでしょうね」


「ではいまある神器は……」


「一つの真物、二つは姿だけ似せた贋物ということです。ああ確かに、神器は必ずしも本物でなければいけないというわけではありません。長い歴史の中、消失して代用品と入れ替わったものもあります。ようは、本物と同等の力さえあればいい。ですがもはや今の呪術にそれを造る力はない。今上帝きんじょうていが帝を継げたのは、あの人の素養が歴代でも五本の指に入るほど高いから。だからたった一つの真物だけでも地位を継げた。ですが僕に父のような素質はありません。凡人なのです。だから、奇跡が起こせなくて」


 自嘲気味に笑う皇嗣の話が、真信は途中から音だけ認識しかできなくなっていた。彼の話が頭に直接入ってこない。かろうじて話の意味を理解するものの、細かい部分にまで気が回らなかった。


 別のことで頭がいっぱいになったからだ。


(盗まれた三種の神器、そしてその時期は少なくとも、今上帝が帝になる前。それは……)


 覚えがある。源蔵が病院で語った樺冴家の成り立ち。その中に出てきた。


 源蔵の妻と狗神の保持者が駆け落ちする際に、神器の精巧なレプリカを持ち去ったと。


(あの男──っ!)


 源蔵は嘘を吐いていたのだ。彼らが持ち出したのはレプリカではなく、本物のほう。それこそ極秘の情報なのだろう。この真実は恐らく、もはや今上帝きんじょうていと源蔵しか知らない可能性すらある。でなければ、今まで明るみに出なかった説明がつかない。


「柳楽家の現巫女よ、ここへ。現代で唯一、神と言の葉を交わす権利を持った神の案内人。貴女に一つ、意見を聞きたい」


 皇嗣の語りはいつの間にか先へ進んでいた。要請を受けた紗季さきが目をギラつかせて呟く。


「そうか、私を招待していた理由はこれか皇嗣。自身の言葉を私の家業の信用で補強しようというわけだね。いいだろう。行ってくるよ。二人は大人しく待っていなさい」


 求めに応じて颯爽さっそうと歩きだす。真信も柘弦つづるも、それを見送ることしかできない。


 少女が壇上へ上る。先に柳楽なぎら家の巫女だと紹介を受けたせいか、視線が皇嗣から彼女のほうへと集まった。物珍しいものへ向ける奇異の視線、そこにはどこか羨望が混じっている。


 神道は呪術とまったく異なる理で成り立つのだという。たとえ呪術が無くなろうと彼らには何も影響はない、いわば部外者のはずだ。

 だが周囲の反応を見るに柳楽なぎら紗希さきはどうやら、呪術界においても人目を引く立場にいるようだった。


 簡単な挨拶を済ませると、皇嗣はさっそく紗季さきにマイクを向けた。


「神はもう一度、三種の神器に匹敵する神器を人の世に降ろしてくれる気はあるでしょうか。そうであれば三種の神器を打ち直し、僕も帝位を継げる。呪術の世は延命され、当面は科学者たちの対応だけに専念できるのですが」


 対する紗季さきは、さっきまでとは打って変わって輝くような笑みで答える。


「いいえ。神々は人の世で何が起ころうと干渉しません。自分たちが正しく祀られているのであれば、たとえ日本から呪術が失われようと、帝の存在が消えようと、彼らは顔も見せないでしょう」


「神々に愛された巫女である貴女が訴えても?」


「無駄ですよ。神の愛は人の価値観でははかれるものではありません。彼らにとっての愛は我らにとっての害です。それに彼らは身勝手ですから。私たちの事情など鑑みてはくれませんよ」


 試すような笑みで肩をすくめる。皇嗣はそれに乗らず、あくまで優しい笑みを返すだけだ。


「それは残念ですね。みなさん、聞きましたか? 最後の頼みもこの通りです。人の世は人の力で治めねばならない。もはや帝が退位されるまえに、呪術を消さねばならないのです」


 会場内の全員に向けた呼びかけ。それにまた馬見原まみはらが声を上げた。


「科学者どもが呪術を利用しようとしているのは存じております。科学の大成によってこの国の呪術が弱まっていることも、あなたが帝となれば今のバランスすら壊れてしまうことも、噂が流れていたので皆知っているはずです。だからこそなおさら、その崩れた均衡の中でも揺れ動かぬ呪術の結託を貴方様には主導していただきたい。呪術者は呪術を消し去ってはなりません。それを、おんみずから呪術を滅ぼすなどと!」


馬見原まみはらが危惧しているのは呪物の扱いでしょう。呪術のことわりが消えれば、それによって抑えられ封印されていた呪物が目覚めてしまいます。呪物はその込められた膨大な呪詛の力ゆえに封印するしかなかった歴史の遺物。時間をかけて少しずつ呪詛を散らしていくしかない。ですがその余裕はすでにありません。もはや世論を無視して帝の在位を長引かせることは不可能に近い。ご安心を、僕はその呪物を全て消し去る方法を知っています」


 深月が以前、同じようなことを言っていたなと真信は思いだす。

 呪物は禁忌。触れれば害しかないから管理され、守られている。だが最近になって科学者たちがそれを掘り返し始めた。危険だからこそ遠ざけられていたものを無理矢理に。この状況が続けばいずれ大災害に繋がってもおかしくはないと。


 もしもほんとに、呪物を消し去る方法があるのだとすれば、それは状況を打破する一手になりえる。


 やはりこの会場に潜入したのは正解だった。湧き上がる期待に口角が上がりそうになるのを必死にこらえていると、紗季さきから個別チャンネルで通信が入った。


『──そうかっ。くっ、真信君、今すぐ樺冴かごさんとの通信を切りなさいっ』


「え? ここからが重要なのでは」


『いいからっ』


 目の前の皇嗣や衆人に気付かれないよう小声だが、明らかに焦っているようだった。ここまで観察した彼女は余裕のある女性といった印象だったのだが。らしくない行動には必ず相応の理由がある。真信はいぶかしみながらも手早く袖のスイッチを操作した。


 そうやって、通信を切った直後だった。


。ここ数年目覚ましい活躍をしてますから、名前くらいは知っているでしょう。樺冴かご家が使役する狗神は現存するどの呪物よりも強力な呪詛を秘めている。その狗神に呪物をぶつけるのですよ。僕の友人の計算によれば、狗神の残存呪詛とこの国に眠る呪詛の総量は同等。二つをぶつければ、両方消し去ることができる。呪術消滅の足掛かりとしては一石二鳥というものですよ」


 楽し気な言葉に、真信は絶句を隠しきれなかった。


 確かにそれで呪物に関する問題は片が付く。樺冴かご家の狗神という強力な呪術も、対消滅させることができる。まさに理想の一手。


 だがその選択肢を真信は選ばない。深月のことを知っていれば選べるわけがない。


 だとすれば皇嗣は知らないのだ。


 狗神を使用するを。


紗季さきさんは深月にこれを聴かせたくなかったのか!)


 紗季は巫女である前に情報屋だ。知っていたのだろう。


 あの狗神は他に類を見ないほどに強力だが、使えば使うほど使役者の精神を喰らっていく諸刃の剣だ。そして狗神に宿る呪詛を削るには、その力を振るうほかない。総量の三割を削るだけで多くの樺冴家当主の精神を空にしてきた。そして二割を一人で削り、深月の精神も限界に達していたのだ。


 今は狗神の使用をゆるやかにすることで精神の回復に努めている。なのに残りの五割分、一息に狗神を使うなど。


 それこそ深月の精神がもたない。確実に廃人となってしまう。


(皇嗣の策は駄目だ……!)


 今すぐ否定の叫びをあげてしまいたい。だができないのは、狗神の事実をバラすのが悪手であると理解しているから。


 そしてこの場の呪術者が、深月一人の精神のためにこの魅力的な提案を蹴るはずがないと分かってしまうからだ。


 案の定、馬見原まみはらが納得顔で頷く。


「カミツキ姫か。なるほど、裏社会においてすら存在を秘匿されていた樺冴かご家の狗神ならば。彼女の代になって仕事も精力的にこなすようになった。帝から与えられる仕事も万全にこなしているし、最近ではあの十戒衆も壊滅させたという。直接会ったことはないが、国土に眠る呪物全てを飲み込む呪詛を持っていると言われても説得力はありますな」


「はい。とはいえカミツキ姫は完全に帝所有の呪術者。僕にそれを命じる権利はありません。だが僕が帝位を継ぐまで待ってもいられない。今日は彼女をここへ呼んではいません。それはまずここにいるみなさんに、協力を取りつけたかったから」


 皇嗣が演台から離れ、全身を晒すように前へ出る。


「みなさんが管理している呪物、僕に引き渡してください。一所に集め、カミツキ姫に消してもらいます。僕からみなさんにお願いするのは二つ。僕に協力し呪物を差し出すこと。そしてカミツキ姫にそれを破壊させる手助けをしてほしい。とはいえ、みなさんを誓約で無理矢理縛ったりはしませんよ。やはり本心から手伝って貰わなければ」


 皇嗣がマイクを後ろの演台に置き、頭上で柏手かしわでを鳴らした。瞬間、真信は小さな針が刺さったような痛みを胸元に感じた。


 見れば、それはちょうど造花を挿していた位置だ。周囲の呪術者もみな同様に胸元を見ている。どうやら同じ感覚に襲われたらしい。


 何が起こったのか把握する前に結果が現れた。

 真信の花が色水を吸い上げるがごとく、赤く染まっていく。他の者の花も同じだ。ただ染まる色は三種類あるようだった。


 その様子を満足げに見下ろし皇嗣が説明する。


「少しチクッとしたでしょう? 花に仕掛けていた呪術です。それ自体に皆さんを害するほどの力はありません。ただ染まった花の色で、皆さんの本心が分かるだけのか弱い呪術。

 青色は僕の意見に賛成してくれる者。逆に赤色になった人は反対している。黄色の人はどちらも選べていない人ですね。これで、視覚的に協力者が分かりやすくなった」


 言われて周囲の意思を確認する。柘弦つづるの花は黄色、紗季さきは真信と同じく赤色だ。事情に疎い柘弦つづるはさておき、紗季は本当に深月の味方であるらしい。


 だがいかんせん、馬見原まみはら達を含め圧倒的に青色が多い。


 これで皇嗣の意図が全て分かった。

 これは真信の読み通りあぶり出しだ。自分に恭順しない者を味方と区別するための。


 だとすれば、このあと彼がとる行動は一つ。


「さあ、青に染まりし僕の協力者たちよ。その忠誠をどうか、いまここに示してください」


 敵対者に成りえる者たちの殲滅せんめつだ。


 皇嗣の意図を理解した者達が近くの赤花たちへ向かっていく。真信にも数人からの敵意が届く。


(まずい。完全に追い込まれたっ)


 手持ちの武器は最小限。人員もホテル外へ回してしまっている。紗季さきは立場的に表立って真信を助けたりはできないだろうし、柘弦つづるは人を殺せるような人間には見えない。


 この窮地を乗り切る手札が足りない。


 逃げるしかない。つま先を扉の閉められた出口に向ける。


 その時、足元に振動を感じたかと思うと、ホテルが大きく揺れた。呪術者たちの動きが止まる。地震の揺れではない。どこかで爆発が起きた衝撃が伝わってきたような。


 近くの階層という感じではない。もっと基礎からの揺れ。となれば地下の隠し通路のどこかだろう。


 揺れは続く。床に膝をついて態勢を保つ。皇嗣が驚いた顔をしているということは、彼の策ではないのか。


 かと思えば閉められたはずの扉がすべて勢いよく開け放たれた。そこには軍人風の防護服に見を包んだ男たちがライフルや銃を構えて立っている。


 静音の報告通りの格好。アカデミスタだ。それも真信の位置から見えるだけで三十はいる。廊下のほうにはまだ待機している者がいるだろう。


 呪術者たちの意識が一気に侵入者へと向く。一先ず命の危機は乗り越えたが、事態は先程よりも酷い。


(こんな大人数がいったいどこから)


 正規のルートにはセンサーを取り付けてある。マッドが推測した隠し通路の出口にもだ。だがこんな人数がかかった報告はきていない。


(まさか他にも通路が?)


 網に掛からず移動してきたなら、それしか考えられない。だがおかしい。アカデミスタはどうやってその通路の存在を知ったのだ。


 平賀にあった設計図は最も正確なものだ。何しろ書いたのは設計者なのだから。それを元にしたマッドが計算を間違えるはずもない。例え外部から同等の設計図を手に入れられたとしても、同じ条件下でマッドが読み負けるはずがない。


 マッドですら見抜けなかった通路。それを利用できる者がいるとすれば、それは──


(造った人間しかいない! アカデミスタには平賀の人間がいる。それも、このホテルを設計した当時の人材──初代平賀の生き残りが!)


 アカデミスタが拳銃を近くの呪術者へと向ける。呪術者達もようやく事態の急変を覚ったらしく、迎撃態勢へ移っていく。


 睨み合いがいつまで持つか。あれがなだれ込んできたら本当に逃げ場がない。


 どうする。率先して動くべきか、迎撃に紛れるか。思案しながら腰を浮かしたのと同時、頭上のシャンデリアが計ったように落ちてきた。


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