意外な交流

 静音は角に隠れたまま様子を探ることにした。顔は出さず、鏡を使って状況を確認する。


 通路と通路の合流地点であるそこは、マッドが予測したとおり五メートル四方ほどの空間だった。静音が来た道と別の入り口に通じる道、そして外へ繋がる通路との三叉路になっているなはずだ。


 倒れている男達は六人、傷を見るに全員が氷向ひむかい綾華りょうかの刀で斬られたようである。


 イナーシャが来ていることは真信から周知されていた。綾華りょうかがいること自体は不思議ではない。だが綾華に切り捨てられたあの者たちは誰だ。仲間割れか? 


(服装からして軍事関連者。以前見たイナーシャの者たちとは少し違いますね)


 もちろん外の警備とも、ホテルの人間とも違う。つまりは第三の陣営がここに来ているということになる。


 この状況をどうしたものか。綾華が去るのを待つべきかそれとも──


「ちょっとそこに隠れてるやつ出て来なさいよ。ゴキブリじゃないんだからコソコソしないでくれる?」


(! 気づかれていましたか)


 綾華は苛立っているのか、足元の死体を剣先で刺し続けている。静音は観念して身を乗り出した。こうなったらどうにか足元の死体の情報だけでも引き出せはしないかと思考を走らせる。


「…………」


「素直に出てきたわね。って、あんたどこかで見たような。そう……公園で、あ! 私に発砲してきた女ね!? 奈緒の仲間じゃない!」


「はい、お久しぶりです氷向ひむかい綾華りょうかさん」


「は? あ、久しぶり。……いやのんきに挨拶してんじゃないわよ。あんたなんだっけ、名前」


「静音です」


 答えると綾華は毒気を抜かれたように微かに目を見開いた。


「そう静音、ちゃんと質問に答えるのはいいことよね。でもあんたとの遭遇は予定にないからちゃっちゃと終わらせるわ」


「それは私を殺すということでしょうか。その太刀で」


「ふふん、そういうことよ」


「良い刀ですね。大ぶりなので扱いが難しそうですが、波紋が美しく切れ味も良さそうです。名匠の作とお見受けします」


「そうなのよ。博物館に所蔵されてたのを苦労してパクッてきたわけ。なんでも大昔に鬼やら化物やらを斬ってきた名刀らしいわ。やっぱり道具は飾ったりせずに本来の使いかたをしてやらないと──って、だから! 私はこれからあんたを殺すのよ、どうしていちいち会話してくれようとするのよ! 調子が狂うわねまったく!」


 顔を真っ赤にして斬りかかってきた。静音はそれを半身をずらして避ける。


 返す刀での斬り上げ。後ろに跳躍するがすぐ間合いを詰められる。素早い。だがどんなに当人のスペックが高かろうと、得物を扱う技巧が足りていないのが見て取れる。


 これが慣れたナイフや拳銃での攻防なら刃はあっさり静音を捉えていただろう。


 しかし。


「忠告させていただきますが」


 心臓を狙った突きを銃で殴って軌道をそらす。力任せにまた斬りかかってくるその手首に静音は手刀を入れた。


「その足運びでは長刀の利を活かしきれませんよ」


 すれ違いざまの攻防。

 渾身の力で振りぬいて、綾華りょうかは握っていた柄が手の中にないことに気付く。


 太刀はなぜか、静音が持っていた。


「はあ!? どうしてっ、くそ!」


 理解はすぐ。

 あの一瞬で盗まれたのだ。


 綾華りょうかは振り向きざまに取り出した拳銃を頭部に向けて発砲を──


「…………は」


 したはずなのだが。刀が宙を振りぬいたかと思えば、静音は怪我一つ負っていない。弾かれた何かが地面を跳ねる音が二つ、遅れて聴こえた。


 それが意味する事実は一つ。


「はあーっ!? たっ、弾を斬った!!?? ありえないわふざけんな!」


 そうとしか考えられない。この薄暗い場所で、事前の申し合わせもなしに、自分を狙った弾丸を切り裂いた。そんな芸事ができる人間がいるわけがない。あまりの出来事に綾華の頭はパニックにおちいりかけた。


 対する静音は落ち着いている。


「貴女が正確に頭部を狙ってくれたおかげですよ。次は無理です。私、の扱いには少々自信がありまして。ご当主様直々じきじきにお褒めの言葉を頂いたこともありますし、私のような凡骨が真信様の付き人になれたのもこの一芸のおかげ……。まあ、実戦では価値のない特技ではありますが」


「いやいやいやいや、十分すごいわよ。意味のわかんない謙遜けんそんしてんじゃないわよ」


「銃火器での交戦が基本の現代では刀など、よほど特殊な状況下でなければ実用的ではありません。持ち運びも不便ですし」


「今使えてるでしょ。役立ってるでしょ。なんで自分の腕をそう卑下してんのよ」


「遥か剣聖の方々に比べれば私なんて比べるべくもありません。剣豪と呼ばれた方々であれば、今の一瞬で綾華りょうかさんの首を落すこともできたはずです。奪うので精一杯だった私の腕前はやはり平凡ですね」


「どこと比べてんのアホなの!? ──っ、もういいわ。それ返しなさい」


「はい」


「いや返そうとするな素直か! なんなの? 何が目的なの馬鹿にしてんの?」


 柄のほうを差し出すと手をはたかれた。なぜか受け取ってくれない。仕方なく太刀はそのままに笑いかけた。


「聴いていたよりも面白い方ですね、綾華さんは」


「…………敵のくせにこの私とまともに会話しようとするなんて、あんたも良い奴じゃない。気に入ったわ。イナーシャに来ない?」


「引き抜きでしょうか。申し訳ありません、私は真信様の部下ですので。お気持ちだけで」


「でしょうね」


「平賀を嫌っている貴女がどうして、関係者である私を?」


「別に、ひと月弱も子守りさせられてたら考えも変わるわ。人を変えるのは悲劇でもドラマでも奇跡でもなく、子育てよ」


 綾華が元から死んだ眼をさらに濁らせ大きなため息を吐く。そこに多大な疲労を感じ取って、静音は慰労の意を表した。


「ご苦労なさっているのですね。子どもの相手は予想外のことが多くて疲れる気持ちも分かります」


「その通りよ。裏のないねぎらいの言葉は気持ちがいいわね。そうだわ、あんたら平賀から出てきたんでしょ? よく考えたら私たちの立場はむしろ近い気もするわ。永吏子えりこもそうなんだし」


永吏子えりこさんをご存知なのですか」


 永吏子えりこがイナーシャにいるのならおかしいことではない。綾華りょうかが遠くを見つめ、またため息をつく。


「ええ、アレの子守で消耗してんのよ私は。静音もあれとは関わらないほうがいいわよ。あれを同じ人間だと考えちゃだめ。子どものほうがマシ。永吏子えりこの中じゃ、自分も他人も等しくただの人形なんだから。いい? 会ったらすぐ逃げるか、躊躇ためらわず殺しにかかりなさい」


 かつてないほどの真剣な眼差しに静音は気圧されてしまう。


「い、いいのですか。永吏子えりこさんは仲間なのでは」


「別に、永吏子かあんた、どっちが死のうと私に関係ないわ。死んだほうが弱かっただけ。他人がどれだけ死んだって悲しむ人間じゃないのよ私。両親が死んだって心動かなかったし」


「ご両親のかたきを取るために呪術者に復讐しているのだと思っていましたが」


「否定はしないけど、第一目標でもないわよ。あの人達は楽しんで生きてその結果に死んだ。だから二人の無念なんて私には関係ない。私は私を弄んで、あったはずの幸福を奪った奴らに、私のために復讐するの。そうしないと気が済まないから。そうしないと私という人間が死んでしまう気がするから。呪術者も平賀もぶっとばして、私は自分を貫く。私は私だけのために、できることは全部するのよ」


 自身の意思を肯定するように断言する隻腕の少女に、静音は脳裏をよぎる声を感じた。


 ──みんなのために、できることは全部やろう。


 先刻の真信の言葉だ。静音は思わず笑みをこぼした。じぶんのためか、人のためか。違いはそこだけだ。


「ふっ、全く正反対なのに同じところへ行き着くのですね、あなた達は。なるほど。奈緒さんの仰る通り貴女は皆さんとは気が合いそうにない。ですが私は、綾華りょうかさんのこと嫌いじゃありませんよ」


 いつも遠慮したり謙遜けんそんしたりしてしまいがちな静音としては、これほどまでに自分勝手な人はいっそ尊敬に値する。見ていて単純に面白いと思う。


 少女が面食らったように顔を伏せた。


「…………ありがと」


「いまなにか仰いましたか?」


 綾華りょうかがなにか呟いた気がして聞き返す。だが彼女は苦虫をバケツ一杯分くらい噛み潰しような顔で無い腕を握り舌打ちする。


「ちっ。……いい? 永吏子えりこは平賀真信と会わせるべきじゃない。あの男にはこの腕の落とし前を必ず付けさせるけど、それとこれとは別。たぶんあんたらみんなが不幸になる。だからやっぱり逃げるか殺すか、腹を決めときなさい」


「ご忠告ありがたいのですが、それはできません。真信様が永吏子えりこさんと会いたがっています。あの人のために永吏子さんは殺せません」


「相手の望みが必ずそいつのためになるってわけじゃないでしょ」


「────ぁ」


 少女の呆れた口調に、頭を殴られたような衝撃を受けた。


 確かにその通りだ。真信が永吏子えりこと会いたがっているからって、二人を会わせるのが最善とは限らない。会わないほうがいいかもしれない。知らない方がいいかもしれない。そのもしもを考えなかったのは、静音がただ真信の指示に従っているだけだからだ。


(やはり私も、他の門下と変わらないのですね)


 あの従属を駄目だと感じていたのに、それを自分に当てはめていなかった。


 彼の願いが、彼のためになるわけじゃない。まさしくそうだ。


 では、そう。

 真信のために、真信の望まぬことをしなければならない時がくるかもしれない。それを誰ができる。


 深月は常に自分の道を貫く。それに二人は互いに自分の痛みを相手に見せないようにしているようだ。


 奈緒は真信が道を間違えたときに殴って止めてはくれるだろうが、それまでは真信の意思を尊重するふしがある。


 マッドはそもそも誰も殺さない。過度の干渉を避けている。


 他の元門下メンバーは候補にすら上がらない、彼らは主人に地獄まで付き従うだけだから。


(これでは……)


 真信の笑顔のために、真信の大切を壊せる者が、いま身内にいない。


 だったらその役目は、

 真信に嫌われてでも彼の笑顔を守る役目は、自分が背負うべきではないのか。


 考えがそこに行き着いて、静音は太刀を握る手に強く力を込めた。拳から血の気が引き、柄糸が食い込む。その痛みに彼女は穏やかに笑った。


 怪訝けげんな顔で静音の様子を窺っている綾華りょうかを見つめ返す。


「自分の担うべき役割がようやく分かりました。ありがとうございます、綾華りょうかさん」


「な、なによ。私なにもしてないわよ」


「いえ、貴女のおかげです。ところで、貴女は外からこの通路へ? どうやってここを知ったのですか」


 体感時間からタイムリミットを推測した静音が話題を転換させると、綾華は不思議と言葉を詰まらせた。


「それはあんた──。いや、そうね。外から来たわ。この道が使えるか確かめに来たの? でもここの通路はあとで潰すわよ」


「潰す?」


「爆弾仕掛けたところだったのよね。アカデミスタの連中がうじゃうじゃ入ってくるはずだから。侵入を防ぐなら通路ごとぶっ壊すしかないでしょ」


「綾華さんそれはどういう──」


 聞き覚えのありすぎる固有名詞だった。アカデミスタは御呉おくれを壊滅させた危険な集団だ。兵器開発と販売を主な活動にしているようだが、皇嗣のパーティーに何の用があるというのか。


 だがもし現在ホテルを強襲しようとしてる者達が本当にアカデミスタなのだとすれば、綾華が切り捨てた死体の正体にも納得がいく。


 であれば、イナーシャは何をしにここへ来たのか。

 どうしてアカデミスタと敵対し、会場を守るような行動をする?


 訊かねばならないことがたくさんある。だが通路の奥から複数の靴音が響いて来て、静音は口を閉ざした。


 代わりに綾華りょうかが好戦的に笑う。


「噂をすれば影ね。ちょっと足止めして溜めてから爆破させるわ。静音は用が済んだでしょ? 下敷きになりたくなければさっさと戻れば?」


 少女の意識はもう殺し合いへと向いてしまったようだ。静音は少し考え、太刀の柄を差し出した。


「綾華さん、これを」


 武器は多い方がいいだろう。だが綾華は視線を一瞬向けただけで、興味なさげにかぶりを振った。


「自分の実力不足で盗まれたもん取り上げるほど落ちぶれちゃいないわよ。あんたのほうが扱い上手いでしょ。私は慣れてる得物があるからいいの。それあげるから、アカデミスタ見かけたら代わりに斬っといてちょうだい」


 受けとるどころかさやを投げ渡される。綾華が腰の山人刀を引き抜いて拳銃と共に構えた。

 靴音はもうそこまで迫っている。


 静音はきびすを返しながら太刀を鞘へ仕舞う。


「ありがとうございます。では今度、必ずお返ししますね」


「だからいらないって──ってもういない」


 綾華が振り返るとそこに静音の姿はなかった。来た道を引き返していったのだろう。代わりに正面から現れた軍隊風の部隊に、苦笑しつつ刃先を向ける。


「変な奴。今度なんて、あるかも分からない約束してんじゃないわよ」



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