奮い立つ


姐御あねご、なんかいいことありました?」


 ホテル外周の見回りで合流した竜登りゅうとがだしぬけにそんなことを言う。


 静音は意識して顔を引き締めなおした。


「ええ、少し考え事をしていました。それと『姐御』と呼ぶのはやめて下さいと何度も」


 警備指導者から指示された所定の位置につき、互いに声が届く最低限の声量で指摘する。

 竜登は固辞するように首を震わせた。


「やぁ、姐御は真信まさのぶ様の付き人だし、階級めっちゃ上だし。俺なんかじゃ名前呼べませんって」


「我々はもう平賀の門下ではないのですよ。階級は関係ありませんし、私も付き人ではありません。あの屋敷にそんなものは必要ないでしょう」


「つっても、この生活だっていつまで続くか分かんないし」


 不貞腐れたような言い訳だった。その発言が不思議と静音に不快感をもよおさせた。


「……それは、真信様が深月さんを置いて平賀にお帰りになると言いたいのですか」


「なんで微妙にキレてんすか。別に平賀にって限定してるわけじゃないですけど……」


 予想以上に威圧してしまったのか竜登の歯切れが悪い。じっと見つめると、彼は身じろぎしてため息をついた。


「だって展望もなんも見えないじゃないすか。カミツキの姫さんがどうすれば救われるのかって、呪詛とかいうの全部削りきれっていうんでしょう? 現状じゃ途方もなさ過ぎて現実味がない。それより当主様のお考え通りになるほうが分かるっていうか。ほら俺らだって、そのほうがいいでしょ」


 当主のプランでは、真信は深月を救えず失意とともに平賀へ帰ることになっている。少なくとも真信はそう考えていた。確かに解決策のない狗神の問題よりは現実的だ。だがそれを覆そうと必死になっている真信を見ている静音にそんなことは言えない。考えることすら逆心になるようで恐ろしい。


 竜登は単純な男だ。門下の純正に近い。彼の意見は多くの門下に共通するものだといえる。

 まさか自分以外の門下がそんなことを考えているとは。夢にも思わなかったから、静音は最後の問いには答えなかった。


「全部上手くいって、真信様が平穏を手に入れられるとは思わないのですか」


「そりゃないっすよ。だって真信様ですよ? 平賀の三男坊様だ。あの人がどれだけ願ったって周りが放っておきませんて。生まれたときから平穏ってものからはほど遠いお人だ。だから俺らもずっと真信様のために働けるんだし」


「私たちがお役に立てなくなったら。私たちが必要でなくなったらとは考えないんですか」


 真信が幸福になれば、その道にはきっと静音たちの姿はない。血濡れた道でしか役に立てない自分たちでは真信の邪魔になってしまう。

 その不安を他の者は抱かなかったというのか。


 竜登の口角は上がったままだ。


「や、あのお方はどうなっても俺らを見捨てられないでしょうから。姐御もそんな余計なこと考えずに安心していいんすよ。真信様は俺らを守ってくれる。守って、消費して、気持ちよく使い潰して生かしてくれる。先のことを悩む必要なんてないんすよ俺らは」


 浮かべる笑みはいい得も知れぬ恍惚こうこつに染まっていた。以前はそこかしこに溢れて当然のように思っていた表情だが、時と場所を隔てると見えかたも変わってくる。


(私も同じだったのですね)


 これが、追従するだけの人間の末路だ。門下のあるべき姿であり、平穏からすれば忌むべき姿。従うことだけを生きがいに考えることをやめて、他者にすべてを預け依存するのだ。命令に従うことを至上とすることは、責任を背負わないことを意味する。


 ならば代わりに責任を負うのは誰だ?


 決まっている。我らが主君、平賀真信。


(ですが、それじゃあ)


 そこに真信が笑っていられる余地などあるか。


「──俺は真信様のためにそうやって気持ちよく死にたい。姐御は違うんですか?」


 質問に思考が引き戻される。静音は答えようとしたが、なぜか焦点が定まらなくて視線を落とす。


「私は…………死にたくは……」


 言葉が口をついて出ない。喉で形作られたはずの音が口内で霧散してしまう。


 どうしてだろう。真信のために死ぬ覚悟はとうにできている。真信にここで死ねと言われれば躊躇ちゅうちょなく実行するし、なにより静音は己の死を真信に嘆いて欲しかったのではないのか。


 けれどそこには何か違いがあるような。

『死にたいか』と問われると反射的に思う。『死にたくない』と。


 死を受け入れているのに、死にたくないのは、どうして?


 静音は平賀でずっと、ただただ死にたくないと願っていた気がする。真信と出会うまでそれだけを胸に秘めて、そのためだけに足掻いていたはずだ。


 死ぬのが怖いから。


 そんな原始的な感情だけで生き残るための道を走っていた。なのにどうして自分は死を前提にした願いを抱くようになっていたのか。


「? 姐御? 作動停止したロボみたくなってるんすけど大丈夫かこれ、おおい?」


 そこに緊急連絡が入った。


『待機班よりS1エスワンへ、C1シーワンから通達あり。FH・B地点で敵影を確認。一階から二階までのセンサーに複数反応あり、事態はプランDへ移行中とみられる。C1シーワンから追加命令を受託、全体は作戦番号08へ移れ』


 真信の命令だ。脳内のスイッチが切り替わる。


S1エスワン了解。全体、聞いていましたね。作戦番号08を受領、S4エスフォー以上は至急行動に移ってください。S5エスファイブ以下は穴埋めを行い、次の合図まで警備を継続するように」


 最低限の指示を出して静音は即座に警備を抜け出した。


 どうやら思い悩んでいる時間はないらしい。





 今回はいつもと違い準備する時間があり、事前に図面も手に入っていた。何が起きても対応できるように複数の作戦が立てられている。そのうち作戦番号08は、いわば敵影が真信たちだけでは対処しきれない数であった場合に、撤退を前提とした前準備である。どうやら手分けして設置したセンサーが捕らえた敵影はよほどの数を示していたらしい。後程正確な数値が報告されるだろう。


 静音を含めた数人で、マッドが割りだした隠し通路のうち、退路にできそうなものを確保する手はずだ。なにせ数十年前に作られた通路だ。手入れする人間はおらず、ホテルに改修する際に外部工事の手も入っている。穴がふさがっているなど使えなくなっていることがあるだろう。なにより隠し通路に気付いた敵に先回りされている可能性もある。確認が必要だ。


 静音は警備の目を盗み、一階の物置部屋へとやってきた。備品の並んだ棚をどかして壁面を露わにする。ここが通路の入り口のはずだ。壁紙を剥がすとレンガが小口積みになっていた。基本的な部分は建築当時のまま触っていないらしい。


「手抜き工事で助かりましたね」


 独り言を呟きつつ壁をあらためる。レンガとセメントに都合のいい隙間はないようだった。経年劣化を考慮しても押せば崩れるような代物ではない。だが、マッドがここにあると言ったのなら、入り口があるはずだ。


(この規模の建築物で爆薬の使用を前提にするとは思えませんが)


 そうなるとどこかに通路を開くヒントがあるはずだ。レンガの繋ぎ目を指で辿るように観察していく。レンガの寸法が少しずつ違う部分があることに気付いた。


「なるほど、これ自体が式なのですね。寸法の割合……いえ、緊急時の混乱も考慮されているはず、それほど複雑なはずは……ああ、個数を用いた……つまり座標に変換を」


 頭の中で展開された数式が瞬時に解を導く。


 天井を見上げる。おもむろに拳銃を取り出した。棚と壁に両足をひっかけ真新しい天板を外すと、古い羽目板が姿を現す。それに狙いを定めて銃のグリップで軽く殴った。


 予想通り板の一部が簡単に外れた。真っ暗な穴に手を差し込みまさぐると、レバーらしきものがある。しっかりと掴み体重をかけて引っ張る。


 振動音がして壁が動いた。上塗りのセメントが剥がれ落ち、人一人通れるほどにレンガが押し開かれる。奥に進むにつれ広くなる通路がそこにはあった。


 予測通りなら、この通路は地下を経由して地上に出られる造りになっているはずだ。


「さて、途中で崩れていなければいいのですが……ん?」


 耳が異音を拾う。部屋の外からではない。通路のほうからだ。銃とライトを手に真っ暗闇に飛び込んだ。


(まだ遠いですが……やはり悲鳴が響いてくる。どうして)


 通路を進むにつれ周囲が明るくなっていく。あの入り口を開けたことで非常用の照明が点灯したらしい。これなら行動に支障はない。自分の居場所を知らせかねないライトを消し、慎重に駆ける。階段を降りて地下空間へ入った。


 角の向こうが広めの空間になっているらしい。手前で速度を落とし、背を壁に向こうを伺う。


 薄暗い背景に、人の倒れる音がして長物が照明を反射する光が閃く。多数の死体を踏みつけ、そこに一人の少女が仁王立ちしていた。


「ったく、うじゃうじゃ湧いて出てんじゃないわよ、キショイわね」


「あれは……」


 たしか以前に会ったことがある。アッシュピンクの髪を上部でお団子にまとめた、濁った三白眼をした少女。


 片腕で反りの強い太刀を振り回し何者かたちを殺し尽くしていたのは、イナーシャ構成員氷向ひむかい綾華りょうかだった。



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