過ちは去らず


 奈緒なおが己の経歴詐称遍歴と向き合っていたころ、一方の真信は乾燥機のスイッチを押していた。


「いや悪いな、付き合わせて」


「一人で行動するのは危ないですし」


 謝罪に振り返る。そこにはシャツ一枚の柘弦つづるが座っていた。髪がまだ少し濡れている。


 ここはホテル内二階にあるコインランドリーだった。乾燥機の中では柘弦のスーツがぐるぐる回っている。彼のスーツが安物のポリエステル製でよかった。五分もすれば乾くだろう。


 こうなった原因を説明するのは少し複雑である。会場でぶつかり事故を起こした客とスタッフの持っていたコップが宙に舞いさらに途中で水がその中へ注がれた挙げ句コップ二つぶんの水が柘弦つづるの頭の上へと降り注いだのだった。


 真信はあんな奇跡的なピタゴラスイッチを見たのは始めてであるが、柘弦は慣れているらしい。慌てず騒がずスタッフの誘導に従っていた。真信は紗季さきに頼まれて彼の付き添いに来たのだ。


「結局、このコサージュは何なんだろうな」


 暇なのか、柘弦つづるがスーツから取った白い造花を指先で弄んでいる。真信も隣に腰を下ろした。


「実害があるほど呪詛がもってないから詳しく分析できないって深月も言ってました。来客者全員付けてましたけど、呪詛が込められてるモノと込められてないモノがあるようですし」


「んじゃ放っておいていいものなのかね」


「どうでしょう。来場者どころか警備の者にも着用が義務付けられていると報告があったので、意味はあるのかもしれません」


「となると識別証の代わりか? そうなると迂闊うかつに外せないか」


 造花をテーブルの上に置く。代わりに煙草を取り出した。視線で許可を求める柘弦つづるに備え付けの灰皿を差し出す。柘弦は受け取って壁際に向かい、窓を開けた。外に広がるのは雑木林だ。遠くに警備の光が見える。


「マッドと深月の見解を合わせると、どうやら呪術者らしき人間の花には呪詛が込められているようです。けど僕ら三人の花は呪詛入りですが、マッドたちに配られたのは正真正銘ただの造花だと。この差はなんでしょうか」


「たぶんあれだな、入り口でどっちを渡すかもう判別されてたんだろうな。案内も向こうと別ルートだろう」


「それはどういう?」


「気づかなかったか。怪しい連中は俺達と同じ側から入って来てた。金持ちそうなお上品な連中は逆側からだ。招待状で区別して、案内する方向を変えてたんだろ」


「その上で僕ら側には小さなタブーを侵させたということですね。花と関係がないというほうがおかしい」


「だな」


 柘弦つづるがため息と共に煙を外へ吐き出した。紫煙が暗くなった空へ立ち上っていく。


「分かってて対処できないようにしてやがる。いや対処しようがない。俺達は望んでここにやって来た。他の呪術者連中もそうだろう。たとえ怪しいと思ってても、皇嗣こうしの話を聞く権利になるかもしれないこの花を捨てることができない。あの皇嗣、思ったよりよっぽど意地が悪いな」


 舌打ちを漏らして灰を落した。前髪を掻き上げ、煙草を挟んだ指で真信を指差す。


「んで、さっきからちょくちょく思い悩んでるような顔してるが、どうした」


「えっ、そんな顔してましたか」


「まあな。何か知らんが、話しだけなら聞くぞ。どうせ俺達は今日限りの付き合いだ。旅の恥は搔き捨てっていうだろ。おっさんに話してみろ。まだ乾燥終わりそうにねえし」


 煙草の先が今度は乾燥機を示す。確かに表示された時間は半分残っている。煙草もまだ長い。真信はそれに頷いた。


「そうですね。他にやることないですし。同性のほうが相談しやすいかも」


「なんだ男女関係か、青春アオハルか。おじさんにはキツイ話かもしれん。まあ、あんなべっぴんさん達に囲まれてりゃ悩みも出てくるか」


「べっぴん──ですよね。三人とも可愛いですよねっ」

「そっ、そうだな」


 突然真信につめ寄られ柘弦つづるが声をひきつらせた。反射的に煙草を真信から遠ざけている。気だるげな印象と違って彼には気遣いが染みついているらしい。柳楽なぎら紗季さきのような我の強そうな人物がどうして彼を傍に置いているのか、理解できる気がした。


「でも、もう一人いるんですよ美人な女性ひとが」


「まだいるのか。すげえな」


「ええ。部下なんですけど、悩みもその人についてでして」


 柘弦つづるから離れて改めて腰を下ろす。どこから話していいか分からず、問いから入った。


「僕が平賀の息子だってことは聞いてますか」


「お前らの事情は柳楽なぎらから一通り聞いてる。……悪いな」


「いえ、ありがとうございます」


 バツが悪そうな顔をするこの男性は、本当に善人なのだろうなと、そんなことを真信は考える。


 自分と比べて、考えてしまう。


「じゃあ話が早いや。僕って、昔はクソみたいな人間だったんですよ」


「は?」


紗季さきさんが言ってた僕の評価、正しいんです。人の弱味に付け込んでたぶらかすってやつ。あの頃の僕は精神的に弱ってる門下を見つけては、優しい言葉をかけて口説いて回ってたんです。相手を一人の人間として肯定してやって、ちょっと褒めれば、みんな心を開いてくれる。僕のために命をかけてくれる。人権を蔑ろにされてる門下って奴らはみんなそう。もちろんそれだけで人が落ちるわけなくて、これはあの平賀って空間で、僕が平賀の三男だったからできた一種の洗脳です」


 人は目上の人間に認められると、そうでない人間に褒められる数倍の喜びを感じる性質を持つ。平賀のような閉じた縦社会ならばなおさらだ。真信は三男といえど当主の息子。若い門下からすれば雲の上の存在だ。


 事実、平賀と関係のない相手にこれが成功したためしはない。


「それはお前の発案じゃないな」


 柘弦つづるが低く呟く。真信は頷いた。


「はい、父です。僕は兄たちみたいなカリスマはありませんでしたから、そうやって相手に取り入るしかないだろうって。僕のために進んで命をかけてくれる駒を作らないと、平賀では生きていけませんでしたから。門下は都合のいい道具だったんです。静音もその一人でした」


「さっき言ってたもう一人の美人さんか」


「ええ、優秀な人間がいると聞いて同じように声をかけたんです。そしたら予想以上に僕を気に入ったらしく、付き人に立候補してきて」


「付き人?」


「秘書みたいなものです。平賀の任務は適材適所で毎回人員が変わりますが、付き人だけは常に上官と一緒なんですよ。僕は兄たちと違ってずっとそれを持ちませんでした。そこまで他人を信頼できていなかったもので。でも静音の目が驚くくらいキラキラしてて。それが他の門下のものとは違うものに見えて。なんでか受け入れちゃったんですよね」


 静音の視線を思い出す。彼女の中には真信への信頼と期待があった。それは他の門下と同じだ。だがその意味がどこか他の門下とは毛色が違うように感じて、その正体を知りたくて傍に置いてしまった。


 視線の意味には、すぐ気づいた。


「静音は僕を本当に良いモノとして見るんです。俺はそんな良いモノじゃないのに、誤解してるんです。でも間近でずっとそんな目で見られ続けて、その視線を気にし続けて、それで僕はだんだんと、本当に良い人になっていったんですよ。静音のあの目を裏切れなくて、良い人のふりをしてたらいつの間にか」


 昔の真信は自分が一番大切だった。だがその順位がどんどん変わっていって、いつの頃からか本当に、他人を優先するようになっていた。

 味方を増やすパフォーマンスとして門下の命を守っていただけのはずなのに、それが手段ではなく目的に移り変わっていたのだ。


 それは真信自身ですら予想していなかった変化だ。


 煙草を根本まで吸い終わった柘弦つづるが納得したように火を消した。


「『偽装はやがて自分の天性へと帰る』。ローマの哲学者ルキウス・セネカの言葉だ。偽りの仮面は永遠に被り続けていられない。仮面が自分そのものになるって意味だ。悪い意味で使われがちだが、お前さんみたいに良い影響もあるんだろう」


「なるほど……」


 博識なのだなと見つめると、柘弦つづるは「こういう雑学知ってると生徒の評判が上がるんだ」と言って二ッと笑う。真信もつられて笑いながら肯定した。


「そうですね、仮面だって自分自身だ。そうやって僕は普通の感性を持つようになって、普通になったから平賀にいるのが耐えられなくなったんでしょう」


 真信は静音のおかげで人間になれて、静音のせいで平賀の生活に耐え得る精神性を失くしたのだ。


 平賀を出てすぐ、思ったことがあった。

 いったい自分はいつから平賀家から逃げたいと思い始めたのか。

 そのきっかけを分からずにいた。


 今なら分かる。静音に出会ってからだ。静音に出会って、あの目を裏切れなくて、普通を演じて、そうやって普通になってしまったから異常が──平賀が嫌になってしまったのだ。


 けどそうやって平賀から逃げ出さなければ、真信が深月と出会うこともなかった。


 だから思う。


「静音のおかげで僕は今ここにいることができる。そのことについさっき気がつきました」


 静音の笑顔を見て、彼女が真に、平賀の次期当主としてではなくただの真信その人を求めてくれていると思い知って。ようやく自分の想いにも気づけた。


 静音は樺冴かご家に来てから一度も真信を「若」と呼ばない。他の門下は時々真信が平賀に戻る可能性をほのめかすのに、静音だけは絶対にそれをしない。そんな彼女に真信は、自分で思っている以上に救われていた。


 だからこそ胸が重くなる。


「それの何に悩んでるんだ」


 乾燥機が止まる。柘弦つづるがシャツとスーツを取り出しながら怪訝な顔をする。

 真信は躊躇いながらも、どうせならと最後まで情けない自分をさらけ出すことにした。


「僕は彼女から一回逃げてるんです。今一緒に居られるのは、静音が僕を追いかけてきてくれたからだ。だからその……静音の存在の大きさに気付いて戸惑っているっていうか。ずっと彼女を騙して利用してきたことをどう謝罪すればいいのかとか。考えてしまって」


 静音が思うほど真信は善人じゃない。彼女の憧れと現実との食い違いを理解したうえで真信は静音をかざむいて利用してきた。いまさらどう報えばいいのか、受けた恩が途方もなさすぎて思いつかない。


 真信が唇を噛みうつむくと、柘弦はシャツのしわを伸ばしてドでかいため息をついた。


「はぁ、どうして真面目な奴は同じとこでつまづくかね。ヘタに罪悪感こじらせやがって」


柘弦つづるさん……?」


 スーツを羽織った男が、真信の肩を軽く叩いた。


「あんま思いつめるなよ。お前の本性がどんだけ悪人だって、その子がお前に夢見て得た救いは、そんくらいじゃひっくり返ったりしないんだから」


 柘弦つづるが襟首を正しながら笑う。彼の表情は優しかった。真信の周囲にいままで居なかった、見守ってくれる大人の眼だった。


 思わず言葉を失う真信に、柘弦つづるは続けて語る。


「安心しろ。これは経験談だ。言葉にどんな裏があろうと、そいつに救われてた過去ってのは変わらない。

 だから背負うべきは自分の分だけだろ。その静音って子の願いはその子だけのものだ。お前が肩代わりすべきもんじゃない。彼女からそこを奪うな。まあなんだ。そのうえで、お前の言葉でお前の想いを伝えてやればいいんじゃないのか?」


 照れ隠しのように最後を投げやりに言う。


「そう……ですね」


 柘弦つづるの伝えたい意味を全て理解できたわけではないが、それでも彼の言葉は真信の胸に響いた。


「はい。それだけでいいんだ、きっと」


 もしかすると自分は難しく考えすぎていたのかもしれないと、納得がじわじわと胸の内に広がっていく。立ち上がってランドリールームを出るころにはすっかり心が軽くなっていた。


 前を行くこの広い背中に感謝せねばならない。声をかけようとすると、柘弦つづるが急に振り向いた。


「ところで、お前の名前なんだっけ。最近、物忘れが激しくてな。悪い」


「………………真信です」


 いろんな感情が心中に渦巻き、やっとそれだけ答える。

 

 こっそり嘆息をこぼすと、耳が小さな異音を捉えた。


 廊下で立ち止まり壁を見る。そこは図面通りならば外に面しているはずだった。ここは二階だ。通路も外階段もない位置だ。だが音は確実に壁の中から聴こえた。


 真信はそでのスイッチを操作し、えりに隠したマイクへ囁く。


C1シーワンから待機班へ。FH・B地点で動きあり。至急センサーを確認せよ。──柘弦つづるさん、急いで戻りましょう。嫌な予感がする」



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