人脈
普段はテレビの向こう側にいる人物が手の届く場所に現れたとき、一般人がとる反応は二種類に分けられると真信は思う。
少しでも交友を持とうと近づいていくか、もしくは距離を取ろうとするかだ。
もちろん理由は人それぞれだろう。有名人に会ったことを人に自慢したい。単純に相手に関わりたい、逆に相手を邪魔したくないという考えもある。
真信はどちらかと言えば後者だ。できるだけ相手を
彼は思ったよりも着古されたスーツに身を包んでいた。肩口の生地が微かに毛羽立ちしている。あれではもう少しで毛玉になってしまう、ケアせねば。つい主夫の心が先走りそうになったがその場で耐える。
そんな威厳の感ぜられない外見であるのに、皇嗣が場に登場した途端に会場の空気が変わった。それを真信は耳を澄ませて感じていた。
この会場はとても静かだ。邪魔な音楽が響かず、市街地から離れているから外の喧騒も届かない。これだけ状況が整えば、真信は会場の向かいの囁きまで誰のものか判別できる。
『三男は驚くほど耳が良くて、人の弱味に付け込み
だから断言できる。誰もが皇嗣に深い敬意を向けている。呪術者たちはもちろん、それ以外の者達も彼を
あの男にはそう感じさせる何かがあるのだ。
「みなさん、本日はよくお集まりいただけました」
皇嗣がマイクに向かって笑う。会場がどっと歓喜に満たされた。起こる拍手が場を揺らすかのようだ。
拍手が自然と止むのを待って、皇嗣は続ける。
「急な招待にも拘わらず、多くのかたにご参列いただけたこと、まことに感謝申し上げます。本日みなさまをお呼びしたのは他でもありません。先日の我が尊父の発表について、わたくしの口から直接お話させていただこうと思ったからです」
今度はざわめきが起こった。真信も息を呑む。皇嗣の父、
真信達がこの会場に潜入した目的はいくつかある。皇嗣がここで何を語るか確かめに来たのだ。そして見極めねばならない。
皇嗣の立ち位置、今後の呪術社会についての展望、その上でカミツキ姫はどう動けばいいのか。帝とも宮内庁とも繋がりが経たれた現状では、帝の部下である源蔵とその命令下にある深月の立場もあやふやだ。
なによりなぜ帝があの決断をしたのかを、
だがもしも、誰か第三者に
今後の方針に関わる事実が明かされるかもしれない。見れば深月も真信同様に緊張しているようだった。彼女の隣にそっと一歩移動する。同時に周囲へ目を配る。皇嗣の登壇に怪しい動きをする者は今のところいないようで、こっそりと安堵の息をついた。皇嗣の安全確保も源蔵から指示された真信たちの任務の一つだ。
まだ油断はできないし、この安全確保こそが一番の難題になりかねない。会場付近にイナーシャの人員がいた以上、何も起きないはずがないのだから。
皇嗣が会場を見渡し、全ての視線が自分に向いていることに頷いてようやく、語り始めた。
「八月八日に公開されたビデオレターを見て困惑したのは皆さまだけではありません。わたくしたちも同じです。父は──帝はあれを、家族である我々にも相談せずお一人でご決断なさった。わたくしたちも知らされてはいなかったのです。そうです、ええ、退位宣言はあまりに唐突でした」
沈痛な面持ちで言葉を区切った。
呼吸一つ置いて今度は力強く口を開く。
「ですが父の体調が優れないのも事実。この選択は必然であったのかもしれません。父も熟考のすえ、ああいった決断に至ったのでしょう。帝は常にこの日本国を一番に考えている。それを一番近くで見てきたわたくしだからこそ、我々帝家は帝の意思を尊重したいと思っております。皆さまの中にも帝の判断に疑問を抱いている方がいるでしょう。ですがここは一度、肯定的な姿勢で待っていてはもらえないでしょうか。わたくしももちろん、まだまだ皆さまと確かめねばならないことがあるのは承知しています。だからこそ、ほんの少し、時間が必要なのです」
その目配せは全員に向けられているようで、偏りがあるのを真信は見逃さなかった。これは全ての人間に向けた言葉ではない。呪術者らしき者達へ向けられている。
それから数分ほどこの演説めいた挨拶は続いた。皇嗣はあくまで低姿勢に、当たり障りのない対応を心掛けているようだった。だが言葉の端々に、それと知る者にだけ分かるニュアンスが隠されている。
これで確信した。皇嗣は今日この場で、呪術社会に関する何かを方向づけようとしているのだと。
「──ですから日頃わたくしたちどもの意向を汲んでくださる皆さまを労うべく、こうしてささやかながら一席ご用意させていただきました。どうぞ最後まで、お楽しみください」
皇嗣は終わりの言葉を少しだけ強調させて、壇上袖へ消えて行った。湧き上がった拍手に代わるようにして会場にざわめきが戻る。
皇嗣の言葉はつまり、もっと聞きたいことがあれば最後まで待てと、そういうことなのだろう。
真信は深月の耳元で小さく囁いた。
「追う?」
「……ううん。直接行っても話は聞けないと思う。たぶんあの人、そういう意思の強い人だよ。それより今の発言に対する周りの意見を聞きたいかなー」
「分かった。それぞれ情報収取に徹しよう。僕は
「うん、あとでね真信」
皇嗣は今のところ退位に肯定的だ。それは問題でもある。
深月自身が深く考え込んでいることを察して、真信は邪魔をしないよう彼女と別れた。
何より真信も、考えたいことがあったのだ。
真信から連絡があり、ひとまず皇嗣が再度姿を見せるまでは各自で思い思いに行動することとなった。
社交界慣れしていない奈緒はマッドに張り付いていることにしたのだが、それすら
(囲まれてるなぁマッドさん。さすがさすが人気者ですよね~。まああんな美人いたら声かけますよね、普通)
マッドのもとには次から次へと挨拶に人がやって来る。ほとんどが初対面の人物なようだが、中には顔見知りもいるらしい。
「お久しぶりですわ、ふみか様。こういった場にいらっしゃるのは珍しいですわね。お身体の調子は良いのですか?」
「これは美崎様、お久しぶりですぅ。最近は調子が良いので、せめてお父様の代わりになればと」
「お父様達は来ていらっしゃらないのですね。お世話になってますからご挨拶をと思ったのですが残念です。ああ、例の事業ですが、あれから軌道に乗りまして。すべて
「はい、父にお伝えいたしますわ」
「それにしてもふみか様は本日もお美しくいらっしゃる」
「そんな、美崎様にそう仰っていただけるなんて光栄ですぅ。あら、良い香りがしますね。香水を変えられたのですかぁ」
「! ええ、ええ。新しいムスクを試してみましたの。どうかしら」
「柔らかな当たりに南米の風土を思わせる温かさがありますねぇ。これはもしやラボル社の? 発売以降、大変な人気に品切れが続いているとお聞きしてましたが」
「さすが目利きのふみか様。わたくしラボル社とは付き合いがありまして、今回は調合から関わらせていただいてますのよ。それとこちらの指輪なのですが──」
と、無駄に長々と回りくどい自慢話をしていく。女の交流などどんな階級でも変わらないのだなと感心するほどだった。
(やっぱ一般人からは有益な話は聞けそうにないし、聞けるならマッドさんがやるでしょうし、これあたしいらないな~。暇だなぁ~。どうしよっかなホント。…………ん?)
不自然に思われない程度に周囲を観察していると、陰気な集団と目が合った。スーツとドレスに着られている感じの、三人組の男女だ。四十代くらいだろうか。周囲から浮いている雰囲気からして呪術者だろう。彼らはなぜか、目立っているマッドではなく奈緒を見ていた。それも探るような視線で。
(なんですかね。ちょっかいかけてみるか……?)
少なくともこんな公の場で攻撃を仕掛けてはきまい。駄目もとで声をかけるかと爪先を三人の方へ向けた瞬間、横から腕を掴まれた。無理矢理引っ張られて歩かされる。何事かと思えば、奈緒の腕を取ったのは他ならぬマッドだ。
「はっ? ちょっ、どうしたんです?」
「奈緒ちゃん、ちょっとこちらへぇ」
よそ行きスマイルのまま奈緒を会場外まで引っ張っていく。そしてたどり着いたのは非常階段だった。
マッドがしっかり扉を閉め、薄暗い階段に腰を下ろす。
「……………………疲れまスた」
「あぁー……なるほど」
どっと重たいため息をつくマッドに奈緒も合点がいった。隣に座ってマッドの背をさする。マッドは弾かれた弓のように早口で文句を呟いていた。
「誰モ彼もおんナじ話ばっカ思考停止再生機能デ疲れるます。モっと意義と意味ある会話じャなキャスローリー論理デ脳みソ落としブタぐつぐつ煮崩れ」
「あはは……。マッドさんって、ああやって普通に喋れたんですね。普段はあっちで喋んないんですか?」
そのほうがマッド語を脳内で変換する作業が減るので楽なのだが、と質問すると、マッドはやはり疲れた顔で答えた。
「あの喋りカた、頭のギア超低速運用ますカら、ゼんブのびのびパスタがマッドの頭三日酔いで気持チ悪い」
頭を抱えて膝の間にうずめてしまう。
どうやら頭が良い人間だからこその苦悩があるらしい。彼女にしてみれば大人の姿をした幼児たちと会話を
そこで奈緒は一つの可能性に行き着いてしまう。
「……それ、あの喋り方でちょい口悪く言ってみてもらえません?」
感情を抑えつつ提案してみた。
「? えと、────下等な連中に程度を合わせるのは苦痛ねぇ」
「わ、ワンモアプリーズ……」
「なしテ!?」
あまりの衝撃に顔を両手で隠し微振動してしまう。思った通りだった。いや予想以上だった。普段温厚な変人が超絶ルックスで冷たい言葉を放つこのギャップ。もはや核弾頭である。新しい性癖のドアが粉砕してしまう。
駄目だ。こんな全人類のうち一人しか再現でき得ない性癖を開拓してはいけない。
というかそんなことをしている場合でもない。
「ま、マッドさん。休憩はもういいですか。そろそろ戻りましょう」
「ウぃ。回復しますた。奈緒ちーガだいじょぶ? 足小鹿ナっとるますガ」
「大丈夫ではありませんが耐えてみせます行きましょう」
なんとか平静を装って非常階段を出る。
会場の入り口へ向かうと、反対に出ようとはさていた男性とぶつかりそうになった。
「あっ、すみません」
間一髪で
「よかった見つけた。君を探してたんだ」
「あたしですか?」
「君、もしかしなくても
「え~っと……」
即答できない。
……あたし今、表向きの経歴どっち使ってるんだったっけ?
裏社会の拷問姫、
経歴詐称を繰り返した少女は自分の記憶を必死に掘り返すのだった。
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