華やかな


 奈緒なおが会場に到着して最初に思ったのは、静かだなということだった。


 予想したような楽団はおらず、ありがちなBGMも流れていない。廊下まで漏れていたざわめきはどうやら来場者たちの会話だったらしい。


 こういったパーティーで音楽を流すのは、機密性のある会話が付近にいる誰かへ聴こえないようにするためだ。社交界は情報収集に最適な場だ。誰もがそれを知っている。だからこそ、音には気を遣う。


 だが会場そのものは圧倒的な静けさを湛えていた。来場者が一斉に口をつぐめば、それこそ無音を得るだろう。おかげで微かな囁きの一つ一つが耳に引っかかる。


 そんな聴覚の情報は、すぐ視覚に飛び込んできた情報に塗りつぶされた。


 会場の雰囲気はこの間ドラマで見た出版社の受賞式に似ている。それを三倍ほど豪華にしたようなものだろうか。


 各丸テーブルには豪奢な料理や軽食、デザートが盛られ、ホテルの従業員にしてはやけに洗練された身のこなしをしたスタッフが数名、ドリンクの乗ったトレンチ片手に移動している。立ち食い形式らしい。これだけで奈緒はどう振る舞えばいいのか分からなくなる。


 なにより来場者のまとう煌びやかな衣装たちに目が潰される思いだ。目につくのは衣装だけではない。彼らの浮かべる表情、ちょっとした仕草にまで上品さが行き届いている。上流階級の立ち居振る舞いが染みついているようだった。


 圧倒的金持ち空間に威圧され、奈緒は会場入り口で立ちすくむしかない。


(やっぱ来るべきじゃなかった! ムリ。あまりに場違いっ。こうなったらあたしだけ廊下で待機を──ってなんかめちゃくちゃ見られてるんだけど!?)


 多数の視線を感じて目だけを動かして周囲を見渡す。付近にいた来場者、果ては配膳中のスタッフまでもが息を呑んでこちらへ視線を向けていた。


 何事かと一瞬身構えたが、感じるのは敵意ではない。好奇の視線だ。それが奈緒たち三人に注がれている。


 会場が無音だからか、みなのひそひそ話が聞き取れた。


「なんとお美しい……」

「どこのご令嬢たちだ? 見覚えがないな」

「待て、一番前の少女は三年前のパーティーで見たことがある。あんな目立つ容姿、忘れようがない。夜香やか家のご息女だ。さすが皇嗣様。めったに顔を見せない夜香家の方まで招待に応じるとは……」

「ええ、他のお二方も華やかだわ。さぞ歴史ある名家の方々なのでしょう」


 奈緒の口元がにへっとつり上がる。


(ふ……ふふんっ。分かってましたがね~! あたしってば無駄に自信失くしちゃってた。見たか真信先輩、これが化粧と先入観の力ですよ!)


 飛び交う称賛に、折れかけていた自尊心が斜め方向に持ち直したのであった。


「奈緒ちゃーん」


「はっ、どうしたんです深月先輩」


「真信達に入り口で待ってるって伝えたんだけど、流されちゃったねー。どうしよっか」


「え……。うわっいつの間に」


 奈緒たちは気づくと会場の中心近くにいた。後から入ってきた入場者たちに押されたうえ、我先にとマッド──夜香やかふみかへ声掛けしようとした者たちの波にさらわれたのだ。


 目前でマッドが人々に囲まれている。深月と奈緒に話しかける者がいないのは、彼女が防波堤になってくれているからだった。


「お目にかかれて光栄です夜香やかふみか様。私は玲永れいえい社の社長をしております三木啓介と申します。お父様とは何度か取引をさせていただいておりまして」


「私はすげ呉夫くれおと申します。先代がふみか様のご尊父そんぷにお世話になりました」


「えぇ、お二人とも父から伺っております」


「! お、お久しぶりですふみか様。僕は」

「ふみか様も相変わらずお綺麗で」

「夜香様、本日はお父様たちは」

「お連れの彼女たちは?」


 興奮した面々が我先にと挨拶や質問を投げかける。この機会に夜香やかの令嬢とつながりを作りたい。そう顔に書いてあるようだった。


 それを微笑みで受け流していたマッドが、おもむろに片手を上げる。するとピタリと言葉の洪水が止んだ。

 それをじっくり確認してから、マッドがにこやかに先の質問へと応じる。


「あいにくお父様とお母様は別の用事がありましてぇ。名代としてわたくしが参上した次第でございます。彼女たちはわたくしの学友です。本日は楽しんでもらおうとお連れしておりましてぇ。二人はまだこういった場に慣れておりません。まずはゆっくり、会場の雰囲気を楽しもうと思っております」


 マッドは品のある笑みを浮かべ、前のめりになった者達にも丁寧に対応している。


 奈緒は全身を雷が駆け抜けるほどの衝撃を受けた。


(マッドさんが、マッドさんがマトモに喋っている!?)


 いつもの意味不明な言葉遣いでも、余人を置き去りにする早口でもない。むしろ信じられないほど穏やかで抑揚も一定だ。


 その様はまるで、声をかけるのもはばかられるほど高貴な名家のご令嬢だ。彼女の出自を考えれば身分に相応しい立ち居振る舞いを叩き込まれているのは当然のことなのだが、普段のマッドしか知らない奈緒からすれば幻覚の類ではないかと疑ってしまう。


(だっ────)


 誰だこれ。

 叫ばなかった自分を褒めてやりたい。


 夜香やかふみかの放つ独特かつマイペースな空気に興奮していた者達も冷えたようである。深月がその隙に近寄りマッドの袖を控えめに引いた。


「ふみか様ー。そろそろ」


「そうですねぇ。わたくしたちも人を待たせておりまして。それでは皆様、のちほどまた、ご挨拶にお伺いいたしますねぇ」


 マッドが軽く頭を下げると、彼らはいまさら萎縮した様子で離れて行った。様子を窺っていた周囲の者達も、空気を読んでか遠巻きにしたままだ。


 これでようやく一息つける。あらためて見渡すと、見覚えのある顔がちらほらあることに気付く。あっちは政治家、向こうは某社長、その先には芸能界でも活躍する大学教授の姿があった。いずれもテレビで見たことがある。有名人ばかりだ。


 だがその中にも、息をひそめるように佇む集団が紛れている。あれが呪術者たちで間違いないだろう。まだ開始時間前だが、予想よりも数が多い。無記名招待状のせいかもしれない。やはりあのシステムだと想定外の部外者が紛れ込むのは避けられまい。警戒を強めたほうがいいだろう。


 やはり予定どおり真信達と一度合流した方がいい。彼らには奈緒たちが入り口で待機していると伝えているはずだ。自分たちが入って来た入口方向を見渡すがそれらしき人影はない。


 少し遅すぎやしないかと訝しんでいると、待ち人がなぜか後方からやって来た。


「みんな、待たせてごめん。入口にいると思って探してた」


「あ~、やっと来ましたか真信先輩。こっちは大変だったんですよ」


「やっぱり手荷物検査に引っかかってたの?」


「違いますぅ。やっぱりってなんですか。そんなヘマしません。違くて、マっ──ふみかさんが大人気すぎてヤバかったんです。ほら深月先輩も言ってやってください」


「そだねー。…………人酔いしそう……」


「「大変だ!」」


「だからいつにも増して口数少なかったんですね!? 早く言ってくれればよかったのに。すみっこ行きましょう」


「深月大丈夫? 休憩しようね。酔い止め飲んだ? 本当に大丈夫? ああ、乗り物酔いに効くツボって人酔いにも有効だったっけ。症状どんな感じかな。吐きそう?」


 顔が青ざめている深月を保護者ズが介抱し始める。

 一方のマッドは柳楽なぎら紗希さきとなにやら密談を交わしていた。


「おや、ふみか様どうしました。なにか質問かい?」


柳楽なぎらさん。あちらに居らっしゃる方々、素性は分かりますか。わたくし見覚えがありませんでぇ」


「うわっ、どうしたんだい、ふみか様。口調が違うではないか。おかしなものでも盛られたかね?」


「いえ、家名に泥を塗るわけにはいきませんのでぇ。ちょっと頑張っておりまぁす」


「それにしても変わりすぎでは?」


 首を傾げる紗季さきに、使用人もかくやな様子で控えていた柘弦つづるが呆れ声を出す。


「お前が言うなよ柳楽なぎら


「そこはツッコんでくれるな先生。私は特殊な事例であってだな。誰も彼もが易々と己が口調を切り替えられるわけではないのだよ」


「そうですねぇ。正直に申しますとこの喋りかたは疲れますのデほんトはしたくなキデす」


「貴女も業を背負っているのだな。ところで先ほどの質問だが、彼らはここ数か月で業績を伸ばしているベンチャー企業の関係者だ。無記名の招待状をどうにか手に入れて会場入りしたのだろう。たとえ皇嗣殿に興味がなくとも、コネを作るには絶好の場所だからね、このパーティーは。なにしろ各業界の大物が多数参加している。同様の目的で来ている者も少なくないだろう」


 さすが情報屋なだけあってスラスラと答える。


「参加者を気にかけるとは、どうしたんだい、ふみか様。怪しい人物の絞り込みでも始めたかな」


「それが──」


 口にしようとして、マッドの動きが止まる。彼女だけではない。会場の誰もが口をつぐんでいた。


 空気が一変する。


 それはついに時間が来たからであり、待ちに待った人物がやって来る気配を感じ取ったからだった。


 壇上にSPらしき黒づくめの男達が並ぶ。すると幕の向こうから一人の人間が靴音を静寂に響かせて現れた。


「みなさま、よくお越しいただきました」


 腹の底にみる、優しくもたくましい声音。


 中央にたどり着いた男が人々を見下ろした。小柄な体躯ながらも存在感がある。三十代後半くらいの、上等なスーツを着込んだ男性だった。


 彼が誰か分からぬ者は、少なくともこの空間に存在しない。だから誰もが敬意を向ける。


 彼は現帝の息子であり、継承権第一位の皇嗣。順当に行けば帝の位に着く男。

 多くの視線を受けながら、優しげな笑みで壇上に立つ。


「さぁ、パーティーの始まりですよ」


 八月三十一日、午後九時ジャスト。

 ついに主催者が姿を現した。



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