いざ潜入


 久しぶりに会った巫女の少女は、やたら楽し気に深月へ話しかけてくる。

 一目見た瞬間「大丈夫かい」などと声掛けしてきたが、深月が頷くと後はいつも電話口で言葉を交わす通りだ。


 柳楽なぎら紗希さきというこの年上の少女が、深月は少し苦手だった。彼女は現代において神の声を唯一無条件に聴くことのできる人間であり、神から賜った力を情報収集に使う情報屋だ。


 彼女の深遠な瞳には、深月すら気づいていない深月のことまで見透かされているようで、居心地が悪くなる。最初に会ったときからそうだった。


 四年ほど前になるだろうか。九州に来訪した要人の露払いをさせられたき、彼女は現れた。


『やあ、初めましてカミツキ姫、樺冴かごの末。なんとあの悪名高き呪術者がこんなにも麗しい少女だったとは。まあ分かっていて声をかけたのだがね』


 当時柳楽なぎら紗希さきは各地の要人の下を渡り歩きこねを作って回っていたのだそうだ。山中で辺りを警戒していた深月を見かけてついでに声をかけたのだという。


 言葉を交わしたのはほんの数分。連絡先だけ交換して、二人はすぐに分かれた。


 そして去り際に訊かれたのだ。


『最後に一つ疑惑を解消しておきたい。いったい君のおぞましき狗神は、中に何を潜め宿しているのだね? を持たない私にはどうも見通せないが、それは良くないものだろう』


 ──そんなの私が聞きたいくらい。

 深月はそう返した。この瞬間から深月は柳楽なぎら紗希さきが苦手だ。


 だが紗季さきのほうはなぜか深月を気に入っているようで、よく知恵を貸してくれる。もちろん情報料は取られるが。


 深月も紗季さきの人柄そのものには好感を持てる。だからこそみかどの血筋が絡む今回、彼女を頼ったのだが。深月はそれを早くも後悔し始めていた。


「ふふふっ、いやぁ、樺冴かごさんはやはり可愛いな」


 紗季さきは口元をゆるゆるにして深月を撫でまわしている。


「今日はあのかしいだ気配の後見人もいないし、存分に愛でられるというものだ」


 紗季さきは奇怪な音程の鼻歌を鳴らすほどにごきげんだ。対する深月はどう反応すればいいか分からず、借りてきた猫のように固まっていた。


(……なんだろー、これ)


 苦手な人にめちゃくちゃ可愛がられている、という未知の状況に思考が虚無へと落ちる。きっと子供に囲まれて撫でられまくってるときの三毛猫もこんな心境なのだろうなと明後日の方向へと共感が働いた。


(うーん。でも私、猫じゃないしなー。どっちかというと犬だしなぁ。抵抗したほうがいいのかな)


 などと考え始めていると、連れの男が紗季さきをひっぺがしてくれた。


「おい柳楽なぎら、調子に乗り過ぎだ。仲良くしたいなら距離感をわきまえろ」


「おっとすまない。私としたことが興奮で身体が勝手に。静止感謝する、ナイスだマイダーリン」


「いろいろつつしめマイハニー。ってダーリン呼ぶな。ついノっちまったじゃないかおい」


 ビシッと親指を立てる紗季さきとツッコミを入れる柘弦つづる。息の合った二人だ。


「それで? 樺冴かごさん。君のはまだ来ないのかね」


「いい人……? 真信だったらそろそろ戻るはずだよー」


「そうかそうか。いやあ、会うのが楽しみでね。私も彼の人物評については少し聞かされているんだ。それで彼は本当に信用していい人物なのかい?」


「……どういう意味?」


 にこやかな表情からそのまま出た疑いの言葉に、深月は眉をひそめた。敵意も害意もない発言の意図が掴めず、ただ真信へ向けられた疑惑だけを感じ取る。それが深月の心に一瞬の不快感を与えた。


 そこにタイミング良く少年が戻って来る。


「みんなお待たせ」


「いえ、時間通りですよ。お疲れ様で~す」

「その通リなリうり売リ」


「真信……」


「深月も待たせてごめんね」


 少年が深月にも笑みを見せ、ついで見知らぬ人物二名へ意識を向けた。


「こっちの最終確認は終わったよ。道すがら情報共有しよう。そちらが柳楽なぎらさんと春高はるたかさん? 招待状の譲渡に応じていただきありがとうございます」


 丁寧に頭を下げる。紗季さきは少年のような笑みでその謝辞を受けた。


「いいや、どうせ母の分は浮いてしまう予定だったんだ。有効活用してもらえて嬉しいよ。初めまして平賀ひらが真信まさのぶ君。私は柳楽なぎら紗希さき、こっちが春高はるたか柘弦つづるだ。君には我々の招待状で入場してもらう。つまり会場内では一蓮托生、運命共同体だ。互いに命を握り合おうではないか」


「そうなる事態は避けたいですが、よろしくお願いいたします」


 冗談なのか本気なのか掴めない表情の紗季さきに、真信が苦笑しつつ小首を傾げる。紗季はその動作を見て下唇を尖らせた。


「ふむ、聴いていた印象とずいぶん違うな」


「誰かから僕のことを?」


「ああ。平賀家の長男とは俗にいうメル友でね。平賀とは不可侵の契りを結んでいるが、文頼ふみより氏とは個人的に付き合いがあるんだ。だから君のことも聞いていた。三男は驚くほど耳が良くて、人の弱味に付け込みたぶらかすのが上手いと。おかげで極悪人を想像していたが、そうは見えないな。一挙手一投足が誠実そのもの、なるほど信頼できそうだ」


「そ、そう……ですか」


 虚を突かれ、気の抜けたような表情が次第に落ち込み、次いで複雑なものが入り交じって曖昧な笑みをつくる。


「そう見てもらえてよかったです。人は結局、他者からどう見られているかに当人の本質が寄りますから」


「ふぅん。あいやすまないね、樺冴かごさん。疑り深いのが私の生きる術でね」


「ううん、別に」


 紗季さきに生返事を返して、深月はホテルへ向かう真信を盗み見る。


 まるで少年の中で何か歯車がかみ合ったような、そしてその連結を自分でも呑み込めきれていないような、そんな覇気のない笑みだった。


 元から本心の覗きづらい少年だが、先ほどの笑みは一層なにを考えているのか読み取り難い。


 必要なのは慰めなのか、それとも叱咤激励か。悩んでいるうちに深月は彼に声をかけそびれた。






「では会場に乗り込むとしようではないか。招待状ごとに案内されるらしい。中で樺冴かごさんたちと合流するまでは私たち三人で一組ということだね」


「ああ、一蓮托生ってそういう意味なんですね。防犯のためなんでしょうか」


 というわけでホテル前。先に案内係に連れて行かれた深月たちの背を三人で見送って、数分が経っている。おそらく中で入念なボディーチェックなどが行われているのだろう。奈緒の暗器がバレないか待っているだけのこちらがヒヤヒヤしてしまう。


 それにしても長い。会場に着いたら無線で連絡がくるはずなだが。


 人見知りというわけではないが、親密そうな男女の間に取り残されるのはいささか気まずい。なにより兄の知人というだけで緊張してしまう。詳細を尋ねる勇気も失せてしまうほどに。


 さらに待機しているとようやく順番が回ってきた。燕尾服を着込んだ係に招待状を見せる。柳楽なぎら紗季さきのものと、白紙に名を記入したものが二枚。係員はその三枚を開いて枠を指でなぞった。


(あれ、マッドの持ってたやつと細部の柄が違うな。家ごとにデザインが異なるのかな)


 マッドに送られてきた招待状は太陽をデザインしたマークが入っていた。一方のこちらは月のモチーフが入っている。さすが帝家みかどけ主催のパーティーだ。こだわりが深い。


「確認いたしました。会場へご案内いたします。こちらをどうぞ。会場内では胸にこちらを付けていただく決まりとなっております」


 渡されたのは白い花でできたコサージュだった。なんの花かは、詳しくない真信には特定できなかった。


(造花……いや生花か)


 係員について行きながら花を観察する。すると紗季さきが声をひそめて笑う。


「ほう、微かに呪詛が籠っているな」


「それって」


「だが呪術として成立しているほどではない。せいぜい術式の着火剤程度……。痕跡が薄すぎる。私にこれ以上の分析できないな。これは後で樺冴かごさんと相談するほかなさそうだ」


 言いながら自身の胸元に花を着ける。柘弦つづると真信にも同じように着けてくれた。


「怪しまれないよう、ここは指示に従うべきだろう。私ならコサージュの呪詛も無効化できるが、他の参加者に違和感を与えかねないしね。……なんだいその目は」


「いえ、予想以上に協力してくれるのだなと」


「そりゃあ彼女からのお願いだ。私の立場は確かにみかど寄りではあるが、姫君のおねだりを無下にするほど権力におもねるつもりもない。特に彼女は難しい立場だからね」


「?」


 エレベーターに乗り会話が途切れた。

 扉が開くと、係員がそれを押さえて外を示す。


「案内はここまでとなります。入り口は奥にございます。それではごゆるりとパーティーをお楽しみください」


 促されて廊下へ出る。背後で扉がすぐに閉まり、階下へ降りて行った。


 辺りを見渡す。遮蔽物一つない広い廊下だ。ふかふかの絨毯じゅうたんが一面に敷かれている。会場の周り一周が廊下になっているらしい。外壁がガラス張りで自分がどの方向にいるかが推測できる。曲がり角の向こうから人の話し声が聞こえていた。脳内の地図に照らし合わせても位置関係に矛盾はない。なるほど係員が示した前方からのほうが入り口に近いらしい。


『真信、こっちは会場についてるよー。入り口のとこで待ってるね』


 通信機越しに耳元で深月の声がした。無線は無事に作動しているらしい。真信も袖に潜ませたスイッチを押して返答する。


「『了解。こっちももう着くよ』──紗希さきさん、柘弦つづるさん、向こうはすでに会場に到着済みとのことです。僕らも行きましょう」


「ああ。お姫様を長々と待たせるわけにもいかないしね」

「了解だ」


 それぞれの返事を受け、先に立って廊下を進む。すると後ろで突如悲鳴が上がった。


「ごあっ!?」


 驚いて振り返る。そこには廊下に尻餅をつく柘弦つづるの姿があった。呆気にとられる真信と対称的に、千沙ちさがため息まじりに嘲笑を浮かべる。


「……貴君きくんは本当に。どうやったら何もない場所でそう盛大にすっ転べるのかね」


「ちげえよっ、何か踏んだんだ!」


「見渡す限りちりひとつない廊下なのだが────きゃっ!?」


「──危ねえっ」


 手を差し伸べようと歩み寄った千沙ちさがつんのめる。柘弦つづるが彼女をとっさに受け止めた。危うく転びかけた千沙ちさ驚愕きょうがくとともに足元を睨む。


「今なにか硬いモノが足に当たったのだが!?」


「ほぅらな、言っただろうが」


「ぬぅ、最近貴君きくんの不幸に私も巻き込まれがちではないか……? もう一心同体と言っても過言ではないなこれは! 卒業式と入籍は同日でどうか!」


「どうかじゃねえよ未成年おこさまが。勢いで誤魔化そうとすんな!」


 言い合いながらも柘弦つづる紗希さきの手を引いて立たせている。


「仲良いいなこの二人」


 真信は自分の足元に転がってきたものを手に取った。


「大丈夫ですかお二人とも。踏んだのはこの石ですね」


 拾ったのは、手の平ほどもある大ぶりの石だった。円形でゴツゴツしており、十字に紐がかけてある。その紐が頂点で結ばれ、上部に巻き伸びている。こんな目立つものになぜ気づかなかったのか。


「こんなのさっきは無かったはずだけど」


 裾を払って柳楽なぎらが石を受けとる。


「意識から外れるよう細工が施されていたのだろう。あるのに目に入らない。存在を意識できない。そういうふうにする呪術は山ほどある。この石は関守石せいもりいしだね。これは“ここから先は入ってはいけない”という通せんぼの目印だよ」


 神社などの神域や旅館などで、分かれ道の片方を塞ぐのに置かれる石だ。だからといってこれほど小さい物なので物理的な障害にはなり得ない。無視して進むこともできるが、それは所謂いわゆるマナー違反となる。


「そういえばあの案内係、『行け』も『進め』も言ってなかったな。言ってたのは入り口は奥にあるって事実だけだ。こりゃめられたか? 異界にでも連れ去られるとこだったのか俺たちは」


「それならさすがに気づくさ。ここにそんな空間が展開している様子はない。実害はまだないさ。だからこそ目的が見えない。できて一瞬空間を隔絶させる程度が関の山だろうに」


 石を元のように足元に置く。するとそこにあるのは分かるのに、なぜか認識できなくなった。最初もこうやって置かれていたのだろう。設置した者に不審がられないよう同じ位置に戻しておく。


「恐らくすべての客に同じ案内をしているのだろう。あくまでこの禁を破るのは来場者の意思ということか」


「どういうことです?」


 真信の問いに紗季さきが頷く。一人話についていけていない少年に、紗季さきは一から説明してくれた。


「禁忌を侵すということはこの世の秩序から外れるということでね。呪術や異界への親和性が一時的に上昇するのだよ。ほら、映画でも霊的な何かに襲われるのは何かしら決まりを破ったことがきっかけになることが多いだろう? これは日本以外の土地にも通じる普遍的なルールだとも。とはいえ来場者に禁忌タブーを侵させるとは。その真意が何であれ、もし私と私の連れに牙を向くと言うならばたとえ皇嗣こうし様といえど容赦はできないね」


 喉の奥を鳴らし冷たい笑みを浮かべている。心なしか黒いオーラが出ているようだ。視線が合って真信の背筋に冷たいものが走る。


 思わず壁際に後退ると、柘弦つづるが疲れたような顔でその肩を叩いた。


「気をつけろ。こいつ、キレると何やらかすか分からねえぞ」


「ご忠告感謝します……」


 気をつけよう。本気で肝に銘じる真信であった。



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