顔合わせ


 会場はレンガ造りの洋館を増改築して開業された高級ホテルだった。


 元は資産家が巨費を投じて建てた別荘だったらしい。一階のエントランス脇にはレストランが入り、その他にも各種娯楽施設が用意されている。


 最上階のスイートルームは一泊で課長職のボーナスが吹き飛ぶ値段である。もちろん最低ランクの部屋とプランですら、庶民には到底手がでない夢のホテルだった。


 部屋の豪華さのみならずスタッフも一流が揃う。整えられた装飾は隅々まで磨き上げられ、上を仰げば精緻な絵画が意識を天上へとさらう。さりげなく置かれたキャビネットですら奈緒しょみんが目を向く金額であった。


 パーティーは二階の大ホールで行われる。開場三十分前に迫った十八時三十分、すでにテーブルには真っ白なクロスが敷かれ、数々の料理が用意され始めていた。支配人とおぼしき女性が最終チェックに走り回っている。


 主催者の品格に相応しいパーティーにすべく、多くの人間が精力を尽くして働いていた。


 どこに目を向けても輝かしい、多くの誇りによって完成された空間。そんな会場が約二時間後、惨劇の舞台へ変貌するとは、この時はまだ誰も知らなかった。





 八月三十一日、夏休み最終日。

 深月達は会場となる五階建ての高級ホテルを遠目に、往来の途絶えた道路沿いに集まっていた。


 三人とも品のあるドレスに身を包み、薄く化粧を施している。手荷物は小さなハンドバッグだけ。これからパーティーへ向かう準備はすでに完了していた。


 奈緒がスカートを指でつまんではためかせる。


「いや〜ドレス舐めてました。装飾多いから私服より断然に暗器隠せる。いいですねこれ。すそ破かないと走れないの面倒ですけど」


「奈緒ちゃん、ボディチェックあるかもだからー」


「あはっ、大丈夫ですよ。その時はバレそうなのだけ捨てます。それに空港の金属探知機に引っかからないよう厳選してきてますから。なんと今回用意した素材はぜんぶ自然に還るマッドさんプレゼンツですよ~、心置きなく捨てられます。マッドさん、カラコンの具合どうですか?」


 奈緒がマッドへ話を振った。動きにくいドレスのせいかすっかり大人しい変人が、薄ピンクの光彩を輝かせてニッカリと笑う。


「ウぃ。ひさビさでお目メしャばしゃバ着色料。深月ちヒール平気ます?」


「今すぐ脱ぎ捨てて寝転がりたい。明後日くらいにつりそうかもー」


「あはっ、筋肉量少ない人って筋肉痛が三日後に来るっていいますもんねぇ。……いやつるのは違くないですか!?」


 女子三人集まればかしましいという。今はそれをいさめる者もいない。自然、無駄な会話が弾む。


 ここではある人物と待ち合わせをしていた。深月の知人で今回の協力者でもある。潜入組の招待状、その残りの一枚、真信の分を譲ってくれる予定だった。


 もうすぐ時間だ。人一倍視力の良いマッドが向こうからやってくる人影を見つける。


「深月ち、あれカいナ?」


「たぶんそうかもー。おーい」


 まだ顔も見えないが、深月が軽く手を上げ人影に呼びかける。肺活量がないのでそこまで大きな声ではなかったが、相手は気づいたらしい。気持ち速足にやって来る。


「お待たせしてしまったようだね。久しぶりに顔が見れて嬉しいよ、樺冴かごさん」


 息をはずませた少女が三人のともに辿り着く。


 一見すると深窓の令嬢を思わせるおしとやかな少女だった。

 筋の通った鼻梁びりょうに細くはっきりとした眉。つり目ながら目じりは柔らかく清楚然としている。長さのある艶やかな黒髪を、着ている深紅のドレスに合わせて結い上げていた。


 ただそこにいるだけで人目を引く上品な顔立ちをしている。


 何よりその薄い桜色の唇が、お嬢様然とした容姿とはちぐはぐに少年のように勝気な笑みを浮かべているのが印象的だった。


「ぐっ、すこぶる美人……!」


 奈緒が思わずうめく。すると少女が楽し気に眼を細めた。


「褒め言葉ありがとう、木蓮もくれん奈緒なおさん。少し震えているね。緊張しているのかな? 大丈夫、樺冴かごさんはともかく、私や夜香やか家のご令嬢はこういった催しに慣れている。頼ってくれていいとも」


「えっ?」


 まるで昔なじみのような親しみを向けられて奈緒が後ずさる。少女は今度はマッドへ目を向けた。


「そちらが夜香やかふみか様だね。ふむ、やはりお美しい。コンタクトをはめているので? 炎のような赤も素敵だが、その宝石みたいな桃色もまた貴女の御髪によく似合う」


「おウぃ? 会ったコとあるまス?」


「ははは、まさか。私は悩める者にあらゆる叡智を授ける天下の情報屋、『禁断の果実』。あなた達のことも私はばっちり知っているというだけさ。とはいえ今日はの仕事ではないからね。こう自己紹介しておこう」


 厳かに言って、少女が右手を胸に当て同じほうの足を軽く引く。


「私は人ならざるモノと言の葉を交わす稀代の巫女にして神々の案内人、柳楽なぎら紗希さき。本日はご指名ありがとう。存分にお役に立とうではないか」


 逆の手でスカートの端をつまみ優雅にお辞儀してみせる。まるで万人の観客の前で舞台挨拶する名優のような優雅さだった。


 指の先まで意識の行き届いた美しい所作に皆返事ができない。そんな彼女に後ろから声をかける男性が一人。


「おい柳楽なぎら、言われた通りひげ剃ってきたぞ。車はあそこに停めてよかったんだな」


 不愛想に呼びかけたのは、三十代くらいの男性だった。平均的な身長にやる気のない疲れ切った目つき。乱雑に切られた髪をワックスでオールバックにしている。


 下ろしたてらしきスーツに蝶ネクタイをしているから、彼もパーティーの出席者なのだろう。紗希さきが男に応える。


「ご苦労、社交界で無精ひげはいかがなものかと思うしな。ここに来るまで余計な不運は起きなかったかい。空いてる駐車スペースのロック板が跳ね上がったままで立ち往生になったとか」


「んなこたねえよ。駐車した途端ボンネットに人が降って来てちょい凹んだくらいだ。もちろん下手人は謎の男達に追われて挨拶一つせず逃亡、修理代は自腹だ」


「軽く事件ではないか。貴君は本当に……」


 呆れたようにため息をつく。他の者が訝し気に男性を見ているのに気づいたらしい。紗希さきは男の腕を引き寄せ横に立たせた。


「おっと、紹介が遅れてすまない。こっちが私の連れ、春高はるたか柘弦つづるだ。私の担任でもあってね。そして婚約者フィアンセでもある」


「教師が生徒に手を……?」


「違えよっ? 柳楽なぎら、初対面の奴らになにぶっこいてんだ」


 紗希さきの紹介に柘弦つづるが異を唱える。わりに紗希さきの腕を振り払ったりはしない。自分たちはいったい何を見せられているのか、代表して奈緒が問う。


「じゃあ婚約者って嘘なんですか……?」


 混じりけのない困惑の視線を向けられ、柘弦つづるは苦々しい顔つきで言い訳するようにもごもごと口を動かした。


「いや……嘘ではないが真実でもなく……まあこっちにも色々事情があんだよっ」


 頭痛を堪えるように眉間に深いしわを作る。

 対して紗希さきは笑いを堪えながら柏手を打って場をまとめた。


「さて、これで顔ぶれは揃って──おや、あと一人……。我が母の分の無記名状を受け取る主はどこかな?」


 眼で人数を数えて人員の不足に気付いたらしい。辺りを見渡す紗希さきに、深月が答えた。


「真信なら最終確認があるから、あとで合流するってー」


「ほう? それはそれは。柘弦つづる先生よろしく、なにごともなければいいのだがね」


「不吉なこと言うなよ。お前が言うと洒落にならんだろうが」


 楽しげな巫女の様子に、担任教師が眉間のしわを深めた。


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