第9話 死の誘惑

 誰の忘れ物か知らないが、墓地に立て掛けてあったスコップを借りて二人の墓を建てた。彼女等の家の墓標を知っていたら良かったが、しかし、二人の親族の葬儀は雇ってから一度も行われたことがないため、この広大な場所でそれらしいものを見つけることは僕には出来なかった。


 だから代わりに······と言ってはなんだが、二人の遺体は僕の家――シャルツ家の墓標があるすぐ隣に埋葬させてもらった。墓標は流石に落ちてはいなかったため、我が家に供えてあった花のうち、白のカーネーションと黄色いのユリを墓標の代わりにして。


 どちらも、二人がそれぞれ好きな花の一つだった。





 二人を埋葬した後は、墓地の側にあった車井戸の端で休んだ。昨朝の祝賀会から何も口にしてないからだろうか、身体が既に疲労を見せていた。だが、町の市場へ戻る気もなければ食欲もない。だから、せめて水くらいは······と、仄暗い井戸から水を汲み、水桶に映る自分のやつれた顔を見ていると不意にこんなことを思った。


 ここへ落ちれば、皆と同じトコへ行ける。

 母さんらを埋葬したら、それもいいんじゃないか。


 城で窓の外を見た時と同じような感覚。これはなんだ――そう思う間もなく、その深淵からやってくる“何か“は僕の喉元を掴み、そちらへ引きずり込もうとしていた。


 心地いい。

 身を任せてしまいたい。


 井戸の底から来る誘惑に上体が傾き始めた時――ガタッと、縁にあった水桶が深淵の中へ落ちた。


 数秒後、弾けるような重々しい水の音。

 その音で我に返った。身体が桶を押したようだった。


 手には汗があった。

 斬った男や埋葬した者達の血でひどく滲んでいた。


 その血を見ながら、直前に喉を掴もうとしたのは“死の誘惑“なんだと気付いた。他の誰でもない、僕自身から生まれた幻。未熟な心に巣食う、虚無と喪失で育つ魔物。それは追い出そうとしても到底容易に追い出せるものではなかった。


 誘惑に飲まれぬようもう一度水を汲み、それを両手で掬っては喉へ通した時、その冷涼さが身に染みていくと共に誘惑をいくらか和らげた。


 ······僕は、まだ生きたいと思ってるのか。


 心は満たされないものの、身体はその潤いを喜びのように感じた。一杯、二杯と立て続けに水を飲み、終いには桶を持ち上げて飲んでいた。


 だがやはり、心までは満たされなかった。

 だが、やり残したことに向けて身体が動く気はした。


 桶を置き、脇にふと目を移した。

 縁に立て掛けていた聖剣が地面に倒れていた。


 僕は、誰に見せることも出来なくなったそれを拾い上げ、鯉口を和らげた。白の剣身、柄、鞘、服にまで、そこには必ず、誰かの血が決して取れぬ形となって染み込んでいた。

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