第2話 空虚
山を一秒でも速く駆け下りた。
そんな馬鹿な、何が起きてる、皆は······。
呼吸が荒いのも、鼓動が警鐘を鳴らすのも、ただ鍛えられた体を酷使しているからではないのは考えるまでもなかった。自分が生きてきた十八年間で、あんな黒煙は見たことがない――それだけで、“ただ事ではないこと“が起きていると知るには充分だった。
呑気に背を向けて山を上っている間には、既に煙は上がっていたのかもしれない。聖剣の儀で、僕は確かに無事なのかもしれないが、今はそんな願掛けなどどうでも良かった。どうせ叶うなら、皆の無事が叶っていて欲しかった。
······だが、父の言った願掛けというのは正しかったのかもしれない。願掛けは、あくまで“そうあって欲しい“と願うだけのものなのだから。
「う、うわあああああああぁ!」
僕が戻る頃には、国の者は誰一人として生きていなかった。
他国の者が攻めてきたのだろう。
ただ、攻めてきたその者らの姿はもうそこにはなかったが、外と隔絶されたような生活をしてきた僕でもそれだけは分かった。父の実戦に同行した時に見ただけのこの町は、あまり色の多いものではなかったものの、それでも、炭と瓦礫と死体が、煙と共に広がる地獄のような景色では決してなかった。
そして、その中で最初に見つけたのは、侍女の二人だった。
紙袋を側に落とし、リンゴが転がっていた。
その下には、背中に大きく開かれた傷から出た赤褐色が広がっていた。彼女等の名前を呼んで手を伸ばす、自分の震える手が止まらなかった。医療については無知だが、彼女らの息がないのは、僅かながらある実戦経験から確かだと分かってしまった。
涙よりも哀しみよりも、怒りよりも、虚無が襲った。
動悸や混乱でもなく、空虚だった。
ただ、喪失と無力と空虚だった。
それから、どれだけそこに居たかは分からない。
朧気な意識と足取りで、屋敷の家へと向かった。
門の入り口で、侍従の彼が妹を庇うようにして倒れていた。
だが、どちらも侍女と同じ染みを地面に広げていた。
妹は、いつしか抱えていた犬のぬいぐるみを持っていた。
母は、そこから少し離れた所で鉄柵にもたれ、首から血を流して死んでいた。また、剣を傍らに落とす彼女の体には、何かで突き刺された傷もいくつかあった。
そこでまた足が崩れ、しばらく動けなかった。
「······」
憎しみ――初めてそれが浮かび始めた所で、僕は城へ向かった。
城の広場、聖剣の儀で出立する前に訪れた場所。
その時は見送ってくれた兵士は、皆、死んでいた。
町の人らは一度ここへ避難してきたのか、鎧を着ていない者も沢山いた。そして、その死体の中に久しぶりに見た顔があった。
二つ年の離れた――上の姉だった。
姉はどうやら、城の兵士と結ばれつつあったようだった。
二人は手を繋いだまま、背中に矢を刺したまま血の海で倒れていた。相手のほうは閉じていたが、姉は虚ろな目を開けたまま泣いていたため、僕はその瞼をそっと閉じておいた。
城の広場にも父の姿はなかったため、城内に向かった。
初めて歩くその廊下は血の足跡が無作為に広がり、部屋のほとんどで人が死んでいた。そこでようやく初めて、敵国らしい人間の死体を複数確認した。黒の鎧に身を包むだけで、同じ人間のように見えた。
だが、そこにも父の姿はなかった。
城の中央にある大広間の階段から二階、三階へ向かった。そして、その三階の階段を上がったばかりの場所には大扉があり、そこを開けると玉座と思わしきものがあった。
そして、
「······」
その玉座へと座るような形で、父は玉座ごと剣で貫かれたまま死んでいた。
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