蜜月に花束を
みなと
第1話
ぼくは今になっても、彼女が忘れられない。彼女という存在がどういうものだったのか、とうに理解を止めてしまったけれど、彼女は確かにそこにいて、ぼくはいつでも彼女から目が離せなかった。彼女──いや、彼女たちは、きっと、これからも、
いつでも夢に見ることができて、忘れることはないのだろう。
「ねえノアちゃん。私たちの代わりに掃除しといてよ、あそこ」
「え、でも……僕はここの……」
「いいからいいから。ここは私たちがやっとくから」
クラスメイトの女子達にまくし立てられて、
「ちぇっ、何がノアちゃんだよ。僕は男だっつーの」
一人になった途端、こらえきれなくて毒づく。
目は大きく眉は薄く
そんな僕に対し、クラスの女子たちはさも当然の如く女の子のような扱いをする。「今もかわいいけど髪の毛をもっと伸ばしたらかわいいよ」とか「化粧に興味ない?」などしきりにくだらないことを喋りかけてくるし、女子が着替えるからと男子が移動する際に僕がもたついていたら、目の前で着替え始め、ちょっとと声をかけたら、「ノアちゃん、どうしたの? あ! ノアちゃん男かごめんごめん」なんて言われたこともあった。なぜか突然お尻を叩いてくるような下品な奴もいた。
要するに、下に見ているのだ。着せ替え人形のようなおもちゃ扱いなのだ。だから今この時のように、厄介ごとを押しつけられる。言い返せない僕も、僕だが。
そう自己嫌悪に沈みそうになっていると、着いてしまった。正確には、入り口に着いた。目の前には森と、一筋の狭い道が存在している。僕は
そんな中、校舎から少し距離を置いて木々の密な場所があり、その中心に開ける鍵のなく、誰も中に立ち入ったことがないとされる、六角形の建物が存在する。彼女たちが言っていたあそこ、それはこの学園の離れのことだった。
聞いた話によると、創立当時からの建物らしい。それなのに誰も何のための施設かはわからず、中身を知らないというのだから変な話だが、しかし近年で扉を開けて中に入った者など噂一つ立たないでいるため、少なくとも生徒の中に知る者はいないのかもしれない。ただ一つわかっているその形から、蜂の巣になぞらえて、誰が呼んだか『魔女の
だが学園内は学園内なので、無論手入れをしなければならない。常時鍵がかかっているため、その中は及ばずとも周囲を箒で掃くなどを当番はしなければならなかった。
ザーッ。森が騒ぐ。風が出てきた。春先はまだまだ夜冷えのする季節だ。僕は早く済ませてしまおうと道を急ぐ。
着いた。その建物は、地平からの目線で一瞬のうちに形のわかるものではないが、しかしどこか
ザーッ。風が吹くと鳴る森に驚いて見上げてしまう。若い枝や葉が揺れて、時折数枚が
少し疲れた心持ちがして、夕陽がまだ沈んでいないのを確認して、休憩しようと建物の玄関に背をもたれさせた。――瞬間、僕はずっこけた。後ろに。
背中から打ち付けたため、衝撃に眩む。同時に
驚きに痛みも忘れて身を起すと、扉は閉まっている。焦る。なぜという言葉ばかりが頭に浮かぶ。そうして怖くなった。
ここは使用する者のいない離れであり、近くに人が通るとは考えにくく、物音を立てても無駄に終わるだろうことがすぐに了解された。それでも扉を叩いた。それは恐れと、怒りの気持ちからだった。だが、やはり何の
疲労を強く感じて、扉を背にした。
すると、目の前に、光があった。光が射している。赤い夕陽の光だ。一筋であり、この建物に唯一の天窓があるのを知らせるものだった。僕は意思のないままその光に向かって吸い寄せられるように歩いた。近づくと、花々が現れた。タンポポやバラやガーベラ、花に詳しくはないが、
周囲は暗い。何か物があるのかないのか分からないほどだ。音もしない。ただこの庭園だけが光を浴びている。そして、一番にこの
異常。その一言に尽きる。スイセンだろうか、黄色い
自然と足は動いていた。花に誘われる蝶の如く、フラフラとした足取りで、その中心に近づき、触れた。途端、その花が開いた。まるでその時を待っていたかのように。僕は驚き後ずさった。そしてすぐさま目の前の光景に心奪われた。
その花の中には、唯一の天窓から降り注がれ続けた光を一心に蓄えたような金色の糸でできている大きな
輝いていた。僕は、
触れた瞬間に鋭い痛みを覚えた。それと同時に糸はみるみるとその輝きを失い、ほどかれてゆき、気づけば、この建物の暗闇を全て吸い込んだような黒髪の女へと
パニックになりそうだった。だが感じた痛みが、現実に僕を引き留めて離さない。その手を押さえながら、その存在から視線を離すまいとした。
彼女は目を開いた。僕へと向き合った。
「――きみ、は?」
美しい女性だった。どこか西洋の人を感じさせるような切れ長な調子を見せながら、唇はふっくらと
「わたしはお
蝶々? 名前が正しいものなのかはわからなかったが、その声には
そうしてこちらに近づいてきた。気づくと巨大花は枯れていた。
彼女が
だが、動いていても浮世離れしたような美人であることは間違いない。
「
彼女は歩みを止めず、僕の目の前に立ち、そう言いながら手を頬に当ててきた。正対すると僕より背の高く、改めて天性のプロポーションを持っていることがわかる。頬を
「ぼっ、僕は、男です!」
疑問はいくらでも浮かんでいたのだが、僕が選んだのは誤解の訂正だった。あまりに異様な事態に、自分の身に関するそれしか選択はできなかった。
すると彼女は、きょとんと、眼を開き
それはこの女性の見せた初めての人間らしい様子であるように思え
「あら、貴方男の子なの? 貴方からいい香りがしたのだけれど……」
そう言って
だが確かに、どうにも先ほどの痛みを感じたそばから、体の調子に違和感を覚えていた。速くなる胸の鼓動を抑える感触が異様に柔らかいこと、発する声も裏返るというより、声色自体が変わってしまったように感じること。
どんどんと何かがおかしいと自分の内の警鐘の鳴る速度が上がってゆく。だがこの場で僕は肉食動物に首根っこ噛まれた草食動物であり、疑念を解決する能力はなかった。
ふいに彼女は僕の頬から手を腰に回し、引き寄せ、そしてもう一方の手でアソコを遠慮なくまさぐった。
「あら、やっぱりナイじゃない」
現状を打破するのは、彼女の役割だった。
ようやく僕は、自身の体から、アレがなくなってしまったことに気がついた。
蜜月に花束を みなと @mig15
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。蜜月に花束をの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます