蜜月に花束を

みなと

第1話

 ぼくは今になっても、彼女が忘れられない。彼女という存在がどういうものだったのか、とうに理解を止めてしまったけれど、彼女は確かにそこにいて、ぼくはいつでも彼女から目が離せなかった。彼女──いや、は、きっと、これからも、まぶたの裏に残り続ける。

 いつでも夢に見ることができて、忘れることはないのだろう。



「ねえノアちゃん。私たちの代わりに掃除しといてよ、

「え、でも……僕はここの……」

「いいからいいから。ここは私たちがやっとくから」

 クラスメイトの女子達にまくし立てられて、ほうきやちり取りを押しつけられ、受け取ってしまった僕は断り切れず、その言葉に従うことになった。


「ちぇっ、何がノアちゃんだよ。僕は男だっつーの」

 一人になった途端、こらえきれなくて毒づく。

 野朝草牙のあさそうが、それが僕の名前だ。彼女たちはあんまり親しくもないクラスメイトだが、先日の新年度のクラス替えから、『ノアちゃん』、クラス中の女子たちにそう呼びかけられている。

 はなは遺憾いかんなことだが、しかし僕自身、言われても仕方がないような原因には気づいていた。通りがかりの窓ガラスにその原因が映った。――この、顔だ。

 目は大きく眉は薄く睫毛まつげが長い。顔面の各パーツの配置は柔和にゅうわに収まり、おまけに色白だ。自分でも、女顔だと思う。体躯たいくも関係している。高校の二年になっても背は平均的な女子身長より少し高い程度で伸び悩み、手足は小さい。体毛も薄く筋肉もない。外向的な男らしさに憧れ日焼けを試みたことはあるが、赤くなるばかりでただ痛みだけが残った。

 そんな僕に対し、クラスの女子たちはさも当然の如く女の子のような扱いをする。「今もかわいいけど髪の毛をもっと伸ばしたらかわいいよ」とか「化粧に興味ない?」などしきりにくだらないことを喋りかけてくるし、女子が着替えるからと男子が移動する際に僕がもたついていたら、目の前で着替え始め、ちょっとと声をかけたら、「ノアちゃん、どうしたの? あ! ノアちゃん男かごめんごめん」なんて言われたこともあった。なぜか突然お尻を叩いてくるような下品な奴もいた。

 要するに、下に見ているのだ。着せ替え人形のようなおもちゃ扱いなのだ。だから今この時のように、厄介ごとを押しつけられる。言い返せない僕も、僕だが。

 そう自己嫌悪に沈みそうになっていると、着いてしまった。正確には、入り口に着いた。目の前には森と、一筋の狭い道が存在している。僕は渋々しぶしぶと、その道を進むしかなかった。


 森番もりばん学園、全寮制のこの学校は広く、古い。校舎に接して各種スポーツのコートが学園内に点在し幅を利かせ、僕が寝食をしている寮も同じ敷地内にある。年季が入っている設備が多いものの、リニューアルが進んでおり、スポーツ選手育成には近年より一層力を入れている学園である。だから僕みたいなのの肩身が狭いということもあるが。

 そんな中、校舎から少し距離を置いて木々の密な場所があり、その中心に開ける鍵のなく、誰も中に立ち入ったことがないとされる、六角形の建物が存在する。彼女たちが言っていた、それはこの学園の離れのことだった。

 聞いた話によると、創立当時からの建物らしい。それなのに誰も何のための施設かはわからず、中身を知らないというのだから変な話だが、しかし近年で扉を開けて中に入った者など噂一つ立たないでいるため、少なくとも生徒の中に知る者はいないのかもしれない。ただ一つわかっているその形から、蜂の巣になぞらえて、誰が呼んだか『魔女の養蜂場ようほうじょう』。この建物については、その異名ばかりが学園に広まっていた。

 だが学園内は学園内なので、無論手入れをしなければならない。常時鍵がかかっているため、その中は及ばずとも周囲を箒で掃くなどを当番はしなければならなかった。大抵たいていの人はそれを嫌がる。恐ろしげな様子と共に、単純に外の距離の遠い場所にあるからという要因のためだ。彼女たちは回避するのに、僕はちょうどいいスケープゴートだと思ったことだろう。

 ザーッ。森が騒ぐ。風が出てきた。春先はまだまだ夜冷えのする季節だ。僕は早く済ませてしまおうと道を急ぐ。


 着いた。その建物は、地平からの目線で一瞬のうちに形のわかるものではないが、しかしどこか暗澹あんたんたる様が強かった。背の高い木々の所為せいなのか、夕暮れもあいまりかげりのあるおどろおどろしい雰囲気が宿っている。

 背筋せすじが冷えていくのを感じた。僕は急いでそこら中を掃き始めた。

 ザーッ。風が吹くと鳴る森に驚いて見上げてしまう。若い枝や葉が揺れて、時折数枚ががれ落ちるだけだった。それが一々繰り返され、僕のしょうもなさを脅かすように思えていら立たしく感じた。だが一層風は強くなり、鳴りはその響きを留めようとはしなかった。


 ようやく、あらかたの清掃を終えた。意外にも小さなごみや落ちている葉などの細々こまごまとしたものが多くあった。時季の外れたようなものも少なくなかった。きっと、適当に行っている者ばかりなのだろう。いや、自分が生真面目きまじめなのかもしれない。

 少し疲れた心持ちがして、夕陽がまだ沈んでいないのを確認して、休憩しようと建物の玄関に背をもたれさせた。――瞬間、僕はずっこけた。

 

 背中から打ち付けたため、衝撃に眩む。同時にほこりが舞ったようで咳き込む。やっとのことで落ち着き、見えたものは、闇だった。

 驚きに痛みも忘れて身を起すと、扉は閉まっている。焦る。なぜという言葉ばかりが頭に浮かぶ。そうして怖くなった。

 ここは使用する者のいない離れであり、近くに人が通るとは考えにくく、物音を立てても無駄に終わるだろうことがすぐに了解された。それでも扉を叩いた。それは恐れと、怒りの気持ちからだった。だが、やはり何の音沙汰おとさたもなかった。


 疲労を強く感じて、扉を背にした。

 すると、目の前に、光があった。光が射している。赤い夕陽の光だ。一筋であり、この建物に唯一の天窓があるのを知らせるものだった。僕は意思のないままその光に向かって吸い寄せられるように歩いた。近づくと、花々が現れた。タンポポやバラやガーベラ、花に詳しくはないが、節操せっそうなく様々な花が円状に咲いているのがわかる。それは庭園だった。そう認識づいて、今頃花の匂いが感じ取れた。いきなり現れて、状況に、夢でも見ているような気がしてならなくなる。

 周囲は暗い。何か物があるのかないのか分からないほどだ。音もしない。ただこの庭園だけが光を浴びている。そして、一番にこのあかい紅い光が注がれているのが、中心にある花だった。

 異常。その一言に尽きる。スイセンだろうか、黄色いつぼみのそれは、大きい。自分の体よりも大きな体積を持つ巨大花がそこに存在しているのだ。

 自然と足は動いていた。花に誘われる蝶の如く、フラフラとした足取りで、その中心に近づき、触れた。途端、その花が開いた。まるでその時を待っていたかのように。僕は驚き後ずさった。そしてすぐさま目の前の光景に心奪われた。


 その花の中には、唯一の天窓から降り注がれ続けた光を一心に蓄えたような金色の糸でできている大きなまゆがあった。

 輝いていた。僕は、き寄せられていた。やはりどういう訳か、手を伸ばさずにいられなかった。そうして、触れた。


 触れた瞬間に鋭い痛みを覚えた。それと同時に糸はみるみるとその輝きを失い、ほどかれてゆき、気づけば、この建物の暗闇を全て吸い込んだような黒髪の女へと変貌へんぼうした。

 パニックになりそうだった。だが感じた痛みが、現実に僕を引き留めて離さない。その手を押さえながら、その存在から視線を離すまいとした。

 彼女は目を開いた。僕へと向き合った。

「――きみ、は?」

 美しい女性だった。どこか西洋の人を感じさせるような切れ長な調子を見せながら、唇はふっくらとあかく、目元に優しさのあるような、豊満ほうまんな柔らかさをはらんだ顔をしていた。

 一糸いっしまとわぬ姿だったが、スタイルが良く、白磁はくじのように恐ろしく清廉せいれんで整う彼女に、見てはいけないという気も起らなかった。彼女も恥ずかしがる様子はなく、ただ僕を見えて、

「わたしはおちょう、ただのお蝶よ」と名乗った。

 蝶々? 名前が正しいものなのかはわからなかったが、その声にはんだ響きがあり、どこか清々すがすがしさであふれていたので気にならなかった。

 そうしてこちらに近づいてきた。気づくと巨大花は枯れていた。


 彼女があらわな姿で動いている様に、流石に見ていて申し訳ない気持ちが生まれてきた。今まではあたかも絵画の中の人物のように認識していたのだ。

 だが、動いていても浮世離れしたような美人であることは間違いない。

貴方あなたが私を目覚めさせてくれたのね、ありがとう。可愛らしい、お姫様」

 彼女は歩みを止めず、僕の目の前に立ち、そう言いながら手を頬に当ててきた。正対すると僕より背の高く、改めて天性のプロポーションを持っていることがわかる。頬をでられた僕の体には緊張が走り、硬直し、彼女の顔以外見る事ができない。自分の胸に手を当てて落ち着きを取り戻そうとするが効果はない。脈はどんどん速くなる。とにかく、会話をしなければ、自分の外界とコンタクトを取らなければ、自分が何かぜてしまうような思いがして、言われた言葉を反芻はんすうして口を開こうとする。

「ぼっ、僕は、男です!」

 疑問はいくらでも浮かんでいたのだが、僕が選んだのは誤解の訂正だった。あまりに異様な事態に、自分の身に関するそれしか選択はできなかった。

 すると彼女は、きょとんと、眼を開きほうけた表情をした。

 それはこの女性の見せた初めての人間らしい様子であるように思え安堵あんどの思いもつのったが、僕の女顔はついに初対面の人に女性だとしか認識されないほどに深刻化しているのだと落胆の気持ちもいてきた。

「あら、貴方男の子なの? 貴方からいい香りがしたのだけれど……」

 そう言っていぶかし気に僕の体をじろじろと見やる彼女。より緊張が高まる。

 だが確かに、どうにも先ほどの痛みを感じたそばから、体の調子に違和感を覚えていた。速くなる胸の鼓動を抑える感触が異様に柔らかいこと、発する声も裏返るというより、声色自体が変わってしまったように感じること。

 どんどんと何かがおかしいと自分の内の警鐘の鳴る速度が上がってゆく。だがこの場で僕は肉食動物に首根っこ噛まれた草食動物であり、疑念を解決する能力はなかった。

 ふいに彼女は僕の頬から手を腰に回し、引き寄せ、そしてもう一方の手でアソコを遠慮なくまさぐった。

「あら、やっぱりナイじゃない」

 現状を打破するのは、彼女の役割だった。

 ようやく僕は、自身の体から、アレがなくなってしまったことに気がついた。

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