五.メメント・モリ
ヴェルソーが土産話と謎の土産を置いて再びどこか未踏の地へ旅立って行き、数日後である。チドリにそう言ったように、アイのデバイスがRIリサーチャーズからの呼出を告げる通知音を立てる気配は一向になく、従って、毎日のようにインドに入り浸る日々が続いていた。一応は第四クラスターに住居と呼べるプレハブを購入してあるアイだが、何しろ家具の類を用意するのも一苦労、整えたところで全てが天井に張りついていたのでは住み良い空間になるはずもなく、RIのロゴが入った反R専用の支給ボックスに最低限の衣類やパウチ食糧を入れているだけだ。実のところRIリサーチャーズをはじめ、地上再建に携わる企業に所属できている幸運な反Rは、そうでない者より快適な生き方を選べないこともない。RIリサーチャーズで言えば、調査の基本装備として開発された重力場の各種コントローラを、反Rに限り相当な破格で入手することができる。性能や制限事項は機種により様々だが、自宅では文字どおり地に足を着けられるように福利厚生を活用している反Rは、少なくないとも聞く。外に出れば「ハングマン」であることに変わりはないわけだから、それはそれで別の苦労があるだろうが、家の中でだけでもあらゆるものが当たり前のように使えるというのは、人によっては少なからずストレスが軽減されそうではある。アイも、一つ試してみようかと思ったことがないわけではない。しかし、悪癖たる長考で検討しているうちに、旧地上担当の隊に所属が決まり、同時に不定期かつ稀に帰宅するだけの箱となった自宅にこだわりがなくなってしまった。そうなるとどこにいても同じことなので、美味いとも不味いとも思わない煙草を携えて、ついあの喫煙所へと足を向けてしまう。
一昨日は徹と、そして昨日は徹の知り合いだという人も加えて、意味のあることないことを思いつくまま語り合った。ムサ、徹、チドリと揃うと騒々しい初老、と見えがちな徹だが、鷹揚な性格とは裏腹に話術は驚くほど精細である。計算づくというほど冷たくもなく、空気を読んだと判るほど気遣いも感じさせず、行き交う言葉と言葉の間を器用に立ち回る。チドリに招き入れられてからすぐに徹とも顔を合わせ、付き合いは短くないほうだが、それでもその巧みさに感づいたのはここ最近のことだ。そんなことに考えを巡らせながら、ぽかんと口を開けた正面を覗くと、久方ぶりのシニカルな横顔が待っていた。
「ムサ」
声をかけるなり破顔する愛らしさは、若さ特有とも、特権と言ってもいいかもしれ
ない。
「アイさん。いつから戻ってたんですか?」
「五日くらいかな。仕事が休止状態でね、毎日来てるけどムサこそ久しぶり?」
「ああ俺はちょっと、現場が続いて。と、あと、現場の近くに遊び場が、できちゃって」
少しバツの悪そうな表情の原因は大方予想がつく。いかにもドライで、煩雑な人づきあいなど好まなそうな雰囲気をして、半径片腕分の円周に入れた他人相手には無警戒に腹を見せるのが、チドリという男だ。ムサが新しい居場所に夢中になってこの場所が寂しくなるのではと、駄々の一つでも捏ねたというところだろう。
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