四.八センチメートルの矜持
それぞれ正円と三日月型になった二対の眼に見返され、期待を裏切らないその表情に、ヴェルソーは満足げに微笑む。
「かわいい方の二人はいないんだ。ごめんね、坊やじゃなかった」
「ご無沙汰してます」
「元気そうだね、ヴィーさん」
「そうかな?どれくらいぶりだっけ、とにかく会えて嬉しいよ二人とも」
言いながら長椅子の近くにザックを下ろし、ヴェルソーは筐体の一つを覗いて取り出した箱を検分しながら、チドリの定位置から二人分ほど離れたところに座った。アイの煙草の潰れ方が可愛く見えるほどにひしゃげた箱を手の中でしばし弄び、摘まみ出した一本は見るからに湿気って縮れている。
「テツさん、悪いけど火貸してくれる?」
「いいけど大丈夫かよそれ」
「シュレーディンガーの煙草ね」
心配を隠せない二人を余所に、ヴェルソーはデッドオアアライブ、と愉しげに独り言ちて着火する。結論から言うと、デッドであった。
「ア、だめこれ」
一呼吸もしないうちに彼女はべえ、と舌を出して、摘まんだ煙草とぺしゃんこの箱を長椅子の吸殻入れにシュートする。その拍子に何かに気づき、あら、と声が出た。
「なんだ、チドリいたの?」
「散々駄々こねてから仕事に。僕がヴィーさんの少し前に来ちゃったものだから」
「相変わらずべったり」
「気持ち的にべったりしてるだけで本人に言っても否定しますよそれ」
「むしろべったりしたいくらいですけど?!とかな」
徹の模したチドリの発言予想に、解る解ると笑い声が上がる。浮海を泳ぐとある車輌の中で、はたまた第四クラスターの新しい玩具箱で、噂の主たちが盛大にくしゃみを放ったことなどは露知らず、本人らが聞いていたなら抗議抗議の嵐で強制終了せしめられそうな、歳下二人の可愛いところをここぞとばかりに語り合う大人たちであった。
歓談の熱量とともにほとんどチェーンスモーキングしていた三人分の煙に換気が追いつかなくなったので、ほとんど炙り出されるようにゆるゆると喫煙所の外へ出て、各々適当な位置で建物から煙が抜けるのを待つことにした。建物の形をしているとはいえ、欠損箇所の累計から見れば半壊ならぬ、四分の一壊くらいはしている、ただの箱である。密閉性は当然ないが、まともに稼働する換気機能もないので、お互いの顔が見えなくなるほど吸殻が積み重なると時々こうした時間が生まれる。あまり風も吹かないから、満ち満ちた白煙が一陣の風で一掃、などということはなく、ぼこぼこに壊れた箱のそこここから狼煙よろしく上昇する煙がなくなるまで、漫然と待つ。徹はちゃっかり椅子を持ち出して、インドの吐き出す煙に自分のそれを重ねていた。離れたところからそれを見たアイは、自分はどうしようかな、と考えている間にヴィーが近づいてきたのに気づき、ひとまずゆるりと片手をあげた。
「や。隣いいかな」
「もちろん」
ところで、反Rの足場には多少個人差がある。同じ反Rで同じ身長でも、向かい合った時に必ずしも目線の高さが合うとは限らない、といった具合に、反Rは一人一人が異なる高度の重力場をもって足場としている。浮海に次ぐ未知の存在とされる反Rの謎の一つだが、実感から言えば、精々身長の高低程度の軽い不便だ。滅茶苦茶になったとはいえ、基本的には多数派に合わせた向きで再建されつつあるこの世界で、反Rにとって不便なことは、大小いくらでもある。足場がクラスターの地面に近い反Rは正位置で歩いている人間と頭や肩がすれ違うリスクを持つだろうし、逆に浮海側に近い高位置を歩く反Rは人知れない孤独を抱えているかもしれない。身体の個体差に由来する悩みは、世界の形に関わらず普遍である。
そういうわけで、隣とは言うもののアイとヴェルソーの目線は、まったく並んではいない。アイが腕を目一杯伸ばしてやっと彼女に触れられるか、くらいの遠さがある。
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