一.それでも煙は上昇する

 ぶは、と景気よく吐き出した紫煙が、ほとんど原型を留めていないポスターの中から挑発的に見つめ返す女の笑みを素通りし、胸の谷間で揺らいで、長い脚の付け根から爪先までを撫でまわすように上昇して消えた。割れた照明の名残を覆って置いた長椅子に寝転がって、チドリは煙の行方を見届ける。半壊した用途不明の筐体が天井からずらりと生えるプレハブじみた喫煙所、ここはインドだ。と言えど、当然旧インド国家そのものであるはずがなく、概念的にインドということでもなく、この建物の外側に残った三文字に由来してそう呼びならわされているだけである。チドリはここの六番手だそうだから、由来は伝え聞いているものの名付け親の顔も名前も知らない。酔狂、はぐれ、逃避、そんな理由でふわふわと死に場所を決めかねている輩が体よく集まる掃き溜めは、いつの時代もどんな場所でも、たとえ惑星の法則が瓦解しようとも、雑草のごとく湧いて出る。そもそも人類自体が、読んで字のごとく上を下への大災害から二十年弱のち、未だ生き残り、あまつさえ社会と呼べるものを再建しようとさえしているのだから、見上げた生命力である。二度目の煙を今度は細々と吐きながら、チドリはただ雨音を聞いている。いつも頭上でタプタプ揺らいでいる、昼夜を曖昧にする海が時折気紛れに零してくる滴を、今や地盤の下で口を開ける空が降らしていた時と同じ名称で呼ぶ。天地はひっくり返ったが、変わらないものもある。変えるほどでもないものとも言う。言葉ひとつ取っていちいちそんな思案を巡らせるから、住処の要らない仕事を選んでこんなところに入り浸っているのだろうと、この調子だと夜になるまで外には出たくないな、少しばかり退屈だから顔馴染みが誰か来ないかなと、チドリは無言の独り言を三度目の煙に混ぜる。そのまましばらく右腕をだらり

と垂らしていると、煙草を挟んだ二本の指先がチリリと熱くなった。

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