「メイラーが行方不明だと?」

「メイラーが行方不明だと?」

 談話室の長椅子に座って、肘掛けに頬杖をつくアイシャがそう言うと、ウォレスはこくりと肯いた。

 ロザリーフ大聖堂の敷地にある居住棟。そこはユエニの僧侶たちが戒律を守り、清貧と貞淑を重んじて共同生活する場である。ウォレスはその日の昼過ぎ、アイシャへ会いにオーリア正教会のロザリーフ大聖堂を訪れたのだった。まるで昨日の彼女と同じ立場である。とはいえ大聖堂は公共施設のようなものだ。立ち入るのにそれほど遠慮はいるまい。

 ウォレスは振る舞われた苦い茶に口をつけ、ぼやくように言った。

「困っちゃうんですよねえ、領地巡回の当番をすっぽかして。なにかご存知ありませんか?」

「いや、わたしは特に……」

 思い当たる節がないわけでもなかったが、アイシャは言葉を濁した。そして、

「奴を最後に見たのは?」

「昨日です。夕食の前でしたね。うちの門衛が、使い走りの子供から卿宛ての手紙を預かったんで、ぼくが取り次いだんですよ」

「どんな内容の手紙だ?」

「さあ、そこまではわかりません。メイラー卿はそのあとすぐに砦を出てゆかれて、それきりだそうです」

「ふむ、心配だな。わたしのほうでも心当たりを捜してみよう」

「ええ、おねがいします。基本だらしのない人ですけど、こんなこといままでになかったので」

 ウォレスが帰ったあと、アイシャは相棒のネリを呼んだ。ウォレスには不用意なことを言わなかったが、メイラーの失踪は事件性の高いものと思えた。あのヴァンパイアハンターのファムケがラクスフェルドに現れた時期といい、偶然とは思えない。

 アイシャが上役の助祭に話をすると、神聖騎士団の活動として許可が下りた。アイシャとネリは、まずメイラーに手紙を渡したという使い走りの子供のことを調べにかかった。

 国王騎士団の砦の裏口には門衛の詰所がある。そこでは退役したオーリア軍兵が門番として雇われているのをアイシャは知っていた。さっそく国王騎士団の砦へとふたりは向かう。

 老いた門衛に話を聞くと彼は使い走りの子供のことを憶えていた。学校には通わず、なんでも屋のようなことをやっているマリクという名の少年らしい。マリクは家も親もなく、ラクスフェルドのスラム界隈でその日暮らしをする有名な子供であるとのこと。

 情報を得たアイシャとネリは、次にラクスフェルドの南西にあたるスラム街へ足を運んだ。新市街のそこはスラムといっても単に貧困層が多く住まう街区であり、旧市街と比べれば危険も少ない場所だ。スラム街で最初に目についた宿酒場へ入り店主に訊ねると、運よくマリクの所在はすぐに摑めた。

「マリクがどこにいるかって? いま裏で芋の皮を剥いてるよ」

 店主にそう言われたアイシャとネリは厨房を抜けて裏口から店の外へ出た。するとそこでは、ジャガイモを山と積んだ籐籠の横で椅子に腰掛け、ひとりの少年がせっせと皮剥きに励んでいる。年齢はまだ一○歳かそこらだろう。移民か、大陸へ連れてこられた奴隷の子供かもしれない。

「おい、ぼうず」

 ネリが歩み寄り声をかけると少年が顔をあげた。しかし人相の悪いネリでは相手が怯えると思い、すぐにアイシャがそのあとを引き継ぐ。

「おまえがマリクか」

「うん、そうだけど……」

「仕事中にすまないな。我らはユエニ神聖騎士団だ。少々、物を訊ねたい。昨日、国王騎士団の砦へ手紙を届けたというのはおまえだな」

 言われたマリクは眇めた目でふたりを見た。そして、またすぐに芋を剥く作業にもどった。

「さあね、どうだったかな。昨日のことなんて、いちいちおぼえてられっかよ」

「砦の門衛はおまえだと言っていたが」

「そうかもね。でも、よく思い出せないや」

「なんだそれは?」

 アイシャが訊くと、マリクはじれったそうに彼女を見あげた。

「ねーちゃん、察しがわるいな。こういうときはあれだろ、鼻薬ってやつ!」

「はっ、がめついガキだぜ」

 ネリがあきれて鼻を鳴らす。アイシャもやれやれという顔をして、マントの内側を探った。

「わかったよ、ほら──」

 マントの隠しから数枚のオーリア銅貨をつまみ出したアイシャは、マリクの目の前へそれを突きつけた。がしかし、マリクが受け取ろうとした直前、ひょいと手を引いておあずけをする。

「手紙の内容は見たのか?」

「そんなことするかよ。使い走りは信用が第一なんだ」

「なるほど。どんな奴だった、おまえに使い走りを依頼したのは?」

「いいからよこせよ。そうしたら話してやるよ」

 アイシャがマリクの掌に小銭を落とすと、彼は額の少なさに不満げな様子だったが、すぐにそれをポケットへしまった。そうして、

「ここらじゃ見たことのない女の人だったよ」

「赤い髪の?」

「たぶんね。外套を頭からすっぽりかぶってたから、はっきりとはわからない。もういいだろ、仕事のじゃまなんだよ」

 マリクが横の籠から次のジャガイモを取って皮を剥きはじめたが、アイシャはかまわずさらに訊ねた。

「もうひとつだけ。その女、影はあったか?」

「影って……昼間に地面とかに映る黒いやつ?」

「そうだ」

「あんた、誰かの影なんて気にして見たことあんのかよ」

「ないな。で、女には影があったのか、なかったのか」

「ちゃんと見てなかったよ。それにあのときはもう夕方で、お日様はほとんど沈んでたし」

「そうか、ありがとう。質問は終わりだ。気が向いたら大聖堂の救済院を訪ねるといい。芋の皮剥きなどせずとも、食事にありつけるぞ」

 マリクへ言うとアイシャは踵を回した。足早にその場を去る。ネリがあわてて彼女を追い、隣に並んだ。

「なあ、どういうこった? あのぼうずが言ってたの、おれたちが見たヴァンパイアハンターか?」

「ああ、ファムケだ。彼女がメイラーを呼び出したんだ」

「なんのために?」

「わたしが思うに、奴の正体は上級吸血鬼だ。配下のアーミテイジを殺された復讐といったところだろう」

「根拠は?」

「なにも」

 アイシャは前を向いたまま、つんとして言った。肩をすくめるネリ。

「聖女様の予言か? やれやれだな。ユエニの信徒に加護あれ」

「おそらくあの集合住宅の下にある地下空洞だ。そこに奴の寝床がある。急ぐぞ」

「おいおまえ、なにをあせって──」

 ネリが言いかけたそのとき、アイシャは一刻をも惜しむように駆け出していた。

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