「メイラー卿、これを」
「メイラー卿、これを」
夕食前、砦の食堂でほかの騎士たちと卓に着き雑談していたメイラーに、ウォレスが折りたたんだ紙片を差し出した。
「なんだ?」
「さっき使い走りの子供がきて、あなたにと」
従騎士のウォレスから紙片を受け取ると、メイラーはそれを開いてみた。
「じゃあ、たしかに渡しましたよ」
「ああ。すまなかったな」
紙に書かれている言伝に目を通しながら、去ってゆくウォレスへメイラーが言う。彼はその後、しばらく思案に暮れていたが、やおら立ちあがると国王騎士団の駐屯地から出ていった。
先日の吸血鬼騒動に関して伺いたいことがあるゆえ、夕刻の鐘のころ《青い牡蠣亭》で待つ──
ウォレスが持ってきた紙にはそう記されていた。差出人の名は、ファムケ。今日の昼間、アイシャが話していた例のヴァンパイアハンターだ。
どうやらファムケはアーミテイジのことを調べて回っているようだ。それで件をよく知るメイラーに当時の詳細を聞きたいということなのだろう。別段、断る理由はなかった。加えてメイラーは個人的に、ヴァンパイアハンターというものに興味もあった。
待ち合わせの場所に指定された《青い牡蠣亭》は、ラクスフェルドの繁華街にある庶民的な酒場だ。通りから少し外れた横丁に店を構えており、メイラーも場所は知っていた。
日が沈み、ちょうどロザリーフ大聖堂の鐘が聞こえた頃合い、メイラーは《青い牡蠣亭》を訪れた。薄暗い店内には数人の酔客。さして広くないそこを見渡したが、ファムケはいないようだった。
「ようこそ、騎士殿。ご注文は?」
国王騎士団の短衣を着ているメイラーが止まり木の席に着くと、やけに体格のよい店の主人がそう言った。メイラーは白葡萄酒を炭酸水で割ったものを注文した。ひとりでちびちびとやっているうち、外からの客が店の扉を開けた。メイラーが目をやると、戸口に女が立っていた。がさつな短髪で化粧気のない顔、そして使い込んだなめした革の鎧を着ている。年齢はまだ若そうだが、顔つきや身なりからしてすれっからしという印象である。
店内をきょろきょろ見回す女とメイラーの目が合った。すると、しなやかな足取りで彼女はメイラーのそばまでやってきた。
「あんた、メイラーかい?」
「そっちはファムケか?」
それでお互いを確認できた。ふたりは店の奥にある卓へ移った。
最初に口火を切ったのはファムケだった。
「いきなり呼び出してすまなかったね。まず、話をする前にあたしの──」
「知っている。ヴァンパイアハンターだそうだな」
メイラーのその言葉にファムケは面食らったようだ。メイラーが自分はアイシャの知り合いで、ファムケの身元を知っている理由を語ると、なら話が早いと彼女は吸血鬼騒動のことを根掘り葉掘り訊ねてきた。やはりファムケはアーミテイジと繋がりのある、別な吸血鬼を捜してラクスフェルドに足を運んだのだという。メイラーは自分が体験した吸血鬼騒動のことを包み隠さず話した。ファムケは必要以上に話の腰を折ることはせず、静かに耳を傾けていた。そうしてメイラーがすべて話し終わると、彼女が言った。
「じゃあ、アーミテイジという吸血鬼を手にかけたのは、あのアイシャって神聖騎士なんだね?」
「そうだ。残念ながら、おれは足を怪我していて、まったく動けない状態だったからな」
「ふうん……」
言って、ファムケは話の途中で注文していたトマトの絞り汁と蒸留酒を混ぜたカクテルに口をつけた。その、なにか釈然としないような彼女にメイラーは肩をすくめた。
「お役に立てたかな?」
「まあね。だけど、こいつはちょっとまずいことになったようだ」
「なにがだ?」
「あたしの見立てだとあの女、吸血鬼になりかけてるよ」
メイラーはちょっとの間、告げられたことが理解できずに呆然となった。それから彼はあわててファムケに問うた。
「どういうことだ。あいつは吸血鬼に血を吸われたわけじゃないんだぞ」
「血を吸われなくても、吸血鬼になる場合がある」
腕を組んだファムケは深刻な表情で卓に身を乗り出し、さらに語を継いだ。
「吸血性ポルフィリン症──吸血鬼となんらかの接触をした者が、たまに感染する病気だよ。自覚症状はなく、徐々に病状は進行するんだ。陽の光への過敏性反応、感覚の鋭敏化、そして吸血の欲求。本人が気づいたときにはもう手遅れさ。昨日の晩、会ったときにもしやと思ったんだけどね。あの女はおそらく感染してる」
「まさか、そんな……」
思いも寄らぬことにそうとだけ言って、あとの言葉をなくすメイラー。
「だけどまだ助かる方法はある。簡単だよ。病状が初期のうちに、解毒の呪文を使って浄化すればいいんだ。やるなら早いほうがいい。あの女、いまどこに?」
「アイシャなら大聖堂にいるはずだ」
「よし、じゃあすぐにいこう。あんたもくるだろ?」
「あ、ああ。もちろんだ」
メイラーは椅子をガタンと鳴らして勢いよく立ちあがった。
夜の闇に沈んだラクスフェルドの路地を、ふたりが足早に進む。角灯を携えたファムケのあとにつづくメイラーは、控え目に言って動転していた。気が急いて何度か道筋をまちがえそうになり、あわてて離れたファムケに追いつくという体たらくだ。
自責の念がメイラーを苛んでいた。あのとき、アーミテイジが吸血鬼ではないかと疑っていたとき、考えもなしにアイシャを巻き込んだのが悔やまれる。それがなければ、いま彼女は平穏を過ごしていたはずなのだ。くそ、吸血鬼から感染する病気だと? そんなこと、モンスター事典にはひと言も書かれていなかったぞ。それに吸血鬼と間近で接したのはアイシャだけではない。メイラーはもしかして自分もと思い、肝を冷やした。
散り散りとなる思惟に気を取られていた。そのせいでメイラーは、急に立ち止まったファムケとぶつかりそうになった。
「なんだ、どうした?」
ファムケの背に向け、メイラーが言う。するとファムケは振り返り、人差し指を唇にあてて静かにするよう彼を促した。そうしてから、路地の先にある通りを指し示す。メイラーが目をやると、ふたりの行く手と交差する通りを誰かが横切ろうとしている。紫紺のフード付きマントをはおった誰かが。
「アイシャ!?」
押し殺した声がメイラーの口から漏れた。
「あいつ、こんな時間にどこへ……」
「見当はつくよ。この先にあるのは例の吸血鬼が住んでいた建物じゃないか。吸血鬼どうしは呼び合うんだ。やっぱりあたしの睨んだとおり、あそこの地下空洞にはまだなにかあるね」
とファムケ。
当然ふたりはアイシャのあとを追った。アイシャはまっすぐにアーミテイジが住んでいた集合住宅への道のりを辿った。と、ふいに表通りから路地へ入り彼女は姿を消す。メイラーとファムケは建物の角に身を寄せて、行く手の様子を窺った。暗いゴミだらけの裏路地だ。そこにもうアイシャの姿はなかった。ふたりは先へ進み、問題の集合住宅前までやってきた。
「鍵が開いてる。なかへ入ったようだね」
ファムケがアーミテイジの部屋の扉を調べてそう言った。それから彼女はメイラーをちらりと見て、
「どうする? こっから先は、なにがあるかわからない。あたしも責任持てないよ」
「ああ、かまわん。おれもいくさ」
メイラーは腰の剣帯に吊っている剣に手をかけ、きっぱりと言う。ここまできて引き返すなどできるはずもない。
ふたりは部屋のなかへ足を踏み入れた。角灯のぼんやりとした光が室内を照らす。ファムケは部屋の隅まで歩き、床にある地下室への扉を示した。
「ここから降りるんだ」
言われたメイラーが膝をつき、床の扉に手をかけた。そのとき、角灯の火が消えた。
「──おい、どうした?」
返事はなかった。不穏を感じたメイラーは、ゆっくりと立ちあがりつつ鞘から剣を抜いた。
「思ったとおりだ。あの神聖騎士を餌にしたら、まんまとひっかかったねえ」
暗闇のどこかから、ファムケの声がした。しかし気配は感じられない。メイラーはようやく、自分がおびき出されたのを知った。
「貴様……吸血鬼か」
「ククッ、さしずめあいつ、あんたの思い人ってとこかい」
「アイシャになにをした?」
「なにもしちゃいないよ。あんたが見たのは、あの女の幻影さ、おばかな騎士さん」
メイラーは声のしたほうへでたらめに剣を振るった。が、なんの手応えもない。上級吸血鬼は霧に変身することができる──そんな蘊蓄がふとメイラーの脳裏をよぎった。
迂闊だった。窮地を逃れる方策を探すメイラーの正面に、ふたつの赤い光点が浮かびあがった。すると彼は魅入られたように動きを止め、剣を取り落としてしまう。そうしてメイラーの意識は、ぷつりと途切れた。
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