城郭都市ラクスフェルドの

 城郭都市ラクスフェルドの南東には、街を囲む市壁と一体化した砦がある。砦を中心とした外側は丸太杭で広く囲われ、そこがオーリア国王騎士団の駐屯地となっていた。

 ファムケと出会った翌日、アイシャは国王騎士団の駐屯地へと赴いた。ヴァンパイアハンターを名乗ったファムケ──アイシャは彼女のことが、どうも気になった。それで吸血鬼騒動の当事者だったメイラーにも、ファムケのことを話しておいたほうがよいだろうと考えたのだ。

 とはいえ、国王騎士団と神聖騎士団は犬猿の仲。アイシャが普段の姿で駐屯地へ出向けば、いろいろと不都合が生じる。なのでその日アイシャは、朝から白いウィンプルをかぶり紫紺の修道服を着て、修道女として国王騎士団の砦を訪ねた。こうすれば身元はわかるまい。いわば、これは潜入捜査。今日の彼女は潜入捜査官アイシャである。

 市壁の内側となる裏から砦に入ったアイシャがメイラーに会いたい旨を伝えると、彼女は食堂へ通され、そこで待たされた。実戦一辺倒の砦には応接室といったものなどないのだ。食堂にはちらほらと騎士たちの姿があり、なにかそわそわした視線を感じる。血気盛んな男どもが詰め込まれた砦に、うら若き女性が入り込めば当然の結果だったかもしれない。しばらくすると入れ替わり立ち替わりで、なにかご用はありませんかと手の空いた騎士がアイシャに申し出てくる始末である。それらに対し、アイシャが笑顔でお気遣いなくと応じるのにも辟易したころ、ようやくメイラーが食堂に現れた。

 肩に手拭いを引っかけたメイラーは汗にまみれ、上半身が裸というとんでもない姿だった。アイシャは彼の姿を見つけるとすぐに席を立った。そうしてメイラーの前でにこりと微笑んで彼の肘を摑むと、砦の表口より外に出た。そのまま砦の横手までメイラーを引っぱってゆく。やがて人目につかない場所までくると、アイシャは険しい表情で彼に言った。

「無作法だぞ、メイラー。修道女の前でなんて格好だ」

「仕方ないだろう、暑いんだから。おれは剣術の稽古の途中だったんだ」

「そんなことが理由になるか。国王騎士は謹直として身を嗜むよう、騎士典範にもあるだろう」

「お堅いこと言うなよ。べつにいいだろ、おまえとおれの仲なんだし」

 言うと、メイラーは上半身にぐっと力を込めた。そして右胸と左胸の筋肉を、交互にぴくっぴくっと動かしはじめる。

「ほら見ろ! すごいだろう!」

 笑顔を浮かべて、得意げに筋肉を動かすメイラー。あきれるアイシャ。

 国王騎士団の駐屯地では、今日も今日とて大勢の騎士たちが訓練に明け暮れていた。遠くから気合いの入ったかけ声が聞こえる。丸太杭で囲われた敷地内では、木剣を手に組み合ったり、板金鎧を身につけて馬上槍試合の練習などが行われているのだ。皆、真剣そのものである。激しい訓練では死人が出ることもめずらしくない。

 アイシャは国王騎士たちによる訓練の様子を見て思った。毎日あんなことをしていれば、きっといま目の前にいる男のように、脳みそまで筋肉となってしまうのだろう。かわいそうに。

 そうしてアイシャはまだ筋肉をぴくぴくさせているメイラーをうっとおしそうに見やる。

「もういいから、その気持ち悪いのをいますぐやめろ。わたしは今日、真面目な話があってここへきたんだ」

「なんだよ、あらたまって?」

 メイラーはようやくぴくぴくをやめて話を聞く態勢となった。アイシャは彼に、昨夜のことをかいつまんで話した。

「ヴァンパイアハンター……噂に聞いたことはあるが、ほんとうにそんなのがいたとはな」

 とメイラー。

「わたしが気になるのは、ファムケの口にしていた上級吸血鬼のことだ」

「上級吸血鬼か。ビカム・ヴァンパイアなどの魔術的儀式で、自ら吸血鬼化したもののことだな。要は吸血鬼の親玉だ。真祖とも呼ばれる。真祖に何度も血を吸われた人間は、そいつもスポーンという吸血鬼になってしまうらしい」

 メイラーの口からすらすらと出てくる吸血鬼の知識に、アイシャは目を丸くした。

「なんだ、やけに詳しいな」

 脳みそが筋肉のくせに。

「なにせモンスター事典で勉強したからな。たしかに上級吸血鬼は手強い。スポーンにはない特徴を持っているんだ。魅了の眼差しもそのひとつだぞ」

「そういえば、ファムケも魅了の眼差しのことを言っていた。あとアーミテイジがスポーンだとも」

「アーミテイジがスポーンだったとすれば当然、奴の血を吸った親玉がいるんだろうな」

「では、あの女はそいつを追ってラクスフェルドにきたのか。上級吸血鬼を狩るために……」

 アイシャはそう推察したが、しかしメイラーは否定的だった。

「いや、上級吸血鬼がこの街にいるとは限らんだろう」

「どうしてだ?」

「上級吸血鬼は主に小さな集落を狙うんだ。そこでひとりふたりと徐々にスポーンを増やして、最終的に住人をみんな自分の下僕とする。アーミテイジのような大きな街に単独でいる吸血鬼こそ、ごく希だぞ。知らなかったのか?」

「う、ああ……知らなかった。しかし、ほんとうに詳しいなおまえ。なんだか納得がいかないぞ。まさか、わたしがおまえに物を教えてもらう立場になるとは」

 戸惑いを隠せないアイシャ。するとメイラーは自分の顎を摑むと、きらりと目を輝かせた。

「ふふ、あまりおれをなめるなよ。だがまあ、吸血鬼退治の専業が動いているのなら悪いようにはなるまい。いいことじゃないか」

「なにがいいものか。それは吸血鬼の勢力がなんらかの動きを見せたからじゃないのか。自分の手下をやられて、黙ってはいないだろうからな。だからファムケはこの街へきたのだとわたしは思う」

「なるほど。となれば──」

「となれば、真っ先に狙われるのはおまえだ、メイラー。あの件といちばん深く関わっているんだからな」

 アイシャはもどかしそうに捲し立てた。それを聞いたメイラーはぽかんと自分自身を指さして、しばらく考えた。

「……言われてみるとそうだな」

「どうやらこの吸血鬼騒動、まだ尾を引きそうだ。くれぐれも気をつけるんだ」

 そう言い含めて、アイシャは帰っていった。

 しかし気をつけろと言われても、具体的にどうすればよいのだ。メイラーは自身の頭脳をフル回転させて対策を練ったが、特になにも浮かばない。そうして、そのうち彼は、

「とりあえず、昼はガーリックトーストとガーリックスープでも食うか……」

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