Deathless Ones
天川降雪
前編
夜も更けたころ、
夜も更けたころ、ロザリーフ大聖堂の敷地内に男が駆け込んできた。修道院の裏口を叩く音に夜番の者が扉を開けると、そこにはひどくおびえた男の姿があった。男の話を聞いた修道士は就寝中の助祭を起こし、それから助祭がアイシャを呼びつけた。
薄い布地のシフトドレスにナイトガウンをはおったアイシャが居住棟の談話室へ現れると、助祭と顔を青くした男が彼女を待っていた。
「おお、聖女様!」
アイシャを見た男は座っていた長椅子から立ちあがると、彼女へすがろうとして卓に膝をぶつけた。狼狽したまま床にへたり込み、かなりの差し迫った様子である。
見覚えのある男だった。アイシャはすぐに思い出した。たしか彼は、ラクスフェルドで数週間前に起こった吸血鬼騒動の関係者だ。あの事件の現場となった、集合住宅の大家。
「落ち着きなさい。なにがあったのです?」
アイシャはガウンの前を合わせて屈み込むと、相手の昂りを和らげる声音で訊ねた。
「ま、ま、またあの部屋です……あの部屋に、誰かいるんです!」
「あの部屋とは、アーミテイジが住んでいた?」
「そうです! 先ほど、うちの店子があの部屋から物音がすると言ってきたので、様子を見にいったんです。そうしたら、扉の鍵が外されていて、たしかに地下室から人の気配が……」
男はそれ以上、言葉を継ぐこともできず、涙を浮かべてアイシャを見るばかりだ。
困惑したアイシャは助祭と顔を見合わせた。
「アイシャ、様子を見てきてあげなさい。いわくのある場所ですから、ネリといっしょに」
「わかりました」
自室にもどったアイシャは小間使いにネリを呼びにいかせた。そうして着替えてから、大聖堂の正面口でネリと落ち合い、ふたりの神聖騎士は夜の街へと出た。
「吸血鬼ねえ……この前のは、おまえが始末したんだろ。もしかして仲間でもいたか?」
角灯を手に夜道を歩くネリが言った。それへアイシャは首を横に振る。
「いや、そうは思えん。アーミテイジはひとりで動いていたはずだ」
「なんにせよ、アンデッドは願い下げだぜ。おれは信仰呪文を使えないからな」
ネリは改悛者だった。数年前までは各地を荒らし回っていた一匹狼の盗賊で、名前を売るためにいろいろ無茶もやったらしい。顔にある醜い傷跡は当時の名残だ。その結果、ネリは方々に敵を作りすぎ、盗賊の世界で居場所をなくす羽目となる。そして命の危険を感じた彼は、修道士を装いオーリア正教会を隠れ蓑として俗世間から姿を消した。が、そこで運悪く枢機卿のモローに正体を知られてしまった。モローはネリの立場につけ込んで、自分の手先となるよう彼を半ば脅迫した。以来ネリは、表向きはオーリア正教会の僧侶、裏では神聖騎士として世を忍んでいる。経緯はどうあれ、金払いもよいので本人はいまの境遇を甘んじて受け入れているようだ。心術と幻術の使い手でもあるネリは、アイシャと組んで任務にあたることが多かった。
目的地である療養所の隣に建っている集合住宅へ着いた。ふたりは中庭を通って裏手から建物内へと向かった。
アーミテイジの部屋の扉は大家が言ったとおり、鍵が開けられていた。扉を押し、部屋のなかへ入る。がらんとした室内。置かれていた荷物はとっくに運び出され、調度もなにもない。
「あんなことがあったんだ、さすがに借り手はいないか」
とアイシャ。
「事故物件てやつだろ。地下室へはどこから降りるんだ?」
ネリが角灯を掲げ、部屋の隅々を照らす。すると木床の壁際に地下室への這入口があった。蓋が上にあげられており、ぽっかりと四角い穴が口を開けている。ふたりが近寄り穴を覗き込むと、階段が地下の暗がりへとのびていた。下から、かすかに物音が聞こえる。
「誰かいるのか」
アイシャが誰何した。まもなく階段の下、ネリの角灯が照らしている明るいなかに、ひとりの女が姿を現す。赤い髪を短く刈り込んだ女で、肌にぴったりと張りつくような、薄いなめし革の軽装鎧で身を包んでいる。彼女の挑戦的な目が、下を覗き込むふたりを見あげた。
「ひとりか? 上まであがってくるんだ」
アイシャが言う。しかし女は不審げな顔をして、
「あんたら誰だい」
「見りゃわかるだろ。ユエニ神聖騎士団だ」
とネリ。それを聞いた女は両の眉を大げさに吊りあげた。そしてしぶしぶといった様子で階段を登りはじめる。
「泣く子も黙るユエニ神聖騎士団ってか。あたしを異端審問にかける気かい?」
一階まできた女はふてぶてしくそう言うと、紫紺のマントを着たふたりを興味深そうに見比べた。その彼女へアイシャが訊く。
「ここでなにをしていた?」
「なにって、この部屋に吸血鬼が住んでたって噂を聞いたからさ」
「あれはもう退治した」
「へえ、あんた吸血鬼の専門家かなんか?」
「いいや、ちがう」
「あたしはそうさ。いわゆるヴァンパイアハンター」
「なんだと?」
アイシャとネリのどちらともが、予想外のことにおどろいたようだ。束の間、互いの目を見交わすふたり。それからネリのほうが女へ、
「こりゃまた、類いまれなるご職業で。そんなんで食ってけるのかい?」
「まあね。狭い業界だよ。だから吸血鬼の情報には耳聡いんだ」
「ほう。でも吸血鬼を退治したとして、いったい誰が対価を支払うんだ?」
「世の中にはカネの使い方を知らないばかってのがいるからね。そいつらが雇い主さ。篤志家の貴族とか、世間の耳目を集めたい成金とか」
女はしたり顔で言う。そして、彼女はふと表情を引き締めると、
「ところで、あんたらが退治したっていう吸血鬼、魅了の眼差しを使ってきたかい?」
「そのようなことはなかったと思うが」
とアイシャが答えた。
「じゃあ、ただのスポーンだったみたいだね。命拾いしたよ。上級吸血鬼だったら、いまごろどうなってたことか」
女は薄く笑って肩をすくめた。
「あーあ、こいつ地下室の塞いだ穴を壊しやがったな」
言ったのはネリだ。彼は地下室への階段を途中まで降りて、下の様子を角灯で照らして見ていた。そこではアーミテイジが、この建物の真下にある地下空洞と地下室を繋げるため、穴を開けていたのだ。業者に依頼してモルタルで塞いだはずのそれが、壊されている。どうやらモルタルの量をケチっていたのだろう。足で蹴飛ばすなどすれば、簡単に割れて崩れるような杜撰な修繕だった。
「奥を調べてたんだよ。なにかあるかもと思ってね」
女がネリのほうを振り返りそう言った。悪びれない彼女を、アイシャが厳しい顔で睨みつける。
「ここは私有地だ。勝手なことをするんじゃない」
「ヤボなこと言うなよ。地面の下はちがうだろ。それにいまは誰も住んでない」
「そうもいかん。この建物の所有者から苦情がきているんだ」
「わかったよ。もう帰る。それでいいかい?」
不法侵入と建造物損壊。見逃すほどの軽い罪ではないが、本人に悪意があるようでもなかった。よってアイシャは女へ後日、憲兵隊本部に出頭して罰金を払うよう命じた。女は不満そうだったが、すぐにでも解放されたかったのだろう、素直に従った。
そうしてアーミテイジの部屋を去ろうとした女を、アイシャが呼び止めた。
「待て。名前を聞いておこう」
「ファムケ」
女は前を向いたまま慳貪に言って、姿を消した。
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