第2話 敷かれたレールからはみ出したい
二人がマンションの一階に降りると、自転車の駐輪場があった。
「ね、自転車に乗れる?」優希が
「もちろん乗れるよ」
「だったらアニキがもう使わないって置いてった自転車があるんだ。ウチはそれに乗るから、ミホはウチの自転車に乗ったらいいよ」
「分かった」
二人の少女は自転車に乗って、海に向かった。行く道々に、まだ冷めたさの残るシンシンと張りつめた空気と陽射しがあふれている。すでに漂ってきている潮風が肌に心地良い。
その時、優希は気が付いた。このコの自転車を漕ぐ姿に見覚えがある事に。それも子どもの頃の姿でなく、中学生か高校生という十代の姿で自転車に乗っているイメージがふっと浮かんでくる。という事は、やはり子どもの頃に限った付き合いではなかったらしい。なのに誰だか思い出せない自分は記憶力がどうかなってしまっているに違いないと優希は思った。
並木道の両側の桜の花はもう半分くらい散りかけ、代わりに明るい黄緑色の葉が
やがて昔の宿場町の跡に差し掛かる。古い木造建築をいくつも通り過ぎていく。よくおばあちゃん達が昔を懐かしんで話す場所だ。自分達だってそこが栄えてた頃には生まれてなかったくせに。すると、大きな通りに突き当たり、ガソリンスタンドの看板も見えてきた。
そして、突如として青い海が見えた。
コンクリートの地面に座り、釣りをしている数人の年配の人達の姿。側で寝そべっている退屈そうな犬。何処からか聞こえてくる工事中のような音と海鳥の鳴き声。
「こんなに青いんだね」とミホ。
「青いよ。晴れた日にはね」
海を見ると優希はいつも不思議な気分になる。海があるのとないのとで、景色がまるで変わるし。
ミホの右側に立って海を見ていると、ミホが首を傾げるようにした。
「何か、この位置からだと慣れないね。いつも右の横顔ばかり見てたせいかな?」
という事は席が右横だったクラスメートかな。頭の中の思い出のファイルを引っ張り出して再びめくってみる。でも優希の通うのは中高一貫校だ。途中で引っ越していったコに、覚えもなかった。
外国の大きな船は海を進路を変えながらゆっくり近付いてくる。沖へ向かう船は徐々に小さく豆粒のようになっていく。海の上は、雲の流れも速い。晴れた日の海は、数分で全く違う風景に変わっている。
「こんな日、歌が思い浮かぶ?」とミホは
「海見てて? そうだね。思い浮かぶ時もある」
「ギターやピアノができるからうらやましいよ。あたしサックス始めたかったんどけどな」
「ウチも今ではギターだけだよ。ピアノは捨てられなくってとってるだけ。上手くならないからね」
「誰が言った?」
「ピアノの先生が。ウチがお手本通りに出来ないから」
「お手本通りに出来ないんだ。あたしみたいだね」
「何がお手本通りに出来ないの? サックス?」
「全部。人生かなあ」
「うわ、重いよ。そう言えばさっき部屋で言ってたよね。身代わりみたいな可哀想な人生が自分みたいだとか。どういう事?」
「身代わりみたいな人の出てくる映画の話、身につまされる」
「何か
「どっちが
「そうなんだ。でも今じゃファンクラブまであるんだ。モテモテじゃん。大人って先生とかでしょ? 卒業したらそれで終わり!……でよくね?」
「そうなんだけどさ、バイト先のコンビニ店長からも嫌われてる。顔はまぁまぁ位の可愛さの子がいて、おだてるのが上手いんだなぁ。店長はそのコ、すごい気に入ってるんだ」
「そんなん、ムシしなよ」
「いつもムシしてる。口笛吹いて平気な顔してさ」
「いい事あるよ」
「実はいい事あった。みほを写した写真が東京のローカル誌に出たんだ」
「すごいじゃん」
優希は、それで見憶えがあるのかなと思った。東京にローカル誌というのも不思議な気がした。
「それでモデルにならないかって話、きて。どこかのモデル事務所の眼に止まったみたい。それで転校する話が出たり。古い映画で、昔の田舎の少女が貴重な水を方々から分けてもらって、お風呂を炊いて身を清めて町に行くって作品があるんだ。あたしも都会に行く前にはそんな事を思ってお風呂に入るかな、とか」
「え? そんなに深く考えないでおこ。新幹線あるし、すぐ帰って来れるよ」
「もう田舎には帰らないかも。両親は離婚して、それぞれ別の人と再婚してるしね。ここでいい事なかったもん。だから最後にここの海を見ておきたかった。うちらの世界ではそういう時海見る事になってんの」
「うちらの世界って(笑) 最後なんて寂しいじゃん。成功して戻って来なよ」
「んー。モデルなら、もっとキレイな人、いっぱいいるよ。結局、夢を胸に抱いて行こうって事にはなるけど、どうなるか分からないままにエンドロール」
「終末論者? 悲観的だね。やりたいんでしょ? モデルさん」
「お手本の人生では、なりたいって思うべきとこ。でもあたしはさ、子どもの頃、最高に太ってブサイクだったんだ。今はもう違うんだけど、今でもその時の自分と変わらなく思えるの。だから悲観的なのかもね。その時代に親切にしてくれた男の子と、も一度話したい。それが一番の望みなんだよ。その頃救いようのない程ぶきっちょで、よく秀才のクールな感じのその男の子が手助けしてくれたから。そのエピソードが一番好きなんだけどね」
「今その子はどこにいるか知ってるの?」
「実は同じ学校。でも特進クラスなんで、うちらとは接点ないよ。シーンも省かれてる。それに超秀才でいつも単独行動の孤独なヤツ。女子と話すとしても同じ特進クラスの秀才の子とだけ。その子がうらやましいよ。あたしは目立ってるから住む世界違うとか、特進クラスの連中からは思われてるようだけどね」
「同じ高校なら話しかけてみなよ。好きなんじゃ?」
「好きかも。それに勉強の仕方だって教えてもらいたい」
「え? モデルになるのに勉強するの?」
「それはあくまで敷かれたレールの話なんだよ。あたし自身は、看護学校に興味あるんだ。貧血で倒れて何日かだけ入院するってエピソードがあって。その時、同じく入院してるちっちゃな子と話したりして。看護師もいいなって。誰に話しても本気にもされない」
「担任の先生にも? あんたの敷かれたレールって変だよ」
「優希は? そんな事ない? 敷かれたレールからはみ出したいって。気になってる人いるんでしょ? 部屋で表紙を見たあの映画を勧めてくれた人とか」
「それは……熱心なファンだけど」
そう言いながらも優希の胸の鼓動が半端なかった。
――そうだ、あの映画を勧めてくれたのは、ファン。でもいつもステージでは一番前の席に座って大きな澄んだ瞳で見つめてたっけ。一つ下の学年の男の子。いつか告白された事も忘れてない。『覚えておいて下さい。ゆうきさんが好きです』――
でも真剣に取り合えなかった。親も教師も誰もが優希の音楽を認めてなくって、反対してて。だから理工系の大学に進路を決めて、音楽をしばらく、いや、ずっと封印しようと思っていた。
――一番認めていないのは自分自身だから……――
あれはびわきもを脱退したメンバーの言葉だったろうか。それとも優希自身の心の声だったのかもしれない……。ミホみたいに、敷かれたレールからはみ出た思いなんて素直に打ち明けたりできないもん、と優希は心の中でつぶやいた。
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