第12話 紅い記憶

 7月の期末試験を目前に、野外活動が行われる。

 王都から馬車に乗り半日の場所にある大きな公園で、2泊3日のお泊り会だ。そこでテントを張り、野営をすることになる。


 この世界は、人類が支配しているわけじゃない。

 精霊、他種族、魔獣にドラゴンなど世界には無数の種族が土地を支配している。

 その中で、人間はわずかな土地を何とか確保しているに過ぎない。

 聖ヴァレリア学園で男女ともに高度な学問を収めよと言っているのは、そのためだ。

 何か一手、タブーに触れれば身の破滅。それどころか国家存亡の危機に陥る可能性があるのだ。

 

 この公園には多くの種族、主に精霊が集まる。ここで貴族たちは人間の矮小さを学び、国家を守るということはどういうことなのかを学ぶための授業だ。


 ゆっくりと歩く木、腕が鳥の翼の少女たちが集まり不思議な歌を歌っている。流れる川には下半身が魚の女性が生徒たちをたぶらかしている。

「誰か! あの兎を止めて!」

 膝ほどの身長しかない2足歩行の兎は生徒から宝石を奪い凄まじいスピードで逃げていた。あれほど宝石類は持ってくるなと忠告されているのにつけてくる方が悪い。


 エレステレカは野に咲く花を愛で、そしてその上でお喋りをする精霊たちに目を細める。

「綺麗ね」

「ええ、本当に」

 侍女のベラリナの視線は、全く明後日の方向を向いていた。

 その視線の先にあるのは第二皇子のオレイアスだ。

 花たちに宿ったおぼろげな精霊ではなく、しっかりと服を着て声を上げることのできる精霊とボール遊びをしていた。

「この世の楽園です」

 見た目は幼い美少年だが、オレイアスはしっかり者だ。その彼が童心に戻って楽しむ姿は、もはや童話の景色だ。

 ベラリナだけではなく、多くの女生徒がその夢のような世界を遠巻きに眺めていた。いや、生徒だけじゃなく精霊やら人型の魔獣やらもうっとり、心を奪われている。

「結婚とか言わないんで、何とかヤれないかなぁ」

「・・・いい、オレイアスに手を出したら殺すわよ」

「婚約者なのでしょ? どうです、三人で」

「生まれたことを後悔させましょうか?」

「できればお手柔らかにお願いします」

 エレステレカはお手上げだと、ベラリナを置いていくことにした。


 犬型精霊と猫型精霊がじゃれ合う姿を見ながら、気の向くままに公園の中を歩く。

 野外活動は20回以上行っている。だが心穏やかに、楽しい、綺麗だと思いながらの散策は初めてだ。


 授業は夜に行われる。

 精霊や他種族は基本的に夜行性が多く、だからこそ泊りがけなのだ。昼間はできれば睡眠をとるように言われている。自分たちの手でテントを張って眠るのだ。

 回数を重ねれば、この日のために昼に寝て、夜に目が覚める様に調整できるようになるのだが、一年生初めての野外活動、眠れない生徒たちは多い。だいたいはこうして時間を潰している生徒ばかりのようだ。


「私はこの時、どうしていたかしら」

 私のテントは特注なのよ、ふかふかの寝袋よ、どうして外で食事なんてしなくちゃいけないわけ? 私は公爵の娘なのよ、自分で作るなんてできないわ!

 そうそう、そんな感じだった。

 初めての野外活動に少しはしゃいでいたのだろう。しかし、それよりも期末テストの方が気がかりでそれどころじゃなかったのも思い出した。

 3位など、このエレステレカにあってはならない事だ。次こそは1位、そのために日々勉強をしなければいけないのに、野外活動だ? 冗談じゃない、勉強よ! そう言って教科書を開いていた。

 なかなかどうして、立派じゃない、私。


 エレステレカは足を止めた。

 彼女はこちらに気が付くと、迷わずこちらへ向かって来た。

「エレステレカ様、ごきげんよう」

「リリカ、ええ、ごきげんよう」

 2人は、静かに見つめ合っていた。


 綺麗な子だ。

 太陽の光など跳ね返す白い肌、少年のように短くしっかりとした髪、そして世界のすべてを見通してやるという野心が見える大きく開かれた瞳。

 見据えられれば、心のすべてまで見通されているかのような錯覚に陥る。


「少し、ご一緒しても?」

 エレステレカから誘った。

 彼女は、頬を赤くしながら頷いた。

 感情が顔に出やすい、愛らしい癖だ。頑張ってなくても頑張って見える、羨ましい体質だ、と捻くれてみる。


「いい天気でよかったわ。雨でも決行と聞いたときは校長に怒鳴りつけに行くところだったわ」

「だ、ダメですよ」

「試験が近いのよ、勉強が学生の本分じゃなくって?」

 日はゆっくりと沈んでいる。

 世界は赤く染まり、暗くなるにつれ精霊たちも目を覚まし始めている。うまく表現できないが、世界が目覚め始めているのを肌で感じる。その世界は、リリアを温かく包み込んでいるようだ。


「こうして、話したかったんです」

 彼女は恥ずかしそうに声をかけた。

「女神エレステレカ教にも入ったんです」

「・・・なに、その邪教」

 リリアは噴き出して笑い始めた。

 しかしエレステレカはそれどころじゃない。なんだその邪教、初めて聞いたんだが。そう言えば最近変な集まりが目につくようになったような・・・

「エレステレカ様が好きな食べ物は何ですか?」

「・・・ブラックコーヒーね。最近飲めるようになって、面白がって飲んでるわ」

「好きな歌は?」

「歌は、父が連れて行ってくれた演劇の歌ね。『華やかかな人生』で物語の中盤、主人公が最良なる時の時に流れる歌。この後に没落するのだけど、その絶望を彩るに相応しい歌だわ」

「好きな時間は?」

「今ね。沈む夕日を見ると、何故か胸が騒ぐの。急げ、遊ぶな、もっと早く、もっと急いで成すべきを成せって背中をせっつくの」

 彼女は頬を赤らめながら、もっと、もっと知りたいと目を輝かせた。それと同時に、思いの外普通に返されたことに少し驚いていた。

「あなたが聞いたのよ」

「え、あ、はい」

 彼女は笑っていた。

 それから、リリアは興奮ながらいろいろなことを聞いてきた。


 本当に、かわいい子だ。

 容姿もよく、可愛く、賢くて芯のある子だ。

 ああ、本当に・・・


 憎い。


 私が持っていないものをすべて持っている。

 努力しても得られないものを、リリアは持っている。まるで物語の主人公、エレステレカが夢見ていた理想の姿。だが、回ってきたのは物語の敵役。邪魔をして、恨み憎しみ、妬み羨み・・・

 ああ、彼女を知れば知るだけ惨めになる。哀れになる。

 乾く、飢える。


「アリシア様って食べ意地が張ってるのに全然太らなくて。だけどほんとは・・・あの、エレステレカ様?」

 彼女の、白く細い首に手を這わせていた。

 この白い整った顔に、一生残るように爪で引っかいてやろうかしら?

 それとも頭を掴み、スイカのように割ってしまおうかしら?

 その澄んだ瞳を、指を入れて引きずり出そうかしら?

 どんな悲鳴を上げるのかしら? 彼女はどのような声で鳴くのかしら? 苦しみもがく声は、私と同じなのかしら? 知りたい、ねぇあなたのことが知りたいのよ、リリア。


 ミイラのように干からびていた体に、血が巡る。

 心臓の鼓動を、久しぶりに感じた。


「ぁ、えれ、す、てれか」

 気づくと無心のまま、リリアの首を絞めていた。

 衝動に支配され、望むままに力を入れ続け・・・


「げほっ、げほっ!」

 リリアは咳き込み地面に伏せった。

「なんで、抵抗しないの?」

 倒れたリリアの胸ぐらを掴んで持ち上げた。

「普通、首を締められれば暴れるわ。なのに、どうして素直に殺されるわけ?」

「・・・」

「あなた、記憶があるわね」

 宝石のような瞳が、濁っていた。

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