第5話 彼女の思う運命
ミラ・ド・ラインは一人になりたくて図書館へと向かった。
伯爵家に生まれたばかりに取り巻きが集まり、勉強どころじゃない。ライン家は三女一男で、ミラは長女になる。
ライン領は帝国が統治している国家ベィリースに隣接している。そのおかげで伯爵領は繁栄しているのだが、急激な繁栄は手が回らなくなっていた。
豪華で重たげなメガネを持ち上げ、長い木製のテーブルの一席に腰掛け教科書を開く。
いまライン領に必要なのは、優れた人材だ。
長男はまだ2歳。父は頑張ってはいるが、能力が高い人物ではない。
帝国では思いもしない犯罪が横行し、貴族は当然の権利だというように不正を行う。書類は山のように積み上がり、金は多く集まるのに財政破綻寸前。
正直貴族同士の繋がりなんてどうでもいい。愛だ恋だなんて言っている余裕はない。そういうのは妹たちに任せ、自分が何とかしなければいけない。
この学園の授業は、本気で学ぼうとすれば膨大で深い。ミラは何をどうすればいいかわからず、とりあえず予習復習だけは繰り返していた。
正直それだけで手いっぱいで、頭の悪い自分にイライラする。
このテーブルには、毎日図書館に来て勉強する学生たちが集まっていた。誰も見慣れたメンバーだが、一度も声をかけたことがない。
誰もが切羽詰まったように学問に励んでいる。自分と同じように、訳ありの生徒なのだろう。
その中に、どう考えても異質な存在が1人いた。
公爵令嬢エレステレカ。
彼女は入学してから、とにかく悪目立ちする女性だ。
授業を良くサボり、言動は淑女としてあるまじきことが多く、女子寮で行われる特別なお茶会に一度も出席しない。
そのお茶会は女子にとって絶対的な義務、面倒だと思いながらもミラでさえ出席しているぐらいだ。そこでの不参加は、女子社会での死を意味する。
不参加の彼女は不良、落第者、貴族の世界では生きていけないというレッテル貼りがされる。
女子たちが言えば、男子たちも従う。世の中は、そういうものだ。
そのエレステレカが、よく図書館に顔を出しては熱心に語学を学んでいる。何冊も本を持ってきて、渋面で書き取りを続けていた。
悔しいが、気になって仕方がない。
お茶会でも全員一致で彼女を追放することに決定しているというのに、気づけば彼女の話題が上がっている。
今では彼女の話題はタブーとされている。悪口でもエレステレカを想うだけで、心が騒ぐらしい。
ミラは右往左往する女子たちを白けた視線を向けていたのだが・・・いざ前にすると気になって仕方がない。
どうして外国語? どこの言葉を覚えようとしているの? たくさん本を持ってくる必要があるのかしら? 体細くて綺麗ね、身長も高いし本当に同じ人間なの?
心の中は大騒ぎ、ミラは自分の心を無理やり押さえつけ勉強に励む必要があった。
何とか今日の予習復習を終えたところで、1人の男子生徒がエレステレカに近づいてくる。
「エレステレカ様、少しだけ時間を頂けませんでしょうか?」
その言葉に、ミラは激しく裏切られた気持ちが沸き上がった。
このテーブルにつく者たちは苦境の中で立ち向かう者の同士、そんな勝手な思い込みがあった。そんな訳の分からない身勝手な絆、ルールを破ったのだ。
「ええ、もちろんよ」
エレステレカは穏やかに答えた。
ただ受け答えをしただけなのに、エレステレカにも裏切られた気持ちになった。まったくもって、とばっちりだ。案外と彼女の悪名も、こんな事で広まったのかもしれない。
ミラは急ぎ片づけ、この場から去ることにした。
「ニニヨ国の言葉が、本によって違うのよ」
ミラの手が止まる。
「はぁ、どうしてニニヨ国の言葉を?」
「知らなくてもいいわ。それよりも知恵を貸してくださらない?」
「ベィリース国とバル国、聖ワール国のことならどうとでも・・・」
自分には関係ない、そう思いながらも手がどうしても止まってしまう。
口を出すべきじゃない。
だけど、ああ、だけど・・・
「基準、標準語がない。もしくは変わってるんです」
いきなり声をかけられ、彼女は少し驚いたように目を丸くした。
「ベィリースも、国が滅びるたびに言葉が変わるんです」
「どういうこと?」
「地方ごとに、少しずつ言葉が変わりますよね。方言です。国が滅びた時、天下を取った地方の言葉、それが標準語になるんです」
ミラたちはそのことで失敗したことがある。
ベィリースの旧王家の方が「我らが言葉を話せ!」と言ってきて、大きな問題になりかけたのだ。
エレステレカは一笑する。
「あそこは、50年ごとに国が滅びてるわね」
そう言って、積み上げらた本をポンポンと叩く。
「言語の前に歴史を調べる必要がありそうね」
慣れ合う事を良しとしなかったというのに、自ら声をかけてしまった。
心から吐き気が込み上げてくる。
「ありがとう、ミラさん」
ミラは、驚く。
「一年生の顔と名前がぐらいは一致してるわ」
顔が一気に赤くなった。
恥も外聞もなく、ただ嬉しい。このはしゃいでしまう感情が許せないほどに。
「どうだろう、ここに居る者たちで協力し合わないか?」
話しかけてきた男子生徒が、テーブルに座る生徒たちに声をかけた。
「1人で勉強するにも限界がある。効率を考えれば、相談できる仲間がいた方がいいに決まっている」
ミラは、そしてテーブルについている生徒たちの手が止まる。
確かに、1人では限界がある。ミラは予習復習だけで手いっぱいで、領地のための勉強ができているとは思えない。
「これは偶然じゃない、困難に立ち向かえる仲間たちが集まったんだ。違うかい?」
この学園に通う以上、最も大切なのはコネクションの構築だ。勉強もする。コネクションも作れる。それならば確かに願ったり叶ったりだ。それに賢い夫を見つけられる可能性だってある・・・
エレステレカは声をくっくっくっと、喉に引っ掛かるような笑いを上げた。
「違うわね、1人で頑張るのよ」
きっぱりと、否定した。
「誰も助けてれなかったから頑張ってんでしょ、これからも救いはないわ」
「・・・」
すとんと落ちた。
彼女の言葉がミラの胸にすとんと落ちた。
伯爵家の華麗なる生活なんて何もなく、没落しないために食らいつく日々。その中でライン一族が学んだ唯一のことが、他人を信じるな、自分で何とかしろ、だ。
仲良くみんなでおてて繋いで頑張りましょう、なんて綺麗な言葉を並べたところで納得できるわけがない。
結局、そのままバラバラに解散した。
ミラは何となく、その日は気分が良かった。
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