第4話 困惑




 梅雨に入って間もない頃、私は風邪を引いて仕事を休むことにした。

 ここ数日、気温が下がって寒くなったせいで、体を冷やしたらしい。

 午前中は近所の病院で診察してもらい、帰りにコンビニで買ったうどんで昼食にする。

 今頃、真歩まほさんは社食でご飯を食べているだろうか。

 最近はお昼も一緒に過ごすことが多かったから、明るい部屋で一人で食べるのが不思議な感じだ。

 食べ終えるのを見計らっていたように、チャットアプリの通知が来る。

『しいちゃん、風邪で休んでるって聞いたけど、大丈夫?』

 真歩さんからメッセージが届いていた。

『全然大丈夫ですよ!』 

『本当に? 無理しちゃだめだよ』

『ゆっくり休んで治します。治ったらまた、ご飯食べに行きたいです』

『了解。早く治るといいね。お大事に』

 ここでやり取りが終った。

 ついこの間まで、一方的に憧れてるだけだった人。でも今はこんな風にやり取りできるようになったことに、改めて感動している。

 真歩さんが心配してくれるだけで、私の心は満たされてゆく。

 しばらく余韻に浸った後、私は薬を飲んで眠ることにした。

 目が覚めた時はすでに夕方だった。

 あいにく曇り空で夕日は望めない。

 ベッドでごろごろしているうちに、あっという間に夜になる。

(夕飯の食材、買って来るの忘れた)

 今更そんなことに気がつく。

 台所に行って冷蔵庫を覗く。しかし何も考える気力が沸かない。適当におかゆでも作って今晩はそれで済まそうか。

 だるくてすぐ作る気にならず、リビングでテレビを見ながらぼうっとする。

 今度は先輩からチャットアプリに連絡があった。だるい、面倒くさい、と愚痴ってしまった。先輩の前では適当に振る舞える。そう考えると、私は真歩さんの前ではかっこつけていたのだと、気づく。

 好きな人の前では少しでも良く見せたいから。

 クッションを抱きながら寝転がっていたら、電話が鳴る。着信音で真歩さんからだと分かったので、私は慌てて起き上がって電話に出た。

『しいちゃん、休んでるところごめんね。具合はどう?』

「薬飲んだので、だいぶ楽になりましたよ」

『辛くない? もし手助けが必要なら遠慮なく言ってね。私にできることなら協力するから』

 真歩さんはいつだって優しい。その優しさに心が温かくなる。

「ありがとうございます。真歩さんが気遣ってくださるだけで、元気になれます!」

『本当に? さっき佐伯さえきさんがしいちゃんが一人で辛そうって言ってたんだけど』

 佐伯さんとは先輩のことだ。

 私がさっき言ったことを、真歩さんに話してしまったらしい。先輩は私が真歩さんに憧れてて、最近仲良くなったのを応援してくれているから、気にして伝えてくれたのかもしれない。

「さっきは辛かったですけど、今はそうでもないというか」

『それならいいんだけど。もし、しいちゃんの迷惑にならないなら、お見舞いに行きたいんだけどいいかな?』 

 上手く断る理由も見つからなくて、むしろ見つからない方がよくて、真歩さんが家に来てくれることになった。

 それからの私は急いで、着古したパジャマから、新しいパジャマに着替えた。

 玄関と部屋を軽く片しておく。

 さっきまで動くのが面倒くさかったのに、こんな時はテキパキ動けてしまう自分がおかしい。

 三十分ほどして、真歩さんが家のマンションまでやって来た。家で会うなんて初めてだ。髪を整えてから玄関を開ける。

「真歩さん、こんばんは」

「こんばんは。ごめんね、押しかけちゃって。どうしても心配になっちゃって。すぐ帰るから」

「来てくださって、嬉しいです。ありがとうございます」

「これ、たいしたものじゃないけど、ゼリー買ってきたの。ゼリーなら風邪の時でも食べやすいかなと思って。あとスポーツドリンク」

「わざわざ、ありがとうございます。買いに行く手間が省けました」

「来る前に何が必要か聞けばよかったよね。気が回らなくてごめんね」

「全っ然そんなことないです」

 ここまでしてくれて気が回らないなんて思う人がいたら、どんだけ贅沢なんだと攻める以外なくなってしまう。

 真歩さんが私のことをここまで気にかけてくれたことが何よりも嬉しい。

「それじゃ、私帰るね」

 真歩さんが去ろうとした時、私の手は勝手に彼女の服を掴んでいた。

「しいちゃん?」

「す、すみません。何でもないです。風邪で疲れてるのかもー。ちゃんと休みます!」

 笑って誤魔化す。

 何故か真歩さんは悲しいような、寂しいような顔で私を見る。

(何でこんな表情かおを⋯⋯?)

「うん。しっかり休んで、元気になってね」

 真歩さんはすぐに何でもないように笑みを見せた。

「はい! 頑張って治します。真歩さんが優しくしてくれたので、早く治りそうです!」 

「しいちゃんって純粋だよね」

「純粋、ですか?」

「ねぇ、しいちゃん。優しい人には二つのタイプがあるの。どんな人だと思う?」

 いきなりの質問に、私はすぐに答えが浮かばなくて首をかしげる。

「一つは性格が優しい人。元々人に優しくするのが好きだったり、そういう素質のある人。もう一つは下心のある人。前者はいいけど、後者には気をつけなくちゃね。私はどっちだと思う?」

 真歩さんは予想外に、真剣な面持ちをしている。

「それはどう考えても真歩さんは前者ですよね。だから安心ですね」

 だけど、真歩さんは初めて見せる自虐的な笑みを一瞬見せた。

「真歩さん⋯⋯?」 

「私もいい人に見えてたらいいけど、下心があるかもしれないよ。それじゃ、私はそろそろ帰るね。お大事に」

「⋯⋯今日はありがとうございました!」

「またね!」

 いつもの明るい笑顔を残して、真歩さんは帰ってしまった。  

(真歩さんが私に優しいのは下心があるってこと?)

 私は真歩さんの真意が分からなくて、しばらく玄関で立ち尽くしていた。

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