公爵令息は幼なじみが愛おしくて仕方がない2(リオルク視点)
実のところ、俺とディティの結婚の約束は俺のごり押しに寄るところの方が大きい。
あれは、まだ俺が八歳になる直前のこと。そう、ディティの六歳の誕生日を過ぎた頃のことだった。
その年、母は子供たちを招いた茶会を開いた。同じ年頃の子供たちを集めて、交流を持たせようという試みだった。後から聞いた話では、人見知りの激しいディティが人に慣れるための訓練の一環でもあったらしい。
ともかく、その日屋敷には多くの子供たちが集った。多くは俺と同じ年頃の少年少女で、子供たちは一堂に集められ、お茶菓子やジュースが振舞われて、楽しく遊んでいた……ように記憶している。
俺はいつものようにディティにぴったりと張り付き、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
ディティは恥ずかしがり屋で、気を許した人間以外にはあまり懐かない子供だった。
俺にとってはそのほうが都合がよかった。ディティの可愛さを知るのは俺だけでいいし、彼女が俺のあとをついて回ることに、俺の自尊心はとても満たされていた。
この役目は俺だけのもの。ディティは俺だけを見ていればいい。俺は本気でそう考えていた。
その日の彼女は初めて目にする大勢の子供たちに、カチコチに固まっていた。
明らかに怯えるディティを、俺はこの日も守ろうとしたのだが、マイシア夫人に「フレアにお友達ができるよう、リオルクも手伝ってあげてね」と言われてしまった。
本当は彼女を独り占めしたかったのだが、仕方がない。
確かに、女の子のお友達は必要だろう。屋敷でも使用人の娘が彼女の遊び相手になっていることを知っている。
俺はディティが女の子たちの輪に入れるように最善を尽くした……つもりになっていた。
女の子たちはみんな機嫌がよさそうで、俺にとても礼儀正しかった。だから俺は彼女たちの本性に気づくことができなかった。
ディティの友人になってあげてほしい、と頼み、快く頷いてくれた少女たちに「ありがとう」と笑顔を返していた。
そのような交流会が三回ほど続いたあとのことだった。
母に連れられて、バルツァー家を訪れた俺は当然のようにディティの子供部屋へと向かった。まだ小さなディティの他に彼女の弟も一緒に暮らす、上階の部屋。
俺が姿を見せるといつもは笑顔満点でこちらに走り寄ってくる彼女が、そのときは表情が硬くて、今にも泣き出しそうだった。
実際、彼女は目に涙を浮かべていた。ディティの泣き顔に俺は動転をした。
俺はすぐにディティのもとに駆け寄って、目じりに溜まる涙を丁寧にぬぐった。
その間もディティは黙ったままだった。
「どうしたの? 一体何があったんだ?」
俺が尋ねてもディティはぐすぐすとしゃくりを上げるだけで要領を得ない。乳母は彼女の弟に掛かりきりで、俺はディティを慰めるために庭に行くことを提案した。
「だめなの」
小さな声が俺の耳に届いた。
「何がだめなんだ?」
「も、もう……ディティはリオルクと会ったらだめだって。リオルクと仲良くするのはだめなの」
「なんの話をしているんだ?」
突然に堰を切って話し始めたディティに戸惑った。
「ディティはもうリオルクとは口をきかないの! だめ、わたしに話しかけたらだめなの!」
何を言われたのか、まったく理解できなかった。
いや、頭がその言葉の意味を受け止めるのを拒絶したのだ。
「もうリオルクとはしゃべらないの」
そう言うとディティは「うっ……うぅ」と
だが、俺は納得いかなかった。
「嫌だ。俺はディティのことが大好きなのに!」
「だめなの。だめなの。しゃべったらだめなの!」
何度懇願をしてもディティはぶんぶんと頭を左右に振るだけ。
理由を聞いても泣きじゃくった彼女は曖昧に答えるだけで、らちが明かない。
「どうしても? 一体いつになったら話しかけてよくなるの?」
「そっ……そっ……それは」
「ディティ」
「じゅ、十年間!」
十年て、長過ぎだろう! 俺は呆然とした。
てっきり十日とか一カ月とかだと思っていたのに。いや、それでも途方もなく長いけれど。
十年て、一生分以上に遠い未来だ。
それからは本気で絶交をするつもりなのか、どう懇願してもディティは首を横に振り続けるだけだった。
俺は途方に暮れた。一体、どんな理由があったというのだ。
しかし、彼女はもう俺と話すつもりは無いらしい。一方的な絶交宣言が始まってしまい、狼狽えた。このままでは本当に十年間ディティは俺と口をきいてくれなくなる。
それはいやだけど、しつこくすれば今度こそ嫌われてしまう。
ディティに嫌われることは、この世界の全員に嫌われる以上に堪えることだ。
「わかった。最後にこれだけ約束させてほしい」
俺は一縷の望みをかけてディティの目を見て話しかけた。
「話さなくてもいいから、俺の話を聞いて」
ゆっくりとした口調を心がけると、ディティが泣き止み、茶色の瞳を丸くしてこちらにむけた。愛おしくてそのまま抱きしめたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえた。
「十年間、きみとの約束を守るから。その代り、俺にも約束をしてほしい」
「……?」
ディティが首を傾けた。
「十年後、俺のお嫁さんになってくれる?」
「……およめさん?」
つい聞き返してしまったのだろう。ディティは慌てて口の前に両手を持ってきた。
可愛い仕草に顔がにやけてしまう。本当にディティは可愛い。今すぐに結婚をしたいくらいなのに、俺たちはまだ子供だからそれもままならない。子供とはとても不便な生き物だ。
「そう。俺と結婚をしてほしい」
ディティはじっと俺の顔を見つめた。
「じゃないと、約束は守らない。俺は毎日ディティに話しかけるし、きみが返事をしくれるまでここに居座る」
「だめ! お嫁さんになるから!」
咄嗟に叫んで、また「しまった」という顔を作るディティ。
「うん。十年後を楽しみにしている」
確実な約束を貰った俺はにっこりと微笑んだ。
これでディティは将来誰のものでもない、俺のもとになる。そう思えば、永遠とも思える十年だってどうにか耐えられるというものだ。
その後、俺はディティが急に絶交宣言を告げた理由を探った。
彼女はどうやら、ほかの女の子たちから仲間外れにされたようだった。理由は簡単だった。俺がディティにばかり特別扱いをするから。子供同士で何度か集められた際、俺は女の子たちのうわべの顔だけに騙されていたのだ。
陰であの女たちは俺のディティに嫉妬をして、いじわるなことを言ったのだ。
俺はすぐさま両親とバルツァー夫妻に事の次第を訴えた。
ディティにいじわるを言った女たちに仕返しをすると息巻くと、マイシア夫人が困ったように眉を下げた。
「だめよ。あなたが出ていくと余計に問題が大きくなっちゃうもの」
「でも」
「わたしも少し性急すぎたみたい。今後、フレアがあの子たちに会うこともないし、話ならうちの人がつけるから、リオルクは何もしないでね。問題がややこしくなるし」
「俺だってディティのことが大切です」
「まったく、あなたといいうちの人といい……」
マイシア夫人は嘆息をした。子供同士のいざこざを大事にしたくない彼女にとっては、夫のディラン氏の暴走を止めるのも一苦労だったらしい。貴族ではないがディラン氏には人脈と金がある。商人らしいやり方で狙いを定めた人間を没落させることなど、彼にはたやすいらしく、マイシア夫人は「娘が可愛いとは言っても、大人げないのよ」ともう一度ため息を零した。
今回ばかりはディラン氏に賛同だった俺としては、マイシア夫人の対応の方が生ぬるく感じた。
そんな俺を宥めたマイシア夫人は「フレアはもう彼女たちとは一緒に遊ばせないから、絶交も終わりかと思うけれど……?」と問うてきた。
しかし、存外にフレアは頑固だった。
俺が姿を見せると、ささっと逃げて隠れてしまうのだ。
そんなことが何度も続くと、俺の心も悲しくなってくるというもので。
マイシア夫人が何度言い聞かせてもディティはそのたびに「だめなの。話せないの」と涙ぐむらしい。
これにはマイシア夫人もお手上げで、俺はしかし「十年後の約束があるから大丈夫です」とそのたびに何てことない風に装った。
そう、俺には彼女との結婚の約束がある。
詳細を両親とバルツァー夫妻に伝えると、彼らは少々呆れつつも見守ることにしてくれた。
唯一反対をしたのはディラン氏だった。娘を溺愛する父親の当然の反応でもある。彼は幼い俺たちの約束を一蹴した。「そんなもの、子供のままごとだ」と。
俺はむきになった。俺の恋は、この想いは本物だ。誰にも覆すことはできない。十年後、俺はディティをもらい受ける。彼女は俺の妻になるのだ。
俺の母上とマイシア夫人はきゃっきゃと喜んだ。
親友同士、二人の子供が結婚をすれば、両方の親になれる。親戚になるのね。嬉しいわね。なんて盛り上がっていた。
最後まで反対をしたディラン氏は俺に賭けを持ちかけてきた。
「そんなにも言うのなら、十年間フレアと一言も話さず過ごしてみろ」というものだった。ディティに約束をさせられてた十年間の絶交期間。これを本当に守ってみろ、ということだった。
「そんな。どうせフレアだってそのうちリオルクに話しかけるようになると思うのに、ひどいわ、あなた」
側で俺たちの会話を聞いていたマイシア夫人が抗議をしたが、ディラン氏は取り合わなかった。彼は高をくくっているのだ。俺が十年も耐えられるはずが無いと。
しかし、俺とディティの結婚で一番の障害になるのは身分でもなんでもない。
確実にディラン氏だ。娘溺愛の彼の許しを得る。これが高い壁になることは想像に難くない。
「わかりました」
俺は彼の条件をのむことにした。
十年後に笑うのは俺だ。絶対にディティを俺のものにしてみせる。
ディラン氏を唯一信頼できることがあるとするならば、俺たちが離れている十年間、ディティに新たな男を近づけないということだろう。彼がいるならば、ディティに余計な虫がつくこともない。
俺の母上とマイシア夫人は俺たちの交わした賭けに呆れていたけれど、これは男と男の勝負でもある。
絶対に俺はディティとの将来を勝ち取ってみせる。
思えば俺もだいぶ子供だった。
成長をしていく中で、俺は自分が生まれたフロイデン家がルストハウゼの中でどのような立ち位置かを学び、そして俺の肩書目当てに女が群がってくることを学んだ。
フレアを傷つけたのは俺自身の行動が軽率だったこともある。家庭教師は女性や年下には優しさを持って接しろと教えるけれど、愛想よく振舞った結果、ディティ以外の女の子たちは、淡い期待を持ったのだ。もしかしたら自分が俺の特別になれるかもしれないと。彼女たちの両親もおそらく、娘たちに発破をかけたのかもしれない。「フロイデン家の嫡男と今のうちに親しくしておけ」と。
だったら俺の取るべき行動は一つだ。
フレア以外の女と親しくする必要もない。笑顔も必要が無い。彼女と話せないのに、別の女に愛想を振りまくだなんて、そんなことはしたくない。
そのように考えた俺は女性相手には徹底して無表情を貫いた。
そのせいか、いつからか俺は女嫌いと囁かれるようになっていた。
ディティ以外の女には興味も無いのだから、その噂はちょうどよかった。
「まあでも、肝心のディティが俺との約束を忘れていたのは誤算だったけれど」
帰りの馬車の中、俺は戦利品である彼女の写真を見つめながら一人呟いた。
苦行の十年を耐え忍べば、バラ色の未来が待っていると信じていたのだが、肝心のディティは俺との結婚の約束をすっかり忘れていた。
しかし、もう根回しはすべて済ませてある。
俺はディティを手放すつもりはないのだ。
ディティは爵位を持たないバルツァー家の娘とはいえ、母親であるマイシア夫人は伯爵家の出身だ。結婚に対する大きな障害にはならない。
だいたい、貴族の隆盛が激しいこの時代、身分のつり合いだのなんだのは古臭い価値観に過ぎない。とはいえ、貴族たちがことさらその血に意義を見出しているのも、新興層の台頭が激しいこの時代だからでもある。
それでも、やり方はいくらでもある。
きみが思い出さなくても、一度交わした約束は有効だ。
俺以外の男がきみを手に入れるなど、そんなのおかしいだろう。
ずっと昔に、きみは俺のものになると、きみは約束をくれたのだから。
「ディティ、愛している」
可愛いディティ。
十年間も耐えたのだ。もちろん、影からそっと見守っていたのだけれど、話しかけらなかったのはつらかった。
とくに、学園に入学してからは本当に苦行の日々だった。
美しく成長をしたディティの笑顔を遠くから眺めて心を慰める日々ももう終わりだ。
これからはじっくり愛することができる。
俺は彼女への土産を買うために、御者に百貨店に寄るよう指示を出した。
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