公爵令息は婚約者が愛おしくて仕方がない(リオルク視点)
呼び出しをくらった俺はせっかくの休息日だというのに、どうしてだか朝から盤遊戯の対戦をする羽目になっていた。
「同じ学園に籍を置いているからって、フレアに必要以上に接近していないだろうな」
などと言うのは対面に座る紳士である。
ディラン・バルツァー。言わずと知れた俺の可愛い婚約者、ディティの父親である。
「まさか。義父上の言いつけ通りに清く正しく交換日記を交わし合う間柄ですよ」
俺はしれっと
毎日彼女を追いかけまわしていることはおくびにも出さない。
「義父上呼ぶなと言っているだろう! 青二才が」
くわっと大きな声を出したディラン氏が勢いよく駒を置いた。
おや、と思ったが俺は黙っておく。
「くっそ。私はまだ、きみとフレアの交際を認めたわけじゃないからな」
「女々しい工作お疲れ様です」
こうして俺を今日呼び出したのも、ディティと甘い時間を過ごさせないようする彼なりの嫌がらせの一環だ。
誘いを無視してもいいのだが、未来の義理の父上と親しくしておくのも円満な結婚に必要なことだと割り切り、こうして付き合っている。
ディラン氏はディティを溺愛している。彼にはディティの他に息子が二人いるのだが、娘は一人きりのため、そしてその娘が最愛の妻と瓜二つなため、他の男に取られるのが我慢ならないらしい。
面倒この上ない男だが、金を持っているせいで厄介でもある。
ディラン氏が本気になれば、ディティをどこかへ隠しておくことなど造作もないだろう。彼にはそれをやってのけるだけの金とコネがある。
貴族が絶対的な支配者であった時代は終わりを告げた。技術革新は、人々によりよい暮らしを提供することになったが、それまでの支配構造を変えさせた。
もはや貴族であることが絶対的な社会的勝者ではないのだ。昨今貴族の称号を持っていても簡単に破産をする。
上手く時流に乗らなければ、称号すら手放す事態になりかねない。
そのような時代に急速に台頭をしてきたのが中流階級だった。バルツァー家のように事業経営を生業とし、投資で資産を増やす新興勢力が台頭して久しくある。
「私はまだ認めていないんだからな。今回の婚約を了承したのも、きみとフレアの約束があったのと、マイシアが乗り気だったというそれが理由だ……」
「それと、僕はあなたとの約束もちゃんと守りましたしね」
「ちっ。まさか本当にフレアと十年間一言も口をきかないとは……。普通その間に初恋なんて忘れるものだろう。どれだけ執念深いんだ、きみは」
「もちろん、ディティ、いえ、フレアは僕の唯一であり最愛だからです」
「私にとってもフレアは最愛だ」
「あなたには最愛の奥方がいらっしゃるでしょう」
「もちろんマイシアは特別の特別だ。そしてフレアはそのマイシアと私の愛の結晶だ。可愛い可愛い最愛の娘なんだぞ! 大切に育てた娘をよりにもよって、腹黒執念男のもとにやらねばならないとは……」
ディラン氏は今しがた百人ほど
少しばかり面倒になって、次の手を置いた。さっさと終わらせてやる。
「あ。こら、そこは無いだろう」
「いいえ。いかなるチャンスも逃さない。それがディラン氏の信条でしょう?」
「く……」
俺の置いた駒が決め手となる。この勝負、俺の勝ちだ。
「では、約束のものを頂きます」
「くそ……」
ディラン氏は悔しそうに立ち上がった。俺は黙ってそれを見送った。盤遊戯とはいえ、勝負だ。あるものを賭けていた俺はほくそ笑んだ。
応接間に静寂が訪れる。俺は立ち上がり、暖炉の近くへと近寄った。飾り棚の上には、家族の写真がいくつも飾られている。
絵画に代わり、写真技術が普及をした現代において、毎年家族写真を撮ることが上中流階級以上の家では一般的になりつつある。
バルツァー家の家族写真には、もちろん可愛いディティの姿もある。
これはおそらく彼女が十歳ころのもの。あどけない少女は真面目な顔をしてレンズを凝視している。
その隣は十二歳頃。順番に目線を動かしていく。写真の中のディティがゆっくりと成長をしていく。あどけなさの中に、少女特有の危うい色香のようなものが混じり始めた頃の写真から目が離せなくなる。
十年間だ。その間、俺は彼女と口を利くことが出来なかった。もちろん、草葉の陰からそっと見守り続けてはいたけれど、十年は長かった。本当ならば、ずっと彼女の側にいて、愛らしい成長っぷりをつぶさに観察したかったのだが。
物心ついたころからディティは俺の心の中にいた。
俺の母親と彼女の母親は親友同士で、俺が彼女と初対面をしたのはおそらく彼女がまだ生後数か月のころ。
それからの俺たちは、まさに幼なじみという関係がぴったりの仲だった。
母親同士が仲が良いため、しょっちゅう互いの家を行き来していたからだ。必然的に俺はディティの騎士になった。
ディティは小さな足で俺のあとをついて回り、俺はそんな彼女が可愛くて仕方が無かった。
ディティと呼べば「なあに、リオルクおにいちゃま」と舌足らずに返事をして、「大好き」と言って頬に口付けをしてくれたりもした。
そういうとき、俺はくすぐったくて、胸の奥に訳も分からぬ感情が芽生えて、ディティを手放したくないという強い想いに捕らわれるのだった。
ディティは俺にとってたった一人の特別な女の子だった。
ずっとずっといつまでも、一緒にいるのだと小さな俺は決意をしていた。
「ほら、約束のものだ」
ガチャリと扉が開き、ディラン氏が戻ってきた。
「ちなみに、ネガは?」
「ネガまでやるわけがないだろうが!」
「ちっ」
俺はムカついて舌打ちをした。
「可愛くないガキだな。みんなきみの外面の良さに騙されているんだ」
「完璧な外面でしょう?」
俺は敢えて特上の笑みを浮かべた。するとディラン氏がものすごく面白くなさそうな顔になる。
手渡されたのは写真だった。
可愛いディティが一人きりで写った写真だ。椅子に座り、ほんの少しだけ首を傾け、ぎこちのない笑顔を浮かべている。これは彼女が十四歳の頃の写真だ。
彼と勝負をするとき、俺はいつもディティの写真を賭けている。いつの頃からか、俺が勝つことの方が多くなり、ディティコレクションもだいぶ増えた。
ちなみに今では全戦全勝できるのだが、そうするとディラン氏がますます頑なになりそうなので、適当に手を抜いているのは内緒だ。
「……ああ、可愛い。最高に可愛い」
「気持ちの悪い笑顔で私の愛娘を見るな」
「爽やかな笑顔と言ってほしいですね」
「なんでこんなのがフレアの婚約者なんだ」
「マイシア夫人に尋ねてみましょうか」
夫人は俺のことを高く買ってくれている。
「いいか、今はまだ仮の婚約者だ。学園を卒業したフレアの意思が最優先だ。フレアが貴様とは結婚したくないと言えば、私は絶対にどんな手を使ってでもフレアを守り切るからな」
「僕とディティの気持ちは同じですよ」
「きみとの約束をすっかり忘れているようじゃないか。おおかた、きみが幼いフレアのお人好しさ加減につけ込んでごり押しをしたんだろう。そうだろう?」
「いいえ。そんなことはありませんよ」
実際はその通りなのだが、俺はしれっととぼけた。こういうとき大切なのははったりである。
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