第5話 嘆きの亡霊

 液体状の”何か”はリゼルをみ込んだまま、走った。


「リゼル様ー‼」


 ラティナも足を素早く動かしで後から追い駆ける。

 廊下を抜け、現在は稼働していない沈殿池施設へと落ちて行った。

 リゼルは呑まれていない左手の爪で壁に突き刺し、体をいきおいと重力で液体の”何か”を分離させた。


「リゼル様ー‼ 今、助けに行きますー‼」


 追いかけて来たラティナが真上から叫ぶ。

 リゼルは無言のまま、液体の”何か”が落ちて行った下を見ながら爪を突き刺してゆっくりと足の着く所まで降りて行った。

 ラティナも《アンペイン・ローゼ》を具現させて飛び降りる。風を操り、《アンペイン・ローゼ》の傘でゆらゆらとゆっくり降りて行った。


『……しくしく…しくしく……』


 ラティナとリゼルが足場に着いた時、女のすすり泣く声が聞こえた。その声がする方向へ向くと水溜まりがった。


『……うぅぅ…うっ…うっ…うっ……』


 水溜まりが形を取り始めた。上半身は異様に細長い腕を持った人、下半身は蛇の胴体、全体ににごれた水色の粘液をおおまとい、本体らしき影が見える異形の化物となった。


「あ…あれはディアボロス、モイストサーペント!」


『……カ………ル……』


「え……?」


 モイストサーペントという名らしき粘液のディアボロスは誰かの名をつぶやいた後、リゼルに向けて突進して来た。

 リゼルは迎撃しようと硬化した右手の爪で粘液に包まれた胴体を本体らしき影ごと斬りつけてモイストサーペントの動きが止まった。

 だが、手応えは無かった。

 斬り裂いた胴体も中身まで全て水で出来ているのか瞬時に元通りに戻った。


「!?」


 リゼルは左手の爪も使って何度も斬ったがモイストサーペントの体は何事もなかったかの様に戻ってしまうのだった。

 ラルヴァも一撃で倒した斬撃が効かない事を悟り、リゼルは後ろへ下がった。


「リゼル様、気を付けて下さい! モイストサーペントの体は水属性のエレメントで構築されています! リゼル様の爪が”火”か”火”と”土”の複合属性の”こう”なら効果が薄いです‼」


「ちっ……!」


 リゼルは舌打ちをして、自分の攻撃が効かないことに動揺し、どうすれば良いのか考えているとモイストサーペントが再び、動き出す。水で出来た骨のい両腕を伸ばしてリゼルをからめた。


「くっ……!」


 モイストサーペントの顔の部分を伸ばして捕まえたリゼルに近づけた。

 濁れた粘液から映されたミイラの様な影の顔が見えて気味悪さを感じた。


『……ケ、ル……可哀想、ナ子……。アナタガ、アンナ事ヲ起コシタカラ……モウ、誰ニモ、受ケ入レテクレナイ。私ノ所為セイデ……』


「え!? は!?」


 この怪物は明らかにリゼルに向けて嘆きの言葉を向けていた。リゼルは記憶喪失になったとはいえ、この化物の悲しまれる身に覚えの無さに混乱していた。


『私ガ、アナタヲ、殺シテ、生マレ変ワラセル!!』


 モイストサーペントの口を大きく開ける。それは普通の人間よりもあごをかなり下げ、見た目が蛇と思わせる伸ばした顔を大きく裂けて、獲物を食らう時のワニの如く、リゼルを再び丸吞みにした。


「わ!!」


「リゼル様!!」


「……!!」


 今度は全体丸ごと呑み込まれ、手足突き破れず、リゼルは呼吸が出来ない状況におちいっていた。


「リゼル様、待って下さい! 今、私が助けます!!」


 ラティナが両手に《アンペイン・ローゼ》を持ったまま、モイストサーペントに向かって走った。

 モイストサーペントは向かってくるラティナを邪魔者と判断し、体から水の触手がやりようはなった。


(まともに受けたら押し返される……。だったら!)


 ラティナは体を左横にずらし、《アンペイン・ローゼ》を持つ手を右手に変え、前へ突き刺し、襲いかかる水のやりかすめた。

 すると一般の人も吹き飛ぶ勢いの水の触手が《アンペイン・ローゼ》でかすめた後に威力がくなって地面に落ちてった。


『!?!?』


 斬っても斬れないはずのモイストサーペントの体から出した触手があの薄紅色の傘に触れた瞬間、かのように制御出来なくなり、元の水に戻ってしまった。

 この不思議な状況に戸惑いながらもモイストサーペントはただちに次の触手を数多に放つ。

 ラティナは矢の如く勢いのある触手らを素早く、一切いっさいの無駄がく、舞う様に避けては《アンペイン・ローゼ》で斬り落とし、モイストサーペントに近づいて行く。


『!!』


 そして、液体の蛇の怪物のもとまで近づくとそのまま突撃槍ランスにもなりそうな《アンペイン・ローゼ》でモイストサーペントに突き刺しにかかる。

 モイストサーペントはラティナの攻撃をかわした。いな、液状の体にかすめた。


『……!?』


 今度はモイストサーペント本体に突然の異変を感じた。

 それはおののやっていることに迷いの疑問が突如に浮かんだ。


「《フルーレ・ブーケ》‼」


 そのままラティナは“戦技アーツ”を発動させた。自身に宿る理力りりょくを練り上げて、右腕の筋肉の瞬発力を増幅させ、《アンペイン・ローゼ》による高速で怒涛どとうの連続突きをおこない、モイストサーペントのいたる所を正確に、かすめてった。

 “戦技アーツ”とは、理力りりょくを支払い、精霊に頼って自然現象を引き起こす“願唱理術がんしょうりじゅつ”とは別に、体内で理力を練り上げて体か固有理術りじゅつまたは霊装を用いて発露させる技の理術りじゅつことである。

 かすめるだけでは肉体的には痛手ダメージを与えることなど出来るわけいというのにどういうわけかあの傘に触れただけで怪物は苦しみ出した。

 それはディアボロスに堕ちた時に失われたはずの良心が戻りつつあるという意味であり、狂気と良心との葛藤かっとうが生じて苦しんでいた。

 これこそがラティナの真骨頂。《痛み無き薔薇アンペイン・ローゼ》はオーラの固有理術こゆうりじゅつ。近づいた者の怒りや欲望等の負の感情をやわらげる効果を持つ。それが武器として具現するとやわらげる能力も向上された。一回触れるたび、その者の敵意と悪意を弱らせるほか、あらゆる運動エネルギーの威力さえも弱めることが可能となった。

 水の触手もラティナの《アンペイン・ローゼ》によって威力と制御する力が弱まり、それに触れたモイストサーペント自身も殺そうとする悪意ががれてしまった。

 聖女とは、人を超えたエンジェロスだから強いのではない。癒療師ゆりょうしは例外を除いてみな、対人での戦いは強くはない。だが、心も癒すことが出来、よこしまに堕ちた亡霊であるディアボロスさえも唯一浄化出来る理術能力りじゅつのうりょくを持っているからこそ人々から聖女と呼ばれるようになったのだ。

 誰よりもお人好しなラティナは、ためらいというかせでどんな相手だろうと直接攻撃することは出来ないが、防御に関しては鉄壁と言えるぐらいに強かった。戦闘訓練でも素早い身ごなしと訓練用武器を使った防御の技術により、彼女を負かす人は居なかった。ただし、ラティナは攻撃しないで避けと防御をし続けただけなので大抵の対戦相手が力尽きて降参をして勝ちを得ただけなので戦闘教官としては、ディアボロスとの戦いに備えては時間をかけて相手の降参を待つ彼女の戦い方を望ましく思っていなかった。

 だが、ラティナの《痛み無き薔薇アンペイン・ローゼ》の効果と彼女が本気になればディアボロスとの戦いは長い時間かけずに決着を着けることが実現するだろう。

 そして相手が悪意き人間ではなく、闇に堕ちたディアボロスが相手で人命も関われば話は別となる。

 全てを救う為に最善の道を選択して真剣に戦おうとする。

 それがラティナ=ベルディーヌである。


『クウォォォォォォッ……!! カッ!?』


 《アンペイン・ローゼ》を受け続け、弱まっていく中、それとは別にもう一つの異変が起きていた。ラティナもモイストサーペントの異変に気付き、攻撃を止めた。

 モイストサーペントの液状の体が突如、泡が浮び弾け、沸騰ふっとうし始めたのだ。


『がぁぁぁぁぁぁっ!?』


 中から発せられる高熱の熱さに体が蒸発されていき、悲鳴を上げながらもがき苦しむモイストサーペントの腹から赤黒あかくろく発光した鋼鉄の鉤爪が飛び出し、それから人が抜け出した。先程、モイストサーペントに呑み込まれたリゼルだ。


「リゼル様!」


「はぁっ…はぁっ…! ……よくも二度もやってくれたな……。もう許さねぇ……!」


 体から湯気を立てて荒い息で呼吸をしながらモイストサーペントに睨みつけるリゼル。

 リゼルは体を硬化すると同時に発せられる熱を怒りでより高め、全身に起こし、モイストサーペントの粘液の体を沸騰ふっとうさせたのだ。

“火”と“水”。属性として相性は悪いが絶対に効かない訳ではない。

 より高い熱を発する火であれば水を蒸発させる事が出来るのだ。

 ラティナの攻撃に弱まったモイストサーペントはより高い熱を発する火であれば水を蒸発させる事が出来るのだ。


「……殺してやる……‼」


 ラティナの攻撃に弱まったモイストサーペントは殺意をあふれさせたリゼルにおそれた。

 ラティナも理術使いには無い、リゼルから発せられる殺意に恐怖を感じた。


「《絶牙ぜっが!」


 リゼルは右手に力を込めて熱量を更に高めた。

 よりあかさを増した鋼鉄の右手を後ろへ下げ、対象に向けて進む。


れっ!」


 後ろへ下げた右手を一気に突き出し、モイストサーペントの顔面を鷲掴わしづかみする。

 てのひらから発せられる高熱と鉤爪状の指先の握力あくりょくによってモイストサーペントは顔面を締め付けれ、悲鳴ひめいも出せない苦痛を味わっていた。


くうしょう》‼」


 モイストサーペントの顔面をそのまま、握り潰した。

 リゼルの忘れていた記憶から今思い出した必殺技、《絶牙裂喰掌ぜっがれっくうしょう》によってモイストサーペントの顔は蒸発され、くなった。しかし、顔がくなってもなお、粘液の怪物はまだ立っていた。つまり、まだ死んではいない、倒し切っていないとリゼルはさとった。

 モイストサーペント後ろへ下がり、逃げようとしていた。今のままではリゼルに勝てないと判断したのだろう。

 リゼルはそんな手負いの化物を逃がすつもりなど無く、とどめをさそうと超高熱の右手を上げて進み出そうとしていた。


「お待ち下さい‼」


 再び攻撃しようとするリゼルの前にある人物が立ち塞がった。

 ラティナだ。


「もうおめにして下さい、リゼル様!」


 ラティナがリゼルを止めている間、モイストサーペントの体が崩れてただの水となった。

 水で構築された仮の肉体を捨て、霊体となって逃げたようだ。

 倒すべき敵が居ないと判断したリゼルは止めたラティナににらみつけた。


「お前……何(なん)で止める⁉」


「ごめんなさい…しかし、あのディアボロスはリゼル様の事(こと)を知っていたみたいですから、きっと……」


 ラティナはあのディアボロス、モイストサーペントを倒すのでは無く、救いたかったからリゼルを止めた。

 モイストサーペントとなった霊は恐らく生前にリゼルと関わりのあった人物であろう。

 《アンペイン・ローゼ》の効果で悪意を弱めた今なら説得も出来たはずで、以前の記憶を失ったリゼルの事も聞き出すことが出来たかもしれなかった

 そうすればモイストサーペントとなった霊を昇天させることが出来ただろうし、それとこれはラティナの勘だが、もしかしたらリゼルにとっても良くない結末を残すことになったかもしれない、そんな予感を感じた。


「知るか! そんなこと! 俺はあの化物に殺されかけたんだぞ!! この責任、どう着けるつもりなんだよ!?」


「そ…それは……」


「弱い者いじめは良くないな~」


 突如、複数人の足音と声が聞こえた。



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