EP3-2 古本屋に連れて行った
二人は、本屋に向かっていた。
本当は、カフェが併設されている本屋とか、おしゃれなカフェとかに連れていきたかった。
だけど、背伸びはしないほうがいい。
浬はふと、大手カフェチェーンでの苦い経験が思い出した。
大勢の人、呪文のようなメニュー表、コーヒーなのかスイーツなのかよくわからない飲み物、
後ろに並ぶ人たちの視線。
あんなのはまっぴらだ、と浬は思った。
界隈では有名らしい恋愛指南書、「異性と出会うならすべてをさらけ出せ」(書いてある内容は立派だが、表紙があまりに下品なので通販サイトのレビューは大炎上だった)にも「背伸びはするな」と書いてあったのだ。
楓ととりとめのない会話をしながら、歩く。
いつもの通学路を途中で右に曲がり、商店街に入る。商店街にしては静かな、明かりのぼやけた道を通る。
古ぼけた通りを行く道すがら、浬はどうしても楓の反応を気にかけてしまうのだった。
楓は、ちらちらと横目で表情を伺う浬の目線に気づいたのか、やさしくなだめるように言った。
「そんな、気い遣わんで。私はな、普段の浅見くんが見れたらそれでいいんよ」
楓はそう言って、柔らかく笑った。
心がすうっと軽くなったように感じた。
浬にとっては、天使のような笑顔に感じられた。
「おおー、雰囲気あるなあ!」
古本屋に着くと、楓が歓声を上げた。
くすんだ窓ガラスやすすけた看板の一つ一つを、観察していた。
「それだけ興味を持ってくれるなら、案内して良かったよ」
と、浬は胸をなでおろした。
「浅見くんは、どんな本を読むん?」
と、楓が聞いた。
「そうだなあ、タイトルを見て面白そうだと思ったらなんでも読むよ」
「ほお、結構読書家なんやなあ。感心、感心」
楓は腕を組んでうんうんと頷いて見せた。
そんなことを話しながら、不意に楓は立ち止まってピンと頭を伸ばし、何かを閃いたとばかりに浬を見た。
「そや。おすすめの本とか、教えてよ。私でも読めそうなやつ」
腕の見せ所だ、と浬は思った。
せめて、自分の得意な領分でくらいは、すごいと思われたい、頼られたい。
そんな気持ちが沸き上がるのを、浬は感じた。
「いいよ、どんな本がいいの?」
「うーん、どんな本、か……こりゃ難しい質問やなあ」
楓は唸りながら少しの間悩んだ。そして、
「決めた。読みやすくて、きゅんきゅんするやつ!」と言った。
「き、きゅん……」
浬は困ってしまった。
「きゅんきゅん」とはつまり、恋愛ものなのだと推測はできたが、そちらは全くの専門外だった。
(恋愛の指南書ならいくらでも紹介してあげられるんだけどなあ)
なんとなく、気まずい時間が流れた。
「ある? 私でも読めそうなの」
楓は不安そうに浬を見上げた。
真正面からぶつかってくるような視線に思わず、浬は目を逸らす。視線が宙を彷徨う。
どうしよう。
ふらふらと彷徨った視線の先で、あるものが目にとまった。
古ぼけたポスターだった。
ポスターのすぐ下の棚に、文庫サイズの小説が並べられている。
一冊手に取り、そこにはどこか見たことあるような顔が並んでいた。
「あ、これいいかも」
「お、どれどれ?」
それは、最近映画化された恋愛小説であった。帯に主演らしき人たちの顔が映っていた。
「あ、これ私も知ってる!」
ポスターに釘付けになっている楓を尻目に、浬はぺらぺらと中身を確認した。
「ざっと見た感じ文章量もほどほどだし、評判も良いみたいだから読みやすいと思うよ。実は、僕も読んだことないんだけどね」
「へえ、確かにこれからきゅんきゅんできそうやなあ」
楓も平積みになっている棚から一冊取り上げ、ぱらぱらページをめくった。
「ええなあ。よし。ほんなら、これ買おう」
「そんなに即決で買っていいの?」
「うん。だって浅見くんがお勧めしてくれたやつやもん」
楓はレジの方へ飛んで行った。行動ひとつひとつがきびきびしていた。
しばらくすると、小さな袋を手に抱えてニヤニヤしながら浬の方へ戻ってきた。
得意満面、といった感じだった。
「ええ買い物したわあ。読んでみて面白かったら、浅見くんにも貸してあげるなっ」
楓は浬の胸のあたりで、小さな頭をひょこひょこ弾ませて、喜んでいた。
まるで、頭を撫でられるのを待っている柴犬のようだ、と浬は思った。
「いい本が見つかってよかったよ」
「うん、浅見くんのおかげやなあ」
「そんな、大げさだよ」
「そうかな? でも、ほんとなんやから感謝はちゃんと伝えとかななあ」
浬の心は踊っていた。
本を一冊紹介して、買っただけなのに、こんなに喜んでくれるものなのか。
これなら、もっともっと、おすすめできる本を探してみてもいいかもしれない。
何かを自分の好きなものを分かち合えるって、素晴らしい、と浬は思った。
今まで自分が見ていた世界は思っていたよりも狭くて、楓がいる今、視界はずっと開けている。そんな気分になった。
「それじゃ、私はこっちやから」
「うん、また明日ね」
別れ際、楓はカバンから本を取り出して浬に見せた。
「これ、おすすめしてくれてありがとうなー! 大事に読むわあ!」
そうやってブンブンと頭の上で手を振り、別れの挨拶を告げた。
(喜んでくれてよかった)
浬は、ほっと胸をなでおろした。
*
家に帰り、ベッドにうつぶせに飛び込むと、どっと疲れが全身にのしかかるような気がした。
体がベッドに深く沈み、もう起き上がれる気がしない。
「大事に読むわ、か」
浬は仰向きになって、楓が見せた笑顔を思い描いた。
(ほんとうに、嬉しそうだったなあ)
「ふう……、まあ及第点ってところかな」
これまで学んできた「恋愛術」なんてものは、一切役に立たなかったが、結果的に楓に喜んでもらえた。
それだけで浬の胸は心地よく高鳴るのだった。
浬はそれから、いつの間にか寝入ってしまっていた。
うとうとと浅い眠りを繰り返していた浬は、スマホの着信音で目を覚ました。
重いまぶたをこすり、通知を確認する。
画面には、楓からの「今日はありがとうなー!」というメッセージが表示されていた。
そのメッセージを見て、浬は仰向けになってふうっと息を吐き出した。
(なんだ、普通の女の子じゃないか)
楓は、普通の女の子であった。
あの屋上で見せた姿が嘘だったみたいに。
心配していた黙示録だとか、そういった類のものは、何一つ気にならなかった。
ひょっとすると、ほんとうに嘘だったんじゃないか
そんなことを思いながら、再び浬は眠りに落ちた。
心地良い、眠りだった。
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