EP3-1 初めて一緒に帰った

 図書館で楓に見つかった日から、さらに二週間ほどたった。

 浬は楓がいる生活に少しずつ慣れ始めていた。


「浅見くん、おはよー」

「うん、おはよう相原さん」


 いつも通りに登校して、いつものように楓と挨拶を交わす。

 浬は、楓と会話することが、生活の一部に組み込まれているように感じていた。

 家に帰ってからのスマホのメッセージでのやり取りは毎日あったし、何かあれば学校でも他愛もないことは話していた。

 二人は、学校の内外で、しょっちゅう話した。


 しかし、逆に言うとそれだけ、であった。

 楓と話しているのは楽しかったし、話していると時間がいつもより早く過ぎる感覚があったけれど、浬が想像していたような、頭の芯がじんと痺れるような刺激的な出来事があるわけでもなく、毎日は穏やかに過ぎていった。


 彼女ができたからと言って、そこまで日常は変化しないのだな、と浬はぼんやりと思った。胸の中は落胆が半分、安堵が半分といったところだった。


 始業の時間が迫り、生徒がバラバラと教室に入ってくる。

 浬はその様子をぼんやりと俯瞰するように見ていた。


 その中で、ふとあるものが目に留まった。

 楓だった。


 楓は「取り巻きーズ」と浬が呼んでいる、近田、苅間の二人と話していた。

 そして突然、楓は二人に背を向け、浬のほうを向いた。


 一瞬目が合い、ドクン、と浬の心臓が脈打った。

 そのまま楓は浬のほうまで歩いて近づいてくる。

 やがて楓は、浬の肩をちょんちょん、とつつき、耳元で囁いた。


 周囲を警戒するように声をひそめて、楓は言った。

「浅見くん、今日、一緒に帰ろ?」


 楓の小さな吐息が、浬の耳をくすぐった。

 浬は、自分の体温がかっと上がるのを感じた。

 体に力が入り、かたく硬直していた。

 心臓が、大きく脈打った。


 同時に、浬はついにこの時が来た、と思った。

 放課後の、帰宅デート。


「うん、も、もちろんいいよ」


 浬自身はなるべく平静を装いながら、ゆっくりと声を出したつもりだったが、声は上ずっていた。

 動揺が楓に気づかれてはいないだろうかと、浬は気が気でなかった。


「やった、そんならまたあとでなあ!」


 嬉しそうに手を振る楓を、浬はじっと見ていた。

 浬はじんわりと温かいものが胸に広がるのを感じていた。


 取り巻きーズのもとへ戻った楓はというと、赤くなった顔をなにやら二人にからかわれているのだった。


 *


「はい、じゃあまた来週会いましょう」


 この日の授業がすべて終わり、そんな担任の言葉で帰りのホームルームが締められた。

 生徒たちは皆、押し出されるようにぞろぞろと教室からでていった。


 そうしていると、楓が、浬のところへはやってきた。

 浬は軽く挨拶するように右手を上げ、なるべく爽やかに見えるように微笑んだ。


「ごめんなあ、おまたせ」

「なんだか盛り上がってたみたいだね」

 楓は顔を赤らめた。

「そやねん、あいつら。なんや私が浅見くんと一緒に帰るからゆーて、いろいろと詮索してきよってん」

 楓が教室の出入り口を指さした。

 浬が視線を向けると、近田チカと苅間マリカが前のめりになって教室の窓から、こちらを覗き込んでいるのが見えた。


「もう、はよ帰り! しっしっ」

 楓は、お邪魔虫を払うようにして、苦々しげな顔で手を振った。

「ははは……、仲が良くていいね」

「ほんま、困ったもんやわあ」


 そうして二人は、興味津々と言った顔で教室からすぐ出たところで待ち構えていた近田チカと苅間マリカを押しのけながら、教室をでた。


 *


 通いなれた通学路を浬は歩いていた。

 ただいつもと違うのは、隣に楓がいる、ということだった。


 浬と楓の家は、思ったよりも近い。

 路線図で言うと、学校から一駅先に着くのが浬の地元で、その一つ先が楓の地元だった。


 浬は緊張していた。

 これまで通学途中にたまたま会うことは何度かあった。

 だから、話すこと自体への抵抗は、もうなくなっていた。


 しかし、わざわざ予定を合わせて「一緒に帰る」ということは、ずっと何かを話して相手を楽しませなければならないのではないか。そういう不安が浬の胸の中で渦巻いていた。


 浬は歩きながら、声の調子を変えずに、なるべく自然に聞こえるように用意していた質問をした。


「あのさ、休みの日とか何してるの?」

「そやなあ。うち、弟が三人おんねんけど、そいつらの相手とかかなあ」


 楓は、きわめて自然体だった。

 自然体の楓の姿を見ると、ひとり緊張している自分が浬にはとても滑稽に見えた。


「へえ、弟がいるんだ」

「そ、小さいやんちゃ坊主ばっかりやから大変で……」


 元気いっぱいの弟たちに囲まれて奔走する楓の姿が浬の目の裏に浮かんだ。


「そや、今度、うち来なよ。弟たち、紹介するでー」

 浬はぎょっとして楓を見つめた。

「あ、ありがとう。嬉しいけど、お邪魔するのはもう少しお互いのこと知ってからのほうがいいかも……」


 浬の反応を見てようやく、楓は自分が言ったことを理解して、さっと顔を赤らめた。


「そそそうやんな、家族の紹介とかは早いやんな。まだ学生やしな。ちゃんと、段階を踏んで、それから……」


 少しの間、沈黙が流れた。

 二人で話しているとき、楓が黙ってしまうと話題が続かないということがときどきあった。

 楓がよく喋る分、浬が聞き役に回ることが多く、自分から話し出さなければならない状況になると、はたと困ってしまうのだった。


「そういえばさ、黙示録のこと、あれからなにか分かったの?」


 浬は、話題を切り替えすぎるのは良くないととは思いつつも、質問を切り出した。

 黙っているよりましだ、と思った。


「うーんいまいちかなぁ」

 楓は曖昧な言葉を返した。

 ひょっとするとあまり話したい話題ではないのかもしれない、と浬は思った。


 無理やり話題を変えるように、「そや!」といって、相原さんは胸の前でポンと手を叩いた。


「今日は、まっすぐ家に帰るん?」

「どこか寄りたいところがあるの? あるなら、寄るよ」


 この時、浬の胸中では不安が大きく渦巻いていた。不安が相手に悟られていないだろうかそう思うだけで浬の心臓は不穏に脈打つのだった。


 もし、おしゃれなカフェとかだったらどうしよう。

 一抹の不安が浬の胸をよぎった。


 浬は、カフェチェーン店の雰囲気がどうにも苦手だった。

 何とかキャラメルマキアートとか、なんとかフラペチーノだとか、商品の名前がまるで呪文のように聞こえていた。

 サイズ一つをとっても、「エル」とか「エム」が通用しないのが歯がゆかった。しばらくたってから、Tというのがトールだということを知ったのだった。


 浬も、一度は行ってみたことがあるものの、注文に手間取った自分を見る店員や、列を並んでいる人の視線に耐えかねて、それ以来行っていないのだった。



「普段、浅見くんがどこ寄ってるのか気になるかも」

「ほんと?」

「ほんと。だって私、よー考えたら浅見くんが普段何して過ごしているかとか、あんまり知らんのやもん。教えて?」


 浬の身体がぽっと熱くなった。

 楓が自分のことを知ろうとしてくれているのが嬉しかった。


「いいけど……、たぶんつまらないと思うよ?」


 嬉しさと同時に、ふっと不安が湧き出てくるのを感じた。

 浬は、あまり放課後に友達と遊ぶ、ということはしてこなかった。

 ゲームセンターに寄ったり、カフェに寄ったり、そういうことはほとんどしてこなかった。

 浬が寄るところと言えば、学校の最寄り駅の裏手にある小さな古本屋くらいしかなく、連れて行ったところで楓は楽しめないかもしれない、と浬は思った。


 すこし、迷った。


「つまらないかどうかは、行ってみんと分からんやろ。物は試し、行ってみよやあ」


 楓の言葉に、浬の胸はいくらか軽くなった。


「……そっか。なら、よく行く古本屋があるんだ。そこへ行こう」

「へええ、古本屋。かっこいいなあ」

「古民家みたいな、ぼろっちい本屋だよ」

「はぁーそれはそれで気になるなあ」


 そうやって話しながら、二人は古本屋へと向かった。

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