EP9-1 楓のもとへ

 朝。


 窓の隙間から差し込む朝日で、浬は目を覚ました。

 起きて、学校の準備をする。

 頭は、冴えていた。


 今日、安否の確認もかねて、一度学校に集まるということだった。


 学校で楓とちゃんと話をしよう、と浬は思った。

 一晩時間がたち、浬の頭は整理されていた。


 あの日、楓は自分の背中にすべてを背負い込もうとした。

 自分にできることはひょっとするとないのかもしれないけれど、せめて話を聞いて、寄り添ってあげることはできるはずだ。


 鞄の中身を整理している途中、鞄の底に硬いものを感じて、浬はそれを取り出した。

 一冊の本。「究極の恋愛術」というタイトルだった。


 浬の脳裏に、楓の姿が浮かんだ。

 文化祭の時に見せた、悲痛な表情。


(こんなもの、何の役にも立たない)


 浬は、本をつかんで、ごみ箱に放り投げた。


 浬は鞄を引っ掴んで、家を出た。


 外は、一点の曇りのない、妙に爽やかな晴天だった。


 *


 学校に着くなり、浬は楓を探した。

 みんな、校庭に集合していた。

 校庭は、近くの小学校や中学校の生徒も集められているのか、子供や保護者達も多く、人でごった返していた。


「相原さんってまだ来てない?」

 浬は校庭で柴山を見つけて、声をかけた。

「ん? おお……、まだみてえだな」

「そっか」

「どうした浬? 急に」

「いや、ちょっとね」

「ふうん……」


 柴山は浬の顔をまじまじと見て、言った。

「ま、頑張れよ」

 と、浬の背中をポンと叩いてどこかへ行ってしまった。


 その後、浬は苅間と近田にも聞いたが、やはり来ていないようだった。

「楓? あれ? さっきまでいたような……」

 と、苅間が言った。

「どこに!」


 浬が、苅間に詰め寄らんばかりの勢いで迫った。

 苅間は、勢いに押されてのけぞった。

「おっとと、どしたの急に。さっきまでその辺にいたけど、どこか行っちゃったみたい」


「あんた、もしかして楓に何かしたんじゃ―――」

 近田は、浬を睨んでそう言いかけたが、浬の表情がみるみる翳っていくのを見て口をつぐんだ。

「ううん、何もできなかったんだ」

 浬は、淡白に言った。

 そして浬は、二人に背を向けて再び歩き出した。


 浬の切迫した様子に、苅間と近田はきょとんとして互いに顔を見合わせた。

「ほんとに、なんかあったのかな。チカはどう思う?」

「さあ? 何かあるなら助けてあげたいけど……、どうだろうね」



 その後も、浬は楓を探し続けた。


 徐々に校庭に生徒たちが集まり始め、騒々しい話し声があちこちで聞こえるようになっていた。

「なあ、今朝のニュース見た?」

「今朝って、流星群のやつ?」

「そう。あれ、やばくね?」


 流星群の話題は、浬も今朝のニュースで少し見ていた。

 番組の間中ずっと、話題は流星群で持ち切りだった。


 なんでも、専門家が口をそろえて「突然現れた」と言っているらしい。

 どこから現れたのか不明。あれほどの数、大きさの流星群を見過ごすはずがない。

 あれは何もないところから突如現れたものだ、と。


 そういえば、海外のどこかの砂漠に隕石のかけらが落ちて、大きなクレーターができていたといっていた。

 僅か10cmほどの隕石が、直径1kmものクレーターを作ったのだとか。

 ニュースが言っていることは、真偽のほどは正直ちょっと疑わしいけど、今回の隕石は質量がとても大きいのだとか。



 隕石。

 楓の言っていた、黙示録、という言葉とどうしても繋げて考えてしまう。

 浬のなかにあったぼんやりとした焦燥感は、いまやはっきりとした形をもって浬を蝕んでいた。


 浬は、楓に電話をかけてみることにした。

 ポケットからスマホを取り出し、コールする。

 画面を押す指が震えて、電話をかけるのに手間取った。


 画面が、楓を呼び出す画面に切り替わった。


 繋がらない。


 浬の心臓は、激しく脈打った。


 昨日の、楓の暗い表情が脳裏によぎった。


(相原さんはきっと――)


 そのとき、突然耳をつんざくような音が外で響いた。

 横から思い切り殴られたような衝撃が、その場にいた生徒たち全員を襲った。


 衝撃に強く加工されたはずの窓ガラスが一度に割れてしまうほどの暴風が吹き荒れた。


「きゃあ!」

「んだよこれ!」

「何なの!? 怖い!」

 あちこちから困惑する声が上がった。


 脳を揺らすような不快な警報音がけたたましく鳴り、女性の声が響いた。


「生徒たちは先生の指示に従って、落ち着いて行動してください」


 教師たちが声を張り上げて生徒たちを誘導する。


 人が右へ、左へ無秩序に動く。

 浬は人の流れを肩でかき分けながら、その中を突き進んだ。


(はやく、はやく相原さんを見つけないと…!)


 進んだ先で、浬は剛田に会った。

「おう、浅見。……どうした? そんなに切羽詰まった顔をして」

「相原さんを見なかった?」

「相原? そういえば見たな」

「どこで、いつ!?」


 剛田は浬のものすごい剣幕に気圧されながら、答えた。


「落ち着けよ。つい十分前くらいかな。学校の階段を上がってた。」

「なんで剛田はそこに?」

「ちょいとトレーニングで疲れててな。寝ぼけてみんな集まってんのに気付かなかったぜ。ハハッ」


 剛田は、白い歯を見せて笑ったが、浬の様子を見て口を閉じた。


「まぁ、なんだ。もうちょい笑ってけよ。その顔じゃ相原も怖がるぜ」


 そういって剛田は、浬の肩をポンと叩いた。

 浬は、少しだけ胸が軽くなったように感じた。


「ありがとう」


 浬は剛田に短く礼を言うと、すぐに校舎の方に振り向いた。

 校庭の奥の方にまで来てしまったため、校舎は今いる位置からは少し遠かった。


 そのとき、屋上に人影がちらりと見えた。

 それは、楓のように見えた。


 浬は深く息をした。

 目の前で、人が怒涛のようにうねり、押し寄せていた。


(校舎に行くには、ここを突っ切るしかない)


 浬は覚悟を決め、人の波に身を投げ出した。


「すみません、ちょっと通してください!」


 浬は声を張り上げながら、人をかき分けながら進んだ。

 重心を下げ、一歩一歩踏みしめるように歩いたが、押し返されてなかなか前に進まない


(早くいかないと、早くいかないと……!)


 浬は全身が熱くなり、熱が体にこもるのを感じた。

 もがいても、もがいても、進まない。

 浬は必至で身をよじった。

 しかし、押し寄せる人の流れは、浬の力でどうにかなるものでは、もはやなかった。


 浬は、意識が遠のきそうになるのをこらえて、足を前に踏み出した。


「おい」


 その時、浬は背後から腕を掴まれた。

 そしてそのまま体育館のほうまでずるずると引きずられた。


「離せ!」

「俺だよ、俺。柴山」


 浬の手を掴んでいたのは、柴山だった。苅間と近田、そして驚いたことに楓の弟であるシュウまでもが集まっていた。

 四人は、引きずり込まれて尻餅をついた浬を、心配そうに覗き込んだ。


「あちゃー、これは深刻ですな」

 苅間が言った。

「浅見、とりあえず深呼吸しな。深呼吸」

 と、近田。


 浬は、言われるがままに深く息を吸った。

 この辺りは人が少なく、浬が息を大きく吸うと、ひんやりとした新鮮な空気が肺に流れこんだ。


 浬の頭は、徐々に意識がはっきりしてきていた。

「校舎に行きたい。相原さんがいる」

 浬は柴山をじっと見て言った。

「相原が?」


 柴山は首をかしげて、近田とマリカに目配せをした。

 しかし二人は、分からない、と言う風に首を振った。


「俺にはお前がなにを企んでるのか分かんねー。けど、お前の様子を見てるとなんとなく、すごく大事なことなんだろうなって分かる」

 柴山の言葉に、苅間と近田が小さく頷いた。

「けど、あんな人ごみの中突っ切っろうとしても無理」と、近田が言った。

「それに、どうせ危ないからって、先生に止められちゃうしねー。入り口はだいたい抑えられてるっぽいし」

 苅間は、校舎前で仁王立ちしている教師たちを指さして言った。

 何かと理由をつけて校舎内に入ろうとしている生徒を、やたらと恰幅のいい体育教師が引き留めているのが見えた。


 浬は少しムッとした様子で

「じゃあどうすれば」と言った。

「こっちの方、すいてるぜ?」

 と、柴山はなんてことない、と言う風に言った。


 柴山が浬の背後を顎で指した。

 校舎へ続く渡り廊下だった。金属板でできた屋根の下は人が雪崩のように押し寄せていた。

「ああ、そっちじゃなくて、上の方」


 柴山が言っていたのは、渡り廊下の、屋根の方だった。

 確かに屋根の上なら人の流れに影響されることもなく、また屋根の先は、二階の教室の窓付近へつながっている。

 窓ガラスがほとんど割れてしまっている今、侵入は容易に見えた。


 浬が納得したのを見て、柴山は笑った。

「な? ここだとちょうど死角になるから、よじ登るとこさえ見られなきゃこっちのもんよ。……あとでめちゃくちゃ先生に怒られるだろうけど。ま、安いもんだろ」


「おいポクポク!」

 歩き出そうとした浬を、止める声がした。

 シュウだった。

「あれ、シュウくん、なんでここに?」

「あー、えっと……」


 シュウはつかの間、気まずそうに目線を反らした。

 彼の通う中学校はこの辺りにありちょうどこの学校が避難場所になっているらしかった。姉の楓のことが心配になって一人抜け出してきたということらしい。

 意外と姉想いなのだ。


「シュウくんって……」

「んなことはどうだっていいんだよ!」


 意外だ、と言おうとしていた浬を遮り、シュウは咳払いをひとつして、話し始めた。


「お前、姉ちゃんと何かあったのか?」

 シュウは、幼さの残る顔とは不釣り合いなほど神妙な声で言った。

「姉ちゃん悲しませたらただじゃおかねーぞ」

「……うん」

「分かったらさっさと行けよ!」


 シュウは、浬の返事を聞くや、ぶっきらぼうに言い放った。


「うん、分かったよ」

 浬がシュウに背を向けて走り出そうとしたとき


「最近さ」

 シュウが、ポツリと呟いた。

 振り向くと、シュウはうつむいて、ただ立ち尽くしていた。


 そこには、いつもの大人びたシュウとは違った、不安に押しつぶされそうになった、十三歳という年齢相応の幼さがあった。


「最近さ、姉ちゃんすごく楽しそうだった。きっと学校が楽しいんだろうなって」


 シュウは、ぽつり、ぽつりと言葉を絞り出すように呟いた。


「でも、それと同じくらい辛そうにもしてた。でも……」


 そこまで言って、シュウくんは堰を切ったように話し始めた。


「気づいてたのに、俺じゃ何もできなかった。

 いつも守られてばかりの俺じゃ無理だった。

 何を言ってもだめだった。ねえちゃん、強がりだから」


 シュウは悲痛な表情で、訴えた。


「だから……」


 目は潤んでいた。楓によく似た、混じりけのない綺麗な目だった。


「だから、絶対にお前が何とかしろよ!!」


 その表情は、叱咤しているようにも、懇願しているようにも見えた。


「……頼むよ」


 最後に小さい声でそう言い残し、シュウは背を向けた。

 そのまま、シュウはどこかへ行ってしまった。


「ありがとう、シュウくん。……ありがとう」

 とぼとぼと歩くシュウの背中に向かって浬は言った。

 シュウも、自分と同じくらい楓を大切に思っているのだ。


「それじゃ、浬はん。行きましょか」

 柴山が冗談っぽく言った。

 浬は、小さく笑った。肩の力がすっと抜けるのを感じた。


 *


 浬は、柴山の肩の上に立っていた。


「いて、いででで……!」


 柴山の肩に、浬の靴がめりこんだ。


「ほら、我慢しなさい……ぷぷっ」

 苅間は柴山の後ろで浬が落ちてしまわないように支えながら、笑っていた。

「てめー、覚えてろよ……」


「届いた!」

 浬の手が、屋根に届いた。

 必死にもがきながら、浬は何とか渡り廊下の屋根の上に登った。


 浬は屋根の上から

「みんな、ありがと、それじゃ!」

「おうよ」


 柴山が肩をさすりながら手を振った。


「おい! お前何してるんだ!」


 浬は、体育教官の野太い声を聞き流しながら、校舎に向かって駆けだした。

 柴山や苅間、近田たちが体育教官を「まあまあ」、と食い止めるのが見えた。


(ありがとう、みんな)


 浬は走る。


 目指すのは、屋上だった。

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