EP7-2 突然の代役、あわただしい練習の日々
文化祭を三週間後に控え、浬たちの毎日はめまぐるしく回った。
「あれ、衣装人数分足りて無くない?」
「大道具、どうやって体育館まで運ぼうか?」
「脚本、もうちょっとオリジナル要素足してみない?」
「どうしよう。当日、誰も見てくれなかったらどうしよう!」
朝、ホームルーム、放課後と、教室は文化祭の準備をする生徒たちで賑わった。
楓のことが常に頭のどこかで気にかかっていたが、その喧騒は浬にとっては丁度よく、目の前のものに集中するということに心地良さを感じていた。
数十人の生徒が、一つの目標に向かう。
一つのものを作りあげる。
包み込むようなやんわりとした一体感を、浬は感じていた。
なかでもひと際、クラス全員が没頭したのは、いよいよ終盤に差し掛かった演技の練習だった。
これまでは、「割り当てられた各自のパートを家で覚えてくる」という各自の宿題のみだったが、他の人を見てタイミングを計り、自分の役割を果たすという「他人に合わせる」という要素に、みんな苦心しているのだった。
「そこ、はけるタイミングもう少し早くできる?」
「貧しい民衆を表現するシーンだから、もう少しなんていうか、恨みがましい感じにしたいかも」
苅間マリカの指示が飛んだ。
練習を引っ張っているのは、苅間だった。
こういう、芸術っぽいのにも興味があるというのは普段の彼女からは想像できず、改めて意外だと浬は思った。
演劇部の青山という男子生徒もクラスにはいたが、彼は口下手で人の上に立つのが苦手だった。また、自分自身も演技に専念したいとのことだったので、苅間が全体指揮、分からないことがあれば青山に聞く、という編成で進めているのだった。
劇の内容が、恋愛色が強いということで、浬はもやもやした気持ちを感じないではなかった。
あくまで演劇、あくまで演技だと頭ではわかっていても、楓が他人に向かって愛の言葉をかけるたびに、浬の胸にはもやが立ち込めるのだった。
楓は、メインキャストの一人、それもヒロインの役になっていた。
ヒロインに据えられていた女子生徒は別にいたが、その生徒はかなり背が高く大人びていて、目鼻立ちがかなりはっきりとしていた。
主人公役の青山と並び立ったときにどうしても女子生徒の方が強そうに見えてしまい、主題に合わないということで配置転換が行われ、その女子生徒には主人公を導く女神の役が与えられたのだった。
そうして空いたヒロイン枠に、楓が抜擢された、ということである。
柴山が声を潜めて浬に耳打ちした。
「浬。……妬くなよ?」
「誰が妬くか」
浬は吐き捨てるように言った。
しかし、そうは言いつつも、楓から目が離せなかった。
時折、濁った黒い感情が胸の中を渦巻くことはあったが、演技に没頭している間は、余計なことを考えずに済んだ。
自分に誰かを憑依させてなりきって踊るのは、心地よかった。
それでいて、浬は隅っこで踊る、民衆の一人だ。
気楽だった。
ぼんやりと楓の演技を見ていた浬に、柴山が耳打ちした。
「それで、ほんとのところは、どう思ってんだよ?」
「どうって……、それで舞台がうまくいくならいいんじゃないか」
思ったよりもそっけない浬の言い方に、柴山は一言、「わり」と言った。
*
何度か全体練習を重ね、ようやく演技に一体感が生まれてきたころだった。
「ええ、青山くんどうしたのそれ!」
教室が騒然とした。
青山が、右足にギプスを巻いて教室に現れたのだった。
「すまん、事故った」
騒ぎが、大きくなる。
代役をどうするか、という話があちこちで飛び交った。
男子生徒は部活に入っている生徒も多く、練習のための時間はあまり取れないかもしれない、というのが心配のタネになっているらしかった。
「本当に申し訳ないが、これでは演技が出来そうにない。だから……」
青山は浬のほうを向いて言った。
「浅見、俺の代わりにやってくれないか」
「え?」
浬はきょとんとして青山を見た。
「みんなの演技見てたんだ。浅見は目立たない役だけど、指示をほぼ完ぺきにこなしている。だから、できると思う」
浬は、返答に困った。
確かに演技をすること自体は心地よかったし、他人よりもうまくこなせている感覚はあった。
しかし、主役となると話は違う。
浬はそうやってしばらく迷っていた
楓の方をちらと見る。こわばった表情だった。
やがて浬は、周りの視線や、泣きそうな顔で懇願する苅間に押し通されて
「分かった」と言った。
その言葉を聞いて、苅間の表情がパッと明るくなるのが見えた。
「ほんと! ありがとう! ……さあ、浅見くん、楓! ここから忙しくなるよ!」
浬は楓を見た。
楓は固い表情のままでじっと立っていた。
*
そこから、浬はさらに忙しい毎日を送ることになった。
セリフを覚え、タイミングを覚え、動き方を覚える。
覚えなければならないものが一度に増え、浬は普段の授業が手に着かないほどになった。
幸い、浬は意外なほどに役に入り込むのがうまく、演技そのものの練習にそこまで時間を割かなくてよかったが救いだった。
一週間、二週間と時間は過ぎ、本番当日が三日後に迫った。
苅間の提案で、一度配置や機材などを最終確認する意味を込めて、体育館を借りて通しのリハーサルを行うことになった。
体育館に移動しながら、柴山はニヤニヤしながら浬に耳打ちした。
「よお、調子はどんなだ?」
「悪くないよ」
柴山は意外そうな表情で浬を見た。
「なんだ、意外と大丈夫そうじゃねーか」
「意外と、って」
「いや、てっきり本番当日が目前に迫って焦ってんのかなって思ったら、意外と平気そうだなと思って」
「僕も自分で意外だと思う。ひょっとしたら才能があるのかもね」
「け、言ってろ」
柴山は、クク、と笑った。
「ま、応援してるからがんばれよ。演技も、な」
柴山はそう言うと、浬の背中を叩き、楓の方を顎で指した。
そして「じゃあな」と言うと、客席側に向かった。
柴山は服飾係だったため、当日にやることがほとんどないのだ。
「も、ってなんだよ」
浬は呟いた。
浬には分かっていた。柴山はあれでも自分を気遣っていたのだ。そのことが少しだけ嬉しかった。
やがて放送部の生徒が、音響設備の扱い方などを簡単に確認したあと、リハーサルは開始された。
怪しげな音楽が流れた。
主人公の友人役の二人が出てきた。
物語は、この二人が、死んだはずの国王の亡霊と出会うところから始まる。
やがて浬の出番が来た。
友人役二人の前に出る。
『おお、良く来てくれた! だが、お前がどうしてここへ?』
浬は、堂々と演技をこなした。
セリフは一字一句間違えることはなく、タイミングや位置取りは寸分の狂いもない完璧な仕上がりっぷりだった。
劇は進み、楓が舞台に上がった。
『いいえ、あの方は私に打ち明けてくださったのです!』
楓は初めは緊張していた様子だったが、しばらくすると興が乗った様子で演技に没頭した。
やがて話は進み、クライマックスを迎えた。
『ああ、俺はなんて馬鹿なことを! こんなにも、近くにいたというのに!』
浬は、楓の腰を腕で支え、抱きかかえた。
その瞬間、二人に向かってスポットライトが当てられた。
二人は見つめ合った。
スポットライトのおかげで、楓の表情がよく見えた。
小さく、ツンと瑞々しい唇が、目の前で小さく震えていた。
このままキスでもしたほうが盛り上がるだろうか。
そう浬がふと思った瞬間に照明は落とされた。
演技が、すべて終了した。
*
「うん、ばっちりー!」
浬が台本に記されている最後の言葉を言った後、舞台袖から苅間が大きく拍手した。
「浅見くん、ほんとにありがとね。何とかなりそうだよ……」
苅間が、ほっと胸をなでおろした。続いて、
「楓も、最初はちょっと緊張が伝わってきたけど、すっごい良かった!」
楓は顔を赤らめた。
「この調子で当日もよろしく!」
そう言って苅間は二人に背を向け、軽い足取りで観客席の方に向かった。
彼女は観客席にいた生徒たちに、しきりに感想を求めていた。
舞台の上にいるのが浬と楓だけになった。
「うん、当日もこの調子で頑張ろう」
「そやね」
二人は淡白な会話を交わした。
その間、一度も文化祭が終わった後のことを話題に出すこともなかった。
そして、二人が目を合わせることもなかった。
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