EP6-4 姉としての楓の姿

 それからの、夏休みの毎週木曜日。

 浬、柴山、楓、苅間、近田の5人は、楓の家に集まった。


 初めはひどく緊張した様子だった浬も、三回目辺りから次第に慣れはじめ、買い出しや弟たちの相手などをつつがなくこなし始めていた。



 だが、夏休みの最終日。

 最後の集まりとなった、今日は違った。


 メッセージで送られた地図を参考にしながら、住宅街に並び立つ通りを歩く。

 住宅地は入り組んでいて、何度来ても地図なしではたどり着けないのだった。


 いくつか家が建っているうちの、ある一軒家の前で立ち止まり、家を見上げて浬は足がすくむのを感じた。


 表札を見る。

 相原、と書いてある。


 暑い。


 買ったばかりの頃はしわ一つなかったTシャツに汗がにじむ。

 この服は、この夏休みの初めに買ったものだ。

 浬の服装を見て「地味だな」と言い放った柴山は、浬を買い物に連れ出し、半ば無理やり服を買わせたのだった。


 五千円のTシャツは、浬にとっては高級品だった。

 服の良し悪しはあまり分からないが、確かに肌触りは良い気がした。

 見た目にはあまり違いはなさそうに見えるのだが、不思議と自信がわいてくるような、そんな感じがした。


 呼び鈴の前で、浬はしばし迷った。

 鳴らすか、どうか。


 誰かが来るのを待とうかと思ったが、浬はすぐにその考えを打ち消した。


 次が来るまではおそらく時間がかかる。

 柴山と苅間は寝坊、近田は先約があり遅れる、という連絡がグループチャットに入っていた。


 つまり、誰かが来るまでは楓と浬の二人きりなのだ。

 そのため、浬はひどく緊張していた。


 やがて浬は待つだけ無駄と観念して、表札の下にあるカメラ付きの呼び鈴のボタンを押した。


 ピーンポーン


 気の抜けた無機質な音が鳴り響く。


 何の変哲もない、よくある呼び鈴のボタンだったが、浬にはとても硬いボタンに思えた。

 かなり気合を入れて押さないと、指が押し返されてしまいそうだった。


 生半可な気持ちで押すと、押し返されて、突き指でもしてしまうのではないか、そんなことを浬は考えた


 しばらくすると、家の中からキャッキャと騒がしい子供の声が聞こえてきた。


 一瞬、家を間違えてしまったのではないかという思いに駆られ、浬は咄嗟に表札を確認した。

 相原で間違いなかった。


 しかし、なかなか返事が来ない。


 もう一度鳴らしたほうがいいのだろうか。でも、しつこく催促しているみたいで気が引ける。

 返事を待つまでのわずかな時間が、浬にはとても長く感じられた。


 やがて、少し待っていると、


「はいはーい、浅見くん?」


 ようやく返事があった。

 浬は、心が軽くなると同時に、一気に血が巡り、鼓動が速くなるのを感じた。


「そ、そう、来たよ」

「ちょっとお待ちをー」


 そういってすぐ、玄関が空いた。

 空いた扉の隙間から、何人かの子供の姿が見える。


「いやー、いらっしゃい、浅見くん。今日も騒がしいけど、堪忍してな」

「うん、お邪魔します」


 楓が、浬を家の中へ促した。

 それについて玄関に入った。


 家の中は、彼女の言った通り騒がしかった。


 相原さんの弟三人の中のうち真ん中の男の子が一人で入ってきた浬を見て騒ぎ立てた。

 八歳の次男、アキトだ

「うお、なんだねーちゃん、今日はふたりきりか!? もしかして彼氏か!? 駆け落ちか!?」

「かれし、かけおちー」

 一番下の三歳、リオが拙い口調でアキトの言葉のマネをした。


「こら、あんたらどこでそんな言葉覚えたんや……」

 弟たちに対して苦言を呈しながら、楓は浬をリビングまで案内した。


 リビングには、シュウがいた。

 シュウは、楓の弟たちの中でも一番仲良くなった、十三歳の長男だった。


「シュウくん、やっほ、きたよ」

「お、ポクポクじゃん。おっすー」


 ポクポク、とはシュウが付けた浬のあだ名である。

 初めて楓の家に来た時、どう接していいかわからずに無愛想になってしまった浬をみて、シュウは浬を、「ポクポク念仁」と名付けたのだった。

 なぜポクポクなのかは分からなかったが、おそらく朴念仁と言いたかったのだろう、と浬は思った。


 楓の弟たちを改めてみると、彼らの持つエネルギーの大きさに、浬は圧倒された。

「ほんと、元気でいいね」

「そうかあ? こんなん、うるさいだけやで……」

「僕が一人っ子だからかな。兄弟を見るとうらやましいなあ、って思うんだよ」

「そんなもんかあ。言ってくれたら一人貸してあげるのに」


 すると、アキトが楓の言葉を聞きつけた。

「姉ちゃん、俺らを売る気かよー」

「かよー」

「冗談やん、ごめんごめん」

 口を尖らし不満を垂れるアキトと、アキトの真似をするリオをなだめる楓。

 その様子を見るたび、浬は、楓の知らない一面を見たような気がして、少し嬉しくなるのだった。



 以前近田が言っていた通り、楓は器用だった。

 掃除、洗濯、料理。


 楓は、家事をそつなくこなしていた楓。


 特に、初めてこの家に来た時に楓が振舞ってくれた、オムライスは絶品だった。

 しかも、その場で全員分を手早く作ってしまったのだった。


 この夏休みの間、浬はいつもと違う楓の一面を見続けてきた。


 面倒見がいい

 料理ができる

 掃除ができる

 裁縫ができる


 いつも学校で見ていた、いわゆる「アホっぽい」彼女とは全く違った、頼れるお姉さんの姿がそこにあった。

 洗濯物や家具は整然と並んでおり、いつも散乱している彼女のロッカーを思うと、想像できなかった。



「他人の世話は得意なんやけどな。自分のことは苦手やねん」

 楓は、苦々しく笑った。

「でもそれはそれで、立派だと思うよ」

「おお? なんだなんだ、口説いてんのか?」


 二人が話していると、後ろからシュウが茶々を入れた。


「余計な事ゆーとらんと、ちゃんと読んだ漫画は片付けや」と、楓が注意した。

「もー、片づけるって。……全部読んだらな!」

 そう言って、シュウは奥にある別の部屋へ駆けて行った。


「ほんまにあの子は……」


 もう慣れてきたが、こういう楓を見るのは浬にとっては新鮮だった。

 楓は学校では、どちらかと言うと元気いっぱいの妹のように扱われていることが多かった。姉らしい楓と言うのも、また良い。と、浬は思った。


「シュウは、ほんまにやんちゃ坊主でなあ」

「そうだね、なかなか大変そうだ」


 落ち着く間もなく、浬の服が後ろからグイっと引っ張られた。


「あそぼー」

 三歳の、リオだ。


「浅見くん、悪いけどちょっとの間、リオの相手してくれへん? 忙しくてゴメンなあ」

「もちろんいいよ。もともと、僕にできることなんてこういう手伝いくらいしかないしね」


 堪忍なあ、と言いながら、慣れた手つきで作りかけの衣装をたたんだ。


「じゃ、リオくん、何して遊ぶ?」

「おうまさん」

「おうまさん?」

「うん、おうまさん」


 リオは楓に似た真ん丸い目で、浬を見つめた。


「う、うん……、分かった」

「ほんと!」

 リオがぱあっと笑った。どこか楓にに似た、華やかさを感じさせる笑顔だった。

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