EP6-3 作戦会議 in ファミレス with 苅間

「ごめーん、お待たせー!」

 そう言って、苅間マリカは現れた。


「あら、早かったじゃない。もう少し遅れてくれても良かったのに」

 近田がぶっきらぼうに言った。


「まーたチカはそんなこと言って。ほんとは私が来るのが待ち遠しかったんでしょ?」

 苅間は、近田を肘で小突いた。


「誰が! もう、早く座りなさいよ」

 そう言って近田は窓際の方に体を寄せ、苅間が座れるスペースを作った。顔は少し嬉しそうに見えた。


 苅間は座りながら、手のひらを顔の前で立てて、謝るような仕草をした。

「どうもどうも。男子諸君も、すまないねえ」

「俺は全然。苅間は、いくつか役割を兼任してるみたいだけど大丈夫なのか?」

 と、柴山が言った。


 柴山は、珍しく緊張しているように見えた。

 あの時は狙っている、と軽く言っていたが、思ったより柴山は本気なのかもしれない。と、浬は思った。


「うん、大丈夫。衣装を作るにも、脚本を作るにも、全体を把握してる人がいたほうがいいでしょ。だから、私がやるのが一番いいの。心配してくれて、ありがとさん」


「いいってこと。それより、もう脚本作ってんの? 早いな」

 柴山が興味津々といった感じで身を乗り出した。


「脚本ができないとその後の作業が何もできないからね。もうほとんどできてるよ」

 苅間は鞄からホチキスで簡単に綴じられた冊子を取り出した。


 近田は机に置かれた冊子を取り上げて、ぱらぱらとページをめくった。

「ふうん。ハムレットみたいなものかな。題名はと……“エンリエッタ”ねえ。マリカ、ほんとこういうの好きだよねー」



 苅間の顔がさっと赤くなった。

「いいでしょ、別に」


「なんだよハムレットって、どういう話なんだよ」

 柴山がなかなか話題に入れず、むっと口をとがらせて聞いた。

「んーと、ハムレットは復讐劇で、主人公は孤独になって、恋人は自殺しちゃうの」

 と、苅間は答えた


 浬、楓、柴山の三人は恋人が自殺、という言葉を聞いて、ぎょっとした。


「なにそれ、めちゃくちゃバッドエンドじゃん」

 柴山が目をしばたたかせて言った。


「ちゃんと、文化祭用にハッピーな方向に変えてるから、だいじょぶ」

 苅間が、慌てて補足した。

「主人公は友達に恵まれて、恋人と結ばれて、復讐よりも大事なことを見つけるの」


「それ、ハムレットの良さ消してない?」

 近田が胡散臭そうに苅間の方を見て言った

「いいの!」

「ごめんごめん、否定する気はないんだ」


 浬は、ポカンとして近田と苅間の会話を聞いていた。

 話についていけなかったのだ。

 まるで演劇に興味のない浬にとって、脚本を書いた苅間は十分すごいし、その話についていける近田もすごかった。

 やっぱり、実は二人はものすごく気が合うのだと思った。


「ちゃんと読み込んだわけじゃないけど、すごくいいと思うよ」


 苅間は、一層顔を赤らめた。

 ストレートに近田に褒められたことがよほど照れ臭かったのか、テーブルの上に置いていた手は、わなわなと震えていた。


「て、ていうか、何も食べてないじゃん。さっ、頼も頼も」

 苅間はそう言うと、話題をそらすように視線を座席の真ん中あたりを指さし、手際よく机に立ててあったメニュー表を取り、みんなに配った。


「まーた、照れちゃって」

 近田が意地悪く笑った。彼女にはお見通しのようだった。


 そうして、メニュー表を共有しながら、浬と柴山は何を注文するか話し合った。

「シバケンは何食うんだ?」

「王道の、ドリアかな。ただ、ピザも捨てがたい」

「両方頼めば?」

「おおう、なかなか大胆なことを言うねえ。浬はなに食うんだよ」

「んー、カルボナーラ」


 そんなことを話しながら、浬は今自分が置かれているこの状況に対して感慨深いものが沸き上がるのを感じた。


 柴山と一緒に行動することは以前までも何度かあったが、今回は違った。この場に女子三人がいて、さらにそのうちの一人は、他でもない楓だ。


 男女入り混じったグループで行動していて、さらにその中に自分の恋人がいる、という今の状況が、浬にとってはどこか不思議であり、かけがえのない貴重な時間であるように思えた。


 浬は、手に持ったメニュー表の隙間から、女子たちの様子を伺った。

 やいやいといいながら、注文するものを選んでいるところだった。


「あ、このパフェめっちゃ美味しそうとちゃう?」

「いいね、さっすが楓。目の付け所がナイス!」

「あんまり食べ過ぎると、まーた太るよ。特にマリカ」

「また、って何よ。チカが細すぎんのよ。私はこれでも標準体重ですー」

「あはは……。それじゃ、このバケツみたいなのに入ってるデラックスパフェってやつを、人数分頼もかあ!」

「楓? そ、それはさすがに私でも食べすぎだと思うな……」


 今までの自分を基準として考えると、自分がいることにどこか違和感を感じてっていただろうが、今は違う。

 それほどまでに自分は楓に影響を受けているのだ、と浬は思った。


「それで、衣装の準備ってどうしよっか」

 全員が自分が食べる料理を一通り注文し終えた後、苅間マリカが話を切り出した。


 浬は、腕を組んで唸った。

「うーん、学校が多少は費用を出してくれるって言っても、あんまりいいのなさそうだしね」

 会話に置いていかれないように、ひそかに浬は事前に調べていたのだった。


「じゃあ、自分たちで作っちゃえば?」

 近田はメニュー表を机の端に置きながら、何てことはない、という顔で言った。

「私、そういう細かい作業は苦手じゃないし、それに、裁縫係はもう一人いるし」


「もう一人?」

 近田の言った、もう一人、の意味が分からず浬はあたりを見回した。

 柴山も同じことを思ったらしい。不意に目が合い、お互いに首をかしげた。


「うん。私と、楓」

「えっ」


 浬と柴山は再び、互いに目を見合わせた。


「意外だ……」

 柴山が言った。


 その反応を見て、苅間はニヤっと笑った。二人のリアクションを楽しんでいるように見えた。

「そ。楓って、不器用そうに見えて意外とかなり器用なんだよねー」

「意外なんて、失礼しちゃうわあ」

 楓は口を尖らせて、ぷりぷりと怒った。


 浬は、驚いたことを楓に謝りながら、聞いた。

「知らなかったよ……。裁縫、得意だったんだね」

「うん。前も言ったかも知らんけど、弟が三人おってな。破れた服を縫い合わせたり、サイズが合わなくなった服を下の子用に裾直ししたりとか、私がやっててん」

「へぇ、そうだったんだ……」

 浬は、楓の意外な一面をまた一つ知れたことを嬉しく思った。


「それじゃ、実際に作るのは女子たちに任せて、俺たちは買い出しと雑用を頑張りますか」

 柴山が浬の肩をポンと叩いた。

「それしかないね」と浬は肩をすくめた。

「ただなあ……」

 柴山が汲んだ手を頭の後ろに回して、背もたれにもたれかかった。


「そのためだけに学校に行くのって面倒だよなー」

 柴山が言った。


 この五人が住んでいる地域は近い。

 学校まで行くとなると、みんなそれぞれ、電車を乗り継いて片道で1時間以上はかかるのだった。


「そうやなあ。それに、学校のミシンって古くて扱いにくいしなあ」

 楓が呟き、近田がそれに反応した。

「楓んちのミシンって、新しい?」

「うん、去年買ったばかりの、おにゅーやで」

「じゃ、楓の家でやらない?」

 近田が言った。


 楓は「せやなあ」と提案を受け入れる様子を見せたが、この展開に驚いたのは男子二人だった。


「お、おい。いいのかよ、俺らまで家に行って」

 柴山が言った。

「あ、確かに」

 近田が、しまった、といった風に口を押さえた。


「まあ、ええんちゃうかな。手が余ったら弟たちの相手とかしてくれると助かるかも」

 楓は、まるで夕食の献立を決めるときのような軽さで答えた。


「だってさ、お二人さん。女の子の家で、変なことしちゃだめだぞー」

 苅間が注意を促すように、浬と柴山を指さした。

 とりわけ、柴山には念入りだったように見えた。

「しねえよ」

 柴山は笑いながら、ピンと伸ばされた苅間の人差し指を手のひらで押さえて、下げさせた。


「んん? な、なんや、浅見くん」

 楓が、顔を赤らめて言った。

 浬は無意識のうちにじっと楓を見ていた。そのことに気づき、浬は慌てて釈明した。

「いや、なんかこう、家に行くって緊張するなって思って」

「おお、そ、そうやなあ」

 そして、浬と楓はお互いにうつむいて黙ってしまった。


 慌てた拍子に、言わなくていいことまで言ってしまった、と浬は思ったが、もはや手遅れだった。


「おおー? こりゃ怪しいですなあ」

 と苅間が言った。

 その目は、好奇心でギラギラと光っていた。


 *


 こうして、浬たちは夏休みの毎週木曜日を目安に、楓の家に集まることになった。

 なぜ木曜日なのかと言うと、その日は楓の両親の帰りが遅いために、誰かが弟たちの面倒を見なければならないから、であった。

 せっかくの機会なので、浬と柴山に相手をさせよう、と言うわけである。


 また、同い年の異性を部屋に上げているところもあまり両親に見られたくない、というのも理由の一つだった。浬はつかの間、ひょっとすると楓は両親と折り合いが悪いのかもしれない、と考えたがそんなことはなく、楓曰く「だって照れくさいやん」ということだった。


 五人はそのまま話続け、気付けばあっという間に一時間ほど経っていた。


 結局その日、楓はデラックスパフェを二個注文し、二つともをほとんど一人で平らげていた。


 *


「それじゃ、また来週。時間とかは後で連絡するわあ」


 最寄り駅に着くと、浬と柴山は電車を降りて、女子たちに別れを告げた。

 彼らの最寄り駅は、女子たちよりも一駅前にあるのである。


 駅を出て、しばらく歩く。

 浬は、来週の今頃にはもう楓の家に行っているのだと思い、ため息をついた。

 柴山のほうはと言うと、口角が上がりっぱなしだった。


「よくそんなに嬉しそうにできるな。俺なんて、なにかヘマしないかと怖くて仕方ねえよ」

「ばかやろ、この年で女子の家にお泊りなんてこと、滅多にねーぞ」

「泊まりじゃねーよ」


 気が重そうに肩を落として歩く浬とは対照的に、柴山は浮かれていた。

 やがて、駅前にある全国チェーンの衣料品店を通りかかったとき、柴山は浬にささやいた。

「よお浬よ、ここで、勝負下着でも買ってくか?」

「バカなこと言うなよ」


 浬は、強い口調で柴山の提案を却下した。


 ただ、口ではそう言いつつも、せめて綺麗な下着を履いていったほうがいいかもしれないな、とつい無駄なことを考えてしまうのだった。

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