EP4-4 いざ、リベンジ!

 試合の日がやってきた。


 体育館の壁には、応急処置として樹脂でできた板が貼られていた。

 放課後に特訓したときにできた穴がふさがれているのだった。


 体育教官は壁のことに触れることもなく、相変わらず気のない様子でホワイトボードをとん、と指さした。

「今日は頭から試合するから、十五点先取で。この組み合わせでローテーションしていってくれー」

 浬は、その様子を見て、ほっと胸をなでおろした。少なくとも、今はおとがめなしのようだ。柴山がうまくやってくれたらしい。


 ホワイトボードに書かれた組み合わせ表を見て、四組の女子生徒が言った。

「先生、それ前と組み合わせ一緒だよ」

「あ? そうか? まあ、最初はこれでやってくれ」

 その言葉を聞き、女子生徒は呆れたように体育教官を見ていた。


 浬たちは、燃えていた。

 リベンジのチャンスが、思いのほか早く訪れた。


 指定されたコートに移動すると、剛田たちは既に待っていた。

「お、またお前らか。……こりゃいいや、よろしくな」

 剛田が不敵な笑みを浮かべて、手を差し出した。

 浬は、出された剛田の手を握った。

 ごつごつしている。

 強く握られた剛田の手を、握り返して浬は言った。

「よろしく」


 *


 試合が始まると、お互いが交互に点を取り合うような展開になり、前回とは打って変わって接戦になった。


 まず、浬がトスを上げる役割になったことで、近田がレシーブに専念できるようになった。

 さらに、柴山も素早く、二人の活躍もあり相手のスパイクを拾うことができ、ラリーが続くようになった。


 また、苅間が人並みにレシーブできるようになったのも大きかった。

 前回は苅間を狙ってサーブされるだけでフォーメーションが総崩れだったのが、崩れなくなった。また、多少崩れても近田がフォローできる範疇に収まっていた。


 そして、何より浬がトスを上げて、楓が打つ。

 この流れができたことで相手も守りを意識せざるを得なくなり、これまでのような奔放で強引な攻めが出来なくなっていた。

 剛田だけのスパイクではなかなか点を取れなくなり、他の生徒も果敢にスパイクを打ったが、あまり練習していなかったのか、ミスを誘った。


 そして試合は進み、


 14 対 12


 浬たちのチームのマッチポイントとなった。

 苅間にサーブの順番が回った。


「よーし、行けるよ!」

 近田はいつになく興奮した様子で、手を叩いた。

「マリカ、いつも通りで大丈夫だよ。相手のコートに落とすだけ」


 苅間が緊張した面持ちでボールを持った。

「私は、相手のコートに落とすだけ。落とすだけ」

 お経のように呟き、苅間がサーブした。


 ボールは弧を描き、相手のコートの中心に落ちた。

「よし!」

 苅間の声が聞こえた。


 四組はサーブを難なく拾い、体制を整えて、剛田にトスを上げた。

「いくぜえええ!」

 剛田の体が跳ねた。

 腕を振り、ボールを強く叩いた。

「らあああ!」


 強烈なスパイクが、柴山の顔面を襲った。

「あぶねっ!」

 柴山は機敏な動きでかわしながら、腕でボールを受け止めた。

 ボールは、ちょうど浬のもとに飛んだ。


「すごーい! ナイスシバケン!」

 苅間が叫んだ。


 浬はボールがゆっくりに見えていた。

 時間をかけて、弧を描き、落ちてくる。

 楓が走りこもうとしているのが視界の端に映った。


「相原さん!」


 浬がトスを上げた。

 楓は走り込んだ。

 体を沈ませながら両足を揃える。

 そして大きく腕を振り上げ、慣性と脚の力をフルに使って体を持ち上げる。


 楓の小さな体が、跳ねた。

 トビウオが水面を跳ねるように、瑞々しい体をくねらせ、楓は宙を舞った。


「どおおりゃあああ!」


 楓が腕を振りぬいた。

 ボールは心地よい音を響かせ、速度を上げて相手のコートに向かって飛んでいく。


「やべっ」


 不意をつかれた剛田が、あわててボールに向かって手を伸ばす。

 しかし、間に合わない。剛田の手をすり抜け、ボールは通り過ぎた。


 ボールはそのまま、地面に向かって一直線に進む。


「ぬおお!」


 なんとか、4組の男子生徒の一人が手を伸ばして、ボールに体を当てた。

 ボールはあらぬ方向へ力なく飛んでいった。


「やった!」


 浬は得点を確信して、声を上げた。


「まだやで!」


 さっと、楓の鋭い声が響いた。


 ……まだ?


 見ると、誰かが、緩い弧を描いて飛ぶボールに向かって、猛然と走りこんでいるところが見えた。


 ――剛田だった。


「……危ない!」


 浬は、反射的に叫んだ。

 走りこんだその先には、隣のコートの鉄柱が立っていた。


 あのままでは激突する……!


 そう思ったのもつかの間。

 剛田は鉄柱の存在を認めると、重心を下げて脚を畳み、スライディングの体勢になった。ほとんど勢いを殺さず、足をクッションにしながら。器用にボールを拾った。


「俺が打つ!」


 そう言いながら、剛田は再度走りだした。


 剛田の意図を汲んだ様子で、四組の女子生徒がネット際にトスを上げた。

 そこに剛田は走りこんだ。


「ナイス! ……うおおお!」


 剛田は体勢を崩しながらも跳び、腕を振り抜き、強烈なスパイクを打った。


 ボールは速度を上げ、唸る。

 そして、コートの半分のところで止まった。

 ネットに引っかかったのだ。

 ボールは一瞬ネットを絡めとるように回転を続けていたが、やがて力なく、ポトリと落ちた。


 浬たちの勝利だった。


「よっしゃあ!」

 シバケンが吠えた。


「きゃああ、楓、ナイススパイク!」

「ほんと、やるじゃん!」

 苅間と近田が、楓にハイタッチを求めた。

「いえーい!」

 楓は心底嬉しそうに、跳ねながらハイタッチに応じた。


「浅見くん、ばっちりなトスやったで! 練習の成果、やなあ!」

 楓が興奮気味に、弾けるような笑顔を浬に向けた。

 浬は、体が奥の方からじわっと熱くなるのを感じた。

「ありがとう。相原さんも、すっごくよかったよ」

「えへへ、そうかいなあ」

 相原さんは照れくさそうに頬を掻いた。


「剛田、大丈夫か!」

 四組の生徒の声が聞こえて、浬は我に返った。


 見ると、剛田が倒れていた。


「なんともねーよ。ちょっとくじいただけだ」

 そういうと剛田は立ち上がり、右足に体重がかからないようにしながら、歩いた。

「ただ……。すまん、念のため保健室で見てもらうわ!」


 そうして剛田は体育教官に声をかけて、体育館を出ていった。


 *


「先戻ってて。ちょっと保健室の様子見てからもどるわ」

 授業が終わってすぐ、楓はそう言った。

「僕も行くよ」

 浬は楓の後ろに続いた。


 保健室に着いた時、ちょうど剛田が出てくるのが見えた。

「剛田くん、大丈夫?」

 楓が心配そうに剛田の脚を見た。

 脚には包帯のようなものを巻いていた。


「ただの打撲だ。ちっと安静にしとけば治る」

 剛田はそう言って足を持ち上げて見せた。


「それよりもお前ら……」

 不意に、剛田の目の奥がさっと燃え上がった。

 反射的に、怒鳴られるのではないかと思ってしまい、浬と楓は身を硬くした。


 しかし予想に反して剛田の声は穏やかだった。

「やるじゃんか。いつの間にこんなに上手くなってたんだ?」

 剛田は、目尻にしわを寄せて笑った。

 こう見ると、剛田もなかなか愛嬌のある顔をしているんだな、と浬は思った。


 楓も、浬の方を見た。どうやら同じことを思っているように見えた。

 そして、互いに見合わせて、二人は笑った。

 そして二人同時に答えた。


「練習の成果だ」

「練習の成果や」


 *


 その後、サッカー部の部室に足のサポーターを取りに行くと言っていた剛田に別れを告げ、浬は楓と教室まで続く道を歩いていた。

 雨は、止んでいた。


 横に並んで歩いていると、ときどき、手が触れ合った。

 この日、廊下を歩く二人の距離は近づいていた。


「ほんと、練習の成果が出てよかったね。努力の賜物だよ」

「体育館のカギを借りてきてくれた柴山くんと、いろいろ教えてくれたチカにもありがとうって言わなあかんね。あ、もちろん付き合ってくれたマリカにも」


 浬は笑った。苅間のことがついでに付け足したように言ったのがおかしくて。

 これまでの、付き合い始めの痺れるように甘い雰囲気ではなく、長年連れ添ってきた相棒のような柔らかく、リラックスした空気が、浬と楓の間に生まれていた。


「そうだね。相原さんもすごいジャンプ力だったよ。まるで、天使みたいだった」


 浬は冗談めかして言った。屋上で見た、真っ白な翼をもった楓の姿がふと思い出された。


 楓は、胸を反らせて大げさに誇るような仕草をして、

「だって、天使ですから」

 と言った。


 二人は笑った。


 ふと楓が真剣な顔になった。

 表情が変わったのを見て、何を言うのだろうと思い、浬は楓の言葉を待った。


「私さ、昔から不器用で」


 楓が言った。


「あんまり努力してうまくいった思い出なかったんよ。勉強も、運動も。こんな風にみんなで何かを達成したのって、ほんとに久しぶりな気がする」


 楓は、浬の方を見た。そして笑って言った。


「だから、嬉しかった」


 浬は楓に向き直った。

 浬は何を言うべきかつかの間迷ったが、今の素直な気持ちを伝えよう、と決心した。


「相原さんが喜んでいるところが見れて、僕も嬉しい」

 顔を真っ赤にしながら、浬は言った。


 その瞬間、蒸し暑い空気を押しながすような、涼しい風が廊下に吹いた。

 いくらか湿気を含んではいたが、嫌な感じはしない。

 気持ちの良い風だった。

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