EP4-1 剛田力也という男
「なあ、俺、仮病使っちまおうかな」
服を着替えながら柴山がどんよりとした顔で言った。
浬たちは昼休みに昼食を摂った後、次の体育の授業に備えて教室で着替えているところだった。
「バカ、今日使ったらこれからずっと仮病使うことになっちまうぞ」
浬がロッカーから体育館用のシューズの入った袋を取り出し、ポン、と袋で柴山背中を叩いた。
雨に濡れた渡り廊下を歩く。
ここ数日は、雨が続いていた。
校舎と体育館を繋ぐこの渡り廊下は、道幅と同じ大きさの簡素な屋根がついているだけだったため、コンクリートは濡れそぼり、水たまりを作っていた。
体育館に向かう、浬たち三組の生徒たちの足取りは、重かった。
風に吹きつけられて舞う雨を体に受けながら体育館用のシューズを抱え、早足で体育館に向かう。
「よりによって四組とだもんなあ」
柴山が苦々しげに言った。
浬たちが在籍する高校では、体育は二クラスが合同ですることになっている。
一組と二組、三組と四組…という具合だ。
浬のいる三組と一緒に授業することになるのは、四組だ。
四組はいわゆるスポーツ特進クラスで、様々な競技の有名な選手がそのクラスに集結していた。
ある競技で抜きんでて優秀と言うことはつまり、その他の運動も人より得意な良い確率が高い、ということである。
クラスマッチなどは、例年このスポーツ特進クラスがぶっちぎりの一位を取っていた。
そのため毎年、二位にどのクラスが食い込むか、何の種目でもいいから特進クラスから勝利をもぎ取れるか、というところに注目が集まるのだった。
「お手柔らかにしてくれるといいけどね」
浬たちの後ろを歩いていた、近田チカが不安そうにつぶやいた。
「きっと大丈夫だよ、きっとね……」
苅間マリカが答えた。言葉とは裏腹に、表情は暗かった。
「もう、皆大げさやなあ」
ただひとり、いつもと変わらぬ様子の楓は、行くのを渋る浬たちの背中を押し、体育館へと続く道を歩いていた。
浬は、楓をちらと見た。
いつもと変わらない様子に見えた。
浬は今朝のことを思い出していた。
**
「そういえば、昨日、相原さんっぽい人を見たよ」
朝、楓を見つけた浬がそう言ったとき、楓の様子はどこか変に見えた。
浬の言葉を聞いた瞬間、ピタッと動きを止めて、目を見開いていた。
なんとなく、ぞっとするような表情だった。
「どこで?」
無機質な声で楓は尋ねた
「えっと……、夜、あの大きな交差点がある近くの住宅街のあたりで」
慣れていない土地であったため、伝わるかどうか不安だったが、どうやら楓には伝わったようだった。
一瞬、楓は顔をこわばらせて、言った。
「人違い、ちゃうかなあ」
「そう? じゃあ見間違えたかな」
**
あの場ではそう言ったが、間違いなく楓だったと、浬はなんとなくそんな気がしていた。
はぐらかされるということは、まだ自分と楓の間には壁があるのかもしれない、と浬は思った。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか体育館に着いた。
ダン、ダンという大きな音が体育館の外まで響いていた。
四組の生徒たちはすでにウォーミングアップを終え、コート内を跳ね回っていた。
今授業で扱っている種目は、バレーボール。
簡単な練習の時間は前回の授業までで終わり。今日からいくつかのチームに分かれて試合をする、と先週担当の体育教官が言っていた。
「うひゃー、さすがスポーツ特進クラス。やる気満々だなぁ」
昼食をとってすぐだというのに機敏に動く四組の生徒たちを見て、浬は肩をすくめた。
「前の授業が終わるなり、走る音聞こえてたしな。あいつら、飯はいつ食ってんだよ」
柴山がシューズを乱暴に履き替えながら言った。
「ぬおおお!」
不意に、ドタドタという地面の振動とともに雄たけびが上がり、浬たちは目線を向けた。
ふんわりと上げられたボールのちょうど落下点に、走りこんでくる男子生徒が一人。
浬は、顔を見ずとも誰なのか分かった。
――剛田力也だ。
剛田は180cmを超える長身を弾ませて、猛然と走った。
サッカー部の剛田は筋骨隆々なわりに動きはかなり俊敏で、海外の有名クラブチームからも声を掛けられていると噂されていた。
入学した時よりもさらに筋肉が付き、当初の印象よりもさらにゴツくなっていた。
剛田が、跳んだ。
日焼けした大きな体が身軽に宙を舞う。
ジャンプが頂点に達したとき、バレーボールはちょうど剛田の手元に落ちてきた。まるで、吸い寄せられるようだった。
剛田は空中で腕を引き絞り、そして放った。
「っしゃオラー!」
バチン!
体育館に、爆発のような轟音が響いた。
弾丸のようなスパイクが、相手のコートを襲った。
ボールは誰の手にも触れず、そのままコートに落ちた。
剛田は派手にこぶしを突き上げた。腕にまとわりついていた汗が弾けた。
「っしゃあ! ナイストス!」
剛田は、トスを上げた四組の目つきの鋭い女子生徒に向かって、親指を立てた。白い歯が輝いていた。
その様子を見ていた柴山は、うわあ、と声を漏らして肩をすくめた。
「げえー、さすがスポーツ推薦クラス。あんなの、野獣じゃんか……」
「ほんと、あたしらは野獣の前に出された小鹿みたいなもんだよ……」
苅間マリカも、がっくりと肩を落とした。
試合をする前から意気消沈した様子の三組の中で、楓だけはただ一人、打倒四組燃えていた。
「うぐぐ……、負けてられんわ、浅見くん! 絶対倒すで!」
浬は、突然声を掛けられ、せき込んだ。
そして、ようやく普段の呼吸を取り戻すと、
「う、うん、もちろん!」と答えた。
「おいおい……」
柴山はそんな浬を、いくらか冷ややかな目で見ていた。
その時、館内に笛の音が鳴り響いた。
「集合ー」
体育教官が気のない号令をかけた。
「チームに分かれて練習した後、軽いゲームをします。じゃあ後は笛を鳴らすまでグループ作って各自練習!」
その後、試合前に適当なグループに分かれるように指示された浬たちは、浬、柴山、楓、近田、苅間の五人でチームになった。
本当は六人チームを作るべきだったのだが、クラスの人数の関係で一人足りていなかった。
先生に相談して、「対戦相手が五人チームの時はもう片方のチームも五人でローテーションする」ということで、そのまま五人でチームを組むことになった。
「お、近田がいるんならスパイクは全部近田に任せようぜ」
柴山が言った。
「バーカ、バレー経験者はスパイク禁止。先生の話聞いてなかったの?」
近田チカは柴山の顔をまじまじと見て、ふう、とため息をついた。
「あーあ。シバケン、チカに怒られてやんの」
苅間マリカが茶化すように言った。
「うるせ、てめーこそ足引っ張んじゃねーぞ」
「はいはい、さっさと練習するでー」
にらみ合う柴山と苅間マリカの間に楓は割って入った。
こういう時、楓は周囲を見ながらうまくバランスをとる。
浬は、思ったより楓は、周りを見て気を利かせるのが得意なのかもしれない、と思った。
そうして、不安だらけの中、バレーボールの授業は始まったのだった。
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