EP1-5 人生で初めて彼女が出来た

「私な、黙示録<アポカリプス>なんよ」

 楓はそう言った。


 沈黙が、再び訪れた。

 ……今、何と言ったのだろうか。


「えっと、なんだって?」

「もうっ、二度も言わせんといてや。分かってるくせにっ」


 楓は口を尖らせて、ぷりぷり怒った。


「もう一回だけ言うで。私はな、黙示録<アポカリプス>なんよ」


 楓はそれだけ言うと、顔を紅潮させて上目遣いにかいりを見つめた。

 何度聞いても、やはり先ほどと同じ言葉だった。


 浬は、言葉の意味が呑み込めずにいた。


「えっと……、あ、アポカリプス? ってなに?」

「ありゃ、もしや、分からへん? 黙示録」


 楓はのけぞった。心底意外だ、という表情だった。


「うーん、聞いたことはあるんだけど……」

「おっかしいなあ。浅見君ならたくさん本読んでそうやし、絶対分かると思ったんやけど……」


 黙示録<アポカリプス>。

 アニメやゲームなどでしか聞いたことない言葉だった。


 浬は、細い記憶の糸を手繰り寄せ、何とか思い出そうとした。

 たしか、災厄の予言だとか、そういうものだったような――


「確かに本は好きだけど、そういうオカルトっぽいのはあんまり読まなくて……、ごめん」

 楓の残念そうな様子を見て、浬は思わず謝った。

「そうかあ、それは残念やなあ」

 楓は、がっくりと肩を落とした。


 浬は、次第に緊張がほぐれてくるのを感じ、自分から話題を切り出した。


「その、相原さんがなんで黙示録<アポカリプス>なの?」

「私のせいでな、世界は滅んでしまうんよ」

「世界が、滅ぶ?」


 まるで聞き慣れない言葉に、浬は虚を突かれて裏返った声を出した。

 楓を見ると、なおもまっすぐな表情で浬を見据えていた。


「ごめん。滅ぶ、って……?」


 浬は目を泳がせた。持っている知識を総動員させても、楓の言っていることを理解することがまるでできそうになかった。

 あたふたする浬の様子を見て、楓は急いで言葉を継いだ。


「あー、えっと。言葉足らずやったかな。ごめんな。私、説明下手で。えっとな……」


 それから、楓は頭が真っ白になっている浬に、ひとつひとつ語っていった。


 内容はこうだった。


 楓は昔から、とある夢をよく見ていた。

 夢の内容は、まるで自分じゃない「誰か」に、なってしまうという夢。


 その「誰か」は自分の意志とは関係なく動き、空を縦横無尽に飛び回りそして、こうつぶやいたという。


「歪みは限界に来ている。もうすぐ、世界は滅んでしまう」と。


 破滅を告げる存在。だから、自分のことを黙示録、と言ったのだった。


「冗談、だよね?」


 すべての話を聞いた後、初めに出てきた言葉がこれだった。

 冗談だよね、と聞けば、冗談だよ、って返ってくるのではないのだろうか。浬はそんな淡い期待を言葉に込めた。

 しかし、返ってきた言葉は浬の期待をあっさりと裏切ったものだった。


「ううん、大真面目」


 楓は、ふるふると首を横に振って言った。


「いきなりそんなこと言われても……」

「そうやんな。やっぱ、見せるしかないかあ」

「見せる?」


 そういうと楓は後ろに振り向いて、屋上の縁に向かって歩いた。

 そして縁の少しだけ出っ張った部分に登ると、浬の方に向き直り、深呼吸して目を閉じた。


「一回だけやから」

「一回って、だから一体何を――」


 危ないよ、と浬は言おうとした。

 しかし、浬の言葉を待たずに、それは起こった。


 楓の体が傾いた。そのまま空に向かって、体を放り出したのだ。

 近々取り壊す予定になっている古い校舎には、転落防止の柵なんてものはなかった。


 二人がいる、この旧校舎は四階建てで、そこそこの高さがあった。

 つまり、楓が落ちる先は――


「相原さん!」


 楓が何をしようとしているのかを悟り、浬は一目散に駆けだした。

 しかし、間に合わない。


 伸ばした腕は無残に空を切った。

 楓は、落ちていった。


 バサァ


 何かが羽ばたく音がした。


 次の瞬間、浬は目を見開いた。

 背中から純白の翼を生やして、楓が宙を舞っていた。

 鳥のように自在に飛び回り、滑空し、そして屋上へ戻ってきたのだ。


 浬は目を疑った。


 白く輝き、豊かなエネルギーを蓄えた、大きな翼。

 やがて翼はふっと淡く光り、跡形もなく消え去った。

 辺りには、白くてふわふわした羽毛のようなものが漂っていた。


「なに、これ……」


 浬は目の前で漂っているものを掬い上げるようにして、手を差し出した。

 手のひらの上に白いものがふんわりと着地する。


「……羽根」


 それは、羽のように見えた。

 綿でできているかのような繊細な羽根は、手のひらに乗せた瞬間に雪のように消えていった。


「ま、こういう感じやねん」


 楓はバツが悪そうにうつむいた。


「あの、誰にも……、言わんといてな?」


 浬は頷いた。頷くしかなかった。

 何かすごいことを自分に打ち明けたらしい、と言うことは浬にも理解できた。


 ふと、浬の中にある疑問が浮かんだ。

 なぜ、自分に言ったのだろうか。


 秘密を共有するなら他にもいるはずだった。親や、兄弟をはじめ、仲の良い友達だっているはずだ。

 なぜ、自分なのだろう。


 その時、ある考えがよぎった。


 まさか自分は、これからとんでもないことに巻き込まれるのではないだろうか。


 楓が言ったことをすべて理解したわけではなかったが、何かとんでもないことに巻き込まれそうになっている、ということを浬は感じ取っていた。


「でも」

 と、浬は言った。


 まるで自分の意志を無視しているかのように疑問が口を衝いて出た。

 浬の脳が警鐘を鳴らしていた。余計ナコトハ、スルナ、キクナ。


「でも、なんで僕に?」

「なーんにもないよ。聞いてほしかっただけ」


 あまりに拍子抜けた答えに、浬は呆気にとられた。


「聞いてほしかっただけ。秘密を一人で抱えているのって、しんどいやろ?」

「ほんとに何もないの? ……なんていうかこう、大変そうだけど」

「うん。何もない。だって、どうせ私は……」

「どうせ?」

「ううん、なんでもない」


 そう言って楓は口を横に引き延ばすようにして笑った。

 しかし一瞬、楓の表情が翳るのを浬は見逃さなかった。


 彼女は、何か隠している。

 浬はそう直感した。


 しかし、浬は口を開きかけて、追及するのをやめた。

 あれだけ突拍子のないことをやってのけたのだ。人に言えないことの一つや二つ、あるだろう。


「聞いてくれてありがと。なんか、元気が出てきた」


 楓は照れくさそうに笑った。なんとなく儚い感じのする笑みだった。


 浬は自分の肩に疲れがどっと乗るのを感じて、大きく息を吐きだした。


 黙示録、という聞きなれない言葉。

 屋上からの飛び降り。

 そして、楓の背中から生えた、真っ白な翼。

 既に浬が処理しきれないほどの情報の量だった。


「はああ……」

「どないしたん? やっぱり、変、やろか……?」


 楓は眉をひそめて浬の顔を覗き込んだ。


「ううん、相原さんが真剣なのは伝わってきたし馬鹿にしたりしないよ。ただ……」

「ただ?」

「まさかこんな大変なことを言われるなんて思わなかったんだ」


 楓ははっと息をのんだ後、空気を緩ませて笑った。


「アハハ、確かに。まさかこんなこと、予想できひんよなあ」

「うん、ほんとに。まさかだよ」

「ちなみにさ、何を言われると思ったん?」

「いや、その……」


 浬は口ごもった。

 楓は好奇心に輝く瞳で、浬を見つめていた。


「えっと……」


 答えにくかった。

「自分に好意を持っているのかと勘違いしていた」と自分から言うのは、恥ずかしかった。

 シチュエーションとしては十人いれば十人が勘違いしてしまう状況だろう、と浬は思った。

 しかし、自分に向けられた好意が勘違いでした、というのは、思春期の男子にとっては耐え難いものだった。


 やがて、そのままでは話が進まないと思い、浬は決心して言った。


「その……、告白されるかと」


 浬の言葉に楓はきょとんとしていた。そして一瞬、間があいた後、笑った。

 楓はそのまま、1分ほど笑い続けていた。


 やがてひとしきり笑って落ち着いてきたころ、彼女は目尻を一指し指でこすりながら言った。


「あはは、ごめん。確かにこんな状況なら、普通告白やと思うやんなあ? 私がニブチンやったわ」

「いいよ、僕が一人で舞い上がってただけだから。でもその後すぐ落とされてさ、落差でどっと疲れちゃったよ」


 浬は、なるべく冗談に聞こえるように明るく振舞った。


「あのさ」


 楓は、再び浬の顔を覗き込んだ。

 先ほどまでの明るい雰囲気とは違って、なにやら神妙な顔つきになっていた。


「そ、その、告白やったとしたら、浅見くんはなんて返答してたん」

「えっと、OKしようと思ってた」

 浬は半分、やけくそになって言った。どうせ恥ずかしいのなら今更何を言っても同じだ、と思った。


「……そうかあ!」

 浬の返答に、楓は頬を紅潮させた。


(こんな子が彼女だったら、きっと毎日楽しいんだろうな)

 浬は、楓の華やかな笑顔を見て、自分と楓が一緒にいるところをぼんやりと思い描いた。


 浬はしばらく物思いにふけっていた。

 そして、楓が発した言葉で、一気に現実に引き戻された。


「そんならさ、ほんまに私と、付き合ってみいひん?」


 その言葉は、まるで異物が耳に入り込んだように硬い音を反響させた。

 浬には、一瞬時間が止まったように感じられていた。


 今、何と言ったのだろう。


「えっと、なんだって?」


 やってしまった、と浬は思った。


 かの名著、「絶対に彼女を作る方法十選~俺はこうやって彼女を百人作った~」(この本の著者は最近不倫がバレて大炎上したらしい)には、「告白された時に聞き返すのは最悪です。相手に対する侮辱だ」と書かれていた、ということを思い出した。


 思いつく限りの最低の答えをしてしまった、と浬は一人後悔に打ちひしがれていた。

 ところが、楓は浬の様子を気に留めるでもなく、一人であたふたしていた。


「いや、初めはな、ほんとに誰かに聞いてほしかっただけやってん。でもな、浅見君馬鹿にせんと私の話をちゃんと聞いてくれたやろ? やから、いい人やなって。今までな、こんなにちゃんと話聞いてくれる人とかおらんくてな、嬉しくてな、それで、それで……」


 消え入りそうな、細い声だった。


「あの……、付き合ってみるのもいいのかなあ、って」


 楓の顔は、夕日に負けずに真っ赤になっていた。


「やからさ、あの、もしよかったらやねんけど……」


 うつむきがちに


「……付き合お?」


 蚊の鳴くような小さな声だった。


 浬はその言葉を確かに聞き届けると、慎重に言葉を選ぶように口を動かした。

 何か答えなければならない。その思いが、浬を突き動かしていた。


「うん……」


 緊張で震える顔の下半分を、必死に動かして答える。

 ぱさぱさに乾いた唇は、いつもより動かしにくかった。


「うん、付き合おう」


 その瞬間、屋上に風が吹き抜けた。

 楓はぶるっ、と体を小さく震わせた。


「よろしくなあ、浅見くんっ」


 このまま時が止まってしまえばいいのに。

 そう思うほどの幸福感に、浬は包まれた。



 そして今日が、浬にとって、記念すべき日となった。


 もし本当に、万が一にでも世界が破滅するなんてことがあるなら……


 自分たちはそれまでの、期間限定の恋人関係ということになる。


(これから、どうなるんだろう)


 浬は、大きな期待と、少しの不安に胸を膨らませていた。

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